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Photographer's File

 #22:山岸伸

取材・撮影・文  HARUKI


山岸伸(やまぎし しん)
プロフィール:1950年、千葉県生まれ。ポートレイト撮影を中心に広告から雑誌グラビアまで幅広く活躍しており、撮影した写真集は400冊を超える。撮影対象は主に女性アイドル、女優、女性歌手などである。 2009年12月に慢性骨髄性白血病と診断され、投薬治療を受け副作用と闘いながら活動中。山岸伸プロデュースのPENフレンドほか、個展など写真展も精力的に開催中。



「現在13歳〜61歳までの健康な日本男児の32.7%が、ある意味において山岸伸の撮るグラビア写真で育った」という統計白書はどこにもないのだが(笑)、この20数年間で山岸さんが撮ったグラビア写真を目にしないで日常を過ごしてきたという人は稀有だといい切れる。

 かつてタレントや俳優のグラビア写真が主だったが、政治家や企業人の見せる一瞬のポートレート、苛酷なレースの現場ドキュメント、そして彼自身を取り巻く日常のすべてを撮り続けていて、自分自身を生涯カメラマンという写真家、山岸伸。彼の人生の前半戦の一部をきいてみた。



写真を始めたきっかけ

「出身は千葉です。家族は自分のほかに両親と姉でした。うちの親父は石油関係の技師として働いていたんですが、戦中は勤務地が中国の大連という当時の国際都市にいた影響か、アコーディオンを演奏したりダンスを踊ったり、写真を撮ったりしてたらしいですね。かなり凝った趣味として竹下夢二(画家・詩人)の研究者でもあって、夢二の足跡を追って日本各地を巡って調べてたりしていました。そこで記録として写真を撮ったりしていたんで、家にはカメラがいっぱいあったんです」

「もうひとつは家族、特に僕たち子どもの写真を撮ることだったので、小さい頃の写真はたくさん残っていますよ。子どもたちそれぞれに専用のアルバムを作ってくれていて、表紙の色は同じだったけど姉貴のは正方形で僕のは長方形でした。その時代ですから、写真はだいたいモノクロ6×6の正方形でしたね(笑)。撮った写真を現像して、でき上がったプリントをアルバムに一枚一枚貼っていく作業や、でき上がったアルバムを眺めてるのが好きでした」

「そんな環境でしたから、カメラは高校1年の頃に出たばかりのカメラを月賦で買ってもらったんです。ミノルタのSR-T101の標準レンズセットでしたね。だけどカメラを買ってもらったからって急に僕が写真を撮ったりしてたかっていうとそうじゃなくて、親父が自分の研究で美術館とかいろいろ行っては、自分で書いた本に使うための資料写真をパシャパシャ撮っていました。親父にしてみれば新しいカメラが発売されて、僕に買い与えれば自分も使えるかなって母親の手前の口実でもあったみたいなんでしたね(笑)」


KAOS (c) 山岸伸 KAOS (c) 山岸伸
KAOS (c) 山岸伸 KAOS (c) 山岸伸
KAOS (c) 山岸伸 KAOS (c) 山岸伸
KAOS (c) 山岸伸 KAOS (c) 山岸伸

「僕は写真の専門学校とかへは全然行ってないんですよ。大学へ入ったんですけど、あの頃は学生運動とかが激しかったので授業にならない時代でした。それですぐに学校を辞めてしまったんです。元々写真が好きだったことや姉貴の知り合いがいたことなどいろんな偶然が重なって、半分就職みたいな形態で渡辺プロへ入ってから、その後本格的に写真を撮るようになり覚えていったんです。ハッキリ覚えていないんだけど、20代後半になっていたと思います」

「会社へ入ってすぐにタレントさんのステージ・カットや取材用の写真を撮らされたんです。それを会社のひとに見てもらったら“おお、なかなかいけるじゃない!”、“じゃあ、小柳ルミ子撮ってみたら?”っていわれて、小柳ルミ子さんを撮らせてもらった写真が認められて、渡辺プロの中での自分の立ち位置っていうかランクが上がっていたんです。当時の渡辺プロが撮影を発注する場合のランクですね。一番トップが長友健二さん、次が名前忘れちゃったけどいつもお願いしている写真専門のプロダクションがあって、その後に自社内で僕とかがいて、あまり予算のない撮影とかから撮り始めていったわけです」

