コラム
「キヤノン蛍石レンズ登場から50周年」と周辺
新種ガラス、アトムレンズ、BR光学素子……各時代の光学材料を俯瞰する
2020年6月29日 00:00
キヤノンが蛍石を使った交換レンズのFL-F300mm F5.6とFL-F500mm F5.6を1969年に発売してから2019年で50周年だというニュースリリースを11月に出したので、蛍石を使った新しいミラーレスカメラ用交換レンズが追加されるのかと興味津々で待ち望んでいましたが、そのような気配はありません。年が明けるとデジカメWatch編集部の鈴木さんが、何と人工蛍石結晶の工場である「キヤノンオプトロン」の製造現場を見てきたというのです。
そこで私としては1969年を前後した時代の交換レンズ、光学ガラスはどのような状況にあったか、改めてこの時期に見直してみることにしました。
蛍石レンズが登場した頃
1969年に発売されたFL-F300mm F5.6とFL-F 500mm F5.6の"FL-F"は、当時のキヤノン一眼レフのレンズマウントはFLマウントで、-Fは蛍石を意味するFluoriteの略であることは明らかです。50年以上前、その時代の写真レンズはどのような状況にあったのでしょうか。
当時のカメラ雑誌はJIS解像力チャートやハウレットチャートの撮影による画質評価が盛んな時代で、レンズタイプや光学ガラスの詳細まで言及した文章は少なく、それ以前の文献で硝材に関しては、"戦後開発された新種ガラスにより"というような大きなくくり方をしていることが多いのです。そこで1969年ごろの光学ガラス事情はどうだったのだろうかと当時のことを考えてみると、キヤノンが1971年に制作した『光の700』という光学用語辞典があることを思い出しました。
当時キヤノンは光学や先端画像技術を紹介するために「キヤノンイメージ」という定期刊行物を出していて、この特別号として光学関係の学識者を集めて『光の700』が出版されたのです。この『光の700』は、光学用語を700語にまとめたことから命名されたと巻頭に記されていますが、光(虹)が7色で構成されていることにちなんでつけられたとも考えられます。
そこで1969年に発売されたFL-Fレンズの硝材は当然掲載されているだろうと「光の700」の光学ガラスの項を探してみると、蛍石に関する記述はないのです。残念でしたが、後書きを読むと、この本の制作に関わった人が身近にいたのです。小柳修二さん、御年89歳で、当時キヤノンでレンズ設計を担当され、この本でキヤノン側の光学用語委員長をされていたのです。
早速ご本人にお聞きしてみると、蛍石は光学ガラスとは別物であり、光学ガラスの表ではアッベ数(分散数)の関係でスケールの左からはみ出してしまうので載せなかったというのです。なるほどですが、小柳さんに蛍石を使ったFL-Fレンズのことを聞くと、なんとFL-F300mm F5.6はご自身が38歳の時に設計したというのです。小柳さんは当時FLレンズでは19mm~300mmまで7種類のレンズを設計し、自画自賛の傑作はFL28mm F3.5だというのです。
小柳さんは当時レンズの加工にも関係していて、人工蛍石は単結晶構造のため加工にも細心の注意が必要で、研磨後はヤケやすいのでコーティングをタイミングよくして、直接外の空気に触れる第1レンズには使えなく、FL-F 300mm F5.6では2枚目と3枚目に使ったというのです。天然蛍石の粉末から人工蛍石への再結晶製造は1968年にキヤノン取手工場で始まり、小柳さんも開所式に行ったというのですが、その製造法の詳細は50年経った今も極秘だというのです。
蛍石を写真レンズに使う
そこで写真レンズに蛍石を使った起源はいつごろからなのだろうと文献を調べると、1888年のカールツァイス・アナスチグマート(後にプロターと改名)に蛍石が採用されていたというのです。このレンズはいわゆる大判用ですが、レンズそのものはF9などと暗く、焦点距離も150~300mm以上と長いため、真鍮鏡胴のバレルレンズでした。蛍石レンズ(の直径)は親指ぐらいの寸法で、決して大きなものではありませんでした。いずれにしても今から130年以上前に蛍石は写真レンズに使われていたのです。当時の蛍石は天然のものが使われていたようで、それだけに着色なく光学的にムラのない石を探し出すのは困難があったことは想像に難くないです。
写真レンズ以外の光学系への蛍石使用はやはり1800年代から行われ、使用波長領域を可視域より広げたり、色収差の発生を少なくすることを目的として、真空分光器、顕微鏡のアポクロマート対物レンズ、天体望遠鏡などに使われてきました。
