インタビュー
大口径マウントの「NIKKOR Z」開発秘話(前編)
なぜ各社で径が違う? デザインや沈胴機構にも新たな挑戦
2020年3月10日 00:00
Zマウントの仕様が決まるまで
——個人的にはニコンの関係者の方に10年以上前からフルサイズのミラーレス機が欲しいと言い続けてきたのですが、ようやく一昨年Z 7とZ 6が発売になりました。その際、最大のポイントとなったのはレンズマウントをどうするかという点だったと思います。実際にはどれくらいの期間、仕様を検討されたのでしょうか?
藤原 :ずいぶん前から、FXフォーマット(35mmフルサイズ相当)ないしはDXフォーマット(APS-Cサイズ相当)のミラーレス機をやるのかやらないのか、議論してきました。その都度、マウントはどのようなものがいいかという話もありました。
「FXフォーマットのミラーレスをやるかやらないか」の議論は非常に長かったのですが、マウントの径とフランジバックが決まってからは思いのほか短期間で開発が進みました。
——ニコンさんは伝統のFマウントをずっと守り続けて来た歴史があるわけですから。
藤原 :そうですね。Fマウントを引き継ぐミラーレスカメラにするのか、ミラーレスといえばNikon 1マウントもありますし、どうしましょう、となります。過去製品との関係なども含め、新たなシステムをどういった位置づけで構築するのか、会社としてはかなり悩みました。
——ニコンはこれまで一眼レフの機構部分の設計を最も得意としてきたわけですから、それを捨て去るミラーレス機への移行には、だいぶ葛藤があったということでしょうか?
藤原 :そうです。加えて昨今のカメラの高画質化、高画素化、そしてレンズの高性能化を考えた時、Fマウントの仕様では限界がありましたので、マウントは新規にせざるを得ないというのは共通の認識でした。しかし、動き出すと決めてからはみんな早かったです。かなりスケジュールを詰めて取り組みました。
最初に決まったのはフランジバックで、そこからマウント径を決めるまでは時間がかかりました。
とはいえ、フランジバックについても簡単ではなかったです。光学設計からすれば「短ければ短いほど良い」ということで、光学設計担当はどんどん短くしてくれと要求しますが、カメラ側のボディ設計からすると、短くなるということは、それだけメカの配置が難しくなります。ボディのカバーなどもどんどん薄くしなければならず、剛性を確保するのが大変になります。また、メカシャッターを入れるスペースが必要ですとか、イメージセンサーのカバーガラスの厚さなどにも配慮しながら入念な検討をしたうえで、16mmが究極の解であるという結論に至りました。
マウント径は、みんなFマウント時代にやりたくてもできなかったことがあり、ものすごく大きなマウント径の案から小型化を最優先にしたものまで含めて最終的に5つの案に絞られました。この中から上層部へ提案するマウント径を決めることになりました。
この時、単純にサイズ的な観点、開放F値を含めて新しい光学的な提案ができるかどうかの観点、そして、新しいものと従来製品を含めてボディやレンズを組み合わせた場合のシステム全体としてのバランスの観点、の3つを評価軸で見ていきました。
結果としては、F1.0を切ることができるサイズで、新次元の光学性能に挑戦したいという皆の想いが決め手となり、現在のZマウントを提案することとなりました。
——僕としては、カメラのデザインからするともう少し小さいほうが良かった気はしますが。
藤原 :面白いですよね。最初はみなさんそういう意見が多いです。
——"光学的に新しい提案ができるかどうか"という観点では、マウント径は大きいほうがよいのですか?
藤原 :ニコンの技術者は、みな"光学をメインにしている会社"という意識が強いのだと思います。そのためサイズやデザインという部分も重要ですが、やはり光学にプライオリティを置いたものを作りたい、そこに会社としての価値がある、という判断でした。
——同じ"35mm判"に基づくシステムであれば、マウント規格の理想はだいたい同じになりそうな気がしますが、なぜ各社で解が異なるのでしょうか?
