イベントレポート

ニコンミュージアム企画展「幻の試作レンズたち」

開発者の思いを今に伝える品々 12月27日まで開催

東京・品川のニコンミュージアムで、企画展「幻の試作レンズたち」が2018年10月2日から12月27日まで開催されている。

ニコンが1950〜80年代に試作した交換レンズのうち約60点を展示。一部は最新のミラーレスカメラ「Z 7」に装着して実際に撮影した作例も展示している。

今回は、株式会社ニコン 光学本部 シナジー推進部 基盤技術開発課 主幹研究員の佐藤治夫氏に見どころを解説してもらった。佐藤氏はニッコールレンズの設計や、歴代ニッコールレンズの開発エピソードを紹介する連載「ニッコール千夜一夜物語」でニコンファンに知られる。

Auto Nikkor Telephoto-Zoom 85-250mm f/4(1958年)

Auto Nikkor Telephoto-Zoom 85-250mm f/4

焦点距離ごとの被写界深度を示す"ヒゲ"のデザインを検討していた頃の試作。ヒゲが描かれる部分に紙が貼られている。製品版は鏡筒の一部デザインも異なる。

Nikkor-Q Auto 5cm f/2.5(1960年。未発売)

Nikkor-Q Auto 5cm f/2.5

現在でこそ小型のパンケーキレンズは人気だが、堂々発売したニコンFの標準レンズがこれほど小型では、見た目の迫力に欠けるとして商品化されなかった可能性もあるという。

それを踏まえて、例えば同時期のニッコールオートの5cm F2を見ると、確かにフィルターネジの部分が前方へ突出しているなど、デザイン次第ではもっと全長を縮められたようにも思える。"フードいらず"とも言われる前玉の奥まり具合は、レンズを大柄にして迫力を出す意味合いもあったのかもしれない。

参考:Nikkor-S Auto 5cm f/2

Nikkor-S Auto 5cm f/1.4(1961年)

Nikkor-S Auto 5cm f/1.4

1960年の「Nikkor-S Auto 5.8cm F1.4」に続く大口径標準レンズで、1962年に発売された「Nikkor-S Auto 50mm F1.4」の名称違いとなる。この"5cm"という表記になっている個体は試作品であり、一般には販売されていない。一般に発売されたレンズには50mmの表記がある。

当時の標準レンズが50mmという焦点距離になったのは、"ライカの50mm"(実際には51.6mm)を絶対としていたからだそうだ。しかし機構的にバックフォーカスを長く取らねばならない一眼レフカメラでは、レンジファインダーカメラのように50mmピッタリのレンズを設計することが容易ではなく、58mmや55mmという数値から刻んで、ここでようやく50mmを実現する。

この時代はレンズ設計に関する計算が全て人力で、とても時間がかかった。そのため設計者のヒラメキに頼る部分が大きかったそうだ。現在のようにコンピュータで光学設計と実写のシミュレーションまでを行えるようになったのは近年のこと。以前は商品開発に長い年月がかかったらしい。

Nikkor-S Auto 105mm f/2.8(1967年。未発売)

Nikkor-S Auto 105mm f/2.8

ライカが世界で初めて非球面レンズを採用した写真レンズとして「ノクティルックス50mm F1.2」を発表したのが1966年。その当時、ニコンも非球面レンズによって広がる可能性を研究し、試作されたうちの1本となる。

多くのソフトフォーカスレンズは球面収差を使ってソフト効果を与えているため、絞ると周辺光がカットされて通常のシャープな描写になってしまう。そこで本レンズは絞ってもソフトさが残るように、絞りの直後に特殊な形状の非球面レンズを配置した。当時これを設計した綱島輝義氏の思いは、絞り値を変えてもソフトな描写が変わらないようにすることで、絞りリングを再び露出操作のための要素に戻したかったそうだ。

しかし、そのために特殊な収差バランスを持った非球面レンズにより、通常は前ボケか後ボケのどちらか一方が綺麗になる(逆に、両方を綺麗にするのは通常の手法では不可能)が、このレンズは前ボケも後ボケも二線傾向の美しくないボケになってしまったそうだ。

そもそもソフトフォーカスレンズというどこか飛び道具のような交換レンズが、最先端の非球面レンズを使うことでとても高価になってしまったこと自体、商品として成立しようがなかったともいえる。当時のニコンは「この新しい技術でこんなレンズができそうだ」と光学設計者が開発・試作を終えてから「さてレンズはできたが、これをどう売ろうか」という順番で製品化の検討が行われたレンズもあるという。現代的なマーケティングとは真逆だ。