「あの頃は沢田研二さんが全盛期の時代ですから、コンサート会場に付いて行ってポスター売りをしながらライブの写真を撮ったりとか、たくさんのカメラマンが取材に来て撮影してるのを見ながら技術を覚えていったりしてました。そのうち渡辺プロ所属の全タレントさんの宣材を撮らされて、それはすごい人数でしたから大変だったけど面白かったし勉強になりましたねえ」

「社長のプライベートのパーティーからゴルフコンペにお付き合いしたり、アン・ルイスの結婚式の記録から他のタレントさんのお葬式まで、ありとあらゆる場面で毎日のようにいろんなタイプの撮影をしていたんです。僕が器用になったのはこうした何年間かの場数があったおかげなんですよ。どんな種類の撮影がきても、臨機応変に対処できる自信とノウハウが身についていましたから」

「そして、渡辺プロを辞めて独立してからも、独立して自分の会社をはじめた元イエローキャブの野田義治社長(現在、サンズエンタテイメント)にしてもそうですが、出版社へ転職した方もいるし、レコード会社の偉いひとになった方もいて、みんな渡辺プロの出身OBの方たちが、芸能界をはじめさまざまな業界や業種に散らばっていってるんでいろんなところで繋がってるんですよ。そういう方たちから仕事を発注してもらっていたから、ひとの3倍くらい働いていました」

「リリースの写真とか撮るじゃないですか。そしたら、それをすぐに各社分の数をすべてプリントして納品するんですよ。その頃には渡辺プロの中には僕のデスクはなく、九段坂上に自分の事務所を構えていたんです。渡辺プロからもらった給料で事務所の家賃を支払っていて、一人ではこなせない量の仕事になっていましたから自分で稼いだお金で助手を雇ってました(笑)」

「モノクロが多い時代ですから事務所にはいつでもプリントできるように暗室があって、デリバリーや撮影になったらすぐに動けるようにクルマも持っていました。業界の仕事の流れというのはすべて経験し、すべてができるように覚えましたね。テレビ局で歌番組から隠し芸大会、タレントさんのコンサート、カレンダー、ポスター、誕生日……」

「当時、渡辺プロの中に編集部があって“ヤング”っていうものすごい発行部数のファンクラブの会報誌も作っていたんですが、もう何から何まで大小関わらず撮っていました。もっともおいしい撮影は外部のメジャーなカメラマンがやっていたんです。口惜しくはなかったっていうと嘘になりますが、それでも僕はこんなに優遇されていて毎日テレビに出てるひとを撮らせてもらってるんだっていう感謝と自負はありましたね」

「そして一番の役得だったのは外部の一流カメラマンの人たちの撮影現場や、仕上がりの写真を生で毎日見られたことかも知れないです」



 当時の最大の娯楽産業であった映画やテレビ。そこに出演しているタレントの多くを抱えていた最大手の芸能プロダクションであった渡辺プロダクション。若き日の山岸伸さんにとって、そこで働いていた数年間という時間と場所そして関わっていた人びとは、社会のさまざまなシステムを学ぶ場所であると同時に、その後、飛ぶ鳥を落とす勢いでグラビア写真界のトップへと登りつめて行く過程で、欠かせない要素である基本的な写真技術を身に付け、また実験的な試みを実践できる大変貴重な学校でもあったんだと思う。


この日は江東区にあるハウススタジオ、キャナル・スタジオで、福岡を中心に活躍されているアイドルタレントの杉本ゆささんのDVDやカレンダーなどの撮影が行なわれた。スタジオへ入ってすぐにやることは機材チェックや準備は当たり前だが、夏場に大事なのは蚊取り線香など虫除けセットの設置。そしてロケ先では何よりもランチタイムの弁当の発注が必須項目である(笑)。冗談に思えるかも知れないが、場所によってはご飯抜きなんてことになったらモデルさんもスタッフも空腹には耐えられないので撮影どころじゃなく、仕事にならない。食事、飲み物、暑さ寒さからの防御対策は、ホンマに大切な準備仕事のひとつです。途中でデジカメWatch以外の取材の方も来られたりして、忙しい山岸さんだったが最後まで無事に楽しく撮影は進んでいきました。まるで年の離れた親子みたいに一緒に遊んでいたなあ(笑)

