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楯を受け取るニコン取締役兼専務執行役員映像カンパニープレジデントの木村真琴氏(右)
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カメラ記者クラブ カメラグランプリ実行委員会は2日、カメラグランプリ2008の授賞式を都内で開催した。受賞各社の代表をはじめ、開発に携わったエンジニアなどが開発の経緯などを話した。
授賞式は例年写真の日である6月1日に開催しているが、2008年は6月1日が休日だったため翌2日の実施となった。
2008年は「大賞」と「あなたが選ぶカメラ大賞」をニコンD3が、「カメラ記者クラブ特別賞」をシグマDP1、ナナオColorEdgeシリーズ、富士フイルムVelvia50がそれぞれ受賞した。
冒頭で、カメラ記者クラブ幹事の西原龍弥氏が、「写真の日の恒例になり25周年を迎えることができた。カメラグランプリで少しでも多くの製品に光が当てられ、世の中に幅広く知ってもらい、写真カメラ業界の発展の一助としたい」と挨拶した。
■ ニコンフラッグシップモデルで初の大賞
大賞楯とあなたが選ぶカメラ大賞楯を受け取ったニコン取締役兼専務執行役員映像カンパニープレジデントの木村真琴氏は、「カメラグランプリの第1回でFAが受賞しているが、それと併せて25周年というの節目の回で受賞できて一生記憶に残るものになった。『写真を撮る人の期待に応えたい』と、ほかのカメラとは一線を画したカメラを開発した。販売も好調で、D3の完成度をプロだけでなく一般のユーザーからも評価してもらえた」と話した。
また、「ニッコールレンズを出してから75周年になるが、ニコンレンズの優秀さもあったのではないか。デジタルの技術革新は加速している。ユーザーニーズの変化を融合させ、新しい次元に行きたいと考えている」とした。
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ニコン執行役員映像カンパニー開発本部長の風見一之氏
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また、D3の企画に携わったニコン執行役員映像カンパニー開発本部長の風見一之氏は、「(大賞とあなたが選ぶカメラ大賞の)2つの賞を受賞したことは大きな意味があるが、ニコンのフラッグシップ機の大賞受賞はD3が初めてで、記念すべき回で3つのうれしいことが重なった」と喜びを表現した。
風見氏は、「企画としてスペックを決めてお願いしたことに、1つ1つ見事に応えたニコンの開発陣はすごい」と開発者を評した。しかし、各機能などで、目標に近いところまでは到達するが、それ以上に高めるところが難しいという。「発売が近づいても、なかなか目標以上にならずに苦労したが、エンジニアのがんばりで、マーケットの要望に応えることができた」と語った。
「D3はフラッグシップとして多くのパワーと時間を掛けたが、その次のモデルに取り組んでいかなければならない。今回の受賞を糧にがんばっていきたい」と話した。
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ニコンの出席者
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D3
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続いて、カメラ記者クラブ特別賞の授与が行なわれた。
■ DP1を発売できたのは待っている人がいたから
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シグマ取締役社長の山木和人氏(右)
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シグマ取締役社長の山木和人氏は、「受賞を全社が喜んでいる。(ニコンの)木村氏が一生忘れないということを述べたが、受賞したのがカメラである点で、社の歴史に残るし一生忘れないものになった」と挨拶した。
「2007年の今頃、カメラの方向性に迷いながら、出勤していたことを思い出す。途中、最高のカメラを目指してスケジュールを見直したが、背中を押してくれたのは、DP1を待っている人の声だった。どうバランスを取るのかが難しかったが、ユーザーの顔が見えていたことで、『ここまでやらなければならない』という目標ができた」と振り返った。
「DP1のα版で撮影してPCのディスプレイで見たとき、その画質に感動し忘れられない日になった」と明かした。山木氏は、「選考理由に『改良の余地がある』とあった点は重々承知しているが、スピリットを評価していただいた」と述べた。
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シグマ光学技術部課長の石井正俊氏(右)
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DP1の開発に当たったシグマ光学技術部課長の石井正俊氏は、「マニアに訴えるところを評価してもらえた。大賞ではなく特別賞になったのはふさわしいこと」と受賞の感想を述べた。「発表から1年半あったが、開発を引っ張ってきた山木の貢献もあった」と述べた。「大きな、またFoveonというイメージセンサーを積むことが、こんなに難しいのかと思った。迷光が多くその解決に苦労した。SD14が出た頃にDP1は出来てはいたが、それから試行錯誤が続いた。途中、『これはだめだな』と白旗を揚げたい状態だったが、仕切り直しをして開発を続けた。開発は、若いエンジニアが中心になって進めた」という。
「普通のカメラに比べて画質以外で遜色はあるが、ISO100、ISO200の画質はよいものができた。1点豪華主義ではあるが、使うほどに愛着のあるカメラになった。皆さんも、DP1のようなあやしいカメラを使ってほしい」とまとめた。
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シグマの出席者
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DP1
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■ ColorEdgeは1人前として認めてもらえた