藤原 :これはやはり「ミラーレスのシステムで何を撮影したいか」、「どんなカメラにしたいか」というところに大きく関わってくると思います。例えば、今回のZマウントの規格を決める際も、もし「カメラの小型化を最優先にしながら、35mmフルサイズのフォーマットで」というコンセプトだったとすると、もっと小さなマウント径を採用したかもしれません。
ニコンZマウントの場合は、圧倒的な光学性能という部分にプライオリティを置いたために大きな径のマウントを選びましたが、他社さんでは一眼レフカメラに対抗する小型軽量をアピールできる、より小さなマウントを採用したのかなと思います。
——斜入射特性の観点から、いわゆるオールドレンズを楽しむにもZマウントシステムが有利という声がありますね。
藤原 :光学性能を高める上で有利な仕様ということでこの規格を採用してはいるのですが、光学性能をよくするということは、そのレンズの素性をより明確に表せるという面があります。Zマウントの仕様が決まった後に、結果としてマウントアダプター FTZでオールドレンズを楽しむ方にも間違いなく受け入れられるなとは考えていました。
もちろん、この規格にかかわった技術者の中には、ニッコール千夜一夜物語の執筆者である佐藤や大下もいますので、もう頭の隅では「あのレンズやこのレンズをアダプターで付けて遊んでやろう」と考えていたと思います。(一同笑)
坪野谷 :斜入射特性の件では、マウントの規格を決める際に、光学設計者の意見を大きく取り入れてもらうことができました。例えば、斜入射特性によっては周辺部で色被りが生じやすくなりますが、そのときにはすでに「NIKKOR Z 58mm f/0.95 S Noct」が企画されていましたので、これに見合うような斜入射特性、フランジバック、内径から出る光線を正確に調査した上で採用していただいたという経緯があります。
——大口径のメリットはわかりましたが、逆に口径が小さいメリットはありますか?
藤原 :ボディの小型化には貢献すると思います。ただし、レンズについては、一概に小型化に貢献するとは言えません。例えば24-70mm F2.8のレンズで比較すると、Fマウントの時はマウント径が小さかったので、設計上の制約でレンズをより大きく重くする方向になってしまっていたのです。
一方で、Zマウントは口径が大きくなることで光学設計の自由度とともに、メカ設計の自由度も上がっています。その結果、光学系はよりコンパクトにできますし、機構も無理なく配置できるということで、レンズ自体の径は大きいものの光学性能が上がったうえ、全体としては小さくできました。同じスペックの24-70mm F2.8のレンズでも、Zマウントの「NIKKOR Z 24-70mm f/2.8 S」では全長が短くなって、質量も800gほどに抑えられました。
——Zシリーズのイメージセンサー前にあるカバーガラスが他社と比べて薄めであることは共通認識かと思いますが、どのような狙いで薄くしたのですか?
藤原 :カバーガラスの厚みも、システムのフランジバックを決める際に大いに議論がありました。カバーガラスの厚みはフランジバックや光学性能に影響するため、できるだけ薄くしたい。しかし、イメージセンサーの製造側からすると薄くするのは難しいという事情です。
——カバーガラスを薄くする難しさは、どんなところにありますか? ちなみに、その厚さは何mmですか?
藤原 :薄く作ること自体も難しいのですが、薄くするほどその厚さがバラつかないように公差についてもより精度が要求されるため、難易度が上がってきます。
坪野谷 :具体的な厚みや公差は申し上げられませんが、カバーガラスの厚みおよび平面度は光学的にも影響が大きいところで、平面度に対する精度も必要になるためやはり難しくなっています。
——先日NIKKOR ZレンズとNIKKOR Fレンズの画質比較を行なった際、NIKKOR Fレンズはマウントアダプター FTZ経由でZシリーズに装着しました。この場合、NIKKOR Fレンズは本来のFマウントカメラに装着していないため何らかの不利もあるのではないかと考えたのですが、実際はいかがでしょうか?
坪野谷 :カバーガラスの厚みによってフランジバックの考え方は変わるのですが、マウントアダプター FTZはそれを考慮していますので、画質面に影響はございません。
NIKKOR Zのラインナップとデザインコンセプト
——Noct以外のNIKKOR Zレンズは、価格が抑えめなスタンダードなものが多いように見えます。これはどうしてですか?
石上 :まずは、お客様に実際にお使いいただけるシステムを構築することを最優先に考えました。マウントを新しくしたインパクトの部分はNoctに担ってもらって、それ以外のレンズはお客様が使いやすく、スタンダードなものから揃えています。
F4通しのレンズに関しては、ミラーレスならではの小型化を狙うために、例えば本来なら24-120mmとしたいところを24-70mmに抑えて、なおかつ沈胴機構を取り入れることで小型化を優先しています。14-30mmも同様に沈胴機構を取り入れて、ミラーレスカメラシステムの小型という特徴を強く打ち出しています。
F1.8の単焦点レンズに関しましては、マウントを大きくしたことによる高い光学性能を強調するときに、開放F1.4で"サイズは大きいが性能はいい"とアピールしても当たり前すぎます。F1.4のレンズを1〜2段絞って使うなら、開放F1.8で絞り開放から使える方が、お客様としては嬉しいのではないかと考えました。開放から使えるコンパクトなF1.8シリーズを揃えることで、お客様に"良いシステムを買った"と思っていただけるようにしたかったのです。
——S-Lineとそうでないレンズの違いは何でしょう?
