インタビュー

大口径マウントの「NIKKOR Z」開発秘話(後編)

象徴的レンズ"58mm f/0.95 S Noct"ができるまで

左から、映像事業部 マーケティング統括部 UX企画部 UX企画二課長の石上裕行氏
光学本部 第二開発部 第二設計課 主幹研究員の藤原誠氏
光学本部 第三設計部 第一光学課の坪野谷啓介氏
デザインセンター IDグループ 主任研究員の二階堂豊氏

Zマウントの象徴「NIKKOR Z 58mm f/0.95 S Noct」について

Z 7+NIKKOR Z 58mm f/0.95 S Noct

——「ZマウントでなければF0.95のレンズは作れなかった」とお聞きしていますが、他メーカーではもっと小さいマウント径でもF0.95を実現してきました。ニコンが目指したZマウントのF0.95は何が違うのですか?

坪野谷 :F値とマウントには関係があり、ZマウントはF0.95のためにあるといっても過言ではないと思います。一般的にはレンズの焦点距離を有効口径(入射瞳径)で割った数値がF値ですが、実は撮像面への入射角とも関係があります。つまり、大きな光束は最終的に撮像面に大きな入射角で集光するのです。

具体的には、F値がF0.95であればどんな焦点距離のレンズでも光束が必ず同じ角度(約31.7度)で撮像面に入射することを意味します。この角度とフランジバックから、必要とされるマウント内径が決まります。単にF0.95の数字を実現するだけなら、実はφ55mmというマウント内径は必要ありません。

しかし、必要とされるマウント内径の導出はあくまで撮像面の中心での話であって、撮像面の周辺部まで考えると、無理があるのです。射出瞳が無限遠にあるようなテレセントリック光学系の場合はF0.95の光束は周辺に行くにつれ入らなくなり、かといって射出瞳を近づけたくても今度はセンサーの受光できる入射角度にも限界があります。つまり、F0.95における設計制約になるのです。撮像面全体でしっかりとF0.95の性能を担保できるようにするにはフランジバックとマウント内径の関係が重要になってくるのです。

Zマウントのマウント径は、撮像面周辺部までF0.95で性能を確保できることも条件の一つとして決めました。小口径のマウントでもF0.95のスペックのレンズは設計できますが、周辺部ではF0.95での性能を発揮させることは難しくなります。

——F0.95でニコン基準の画質を実現するにはZマウントでなければならなかったのはどうしてですか?

坪野谷 :先ほどの NIKKOR Z 24-70mm f/2.8 Sの話と同様に、従来のFマウントではマウント径の関係で本来配置したいところにレンズを配置できないなど、光学設計としては限界がありました。Noctの場合は、例えばレンズの最後部までこのように大きなレンズを使用でき、ようやくこのスペックでこの性能を実現できるようになったということです。

NIKKOR Z 58mm f/0.95 S Noctの後部

——ZマウントでF0.95のレンズを実現するにあたり、その際AFにするかMFにするかはどこでどのように判断されたのでしょうか?

石上 :企画サイドとしては、AFが当初の希望でした。

——それが最終的にMFとなったわけですね。メカ設計がネックに?

藤原 :AF化は勿論検討しましたし、フォーカスレンズを動かすこと自体は可能です。しかし動作がかなり遅く、手で操作したほうが速いと思うくらいにしかなりませんでした。同時に、サイズが想像をはるかに超えるほどに大きくなってしまいます。既存の超音波モーターでは動かせませんので、もっと大型のアクチュエーターを持ってきてレンズの外側に配置しないといけません。

ですから、もし本当にF0.95のレンズでAFを実現するとなると、この光学タイプでは無理なので、例えばフォーカスレンズを軽くしてインナーフォーカス方式を採用します。そうしても今度は、全長がさらに長くなり、長くなるということは周辺の部材も増えて、やはり今以上に大きくて重いレンズになります。そうしたレンズを作ったとしても、たとえそれが特別な製品であったとしても、商品としては成立しないかなと考えて、AF化は断念しました。

——粗動は無理でも、最後の微調整の部分だけでもAF化するのは難しいでしょうか?