光学ガラス以外の結晶レンズ材料としては、蛍石(CaF2=フッ化カルシウム)のほかに、水晶(SiO2=二酸化ケイ素、石英ガラス)、フッ化リチウム(LiF)などが知られており、視感度領域を超えた紫外、赤外線領域を通すことから、医学や鑑識写真用の特殊レンズとして"UV"とか"ウルトラアクロマチック"などと名前を冠して登場してきました。
蛍石の人工結晶化の技術は1950年代には確立されていて、1966年にキヤノンも自社での蛍石製造を目指して研究を開始し、1968に当時のキヤノン取手工場で人工蛍石の製造技術を確立したというわけです。
キヤノンが蛍石を使ったFL-F300mm F5.6とFL-F 500mm F5.6を一般に公開したのは、1969年3月4日(火)~9日(日)に開かれた日本カメラショーの会場でした(FL-F500 F5.6は1968年3月5日~10日の日本カメラショーに参考出品)。
1969年3月号の月刊「写真工業」を見ると表紙に2本のFL-Fレンズが掲載され、本文中には蛍石を使ったレンズであることが紹介されています。この時FL400mm F5.6、FL600mm F5.6、FL800mm F8、FL1000mm F11の4本が、ランタン系の高屈折の新種ガラスを使いコンパクトで性能の向上が図られた新製品として参考出品されました。
キヤノンの目指した蛍石レンズ
ここでキヤノンが目指したのは医学や鑑識写真用などの特殊用途レンズでなく、一般撮影用レンズに人工の蛍石を採用することだったのです。1969年に発売されたFL-F300mm F5.6とFL-F500mm F5.6が目指したのは、望遠レンズにおいて色収差が少なくシャープな画像を結ばせることであり、同時に小型化であったのです。
最近ではあまり耳にすることはありませんが、この望遠レンズの小型化の割合を"望遠比"として表し、300mmで望遠比0.69、500mmは0.66となります。この望遠比は、Lens Trackとも呼ばれ、焦点距離300mmならレンズ前面から焦点面まで300mmであるのが0.69倍の207mmであることを示し、レンズ外観のコンパクトさを表わしています。ただし、全長が短いからブレにくいということではなく、光学的な長さは300mmですからブレに対しては注意が必要です。
このほか、赤外線撮影において焦点補正させなくてもよい特徴があります。この補正は通常の視感度域の焦点位置と赤フィルターを通した赤外域では焦点位置が異なるため、撮影時に焦点位置を手前にずらす操作が必要だったのです。蛍石使用のFL-Fレンズでは赤外域まで色収差補正されているので、ピントをずらす必要はないのです。参考までに赤外R指標のついた他レンズの鏡胴部分を示します。
私の手元にあるFL-F300mm F5.6は、小型ですが、重量は公称850gなのです。手にしてみるとズシリとしていて決して軽量ではありません。これは見た目では細身で小型なため、手にすると重く感じるようです。そこで実測してみますと、キヤノンFTボディ745g(36枚撮りフィルム入り)、FL-F300mm F5.6が1kgなのです。つまり合計で1,745gというわけです。ちなみに最新のミラーレス機キヤノンEOS Rのボディは約660g(バッテリー、カードを含む)なのですが、当時のボディ、レンズは基本的にすべて金属仕上げなので、改めて昨今のカメラ技術の進歩を知らされるわけです。
50年前のFL-F300mm F5.6を最新ミラーレス機EOS Rで使ってみる
ミラーレスカメラの登場で、便利な時代がやってきました。すでに製造中止となった一眼レフカメラの交換レンズがマウントアダプターを介することにより使えるようになったのです。キヤノンの旧交換レンズ群もその例外ではありません。
キヤノン一眼レフカメラのマウントの変遷を見ると、Rマウント(1959年)、FLマウント(1964年)、FDマウント(1971年)、New FDマウント(1979年)、EFマウント(1987年)と進化してきていますが、1959年のRマウントから1979年登場のNew FDマウントレンズまで、絞り羽根の動作方式が時代によって呼び名は異なりますが、ボディを締め付けるスピゴットマウントと呼ばれる機械的な結合部の口径と形状は同じであって、サードパーティーのマウントアダプターを使えば最新のEOS RシステムのRFマウントボディに各時代のキヤノンスピゴットマウントレンズを装着することができるのです。つまり、EOS RにFL-F300mm F5.6を取り付けて撮影することができるのです。