二階堂 :S-Lineのレンズは光学性能だけではなく、操作性としても快適性やカスタム性にこだわってブラッシュアップしています。さらに精密感を醸成するため金属の質感を随所に用いています。大三元クラスのレンズには距離窓に替わるディスプレイが搭載されており、コントロールリングで操作した設定内容が瞬時に反映されます。またファインダーから目を離さず様々な状況に対応出来るようにL-Fnボタンを設けました。レンズフードについても簡単に外れないようにロック機構付きを採用したりと、交換レンズに必要な要素を凝縮したものがS-Lineになります。
石上 :S-Lineの基準としましては、まず光学性能があって、その優秀なものに対して外装部分でもクラスに応じたケアをするという方向です。S-Lineであることの象徴としては、エンブレムの他に、前方から見るとわかるシルバーのカットラインがあります。
——NIKKOR Fレンズはところどころに金色をあしらった高級感のあるデザインだったと思いますが、NIKKOR Zレンズのデザインはシルバーが基調で、シンプルですが高級感はちょっとおさえ気味かなと思います。
石上 :日本ではそう言ったお客様の声が多いですが、海外ではよりシンプルな今のデザインのほうが良いとする声も多いです。いずれにしても「もう少し所有欲を満たすデザインを考えてほしい」という声はありますね。
藤原 :見た目や所有欲といったところでは様々なご意見があると思いますが、今回デザイナーのほうで重視したのは、まず道具としてのカメラの操作性ですとか、写真を撮ることに対して必要なデザイン性とは何かというところでした。
二階堂 :NIKKOR Fレンズの装飾を含めたデザインにニコンらしさや高級感を感じているお客様が多くいらっしゃることは我々としても認識しておりました。現在のデザインにたどり着くまでにはそうしたデザインもいろいろと試しましたが、その検討の中で、撮影者がより撮影に集中できるように装飾的な部分がノイズとならないようにあえて一旦整理していくという作業をしました。その結果、きらびやかというよりはなるべく黒子に徹し、被写体に対しても圧迫感のないようなデザインを目指しました。
——Fマウントのデザインはどちらかというと"加飾の集まり"というか、デザイン要素が後からどんどん追加されてああなった部分も見えるので、一度リセットしたかったというところなのですね。
二階堂 :そうです。商品企画やマーケティング担当ともそこについては十分に話し合って決めました。Fマウントの場合は新しい機能が入るとアイコンや文字などの追加要素が勲章のようにどんどん増えていきました。それはそれでお好きな方も大勢いらっしゃると思うのですが、それを続けると収集がつかなくなってしまいます。
S-Lineの場合は、ナノクリスタルコートも標準搭載ですし、アルネオコートだけでなく、今後、新しいコーティングが採用されることも想定されます。硝材についても同様です。それぞれ専用のアイコンや文字は無くても、最先端の技術が当たり前のように入っているのがS-Line、そうした認識がもっと広まれば「良いレンズを使っている」という意識をもっと感じていただけるのかなと思っています。
——レンズの名称も、NIKKOR Fレンズでは新しい機能や仕様が追加されるたびにアルファベットが加わっていたところが、NIKKOR Zレンズではシンプルに焦点距離と開放絞り値と、Sがつくかどうかだけになっていますね。
二階堂 :まさにそうしたところが、外観のデザインを含めた狙いになっています。
石上 :新しい機能もいずれは陳腐化するので、そこは一切整理することにしました。
二階堂 :デザインとしては、高級感の部分や、シンプル過ぎるといったご意見は真摯に受け止め、そうしたお客様の声にお応えできるような検討もしていきたいと考えております。
——Noctくらいボリューム感のあるレンズだと、高級感が出て馴染んでくるデザインになりますね。
藤原 :NIKKOR Z 24-70mm f/2.8 Sあたりから、ようやくお客様から「いいデザインだね」というご意見を多くいただけるようになりました。少しメリハリが出てきた部分や、機能面でもボタンが増えたり、凹凸があったりというのが良かったみたいですね。
——少し要素があった方が、人は高級に感じるのでしょうか。
藤原 :そうかもしれませんね。少し要素があった方がいいというのは我々も感じました。
——NIKKOR Z 24-70mm f/2.8 Sは、ズームリングはゴムで、フォーカスリングとコントロールリングは金属のローレット仕上げなのですね。
藤原 :はい。ズームリングは製品によってはかなりのトルクがかかるため、しっかり操作できるようにと最初からゴムにしようと話し合って決めました。フォーカスリングとコントロールリングについては大きなトルクが必要なく、高級感を与えるデザインとして譲れない部分でもありますので、金属にしています。
——そう言えばNoctのローレットは、他のレンズに比べてピッチが大きくなっているように思います。デザイン的にはこっちのほうがかっこいいです。
藤原 :最初は他のレンズと同じピッチのローレットで試作したのですが、滑るという意見があったため、少しだけローレットのピッチを広げてあります。
——フォーカスリングが前側にあるのは、レンズ内の機構に従った配置なのでしょうか?