渡辺プロからの卒業

「独立というか、ちょこちょこと別の仕事もやりはじめていた時期に、まわりの人たちから“山岸くん、もう何でもできるじゃない。他のこともやれるんだからもうそろそろ他所でもやってみたら?”というアドバイスをもらって、外に出たっていうような自然な流れでしたね」

「ちょうどそのタイミングで知り合ったのが俳優の西田敏行さんなんです。人気テレビ番組で池中玄太をやられている頃で、当時は若手の売れっ子俳優として伸びていかれる最中だったんで、西田さんの出演されるお芝居やドラマ、映画などの撮影をさせてもらい、劇団青年座の旅公演にも同行させてもらったりしていました」

「そうしてると西田さんが関わる撮影の仕事は、雑誌の口絵、レコードジャケット、ポスター、カレンダー、映画やドラマの番宣など、西田さんからの指名で全部僕が撮らせてもらっていたところで、“もしもピアノが弾けたなら”が大ヒットしましたよね。それで西田さんの人気や知名度が一気に頂点へ向かうんです。そしたらコマーシャルが怒濤の如くじゃんじゃん入ってきて、広告関連のポスターなど全ての撮影をやらせてもらいました。西田さんが忙しいんだから、くっついてる僕も寝る暇がないくらいで今よりも忙しかったです」

「コマーシャルなんかの仕事は普通は広告代理店が間に入っていてスタッフのキャスティングなども仕切るんですが、僕の場合は僕のカメラの前だと西田さんのいい表情が出るからということで指名で撮影させてもらっていました。西田さんが売れて有名になっていくにつれて、撮影現場のスタジオなんかの規模や装置も大きくなっていき、それにくっついて僕もセットの拡張や照明なんかを勉強していってましたので有難いことですよね」

「そんなある日、某広告代理店のプロデューサーにいわれたんですが、“山岸さんね、スチール撮影までだよ。ムービーも撮るとかは言わないでよね”ってクギを刺されました。ムービーの撮影になると代理店や制作会社が一緒のチームになって動いてるから、そこへ僕とかが指名ですってはいっちゃうと問題が生じてしまうわけで。この時またひとつ業界のルールを学びましたね(笑)」

「西田さんが2つ3つ年上ですね。うちのお袋の旧姓も西田ということもあって、仕事以外でもよくしてもらってて僕にとっては兄貴みたいな優しくて頼もしい存在でしたね。今でも感謝しています」


山岸伸さんがプロデュースされている、その名も「PENフレンド」という各界の写真好きな方たちで行うするグループ展を毎年オリンパスギャラリーで開催している。今年は会期中に参加者から3名の女性ゲストを迎えてのトークショーを行なった。入場制限がかかりそうなくらい賑わっていた。司会はオリンパスギャラリーの早川さん。ボクもいきなり質問されて躊躇するという失態を演じてしまいました(笑)。観客席の後の方では山岸さんがずっとお付き合いされている芸能事務所の野田社長もいらっしゃっていて、お客さんたちは盛り上がっていた。

斎藤工 (c) 山岸伸 斎藤工 (c) 山岸伸 斎藤工 (c) 山岸伸

T-ARA  (c) 山岸伸 T-ARA  (c) 山岸伸

ばんえい競馬 (c) 山岸伸
ばんえい競馬 (c) 山岸伸 ばんえい競馬 (c) 山岸伸
ばんえい競馬 (c) 山岸伸 ばんえい競馬 (c) 山岸伸
ばんえい競馬 (c) 山岸伸 ばんえい競馬 (c) 山岸伸
ばんえい競馬 (c) 山岸伸 ばんえい競馬 (c) 山岸伸 ばんえい競馬 (c) 山岸伸
ばんえい競馬 (c) 山岸伸 ばんえい競馬 (c) 山岸伸
ばんえい競馬 (c) 山岸伸 ばんえい競馬 (c) 山岸伸