藤原 :それも検討はしました。しかし、少ししか動かさないとしても重いフォーカスレンズを動かすことは同じなので、大型の駆動システムが必要になります。

——将来的に、そのあたりの技術的な課題が解決されればAF化が可能になることはありますか?

藤原 :今回できなかったことは、将来の夢として、後進に託したいと思います。

——説明書の冒頭に、取り扱いに関する注意書きがあります。どういった点に注意する必要がありますか?

Noctの説明書にある、取り扱いに関する注意書き

藤原 :「なるべくぶつけないでください」とお願いしたいですね。使用時にレンズフードをつけていただくだけで、だいぶ安心できます。今回のレンズは内側の鏡筒が繰り出すようになっていますので、特に鏡筒が繰り出した部分にはぶつけないように気をつけていただきたいです。

と言いますのも、このレンズは最高の光学性能を出すために、これまでのレンズの中では最も高い精度で作られています。強めの衝撃があると、性能が維持できない可能性があるということです。

——特にレンズを繰り出して伸びているところにぶつけないようにということですね。

藤原 :はい。やはり可動部がダメージを受けやすいと言えます。レンズフードをつけていただくと繰り出し部分をカバーできますので安心です。レンズフードの先端部分をゴムにしているのも、できるだけ衝撃を抑えるためです。

繰り出したところ。内側の筒が前に出る
フードを装着すると、繰り出す部分が守られる

——説明書に、カメラのグリップだけで持つと、マウント部が破損するのでレンズに手を添えるようにと書いてあります。ならば、超望遠レンズのようにレンズにストラップが付けられないといけないのでは?

藤原 :安全性を考えた記載ということで、実際にそのようにお使いになってもカメラがすぐに破損するということではないです。デザイン検討においては、ストラップの有無も検討されましたが、この全長でストラップを装備すると操作性がかなり損なわれるため、レンズにストラップをつけることまではしませんでした。

ただ、この製品は全長の割には重いということで、お客様がふと持ち上げられた際に、思っていた以上に重くて、バランスを崩してどこかにぶつけるようなことが起こらないともかぎりません。ですから、カメラの強度というよりは、お客様の取り扱いに対して何らかの注意喚起が必要ということで、こうした表現にしています。

——実際の使用を考えると、Noctを装着したカメラをストラップで首からぶら下げるのもNGでしょうか?

藤原 :実際にはそれは大丈夫です。我々もテスト撮影時はカメラにレンズをつけて、ストラップで首からぶら下げて持ち歩いていました。ただ、大きく重いものですので、周囲への安全への配慮や製品への不意な衝撃の回避などからすると、やはり軽く手を添えるなりしたほうが良いとは思います。

——Noctのデザインへのこだわりは?

二階堂 :初めて設計部から上がってきたモックを見たとき、「おお!?」と思わず驚きの声を漏らしてしまいました。それは、予想していたよりもはるかに大きなボリュームのものが上がってきたということもありますが、何よりNoctがモックの段階で既に尋常でないパワーを放っていたからです。そのパワーを削ぐことのないよう、そしてその凄みをどう増幅させるかが、デザイン上の課題でした。

NIKKOR Z レンズの最上位の品質感を表現するために掲げたのが「クラフトマンシップ」というキーワードでした。それは、Noctが実際に金属塊を切削し、丁寧かつ精巧に作られているという製造方法に由来しています。そしてこのレンズの性能を発揮するためには、強度・真円性などを十分に満たすような極めて高い精度が求められます。そのため、一本一本を切削して丁寧に仕上げました。このようにNoctの光学性能はその製造方法に裏打ちされており、デザインでもそれを表現しています。

さらにクラフトマンシップを感じていただくため、“Noct”の筆記体のロゴを刻印しています。すべての表示を刻印にして入れることで、まるで人の手によって一本ずつ作られたような丁寧さを醸成しています。3D上での検討を終え、より製品に近く、質感も再現されたデザインモックを手にしたとき、再び驚きました。なぜなら、そこにはさらに凄みを増したNoctが、初めて目にしたときの何倍ものパワーを放っていたからです。