このソフトフォーカスレンズの設計者である綱島氏は、のちにニコンの「ソフトフォーカスフィルター」を開発。ガラス面に傷やデコボコを付けてソフト効果を得るものが一般的だったところに、特殊な方法を用いて好ましいボケ味を実現した。このフィルターは2003年のRoHS指令によるエコガラス化で代替できなくなったため生産を終了したが、ボケ描写に影響を与えるガラスの表面加工を微細にすることでボケ味の悪化を防ぎ、「ニューソフトフォーカスフィルター」(2007年発売)として従来フィルターの描写を継承した。

そのニューソフトフォーカスフィルターを手がけたのが、今回案内してくれた佐藤氏である。これら各製品の詳細は、ニコンWebサイトの「ニッコール千夜一夜物語 第五十一夜」で読める。

Fisheye-Nikkor Auto 6.3mm f/2.8(1967年)

Fisheye-Nikkor Auto 6.3mm f/2.8

光学的には量産品と同じだが、焦点距離の表記が異なる(量産品は6mm)。当時のカメラやレンズの検査機関では、魚眼レンズやソフトフォーカスレンズを一般の写真レンズと異なり、規格外のレンズとして分類していたそうで、それらは焦点距離を小数点まで厳密に表記するほど重要視されていなかったのだという。

Micro-Nikkor Auto 55mm f/4(1967年。未発売)

Micro-Nikkor Auto 55mm f/4

中間リングに露出計連動爪(いわゆるカニ爪)を持ち、カメラの露出計に接写時の露出倍数を反映できるようにした製品。中間リング側の絞り指標に、1段ずつ暗い絞り値が記されている。この中間リングは発売こそされなかったが、後のテレコンバーターに同様の仕組みが応用された。

Nikkor-N Auto 25mm f/2.8(1971年。未発売)

Nikkor-N Auto 25mm f/2.8

当初、レンジファインダーカメラ用ニッコールレンズの焦点距離は当時の慣習にならって21mm、25mm、28mm……という刻み方だった。しかしF以降のニコンは「焦点距離ごとの画角の変化量」を重視して、独自の20mm、24mm、28mm……という順番に改めたことが知られている。それでも、25mmのFマウントニッコールレンズを試作していたという事実が興味深い一品。

Zoom-Nikkor Auto 35-400mm f/4.5(1973年。未発売)

Zoom-Nikkor Auto 35-400mm f/4.5

技術的な検証のために試作された高倍率ズームレンズ。最短撮影距離が4mと長く、それを2.3mに短縮するバヨネット式着脱のクローズアップレンズも装着されている。

本レンズは35mmカメラ用としては大柄で製品化されなかったが、このレンズの設計思想は撮像フォーマットが小さいテレビカメラ用高倍率ズームレンズの先駆けとなる。

Nikkor 58mm f/1.2(1974年)

Nikkor 58mm f/1.2

ノクトニッコールとして市販されたレンズの試作品。製品版とは光学設計が異なる。ニコンでは1本の交換レンズを製品化する場合、数パターンほどの試作検討をしていたという。また、試作レンズであっても最終製品と同様に(開発コードではなく)製品名を刻印するのが同社の慣習だそうだ。

PC-Nikkor 35mm f/2.8(1978年。未発売)

PC-Nikkor 35mm f/2.8

プリセット絞りのPCニッコールに自動絞りの機構を組み込み、利便性を高めようとした試作レンズ。パンタグラフのような機構を用いてティルト機構と自動絞りのメカ連結を両立したが、絞り羽根の駆動がモータードライブを使った高速連写に追従できないとして、製品化は見送られたらしい。

PCニッコールの主用途は建築写真と想定されるため高速連写への対応は不必要にも思えるが、それではニコンとして許されなかったそうだ。

AI OP Fisheye-Nikkor 10mm f/2.8S(1981年。未発売)

AI OP Fisheye-Nikkor 10mm f/2.8S

正射影方式(OP=Orthographic Projection)の大口径魚眼レンズ。1968年に登場した「OP Fisheye-Nikkor 10mm F5.6」はミラーアップ専用で外付けファインダーを併用していたところ、こちらは一眼レフカメラらしくファインダーでフレーミングを決められ、自動絞りも実現した。

最前に位置する第1レンズは手磨きの非球面レンズで、この加工にコストが掛かりすぎるなどの理由から製品化されなかったと思われる。当時のニコンは、魚眼レンズの全ての射影方式のそれぞれで交換レンズを作ろうとしていたのだという。

Reflex-Nikkor 1000mm f/11(1984年。未発売)

