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トーマス・ノール(左)とジョン・ノールの両氏
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Photoshopユーザーのイベント「Photoshop World」のために、Photoshopの生みの親である米Adobe Systemsのトーマス・ノール氏(Photoshop&Camera RAWエンジニアリング)と、米Industrial Light & Magic(ILM)のジョン・ノール氏(視覚効果スーパーバイザー)の兄弟が来日した。おふたりにPhotoshop誕生のエピソードやPhotoshopについてうかがう機会を得たので、レポートする。
Photoshopの原型は、トーマス氏が博士号取得論文のために作成していた画像処理ソフトにある。それを商用ソフトにしようと提案したのが弟のジョン氏だった。
──ジョンさんがトーマスさんが作っていた画像処理ツールを使うようになった経緯は、「ジョンさんがILMの仕事で使うための画像処理ソフトを探していたから」と聞いていますが、これは正しいのでしょうか。
ジョン 事実はもうちょっと複雑です。その当時の私の新しい趣味がコンピュータグラフィックス(CG)だったんです。で、CGによるカラー画像をMacintoshに表示するのに、ピクセルの明るさを調整するソフトがほしかったのですが、インターフェイスのコードを書くのが面倒だと、トーマスに相談したんです。そうしたら、「そういうのならもう作ってあるから使えばいい」と、彼がツールをくれたのです。
──ジョンさんがトーマスさんからもらったツールには、どんな機能があったのでしょうか?
ジョン ディスクから画像データをコンピュータに読み込んで表示できました。その後、Thunder Scanフォーマットのサポートが追加されました。Thunder Scanというのは変わったデバイスで、ドットマトリクスプリンタのリボンを取り除いて、そこにスキャンユニットを取り付けることで、プリンタをスキャナにするものでした。
画像をThunder Scanのフォーマットに変換できるようになったので、Thunder Scan用のソフトウェアでプリントアウトできるようになりました。トーマスのツールでは、プリンタはサポートされていなかったのです。
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Photoshop 1.0のAbout画面
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──ジョンさんは、ILMの仕事をしながら、Photoshopの開発にも携わっていたのですか?
ジョン そうです。もっとも、僕はプラグインモジュールのコードを書いたくらいですが。ディストーション、ピンチ、スフィアライズなどプラグインを書きました。
──トーマスさんは写真を趣味とされていたそうですが、それが画像処理ツールを作る動機になったのでしょうか?
トーマス わたしはアマチュアフォトグラファーでしたから、暗室でフィルムをプリントするときに、適当なコントラストと明るさを出すのが難しいということは知っていました。モノクロ写真の場合、暗室の中で自分でコントロールできるパラメーターは、露出と印画紙のコントラストしかありません。本当に自分がコントロールしたいものとは違う、というのが問題でした。本当にコントロールしたいのは、白を白に、黒を黒にしたいということです。
そのために、Photoshopにもレベル補正コマンドを入れたのです。これは、「暗室でこんなことができたらいいな」と思って入れた機能です。
■ 多くの方法があるということは、強みにもデメリットにもなる
──トーマスさんがPhotoshop 1.0で目指したことはどんなことだったのでしょうか? それはVer.10になっても変わっていませんか?