——個人的にはNIKKOR Zレンズの中で一番かっこいいと思います。

二階堂 :そう言っていただけると大変嬉しいです。

藤原 :最初は、もっと大型だったのですが、坪野谷が「もう少し小型化できるかもしれない」ということで頑張ってくれまして、少し小さくなり、見た目のバランスも良くなりました。

坪野谷 :これでも最初の案からすると、だいぶ小型化しています(笑)。

藤原 :今の形になる最初の案では三脚座がまだなく、後部はもっと細くなっていました。しかし、重いレンズなのでカメラを装着した時の重心がだいぶ前の方に行ってしまい、三脚座が必要ということで、途中で追加しました。

二階堂 :三脚座が途中から必要になったため、つけるにしてもなるべく三脚座が目立たないよう、鏡筒と一体感のあるデザインを目指しました。また操作性としても手持ち撮影の邪魔にならないような形をいろいろと検討しました。

三脚座が付く前の段階のモックアップ

——三脚座のノブの中に盗難防止のセキュリティーロック機構があるのはどうしてですか?

藤原 :これは単純に盗難防止という使い方になりますが、NIKKOR Zレンズとして今後三脚座のある製品にはセキュリティーロック機構がつきます。その先駆けとしてこの製品にもついているということです。

三脚座部分のセキュリティロック機構

二階堂 :それと、全体の形を検討する段階では、設計サイドでレンズフード内蔵型のタイプなども検討していました。

フード内蔵タイプのモックアップ
内蔵フードを引き出したところ
内蔵フードの内側

——このレンズフードが花形ではなく円筒形で、ねじ込み式になった理由は?

藤原 :金属製なので花形に加工するのは難しい面がありますし、デザイン的に本体との一体感を出すために金属製でねじ込み式という選択をしました。フードが装着された状態が、個人的には一番かっこいいと思っています。

フードを装着したところ

——Noctのロゴ部分が明るい黄色になっていますね。

二階堂 :ロゴの色をどうするかはいろいろと検討しました。これはその時のサンプルです。黄色を1回入れただけでは色が濁ってしまうので、黄色を2回入れたり、黄色を入れた後に白を1回入れたもの、白を入れた後に黄色を入れたものなどいろいろと試しました。最終的には白を1回入れた後に黄色を入れることにしました。

刻印の色にも試行錯誤があった
モックアップの銘板。左は製品版
銘板部分の検討パターン

Noctが大量生産できない理由と、その設計詳細

——このレンズを大量生産できない理由は?

坪野谷 :一本一本、ほぼ手作りのような生産方式をとっています。

藤原 :ほかに大きなところでは、研削非球面レンズと駆動機構の部品加工に大変な時間と手間暇がかかるので、そこがかなり量産向きではないと言えます。

——機構部分もでしょうか?

藤原 :そうですね。レンズだけでなく機構部分も工数のかかる加工をしています。その部品がないとこの製品の駆動が成り立たないというキーパーツです。

——研削非球面レンズは、かつてのAi-S Nikkor 58mm F1.2 Noctのような手磨きではないですよね?

坪野谷 :現在では、産業用で使われているような精密な機械で磨いています。

——第1便の出荷時期はいつごろでしたか?また、受注再開の見込みは?

広報 :2019年11月下旬より生産数に応じて出荷を開始しております。製品のお届けを楽しみにお待ちいただいているお客様にはお待たせしてしまい申し訳ございませんが、受注の再開につきましては目途が立ちましたら、改めてご案内いたします。

——光学設計担当の坪野谷さんは、これまでどんな製品を担当してきましたか?

坪野谷 :実は、Noctが最初です。これまではその他のNIKKOR Zレンズにお手伝いとして参加していましたが、初めての担当として、このレンズを設計させていただきました。

——ニコンのレンズ設計では、若手に看板製品を任せる社風があるようですが、大学の研究室みたいな感じですね。

坪野谷 :過去にもそういうパターンが多いと聞いています。よく言われるのが、「ベテラン設計者はある程度のところで先を見通して見切りをつけてしまいがちだから、そうではない若手にとりあえずがむしゃらに走らせてみる」といった考えです。

石上 :若手だと好奇心のようなものが旺盛で、新たな発想が出やすいのかもしれませんね。ベテランだと「これをやるとこうなるね」と判断してしまいがちですが、若手だと「これをやると、もしかしたらこうなるかもしれない」というところがあります。

二階堂 :それを受け入れる上の人たちもいるということですね。

——このレンズを設計するにあたって出された条件は?

