イベントレポート
ニコン創立100周年を祝して、品川のニコンミュージアムに行ってきた
話題の"カメラ試作機展"も見逃せない
2017年6月2日 07:00
2015年10月にオープンした「ニコンミュージアム」は、歴代ニコンカメラがずらりと並ぶ展示スペースが圧巻のスポットだ。ときおりミュージアムショップ限定のニコングッズが発売されることもあり、熱心なファンは一度ならず定期的に訪れると聞く。
品川駅からのアクセスは、港南口を出て駅前デッキを右方向に進む。品川インターシティC棟の2階に入るとニコン本社の受付で、受付カウンターの左に進むとニコンミュージアムの入口が見える。入館無料なこともあり、筆者自身も品川で1時間ほど時間が空くと立ち寄ってしまう。2017年の初詣も、春を迎える前に済ませた。
館内では、写真用レンズに用いられる技術の解説や、産業用機器の展示も見逃せない。例えば半導体露光装置(ステッパー)は、デジタルカメラのイメージセンサーを製造するのにも使われている。その回路パターンを焼き付ける仕組みなどは銀塩写真にも通じる部分があり、面白い。光学機器に関する好奇心と知的欲求を満たしてくれるミュージアムだ。
話題の"試作機展"に注目
2017年5月現在、カメラファンとして注目すべきは、7月1日まで開催されている企画展「カメラ試作機~開発者たちの思い」だろう。
通常、カメラの試作機が関係者以外の目に触れることはなく、製品化されなかった機種については、そのプロジェクトが存在した事実さえも世に出ない。役目を果たした試作機は破棄されるのが一般的だ。
そんな試作機たちが生き延び、長い時を経て我々の前に姿を見せてくれたのが今回の展示である。約40点の中には、限りなく量産品に近そうな見た目をしていながら、結果として世に出なかった製品も少なくない。その"開発者たちの思い"というサブタイトルの、なんと重みのあることか。
今回の展示では、1940年代から1980年代にかけて製作された試作機が並ぶ。展示機の多くはガラスケースに入っていないため、様々な角度から眺められるのが嬉しい。ニコンファンならば、製品版との大小様々な相違点を見つけて楽しめること間違いなしだろう。
ニコンF4の電気系リーダーを担当していたニコンフェローの後藤哲朗さんは、イタリアの工業デザイナーであるジョルジェット・ジュジャーロ(ジウジアーロ)が手がけたデザインの驚きについて、一例を語ってくれた。
F4では、セルフタイマーランプを撮影者からもカメラの前からも見えるように配置したく、三角形の発光部がカメラ上面から出っ張る形状に設計した。しかし、ジウジアーロデザインでは、発光部をカメラ上面から前面にかかる斜面に埋め込んで、出っ張りを抑えた。このスマートな仕上がりに、これぞデザイナーの仕事だと感心したそうだ。
上の写真の右側にある個体から分かるとおり、正面から見て右側には調整部が並んでいる。シャッタースピードなどの電子回路を調整するもので、革をめくってフタを開けるとこの調整部分が露出し、専用のシャッター測定器に取り付けると、調整用アームが伸びてきてここを操作する。
F2より小さいF3に電子回路を収めるのには苦労があったという後藤さん。メカ設計者が決めたボディ構造の中に、後藤さんをはじめとする電気回路設計者(後藤さんはそれぞれ"メカ屋"、"電気屋"と呼ぶ)が電子回路を収める。ボディサイズは基本的に変えられないが、1か所だけメカ設計者が電子回路用にスペースを作ってくれた部分があり、それが上の調整部が収まる部分だ。F3前面左手側の傾斜がそれで、歴代ニコンへのオマージュが詰まった最新デジタル一眼レフカメラの「ニコンDf」にも、この面影がある。
今回の展示の中には、ニコンF3の電子基板が3パターン(試作初期、試作後期、量産モデル)並んでいる。上述した通り、狭いボディの空間に複雑な電子基板を収めるため、フレキシブル基板を採用。内部で回路が割れてしまうこともあり、試作中の作業は夜中まで続いたという。
その試作途中の思い出として、フレキシブル基板の配線パターンを間違えてしまい、その配線をやり直した跡が見られる。会場を訪れた際には探してみてほしい。薄く削って回路部分を露出させ、そこにリード線を半田付けしたそうだが、これは大変な作業だという。今回これらの基板を展示するにあたり、後藤さんが改めて半田ごてを握って、基板を整えたそうだ。
このように電気回路が底部にまで及んだF3では、濡れた場所にカメラを置いたり、テーブルの上で水をこぼしてしまった際などに、底面からの浸水で回路が故障し、カメラが不動となってしまうケースが発売初期に見られたという。のちにプロ用として登場したF3Pは、その対策として厳重なシーリングも施され、水の入ったバケツにカメラを沈めながらの動作テストも行われたという。
また、露出計すらカメラボディには内蔵していなかったフルメカニカルのFおよびF2に対し、F3は電子制御のカメラという点で、発売当初は慎重なユーザーが難色を示していたというには知られた話。しかし、次第に信頼感が広まり、1980年の発売からデジタルカメラ黎明期の2000年までF3の生産は続いた。メーカーでの修理対応も、2016年まで受け付けていたほどだ。
そんなF3だが、発売後に後藤さんがコストダウンの提案をすると、会社側は「F3はあと2年で終了するから、このままでよい」と返していたそうだ。このやり取りが何度かありつつ、結果的には20年間ものロングセラーとなったのだから面白い。手元のF3がいっそう誇らしくなるエピソードである。
今回の特別展では、1988年までの試作機が並んでいた。時代とともにカメラ設計にCADが取り入れられるようになり、いわゆる"定規で引いた"デザインから、エルゴノミクス的と言われる有機的なスタイリングに移り変わっていったのは、ベテランの読者諸兄にとってはそう遠くない記憶ではないだろうか。
なお、この展示に関連して6月10日(土)には、ニコンミュージアム講演会「後藤哲朗、試作機を語る」が予定されている。この記事での紹介内容は展示内容のほんの一部分なので、ぜひ実際に足を運んでみてほしい。