Reflex-Nikkor 1000mm f/11

佐藤氏いわく、今回展示しているレンズの中でも特に未発売が惜しまれる1本。よくあるミラーレンズは前玉繰り出しまたは全体繰り出し式だが、これはフォーカシングで全長が変わらない設計。シャープな描写で、ミラーレンズならではのリングボケも画像周辺部まで保たれるなど画質的にも満足できるものだったものの、当時の上位判断で、なぜか量産見送りが決定したという。手にすれば、途中で太さが変わる鏡筒も「操作感が良好だ」という判断に繋がったのではないだろうか。

F3AFのAFレンズ

F3AF用AFレンズの試作品(1979年〜1984年)

1980年代以降、一眼レフカメラにAFの時代が訪れる。(他社もそうであったように)当初はレンズ鏡筒の下部にAF駆動のメカがはみ出した構造だったが、「レンズ鏡筒は丸くなければいけない」というニコンの強い考えにより、でっぱりが小さくなっていく様子が見える。製品版では完全な丸となった。

また、ニコンの初期AFは、現在の超音波モーターのように動作が静かな点もアドバンテージだったという。仮に、いま我々が"DCモーターらしい"と感じるジコジコというAF駆動音をよしとしていれば、ライバルメーカーのようなコストダウンも可能だったはず。

参考:販売されたF3AF用レンズ。鏡筒が丸くなった。

AI Zoom-Nikkor ED 80-200mm f/2.8S(1985年。未発売)

AI Zoom-Nikkor ED 80-200mm f/2.8S

これも佐藤氏が「発売されなかったのが惜しまれる」と話す1本。上記の通り時代はAFに向かっており、実際に製品化されたのはこれをベースにAF化し、鏡筒が太くなったレンズだった。しかし、MFとはいえ本レンズのこのスリムな鏡筒は魅力的だ。

先端部には、当時EDレンズの採用を示していた金のリングがある。その頃に採用が始まった新しい硝材で、ニッコールレンズとしての初採用は札幌オリンピックの室内競技を撮るために求められたことで知られる「NIKKOR-H 300mm F2.8」。しかしこちらは製品名にED銘が入っておらず、金のリングもない。

ニコンZマウントの「F0.95を実現」とは?

今回の展示に向けて、ニコンミュージアムでは様々な試作レンズをZ 7に取り付けて撮影を試した。撮影結果が特に良好だったものは作例を展示しているが、15mmや18mmなど画角が極端に広いレンズでは、フィルムカメラと異なり画像周辺部がかなり暗くなってしまうこともあったという。

ニコンZ 7/Z 6のイメージセンサーは、既に市場にあるミラーレスカメラに比べ、斜めに入ってくる光を取り込むことにも長けていることが、発売後にユーザーの検証から知られるようになった。つまり、これまでミラーレスカメラに取り付けると極端な周辺減光や色被りが起こっていたようなレンズ(レンジファインダーカメラ用の広角レンズなど)でも、いくぶん好ましい撮影結果を得られる可能性が高い。

光学の専門家である佐藤氏に聞きたかったのは、ニコンZの発表時に聞いた「大口径かつショートフランジバックのマウントによってF0.95が実現できる」というアピールの真意だった。開放F0.95というスペックのレンズであれば1960年代には既に存在し、当時から存在する(決して大口径ではない)マウントでも物理的に実現できていたからだ。

結論としてニコンの言葉に含まれていたのは、上記の物理的な事情のみならず、写真レンズとしての画質をニコン基準で担保したうえでF0.95という開放F値を持つレンズを実現する、という意味だった。

事情は想像以上に複雑で、例えばイメージセンサーの前に備わるカバーガラスの厚さによっては、画像周辺部の流れのみならず歪曲収差にも影響があるそうだ。かつての超広角レンズには歪曲が少ない対称型のレンズ設計がよく用いられたが、これをカバーガラスが厚いイメージセンサーを持つデジタルカメラに取り付けて撮影すると、元々は-1%未満に収まっていた歪曲収差が-4%程度にまで増えてしまうことがあるという。知れば気になるけれど、これまで歪曲に関する描写の違いまで気にしたことはなかったので驚いた。

一連の解説を聞いて、こうした事情を踏まえて設計されるニコンZシリーズ用のF0.95レンズ(NIKKOR Z 58mm f/0.95 S NOCT)がどのように仕上がるか楽しみになるとともに、往年の試作レンズを通じて当時の設計者の熱意や、光学という事象の奥深さを改めて実感した企画展だった。本稿では紹介しきれていないレンズも多数あるので、是非とも年末までにニコンミュージアムへ足を運んでみてほしい。

本誌:鈴木誠