坪野谷 :「最高を目指してください」という、ただその一言でした。

——そんなNoctのレンズ構成について、特徴を教えてください。

坪野谷 :いわゆるダブルガウス型の構成が中核にあり、その前後にそれを補強する光学系を配置したというところが主な構成の形です。また、ガウス型の凸レンズ部分にはEDレンズを使用して色収差を抑え、前後の光学系でその他の収差を抑えるという構成をとり、全体で高性能な描写を実現しています。

NIKKOR Z 58mm f/0.95 S Noctのレンズ構成図

——前から4枚は、各々接合レンズである上にこの部分単独で対称型の配置ですね。この4枚の全体としてのパワーは凸ですか、凹ですか?

坪野谷 :この4枚と明言できないですが、前側の部分は凹のパワーになります。そしておおざっぱに、前側が凹で、ダブルガウス部分が全体で凸、後側が凹ということで、全体としては凹凸凹の構成になっています。ダブルガウスの部分は全体としては凸ですが細かく分けると凸凹凸の構成で、対称型が全体に散りばめられているということになります。

前後に凹レンズが欲しくなる理由としましては、像面湾曲すなわち画角の補正に凹レンズが効いていまして、今までのダブルガウス型の場合それを担うのが真ん中の凹レンズしかなかったのですが、それがサジタルコマ収差や球面収差によるフレアの原因になっていました。そこで今回は、Noctの名称がつけられることもあり、点が点に写る必要があるということで、その改善策として凹レンズの力を前後に分けて配置するかたちをとりました。

——そういう意味ではNIKKOR Z 50mm f/1.8 Sの構成も凹凸凹の構成をとっている点で同じですよね。

坪野谷 :そうですね。凹凸凹の構成が採用できるようになったのもショートフランジバックのおかげと言えます。

NIKKOR Z 50mm f/1.8 Sのレンズ構成図

——ガウス型のマスターレンズ部分の凸レンズには高屈折レンズを使いたいところだと思いますが、あえて屈折率の比較的低いEDレンズを使用して色収差補正しているということで、そうなるとそれ以外の部分で高屈折レンズを使いたくなるのでは?

坪野谷 :そうですね。この光学系ではいわゆる中途半端な屈折率のレンズはあまり使用しておらず、低屈折・低分散のレンズか高屈折のレンズかのどちらかという感じになっています。

——凸レンズと凹レンズを組み合わせた色消し接合レンズが10群中7群もあり、かつEDレンズが4枚も使われていて、色収差に相当ケアされていることがわかりますが、実写では比較的近距離での軸上色収差が若干残されていました。これは、意図して残しているのか、残ってしまったものなのかどちらでしょうか?

坪野谷 :設計観点から申しますと、最終的な収差量を踏まえた上で意図して残したということになります。納得できる量に抑えてはいるのですが、やはり実写すると若干の色収差が見えるということで、どこまで消せばいいのかは、これからフィードバックしていかなくてはいけないところかと思います。

——ボケの形を見ますと、前ボケと後ボケがほぼ均等な理想のレンズのボケに近い感じでした。こうした理由は?

坪野谷 :F0.95で被写界深度が浅いということで、写真を撮った時に何が写るのかというと、ボケが画面の多くを占めるということになります。しかも後ボケだけではなくて前ボケもかなりの量が入ってくるということで、今までのレンズのように後ボケ優先で作っているとこのレンズの魅力は半減してしまいます。そこで、前ボケも後ボケも素直な形状になることを目指して設計しました。

——ピントを合わせる時、フォーカスリングを操作してフォーカスエリアが緑に光った瞬間に止めても少し行き過ぎ、戻すと戻りすぎることがあり、その遊びがバックラッシュのように感じました。