FL-F300mm F5.6からEOS RのキヤノンRFマウントに至るまでのアダプターは、最近では各社から「キヤノンFD→キヤノンRF」が発売されていて取り付けは簡単ですが、発売当初にEOS RでライカMマウントレンズがどのように写るのかが個人的な興味の対象であったため、ライカM→キヤノンRFアダプターを求めていたので、もともと所有していたキヤノンFD→ライカMをさらに組み合わせて使いました。つまり『FL-F300mm F5.6 →キヤノンFD・ライカMアダプター →ライカM・キヤノンRFアダプター →EOS Rボディ』とつなげたのです。組み上げて、ファインダーを覗いても、実際に撮影してもまったく問題はありません。
以下に、私が撮影したカットを掲載しますが、50年前のレンズでも素晴らしい描写をします。撮影にあたっては、MFレンズであるためにAFの恩恵を受けることはできませんが、デジタルならではの高感度設定が可能になることなどもあり、苦労も伴いますがミラーレス機ならではのオールドレンズ遊びを気楽に楽しめました。
戦後の新種ガラスと蛍石
かつて私が写真レンズの知識をかじりだしたころには、書籍には"新種ガラスの採用で高画質"だというような表現が多用されていました。純粋に光学史的に見ると、1800年代中頃までのを旧ガラス、1840年ごろまでに開発されたのを新ガラス、それ以降にアメリカのモーレイ(G.W.Morey)やコダック社によってランタン、タンタル、トリウム、リチウムなどの今までに含有されていなかった新しい元素を含有させて高屈折率で低分散のガラスが開発されましたが、それらを新種ガラスと呼んだのです。
ところが日本の事情は少し異なっていて、戦時中には光学ガラスの自給自足は不可欠とされそれなりの成果を得ていましたが、戦後の1951(昭和26)年に通産省の補助金1,000万円以上を得て、当時の日本光学工業、小原光学硝子製造所、富士写真フイルム、小西六写真工業、千代田光学精工の5社が共同で研究し、日本の新種ガラスの開発は大きく進歩したのです。このような時代的背景があって、ランタン系を含む複数の新種ガラスが開発され、小規模な光学メーカーまでが使うことになり、これは欧米には見られない日本独自な発展形態だとされています。
そこで改めて、前述の1971年キヤノンイメージ編集室により編集された『光の700』の光学ガラスの項を見てみると、光学ガラスとして、クラウンガラス、亜鉛クラウンガラス、バリウムクラウンガラス、ランタンクラウンガラス、ホウケイ酸クラウンガラス、リン酸クラウンガラス、フッケイ酸クラウンガラス、クラウンフリントガラス、フリントガラス、アンチモンフリントガラス、バリウムフリントガラス、ランタンフリントガラスの12種類が紹介されています。もともと光学ガラスは屈折率と分散の違いでクラウンガラス群とフリント(鉛)ガラス群とに大きくわかれていて、それぞれが「光学ガラス表」にプロットされています。
同時代の標準レンズにはどの程度新種ガラスが使用されていたのでしょうか。当時の文献から抜き出してまとめてみました。
こちらの表をご覧になってお分かりのように、具体的にはどのような新種ガラスを使っているかはあまり明らかにされていませんでした。やはりこの辺りは製造上のノウハウなのでしょう。一部にランタン系の光学ガラスを使用と明記しているものもありますが、これらの新種ガラスの中には放射性元素を含むものもあり、写りが良いということから、2000年代に入り特別なクラシックレンズとして一部にコレクターズアイテムとして珍重されるようになりました。ただし名称として"放射能レンズ"などとも呼ばれていたこともあり、必ずしも好印象を得ていたわけではありません。
そこでユーザーの要請を得て、私はフィルムにおける感光への影響をテストし、さらには人体に及ぼす影響はないかと公益財団法人放射線計測協会に測定を依頼した結果、一般使用上はまったく問題ないと結論を得たのです。この結果は「写真工業」2004年9月号にて"今日からアトムレンズと呼ぼう"として特集記事を組みました。今日、多くの人々が『アトムレンズ』と呼んでくれているのを見聞きすると、名づけ親として喜びもひとしおです。