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ナナオ執行役員マーケティング部部長の鶴見栄二氏
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ナナオ執行役員マーケティング部部長の鶴見栄二氏は、「液晶ディスプレイとしては初めての受賞でうれしい。これまであまりカメラ関連には縁がなかったが、1人前として認めてもらえたのではないか」と述べた。
2003年にColorEdgeを始めた。その頃がデジタルカメラの走りの頃だった。デジタルカメラの画像をしっかり表現したいと、プロジェクトを立ち上げた。技術はあったが、感動をいかに伝えるかを日夜考えた」と、当時を振り返った。「今ではプロに受け入れられており、ColorEdgeがカメラ業界全体に広がっていくのではないか。今後も、新しいもので期待に応えてきたい」と話した。
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ナナオマーケティング商品技術課課長の森脇浩史氏
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企画に携わったナナオマーケティング商品技術課課長の森脇浩史氏は、「当時、液晶ディスプレイの視野角の改善などでCRTに匹敵するものが出来るのではないかという段階になった。2002年の展示会でユーザーや代理店から好評を経て、2003年にColorEdgeとして発売した。専門家と話しをしながらハード、ソフトを作っていった。当時は階調表現が弱かったが、見えないかもしれない階調まで補正しようとこだわった。その後、フィードバックを加味し、ASICをぎりぎりまで追い込んだり、Adobe RGBカバーなどを打ち出した」とシリーズの経緯を話した。
森脇氏は、「まだ、理想とする市場のニーズに応え切れていないが、今後そうしたニーズに応えられるようにがんばりたい」と意気込みを語った。
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ナナオの出席者
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ColorEdge CG222W
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■ フィルムの受賞は大きなエール
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富士フイルムイメージング事業部執行役員の青木良和氏
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富士フイルムイメージング事業部執行役員の青木良和氏は、「こういう時代だからこそ、長年やってきたフィルムで評価いただいたことは、大きなエールであり勇気づけられた」と感想を話した。
「愛好家やプロから要望があり、社長の小森が愛着を持っており、何とかもう1回作れないかということで、現場からは無理といわれたが、ユーザーの多大な声援があってなんとか作ることができた。この事業を何とか続けていきたい」と語った。
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富士フイルムイメージング材料品質保証部技術担当部長の福島憲一氏
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富士フイルムイメージング材料品質保証部技術担当部長の福島憲一氏は、「Velviaは18年前に技術陣の総力を挙げて開発した。しかし、15年以上経つと製造技術などが変わりいったんは製造を中止した。Velvia50はユーザーの声に後押しされて、20年前にタイムスリップし、現代の技術でつくったフィルム」と説明。
「受賞は、『まだまだ銀塩に対するがんばれという声』と思っている」と話した。
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富士フイルムの出席者
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Velvia50
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■ 写真の楽しみを一般に広げることが重要
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俳句を披露する写真家の中谷吉隆氏
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選考委員を代表して写真家の中谷吉隆氏が挨拶し、「各社とも、写真に対する楽しみを、一般の人に広げていくことが大切」と述べた。
また中谷氏は、D3を唄った俳句を披露し、「歳時記によると、6月1日は電波の日として季語になっているが、写真の日は載っていないので、載るようにしていきたい」と話し会場を沸かせた。
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もう1つの俳句
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俳句を受け取るニコン執行役員映像カンパニー副プレジデントの後藤哲朗氏
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カメラ記者クラブ代表幹事の柴田誠
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最後に、カメラ記者クラブ代表幹事の柴田誠氏は、「写真の歴史150年に比べるとカメラグランプリは短いが、フィルムからデジタルへの変化や、事業の統廃合を見てきた賞」とし、「日本の写真文化に貢献できたのではないか。今後も皆さんと一緒に歩んで行きたい」と締めくくった。
■ URL
カメラ記者クラブ
http://www.cjpc.jp/
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( 本誌:武石 修 )
2008/06/02 20:08
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