藤原 :フォーカスリングを止めても行き過ぎるというのは、この製品においては逆にバックラッシュはないということなのです。ただ、フォーカスリングの操作を非常にゆっくりと操作していただかないと、フォーカスエイドが光った瞬間にフォーカスリングを止めても人間の反応速度の関係でわずかに行き過ぎてしまうことがあります。

——バックラッシュのような遊びがあると感じたのは、僕自身の反応速度の問題だったのですね。

藤原 :いやいや、撮影が上手い下手だとかといった個人の能力ではないです。今回のレンズはフォーカスリングの回転角が300度を超えて、ほぼ一周に近い数字になっているのですが、この回転角を決める時、人間の操作で動かせる最小の分解能はどれくらいかということを検証し、その結果からフォーカスエイドの合焦判定幅内を何ピッチか動かせる程度のギリギリの操作感になるようにしています。この時、前提としたのは連続的な動作ではなくピッチ操作です。ギリギリのピントの追い込みを想定しました。

人間の視覚刺激による反応速度は0.18~0.2秒と言われており、フォーカスリングの操作速度に換算しますと毎秒、周長1mmくらいのスピードで回さないとぴったりとは止められません。それ以上の速度で操作していた場合はフォーカスエリアが光ってすぐに止めても行き過ぎてしまう可能性があります。フォーカスエイドを見ながら操作する場合は、それくらいゆっくりと動かしてはじめて、行きすぎずに止められるような感覚ですね。

——なるほど。でも、それだとちょっと使いづらいですね。

藤原 :そのため実際の撮影では、拡大表示やフォーカスピーキングの機能を利用されることをお勧めしています。画面を見ながらの操作の場合は、ピントがだんだん合ってくるとどのあたりでピントが合うか予測が可能なので、どのタイミングでフォーカスリングを止めると良いかわかりやすいのです。このような機能があるからこそ、つまりはミラーレスだからこそ、この製品は真価を発揮できると言えますね。

二階堂 :画面を拡大したり元に戻したりする際は、レンズのL-Fnボタンに「拡大画面との切り換え」機能を割り当てると便利です。一度押すと拡大表示になって、もう一度押すと元の全体表示に戻ります。

L-Fnボタン

なぜ126万円? トランクの使い方は?

——このレンズの設計において、126万円という価格だからこそ実現できた部分はありますか?

坪野谷 :これはもう、先ほどの研削非球面レンズを採用できたことが大きいです。研削非球面レンズは手間暇と膨大なコストがかかるレンズですので、この価格になった要因の一つです。

他にもEDレンズや高屈折レンズなど、高価なレンズしか使っていないような構成になっていますし、コーティングも新開発のアルネオコートをはじめ、ナノクリスタルコート、フッ素コートも採用していまして、盛り沢山になっています。また、精密さを実現するため、メカ機構のほとんどが金属で構成されていることも理由です。

——ちょっとやりすぎ感のある巨大なトランクの実用性は?

NoctのトランクとZ 7のサイズ比較

藤原 :このトランクは、持ち運びの際の衝撃によって性能が狂うことがないようにということで用意しました。そのため、今回のトランクと内装材にはものすごく堅牢性の高いものを選んでいます。

説明書の冒頭に「このレンズは非常に精密な光学機器です。性能を維持するために、製品に衝撃を与えないように取り扱いには十分にご注意ください」と書かせていただいているのですが、長くお使いいただくにはできるだけ取り扱いに注意していただきたいということです。

坪野谷 :最高の光学性能を最高の状態で、いつまでも味わってもらいたいと思っています。

——トランクの素材は何ですか? 防水機能はありますか?

藤原 :素材はプラスチックですが、非常に堅牢なケースです。防水については機能としては謳っていません。

——トランクのサイズはもう少し小さくならなかったのですか?

藤原 :ニコンでは厳しい輸送環境でも安心できるよう輸送に対する基準を設け、開発・評価しています。その結果、最初はこの半分くらいのサイズも検討したのですが、我々が求める耐衝撃性能が得られなかったため、このサイズになりました。

——ウレタンフォームもちょっと変わった形ですね。

藤原 :内装材はこのレンズ専用に設計したもので、これがないと耐衝撃性は保証できないということになっています。内装材の設計には結構苦労しました。お客様のところに届いた時には性能が悪くなっている、ということはあってはなりませんので、そうした課題をクリアしているうちにこのような形になりました。

——物入れには何を入れることを想定していますか?