「コレもまた運がよいんですが、西田さんの所属されている青年座に安田成美さんが来たんです。デビュー前の高校1年生の女の子でした。西田さんのおかげで西田さんだけじゃなくまわりの関係した仕事もたくさんやらせてもらっていたんですが、自分の中では男性だけじゃなく他にも女の子の写真も撮りたいなあって時期に差し掛かっていたんです。西田さんの仕事で雑誌のグラビアのやりかたを覚えてたんです。プレイボーイが何ページ欲しいとか、スコラの誌面で何ページ必要だとかの、週刊誌や月刊誌の人たちと組んで仕事をやれるような環境になっていってたんです」

「そこに安田成美さんと出会ったことによって、新しい展開が生まれたわけです。そしてデビュー前の彼女を僕が撮影して、その写真をもってはじめて雑誌に売り込みをしたのが安田成美さんだったんです。そしたら編集者から“素材がよい。じゃあグラビアを撮ってみよう!”ってなって雑誌で発表したんです。発売された雑誌を見て、別の雑誌から依頼がきてまた撮る。今度はコマーシャルの仕事がきたんですね。で、カメラマンは山岸ってなるんです。雑誌も広告も、安田成美の写真は全て山岸ってどんどん増えていった」

「そこで“風の谷のナウシカ”というアニメ映画のイメージガールを募集してるっていうのでオーディションに僕が推薦したんです。それから彼女は歌手デビューもして、さらに成美ちゃんはデビュー後どんどん売れていって、僕も撮影の仕事は西田さんの時と一緒で指名でガンガン入ってきて超忙しくなった」

「写真集も撮っていて、Aという雑誌の表紙でも、Bという雑誌の中グラビアにもクレジットを見れば、安田成美=山岸伸というイメージが定着していき、それを見た他の事務所からもどんどん依頼が舞い込んできて、それがある意味、僕自身のグラビア誌のデビューみたいな感じですね」

「そして写真雑誌CAPAが篠山さんの次に表紙を撮らないかって話しをもってきて、それが16年間も続いていったんです。それがきっかけで写真関連のメーカーさんの仕事も各社やらせてもらうようになっていきましたね。安田成美さんの写真を週刊プレイボーイに持っていったのが最初で、その後のグラビア仕事の拡大に繋がっていくんです。篠山さんや立木さん、沢渡さんや加納さんみたいになりたいっていう思いがあった若い頃からの夢にだんだん近づいていってるのを実感していたころですね(笑)」


山岸塾は2カ月に1回の割合で、約5年くらい続いてるイベントだ。この日は千葉県にあるスタジオで、3名のモデルさんの撮影会で約20名の参加者だった。みなさんそれぞれが違うカメラを持ち寄って、それを見ていても飽きないくらい種類も豊富だった。ランチタイムはカレーライス、すいか、取れたてのキュウリにトマト、そうめんなどの他にとうもろこしやソーセージも焼いてバーベキューも。ビールなど飲んで楽しい会だった。

山岸さんが展覧会用に撮影されてるシリーズで、次回にモデルとして登場する日本プロサーフィン連盟理事長の牛越峰統さんがみえて、早速撮影となった。山岸さんのご子息でサーフィンなどの映像を撮ってらっしゃる龍さんも撮影の手伝いをされていた。親子でこういう現場っていいなと思った。

 山岸さんはいう。渡辺プロで業界のことを一から学ばせてもらって、西田敏行さんと出会ったことでフリーカメラマンのいろんな種類の仕事のやりかたや技術を覚えさせてもらって、安田成美さんでいまの仕事の地位を確立するきっかけができた。と。



「80年代後半以降は週刊誌も月刊誌も含めて、雑誌の表紙やグラビアの仕事が増えていき、多い時には月に8本もの表紙をレギュラーで撮影していたこともあります。60歳になったのを機会に減らして、今は2本だけですけどね」