トーマス 目指したのは、包括的かつ多様な画像処理ツールです。いろいろな機能を組み合わせて、人々がやりたいことをやれるようにしようとしました。基本的な設計は、それぞれのツールのロジックを独立して持ち、いろいろな方法で組み合わせることができる、というものです。
しかしこういった設計思想にはデメリットもあって、ひとつのタスクを処理するのに、方法が複数出てくるのです。このツールでなにかやろうとすると、10とか20の方法が存在することになるのです。
ジョン (トーマス氏に)そういうふうに多くの方法があるということは、Photoshopの強みだと思ってたよ。自分のやりやすい方法を選べるのだから。
トーマス あるユーザーにはプラスで、別なユーザーにはマイナスになる方法もあるからね。どれが最適なのかを考えていると、作業がスローダウンしてしまう。そういう弊害もあるのです。
そこで、10の方法から最善の方法だけを提供するソフトとしてPhotoshop Lightroomを作りました。とにかく速く何かをやろうとするときにはLightroom、何かを絶対にコントロールしたいときはPhotoshop、と使い分けることができます。Photoshopに対してLightroomは、Photoshopの「コンパニオンプロダクト」なのです。
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Lightroomのパラメトリックカーブ。スライダーでハイライトなどを調節できるので、どの操作がどのような結果につながるのかがわかりやすい
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──確かにPhotoshopには、いろいろな方法が用意されていますね。写真をやるユーザーの間では、レベル補正とトーンカーブのどちらを使うかで議論になることがあります。
ジョン わたしはレベル補正をかなり使います。トーンカーブよりも多少自由度に欠けますが、画像を操作するときに必要なのは黒と白のポイントが正しいと確認することで、それはレベル補正でやるべきことです。トーンカーブのほうがノンリニアにいろいろなことができるので、必要なときはそちらを使うこともありますが、レベル補正のユーザーインターフェイスがとても好きなので、だいたいはまずレベル補正を使います。
トーマス トーンカーブはパワフルでいろんなことができますが、ちょっと操作を間違えただけで簡単に画像が悪化してしまうこともあります。これはトーンカーブのデメリットです。
LightroomやCameraRAWで採用したパラメトリックカーブは、画像が悪化しないように限定的なことしかできないようにしたトーンカーブです。
■ ニーズが発生する前に、機能を備える
──Photoshopはバージョンを重ねるごとにたくさんの機能が追加され、複雑になっていきましたが、ソフトウェア全体としてひどくパフォーマンスが落ちたり、破綻をきたしたりはしていません。これは、機能の追加を前提として作られていたからでしょうか。
トーマス 基本的な設計思想として、機能を簡単に追加できるようになっています。とはいえ、これだけ寿命の長いソフトになると、あるタイミングでなんらかの投資をして、コードをクリーンにしておく作業が必要になります。
どのバージョンでも、一定の数のエンジニアを投入して、アーキテクチャクリーンナップという作業を行なっています。このエンジニアたちは、新しい機能を作っているのではなく、それまでのコードを見直し、整理しているのです。ロジカルなコードにしておくことによって、将来的にも破綻しないソフトになるのです。
──Photoshopにはいくつかのフォロワーやコンテンダーがいて、中にはPhotoshopより手に入れやすかったり、部分的に優れたものもあります。しかし、どれもPhotoshopほどの支持は得られていません。これはどうしてだと思いますか? Photoshopの強みとはなんでしょう?
トーマス Photoshopは、ニーズが出てくる前にその機能を備えるということを昔からやっていて、長い歴史を持っています。ユーザーは新しいニーズが発生すると、それをすぐに実現できるソフトウェアを使うものだと思います。
Photoshopのマーケットシェアがとても高いということは、ユーザーにとってもいいことです。ユーザーベースが大きいということは、Photoshopについての情報がたくさん集積されるということです。また、売上げが大きければ、そのぶん投資をして製品に反映できます。
さらに、Photoshopのチームは、ユーザーのためにもっといいものを作りたいと思っています。仮に競合製品がなかったとしてもその気持ちは変わりません。
■ カラーマネジメントはより使いやすく
──Photoshopの強みのひとつには、カラーマネジメントシステムがあると思います。この開発の経緯について教えてください。
トーマス 4.0までのPhotoshopには、カラーマネジメントというコンセプトはありませんでした。RGBデータをモニターで開くと、ファイルとディスプレイの間の調整などされず、そのまま開かれたのです。
5.0では、データとモニターのカラースペースの調整が盛り込まれ、ひとつのデータをいろいろなPCで表示しても同じに見えるということが実現されました。またICCプロファイルも実装され、プリンタとのカラーマネジメントにも対応しました。
残念だったのは、5.0でのカラーマネジメントのユーザーインターフェイスの実装が、多くのユーザーにはわかりにくかったということです。そこで6.0では、カラーマネジメントのロジックと、ユーザーインターフェイスを整理しました。今のPhotoshopのカラーマネジメントシステムは、6.0とほぼ同じものを引き継いでいます。