藤原 :ご自由にお使いください。入るかどうかという意味では、小さめのNIKKOR ZレンズやZシリーズのボディも入りますが、専用のウレタンフォーム形状にしているわけではありません。

物入れの蓋の部分にはNoctのレンズ断面をあしらった模様を入れているのですが、これはケースのデザインポイントのひとつで、ご購入いただいて、開けた時に「オッ!」と思っていただけるようにしました。この蓋部分は反対側のケースの蓋部分にも取り付けできるようになっています。

二階堂 :レンズ収納部以外については、ご自分でウレタンフォームをカットしてお好みのサイズにしていただいても良いと思います。ただし、レンズ収納部周りが薄くなりすぎるとレンズへの衝撃を吸収しきれなくなるのでご注意ください。

——今回発売されたNoct以外にも、一風変わったNIKKOR Zレンズの企画がもしあったのでしたら、教えてください。

石上 :これと同時に企画していたものはありましたが、まだ基本となるレンズラインナップを揃えなくてはいけない段階なので、実現していません。他のアイデアも色々とありますが、製品化したのはまずはZマウントの象徴となるこの一本ということになります。

——他のアイデアというのも、やはりZマウントの特徴を活かしたものなのでしょうか?

石上 :そうですね。Zマウントをニコンが作った意味、Fマウントから切り替える意味を証明するというアイデアの商品が、他にもあったということです。

——その企画には、特殊な描写のレンズなども挙がっていたのでしょうか?

石上 :最高の光学性能を目指すというのがこのZマウントの最初のコンセプトですので、絵はとにかくいいもので、マウントの特徴を活かした大口径以外の何かという考え方ですね。

——今後もNoctのようなレンズを企画するとすれば、やはりZマウントの特徴を打ち出していくのでしょうか?

石上 :今はだんだんレンズが揃ってきまして、今後も公開ロードマップに沿ってレンズをかなり揃えていくので、いろんなアイデアはあっていいと思います。例えば、Zマウントを活かしつつ遊び心のあるレンズもありだと考えています。

今後のNIKKOR Zレンズ

——Zマウントの交換レンズにおいて、ニコンがマウント形状以外に差別化要因としてアピールするのはどういったところですか?

石上 :マウントの形状を活かした高性能に注力しているのが現在のところですが、今後は"マウントの大きさを活かして小型化する"というのをやってみたいですね。沈胴機構もマウント径が大きいからできるというところもあるので、主に長さ方向の小型化をやってみたいですね。

——MF大口径・f/0.95レンズのシリーズ化は?

石上 :社内でもシリーズ化してはどうかという声があり、他にもアイデアはありますので、今後の可能性としてはいろいろと探って行きたいと思います。

——Noctのような象徴的なレンズを今後も投入する可能性があるという見方でよろしいでしょうか?

石上 :検討はしています。

——あの巨大なFisheye-Nikkor 6mm f/2.8の復活とかあったら面白いと思いますが。

参考:Fisheye-Nikkor 6mm f/2.8

石上 :できたらやってみたいですね(笑)。

——過去のレンズにおいて、Zマウントだったらもっとうまくいった、もしくは簡単だった、というものはありますか?

藤原 :全部かもしれませんし、ZマウントにはZマウントならではの難しさはありますから、どちらがどうとは言えないですね。Zマウントにもまた違った形の制約はあります。

——最近の他社製品で、自分達もああいうレンズに取り組んでみたいなあ、と思ったものはありますか?