1980年代後半になると、光学ガラスも静かに呼び方を変えていきます。色収差の少ないアポクロマートを実現するために用いられる硝材も、レンズメーカーによりEDガラス、UDガラス、LDガラス、SDガラス、ADガラスなどと呼称されるようになりました。このうちDはDispersionで分散を意味し、UはUltra、EはExtra、SはSpecialの略です。また素材としては、鉛フリーのノンPbガラスとなっていきます。この鉛(Pb)に代わる添加物としては酸化チタンTiO2が使われてきましたが、酸化チタンは黄色く着色する特性を持っており、このためにマルチコーティングで色を整えるというような技術も進歩しました。さらに最近は無着色の高屈折率ガラスも開発されるようになっています。キヤノンでは90年代に鉛を含まないエコロジータイプの光学ガラスレンズのみによる構成を実現したと広告していたことがありました。
なお、キヤノンでは蛍石を採用した交換レンズとして、FLマウント時代に3本、FDマウント時代に2本、New FDマウント時代に4本、EFマウント時代に28本を発売してきていて、2019年11月時点で11本を生産しており、総計37機種も市場に送り込んだことになります。このうち最も新しいのは2018年12月に発売された、「EF400mm F2.8L IS III USM」と「EF600mm F4L IS III USM」の2本で、参考までにこの2本のレンズ構成図を以下に掲載しますので、最初期のFL-F300mmF5.6と蛍石の配置など比較してみるのも興味深いことです。
最近の光学材料事情
新種ガラス、鉛フリーガラス、ED・LD・UD・SDガラスなどと目立たないところで進歩を続けてきた、写真レンズ素材ですが、この間光学結晶を使う蛍石、さらには光学樹脂を使うプラスチックレンズ(コダパック50、1966年)、さらにはガラス面に光学樹脂を圧着させたハイブリッド非球面レンズ(ミノルタAF35-70mm F4。1985年)などがありました。
最近では、キヤノンが2015年に発売した「EF35mm F1.4L II USM」に使われた"BRレンズ"が注目されます。これはキヤノンが新たに開発したBR(Blue Spectrum Refractive)光学素子と呼ばれる有機光学材料ですが、2枚のガラスレンズの間に挟み込むことにより、蛍石と同様な極めて高度な色収差補正が可能となるというものです。2019年に発売したミラーレスカメラ用レンズ「RF85mm F1.2 L USM」、「RF85mm F1.2 L USM DS」にも採用されています。
2020年1月にニコンが発表した「NIKKOR Z 70-200mm f/2.8 VR S」と「AF-S NIKKOR 120-300mm f/2.8E FL ED SR VR」には、蛍石のほかにSR(Short-wavelength Refractive)と呼ばれる新ガラスが使われていますが、これは望遠系のズームレンズに使われていて光学的な配置は異なるものの、短波長側を大きく屈折させてアポクロマート補正を得るなど、キヤノンのBR素子と同等な働きをするものと考えられますが、ニコンの場合は蛍石とSRレンズを組み合わせて色収差補正を行っているのです。
ところでニコンの蛍石使用のレンズは、過去に蛍石と水晶(石英、SiO2)だけで構成した、紫外線撮影用のUVニッコール105mmF4.5(1984年)が知られていますが、蛍石の使用一般レンズの登場はわりと最近で、2015年の「AF-S NIKKOR 500mm f/4E FL ED VR」、「AF-S NIKKOR 600mm f/4E FL ED VR」あたりから望遠系を中心に積極的に使われるようになりました。またソニーの蛍石の採用は、2018年の「FE 400mm F2.8 GM OSS」、2019年の「FE 600mm F4 GM OSS」からです。
さらに他社レンズではどうでしょう。2018年に発売された富士フイルムの「フジノンレンズ XF200mmF2 R LM OIS WR」には、"蛍石の性能に匹敵するスーパーEDレンズ"が使われているとうたわれています。さらにさかのぼると、シグマでは2010年にはFLD(F Low Dispersion)ガラス、タムロンでは新SPシリーズでXLD(Extra Low Dispersion)ガラスについて蛍石同様の性能というような表現をしています。ということで、蛍石そのものを一般撮影用レンズに使っているのは、現在キヤノン、ニコン、ソニーになります。いずれにしても低分散高屈折率の特殊ガラスは、"蛍石に匹敵するような"と表現しているわけですから、今現在、光学的仕様が蛍石を超えるものは存在していても、写真レンズとしては存在していないのが現状のようです。
