特別企画

ニッコールのふるさと探訪:栃木県大田原市「栃木ニコン」編

ガラス加工から、交換レンズの完成まで

ニッコールレンズの累計1億本達成を記念した"ふるさと探訪"企画。前編の光ガラス(秋田県湯沢市)で作られた"ニッコールレンズの素"を追いかけて、今回は栃木県大田原市の「栃木ニコン」にやってきた。いよいよガラスが加工されて鏡筒に収まり、ニッコールレンズとして出荷されるまでを見ていく。

栃木ニコン(栃木県大田原市)

栃木ニコンの設立は1961年。那須疏水の恵みを受ける栃木県大田原市に所在し、敷地内の池には錦鯉が泳ぐ。"鯉も暮らせる水質"として環境問題への取り組みを示すのは昔ながらの工場風景であり、設立当時の建物とともに55周年を迎えた栃木ニコンらしい光景といえる。1960年代といえば、カメラはニコンFの時代だ。

東京ドーム4個半の面積という栃木ニコンでは、子会社も含め約1,000人が働いている。そのほぼ100%が地元在住の従業員だという。子会社には製造を主に担当するティーエヌアイ工業と、ニコングループ全ての原器(レンズ曲率をはかるためのもの)を作るジグテックがあり、栃木ニコンは品質保証、生産管理、技術の部分を担当する。また、引き伸ばし用の「EL-NIKKOR」を復活させた産業用レンズの企画・販売などを、栃木ニコン独自のRayfactブランドで行っている。

一眼レフ用レンズでは、カメラ愛好家に"大三元"と呼ばれる代表的な大口径ズームレンズ「AF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G ED」、「AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR」、「AF-S NIKKOR 70-200mm f/2.8G ED VR II」や、「AF-S NIKKOR 800mm f/5.6E FL ED VR」、「AF-S NIKKOR 600mm f/4E FL ED VR」などの超望遠レンズを製造している。

ニッコールレンズは海外にも製造ラインがあるが、それらも試作は栃木ニコンで行い、海外スタッフが量産立ち上げ前の実習に訪れている。また、栃木ニコンのスタッフが現地に赴いて技術支援を行うなど、エンジニアリングセンターとしての役割も担っている。

レンズが製品になるまで

ではいよいよ、ガラスが交換レンズになるまでを見ていこう。

その前に、栃木ニコンでは、ニコン本社の光学設計者から届いた設計が量産可能かの判断を最初に行う。レンズ1枚ずつの加工が可能か、求める性能を出すにはどれほどの精度が必要か…などを踏まえ、量産性を確認し本社と協議・調整を行う。そうしたやり取りを重ねて、量産までこぎつけるのだという。

レンズ加工工程

  • 研削…ダイヤモンド砥石を用いてプレス硝材にレンズ曲率を創成する
  • 荒研磨…ダイヤモンドペレットで、研磨に必要な曲率と表面粗さに仕上げる
  • 研磨…研磨剤を用い、正しい表面粗さ・曲率・厚さに仕上げる
  • 芯取…レンズ光軸に対し同軸に外周を研削
  • コーティング…表面に薄い膜を蒸着し、反射率低減やレンズ表面の保護を行う

組立工程

  • 組立…鏡筒にレンズエレメントや各部パーツを収める
  • 調整…レンズのピントや光軸が正しく出るように調整
  • 最終検査〜出荷

まず、届いたばかりの硝材は洗浄され、ダイヤモンドが埋め込まれた治具で表面を削る「研削」(荒削り)で滑らかにしたあと、「荒研磨」(精研削)で表面をさらに細かく研磨する。

光ガラスで見かけた、深緑色のトレーを発見
レンズ加工皿の見本。レンズ加工皿との摺り合わせにより正確な曲率を作る「相手皿」のペア

この工程で、最初はすりガラスのように白っぽかった表面が透明に近づき、ガラスの向こう側が見えるようになってくる。

荒研磨後のレンズ。前回も登場したAF-S NIKKOR 14-24mm f/2.8G EDに使用される

仕上げの研磨機はミクロン精度で厚さをチェックしており、研磨工程が終わったところでレンズの薄さとカーブが決まる。

仕上げの研磨は、研磨剤をポリウレタンパットを張った研磨皿にかけながら行う
硝材の状態→荒研磨→研磨と進んだ様子。透過度で違いがわかりやすい

こうして研磨したレンズを逆のカーブを持つ原器に重ねると、ニュートンリングという光の干渉縞が発生。その間隔と本数で曲面の精度を確認する。

ニュートンリング
硝材の状態から芯取りまでの経過

さらに現在では、モニターでより細かく結果を見られる測定器も用いられている。加工技術とともに検査技術の向上なくしては、製品の性能アップを測ることができないからだ。

洗浄のマーチ

続けてレンズの外周を削り、機械的・光学的な中心を出す「芯取」、「コーティング」と、余分な反射を抑えるためにフチを黒く塗る「塗り」、UV硬化樹脂によるレンズの貼り合わせを行う「接合」と続く。