坪野谷 :そうですね、Otusシリーズ(カールツァイス)とかArtシリーズ(シグマ)とか、Noctと同じような路線が設計者としてはいいなと思います。私はこのNoctが最初の担当製品だったわけですが、Otusシリーズ、Artシリーズというのがちょうど出て、市場にどんどん認知されてきた時期で、「光学設計者が自由に挑戦出来ていそうでいいなあ」と思っていました。

——Otusがなければ、こういった大型で非常に高性能なレンズは出てこなかったかもしれませんね。

藤原 :Otusの存在には勇気をもらいました。こういうのもあるんだよと。

——高性能レンズがある一方で、味や収差が良しとされているレンズもありますが、これからのレンズを考えていく上で、そうしたレンズがインスピレーションになるところはありますか?

坪野谷 :光学設計において収差は、無くせば良いのかというとそうでもないところがあります。弊社製品ですとDCニッコールなどは、まさに設計者の意思を反映したレンズであって、ああいった収差による遊びを大事にしている光学設計者が多いのが弊社の特徴でもあると思います。

そんな中でNoctは収差をできるだけなくし、その中でボケは綺麗にする。それには収差バランスはどうするか、という方向で開発を進めました。他のレンズたちにおいても、その企画に応じて収差コントロールにより、どういうボケ、どういう色味、どういうゴーストかというところを個別に最適化して、魅力ある商品を作っていけたらなと考えています。

——最後に何か付け加えることなどありましたらお願いします。

二階堂 :ニコンのデザインサイトにNIKKOR Zレンズのデザイン紹介ページができましたので是非そちらもご参照していただけたらと思います。

藤原 :色々なところにこだわりを持って作ったレンズですので、使う方にもこだわりを持って使っていただきたいですね。例えばNoctで特定の何かを撮るとか、絞り開放しか使わないとか、ちょっと尖ったところのあるレンズですので、使いこなすまでの難しさを感じながらも、その難しさを楽しむようなこだわりを持って使っていただけたらうれしいなと思います。

坪野谷 :"点が点に写る"というところは先の記事にも書いていただいたので私から言うことはないのですが、ボケに関して1点だけ補足させてください。

先ほど前ボケ、後ボケの両方を気にしているという話はさせていただきましたが、実際には何本かボケのバランスが異なる試作品を用意して、実写比較をしています。その上で決めたボケの規格を作って品質をコントロールしているほど、ボケにはこだわっているレンズです。是非お使いになって確かめていただきたいですね。

石上 :NIKKOR Zレンズの今後にはぜひご期待ください。ロードマップを公開させていただいたのもニコンとしては前例がありませんし、それによるお客様からの反応も吸収させていただきながら、我々の製品をよりよくできればと考えています。

2019年10月発表のロードマップ

これからもどんどんNIKKOR Zレンズのラインナップを充実させていきます。「こんなレンズが欲しい」というご要望を発信していただければ、我々も参考にさせていただきますので、よろしくお願いいたします。

取材を終えて(杉本利彦)

フルサイズミラーレスでクラス最短となるニコンZマウントのフランジバックとクラス最大級のマウント径は、何よりも光学設計を最優先し、F0.95のレンズの性能を存分に発揮できるマウント規格として決められたというのは、いかにも光学技術が主体のニコン(旧社名:日本光学工業)らしい。そのZマウントレンズの象徴とされる”Noct”は、過去に前例を見ない最高性能の58mmレンズであり、新たな写真表現の世界を切り開くものになった。

開発秘話や、なぜ高性能なのかという部分も興味深いが、何より若手設計者に対して条件をつけずに、ただ最高性能のレンズだけを求めたという部分が"Noct”の核心だと思う。高価な硝材や工数のかかる部材を惜しげも無くつぎ込み、最高の性能を追求する。これは思えば、大量生産のコンシューマー商品ではなく、業務用のカスタムメイド商品の作り方ではないか。そう考えると”Noct”の100万円を超える価格も、生産が追いつかず現在受注を停止している状況も納得なのであった。

買える買えないは別として、多くのカメラファンの欲しいものリストに挙がる”Noct”を生み出したニコン。光学技術の粋を結集した次の一手に、自ずと期待が高まる。

杉本利彦

千葉大学工学部画像工学科卒業。初期は写真作家としてモノクロファインプリントに傾倒。現在は写真家としての活動のほか、カメラ雑誌・書籍等でカメラ関連の記事を執筆している。カメラグランプリ2019選考委員。