50年間蛍石レンズで追い続けた高画質
昨今のレンズ交換式カメラの画質向上は、ある面でデジタルの高画素化という部分に支えられてきたような印象があります。しかし今回のレポートの直前に、高度に色収差補正されたというコシナ・フォクトレンダーの「APO-LANTHAR 50mm F2 Aspherical E-mount」(2019年12月発売)を使ってみると、使用者のレベルで"画質の向上"ということを身をもって体感できたのです。つまり撮影レンズが高画素に見合う高画質であるということが、現状では一番画質に効いてくるのではないかと私自身は思うようになったのです。もちろんこの間、ミラーレス機になることによる撮影ピント精度の向上、手ブレ補正機構の実効的な向上、画像処理エンジンの進歩によるもの等々、さまざまなカメラ、光学技術、さらにはプリンター技術などが組み合わさって1つの画質という総合評価がでてくるわけです。
今回このレポートをまとめていて思い出したのは、50年ほど前の学生時代にどうしてもアオリ撮影をしたくて購入したのが6×9cm判のマミヤプレススーパー23でした。当時不思議だったのは、これにセットされた標準レンズのマミヤセコール100mm F3.5は、なぜかそれ以前のマミヤセコール90mm F3.5と実写で比べると、ずば抜けてヌケが良くシャープだったのです。当時どうしてだろうという疑問が常にありましたが、満足して使っていました。ひょっとしたらと今回当時の文献を探ってみると、同じテッサータイプであっても「100mm F3.5の第1と第4のレンズにはランタンクラウンガラスを使っていて、全画面にわたってハロが少なく、コントラストが高く、色収差の補正が良好であるから、黒白、カラーでも鮮鋭な画像が得られる」としているのです。つまり新種ガラスを使って画質が大幅に向上していたのです。マミヤプレススーパー23の発売は1967年、この時代には各社が新種ガラスを採用して写真レンズの画質向上を図っていたのです。
このような時代に、キヤノンが独自に人工蛍石の製造に着手して1968年に製造を成功させ、1969年には人工蛍石採用のFL-F300mm F5.6とFL-F500mm F5.6を成功させたのは、まさに将来を見据えた技術開発だったと思うのです。この間、蛍石の性能に近似した低屈折・低分散のUD(Ultra Low Dispersion)光学ガラスの開発も行われ、ズームレンズでは高倍率化、小型化に寄与したり、各社とも色収差の少ないレンズを開発してきました。そのような中で、最近ではキヤノンのBR光学素子、ニコンのSRレンズなどの新光学素材の開発も進んでいるわけですが、その一方で蛍石そのものの光学性能はいまだに不動なものであり、50年以上も前から今日まで一貫して写真用レンズ素材として人工蛍石にこだわり高性能レンズを作り続けているのには敬意を表する次第です。
なお、本記事を執筆するにあたっては、元朝日ソノラマ編集長・萩谷剛氏、オールドレンズ研究家・岡田祐二氏のご協力をいただきました。
参考・引用文献
・光の700、キヤノンイメージ編集室、キヤノン株式会社機器営業部、1971年12月25日
・キヤノンFL-F300mm F5.6とFL-F500mm F5.6の広告、写真工業1969年4月号、10月号、写真工業出版社
・国産カメラのメカニズム便覧、写真工業1969年7月号臨時増刊、1973年6月号臨時増刊、写真工業出版社
・林一男、久保島信、カメラ及びレンズ、写真技術講座1、1955年11月25日、共立出版
・光学技術ハンドブック、朝倉書店、1968年10月25日
・寫眞光學、最新寫眞科學大系第7回、1935年12月20日、誠文堂新光社
・カメラレンズ百科、写真工業1983年4月号臨時増刊、写真工業出版社
・今日からアトムレンズと呼ぼう、写真工業2004年9月号臨時増刊、写真工業出版社
・吉田正太郎、光学機器大全、2000年3月27日、誠文堂新光社
・會田軍太夫、わが国における特殊ガラスの発達、1956年64巻722号、窯業協會誌
・小穴純、国産のレンズとカメラ、写眞界の進歩と話題
・東京工業大学物質理工学院石川研究室、http://www.op.titech.ac.jp/lab/Take-Ishi/
・キヤノン、2019年11月7日「人工蛍石結晶採用レンズの発売から50周年」ニュースリリース、Webサイト
・ニコン、2020年1月7日「NIKKOR Z 70-200mm f/2.8 VR S」ニュースリリース、Webサイト