そしてコーティングへ移る前に、レンズを超音波洗浄する。トレーに載ったレンズが長い自動洗浄機の中を進みながら、プールに出たり入ったりしている。行進のようで可愛らしい光景だ。

トレーに載ったレンズが左から右へ流れ、順番に洗浄されていく
洗浄プールの中から14-24mmのレンズが浮上。思わず歓喜の声
洗浄用トレーに整列するレンズ達
こちらはコーティングまで済んだレンズ。複雑な曲面の映り込みが妖しい

コーティング窯の内部を覗く

加工表面が綺麗になったレンズは、いよいよコーティングに移る。専用の蒸着ドームに1枚ずつ外観をチェックしながらセットし、真空チャンバーに入れてコーティング材料を蒸着する。

洗浄と外観確認の後、コーティングドームにセットされる
蒸着装置の覗き窓にレンズを押し当てて撮影。中でドームが回転している

真空チャンバー内の温度は300度ほど。下部から電子銃でコーティング材料を加熱・蒸発し、下側のレンズ面に薄膜を形成する。チャンバー内に複数の材料を用意すれば多層膜コーティングも行える。

コーティングされていないレンズは1枚につき10%程度の余分な反射を起こすが、コーティングを施すとそれを1%以下に抑えられるという。ちなみに、ニコンユーザーの憧れ「ナノクリスタルコート」に関しては、処理の内容も、施している場所も秘密。ニコン社員であっても全員が見られる部分ではないという。

両面をコーティングした後、取り出したドームの上下から光を当てて再び外観検査
ここで扱う最も大きなレンズが、この「AF-S NIKKOR 600mm f/4E FL ED VR」に使用されるレンズ

レンズを鏡筒に収める。緻密な光軸調整も

続いて見学したのは、レンズ鏡筒にレンズエレメントや電気部品を組み込んでいく「調整工程」と呼ばれる現場だ。防塵着を身につけ、エアー室を通った先に「AF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR」の調整ラインがあった。

レンズは群にしてから別工程で作られた鏡筒に組み込んでいき、光軸の調整はコンピューターや人の手を使って緻密に追い込む。

Fマウントの命が与えられる瞬間
ズームによるピント移動をなくすための真鍮製ワッシャー。厚さごとに用意されている

光軸の調整は、鏡筒側面に隠れた複数の調整用ネジを扱う。コンピューターの画面に表示されたチャートを見ながら、迷いなく手早く調芯していく様子には感銘。工程は10以上あり、人の手で行われる箇所、コンピューターで行われる箇所、様々だった。

かつてはレンズに光を入れ、投影した点像のボケ方でレンズ内の偏芯状態を把握し、それが点になるように調整していたという。しかしその検査には作業者に技能が必要なため、機械で測定した結果を基に人間が調整することで自動化した。このように「技能を技術にする」というテーマで取り組んではじめて、現在の性能や販売価格が実現できているのだという。

憧れの超望遠レンズ、その組み立て現場

レンズの組み立て工程は、各モデルの生産数によりラインの組み方が変わってくる。おおざっぱに言うと、先に見た24-70mm VRのラインでは1人あたり数分で次工程に渡していたが、それに比べて生産数が多くない超望遠レンズは、1人で10〜30分をかけて最初から最後まで組み上げるという。1人の担当する工程数にはかなりの差がある。

超望遠レンズは鏡筒に深さがあり、奥の方にレンズエレメントを入れるために、専用の治具が用意されている。デルリン製で鏡筒内に傷を付けず、一定の力で固定できるようトルクメーターを内蔵している。

見学時にはAF-S NIKKOR 600mm f/4E FL ED VRの組み立てが行われていた。専用の白い治具にレンズエレメントをセット
治具を奥まで差し込み、ねじ込んで、レンズエレメントを固定する
絞りユニットを取り付けているところ
ズーム環のラバーを履かせる。なかなかの力作業

作業者が参照する組み立て工程表では、ネジのトルクやグリスの塗布量まで細かく管理されている。また、ネジ止めの際にネジ穴周辺を傷つけないための治具を用意するなど、現場の作業者の工夫も盛り込まれているという。性能だけでなく、美観へのこだわりも相当なものだ。

外観検査の様子
組み立て工程で超望遠レンズを保管・移動する台車。このトレーのおかげで、2011年の東日本大震災でもレンズの損傷がなかったという。

こうして晴れて完成品となったニッコールレンズは、お馴染みのパッケージに収められ、全世界に出荷されていく。

梱包されていくAF-S NIKKOR 24-70mm f/2.8E ED VR
ニコンロゴ入りのトラックで出荷される

日頃からニコン製品のタフさは認識しているつもりだが、こうした一連の作業工程を見た後では、どこかうやうやしく、レンズの着脱ひとつも心して行いたくなってしまうような感覚があった。

デジタルカメラマガジン2016年11月号には、写真家 河野英喜さんが愛用のニッコールレンズで撮った「栃木ニコン」で働く人々のポートレートと、イラストライターのゆきぴゅーさんによる見学記(解説イラストと4コマ漫画つき)が載っています。デジカメ Watchのこの記事と併せて、ニッコール愛をさらに深めてください。

本誌:鈴木誠