──今日のデジタルカメラユーザーが思い通りにいかなくてもっとも悩むのは、カラーマネジメントでしょう。カラーマネジメントシステムにまだ発展の余地があるのでしょうか。
トーマス カラーマネジメントは、機能すればすばらしい結果が得られます。問題は設定が複雑なことで、ここで間違えると出力への影響が大きく、ひどい出力になってしまいます。
なぜ設定が複雑になるのかは、設定のプロセスにいろいろなものが関わるからです。Photoshopのようなアプリケーションプログラム、OS、プリンタドライバなどが関わり、そのどこでもカラーマネジメントを行なえます。大切なのは、必ず1カ所だけでカラーマネジメントを行なうことです。そうでないと、たとえばPhotoshopとプリンタドライバの両方でダブルマネジメントしてしまい、おかしな結果になってしまうのです。
ここでの問題は、アプリケーションプログラムとプリンタドライバの間に、OSがいることなんです。アプリケーションがプリンタと対話して、プリンタの様子を聞けないのです。そうするとアプリケーションでもプリンタでもカラーマネジメントをすることになってしまう。
ですから長期的なソリューションとしては、アプリケーション、プリンタ、OSでの通信を改善して、できればアプリケーションがそれを管理してカラーマネジメントを行なう場所を1カ所にし、ユーザーが管理しやすくするということになります。
Adobe Systemsは、カラーマネジメントをやりやすくするために、OSやプリンタのベンダーと共通の通信スキームを決めようとしているところです。ただし、複数の組織が関わることなので、調整に時間がかかっています。
■ PhotoshopよりもCamera RAWを使う時間が増えていく
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Camera RAW
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──Camera RAWについてお聞きします。まず、なぜCamera RAWというものを作られたのでしょう。
トーマス Camera RAWにはこの5年ほど関わっています。初期のデジタルカメラは処理能力が低く、カメラ内でセンサーからのRAWデータを変換することができませんでしたから、コンピューター上でRAWデータをカメラマンの設定どおりにJPEGなどに変換していました。多くのカメラマンはこれを気に入っていたようで、カメラの処理能力があがってJPEGデータを生成できるようになっても、RAWを使いたがったのです。
多くの写真家から、Photoshopで直接RAWを読み込めるようにしてほしいとリクエストがありました。その頃、カラーマネジメントの作業がひと段落するところだったので、自ら新しいプロジェクトとして、RAWのサポートに携わったのです。
またその当時は、EOS D60を買ったところだったので、これもインセンティブになりました(笑) 自分でもD60のRAWを扱えるソフトがほしかったのです。
──Photoshop Ver.10記念のセッションでは、「Camera RAWはPhotoshopについて再考するチャンス」だとおっしゃっていましたが、それをもう少し詳しく説明してください。
トーマス そもそもCamera RAWは、画像に最低限の処理だけ施して、Photoshopに送り込むことだけ行なっていました。その後Camera RAWには、たとえばノイズリダクションなどの機能が盛り込まれました。これらの機能を実装するにあたって、Photoshopのアルゴリズムを見直し、新しいアルゴリズムにしたほうがいいと考え、さまざまな改造をしてきました。
──セッションでのお話では、Camera RAWにこれからのPhotoshopヒントがあるような印象を受けました。Camera RAWは、Photoshopの将来像を体現しているのでしょうか。
トーマス Camera RAWとLightroomは同じコードを使っています。ビットバイビットで画像操作を行ない、パイプラインで処理しています。いずれはPhotoshopでも類似した機能を実現するということになると思います。
また、そのプロセスでCamera RAWはますますパワフルになるでしょう。ということは、Camera RAWでできない画像処理をする時間のパーセンテージは、これから下がっていくことになります。ただ、Photoshopほど強力なものに発展していくには、まだ何年もかかるでしょう。
──最後に、次世代のPhotoshopはどのようなものになるのでしょうか。
トーマス Photoshopの今後ですが、今の時点では次のバージョンについてしか、わからないのです。ですが、画像処理ツール市場においてトップのソフトでありたいと思っています。ユーザーのために、いろいろなことを極力スムーズに、簡単にできるようにしたい。それを実現するために次のバージョンがよくなるように取り込んでいるところです。その積み重ねが、我々をどこに連れていってくれるのかはわかりません。
■ URL
アドビシステムズ
http://www.adobe.com/jp/
■ 関連記事
・ アドビ、「Photoshop Ver.10」記念のセッション(2007/10/25)
( 本誌:田中 真一郎 )
2007/10/29 15:32
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