藤原 :NIKKOR Zレンズのシステムデザインとして、一番手前にコントロールリング、次にズーム機能のあるものはズームリング、一番前側にフォーカスリングを置くというのを基本としています。単焦点レンズのようにコントロールリングとフォーカスリングが兼用のものもありますが、フォーカスリングは基本的には前側に置くのがNIKKOR Zレンズの特徴になっています。
二階堂 :リングの並びはレンズの特性によっても変わることはありますが、最も重視しているのは操作性なので、Noctの場合は微調整もやりやすい、一番前の大きなところにフォーカスリングを置きました。
——ところで、NIKKOR Zレンズのキャップのロゴが従来のNikonからNIKKORに変わっているのはどんな理由からですか?
石上 :ニコンに比べてニッコールという名称が浸透していないため、NIKKOR Zレンズではニッコールを強調する意味でロゴを「NIKKOR」で統一しました。
英語圏で 「NIKKOR」は読みにくいそうで、どうしても"ニコンのレンズの名前"としてしか認識してもらえていないようです。しかし我々はずっと「ニッコール」という名前でやってきていますので、光学性能を打ち出す新しいマウントを作るこのタイミングでニッコールの名前をしっかりと浸透させたいという思いがあり、キャップをはじめレンズの随所に「NIKKOR」のロゴを使っています。
藤原 :デザインはそのブランドを象徴するものだと思います。Zシステム、そしてNIKKORというブランドを、この新しいデザインとともに育てていかないといけません。今後また何かデザイン要素が加わることもあるでしょうし、デザインとしての進化はまだまだこれからだと考えています。
ミラーレスらしい小型化を支える沈胴機構
——ズームレンズの一部に沈胴機構を採用していますが、これは精度確保が難しいのではないですか?
藤原 :光学性能を維持するといった意味での精度確保というところでは、特段、難しいことはなかったです。ただ、今回採用したボタンレスの沈胴機構ということで、ズームのWide端から沈胴に切り替わるクリック感触や力量については、かなりの研究を重ねて狙い値を定めました。ここが一番難しかったです。
実は、フルサイズでも沈胴機構が実現できたらと提案してくれたのは、Z DX 16-50mm f/3.5-6.3 VRの設計担当者です。沈洞式を採用したNikon 1用の1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6 の時から私と一緒に仕事をしていて、小型化については多くの知見を持っています。Nikon 1用の1 NIKKOR VR 10-30mm f/3.5-5.6は、ボタンを押しながら沈胴を解除する方式だったため、沈胴部分の繰り出し操作にもうひとつ操作が必要なところが不評でした。しかし、沈胴機構自体は小型化に大きな効果があるということで、「ボタン操作のない沈胴機構を入れたいね」ということを、その担当者と話していました。
ミラーレス機の特徴として小型化は一つの大事な要素なのですが、Zマウントの場合はマウント径が大きいので絶対的な小型化は難しいです。しかし、システムとしてコンパクトにまとめたいというところでは、沈胴機構は一つの有効な手段になってくるのかなと考えています。とはいえ、設計的な余力がないと採用するのは難しく、例えば大口径の本格的なレンズでは簡単にはできません。ところが開放F4のズームくらいですと、マウント径が大きくなっていますからマウント付近に機構を収めやすく、今回はF4通しの標準ズームと広角ズームで沈胴機構を採用しました。
——望遠ズームも、使用時に多少長くなったとしても携帯には便利という部分がありますよね。
坪野谷 :そうですね、望遠系はその焦点距離からレンズも長くなりがちですが少しでも短くできるといいですよね。望遠ズームに限らず小型化を考えた場合、光学系としてどこまで小さくできるか、沈胴機構によってどこまで小さくできるか、というポイントが2段階あります。もし沈胴で全てをまかなえるのであれば、光学系は長くしても良いということになりますので、光学設計としては非常にやりやすくなります。そういう意味で沈胴機構というのは光学的にメリットがある一つの機構と言えます。
——沈胴機構は軽量化にも貢献しますか?
藤原 :それはケースバイケースです。沈胴機構を入れることで余計に部材を増やすこともありますので、若干重くなってしまうことが多いですね。
——どんなレンズタイプが沈胴に向いていますか?
坪野谷 :レンズの断面図で、例えばレンズが前から後ろまでぎっしりと詰まっているようなタイプですと沈胴は難しいです。レンズ間に少し隙間があるようなレンズでは沈胴機構を導入しやすいと言えます。
(後編では「NIKKOR Z 58mm f/0.95 S Noct」について詳しく聞きます)