「それから90年代には写真集ブームでしょ。350冊以上はやりましたね。ピーク時には月に2〜3冊のペースで写真集を撮ってました。タレントさんもスタッフも時間が無く限られた日程の中で何十ページ分も完璧に撮り切らなきゃいけないんで、国内ロケっていうのはまずないですね。たいていの場合は4泊5日でグアム、サイパン、バリとかに行くんです。売れてる人だったら経費もかけられるんでハワイやロスあたり、あるいはヨーロッパまで行ったりするケースもありましたが。タレントさんの知名度、予算いろいろですからね(笑)」

「最近は数えてないから、文庫版も含めるとトータルで400冊以上になるんじゃないかなあ。写真界の先輩の大山謙一郎さんが熊本に資料館を造られた時に、僕の写真集を280冊くらい送ったんですね。そしたらこないだ手紙がきて、いま山岸くんからもらった本を整理しているところだよって(笑)」


球体関節人形 (c) 山岸伸
球体関節人形 (c) 山岸伸 球体関節人形 (c) 山岸伸
球体関節人形 (c) 山岸伸 球体関節人形 (c) 山岸伸 球体関節人形 (c) 山岸伸
球体関節人形 (c) 山岸伸 球体関節人形 (c) 山岸伸
球体関節人形 (c) 山岸伸 球体関節人形 (c) 山岸伸 球体関節人形 (c) 山岸伸
球体関節人形 (c) 山岸伸 球体関節人形 (c) 山岸伸
球体関節人形 (c) 山岸伸 球体関節人形 (c) 山岸伸 球体関節人形 (c) 山岸伸
球体関節人形 (c) 山岸伸

 ブログを拝見してるとほぼ毎日のように撮影をされてるみたいですが、実際に最近の仕事のペース、そして日常ではどんな感じで写真を撮られていますか?

「仕事が好きで仕事をしていないことが耐えられないんで、毎日撮っていますよ。写真って撮ると上手くなりますよ、撮らなくなったら下手になっていきます。これは間違いないことです」

「なんで今はプロとアマチュアの差がないような状況なのかっていうと、特に僕らのやってるグラビア系の撮影ではフィルム時代はフィルムと現像でお金がかかっていたけど、デジタルだとお金がかからないじゃないですか。デジタルになってからは、たくさんシャッターを切れるっていうことです。つまり勉強になるしすぐにチェックできるから、たくさん撮ればそれだけ練習できて早く上達できるわけですよね」

「僕たちが若い頃はお金は湯水の如く使えたじゃないですか。毎月200万とか現像所に支払っていましたから。で、そんなにお金を使ってたら新しい製品が出たら、このフィルムを試してください、とか、このカメラを使ってくださいってみんながいうよね。それはもしかしたら僕の人生の中のバブルだったのかなあ(笑)」

「撮れば上手くなるのは歴然ですから、デジタルになった最近、プロとアマの差がなくなってきたのは、プロが下手になったんじゃなくって、たくさん写真を撮れるようになったアマチュアの方が場数を踏んで上手くなったきたんですよね(笑)」

「アマチュアの人たちの撮影会、山岸写真塾とかは毎年6回、約5年くらいやっているんですけど、どうしてこういうことをやっているのかっていうと、彼ら(アマチュアのひと)はいろんな情報を日頃から本当によく調べて知っているんですよ。だからプロの僕たちは、逆に彼らから教わったほうが早いことのほうが多いんですよ」

「僕自身はアシスタント経験とか積んでないままやってきた人間だから、いろんなことを誰も教えてくれないわけよ。この歳になって、教えてくださいって言い辛いので、だったら自分のところに集まってくる連中に訊いたほうがいいんですよ。古い付き合いのひとは山岸塾をやるずっと前、メーカーの撮影会とかに来てたひともいるので、20年近く前から知ってるひともいますよ。彼らから得る情報はメーカー発表よりも正確で詳しいし、頼もしい存在ですよ。みんないろんなのを使ってるから、カメラの見本市みたいでしょ?(笑)」



「好きで写真をやってることに関してはプロもアマチュアも差異はないね。プロになりたいって思ってるんだったら、なればいいじゃない。だってAPAとかJPSとかの写真協会の団体でも会員になるのに国家試験とか規定があるわけじゃないんだもの。逆に有名カメラマンの人だって、入っていない人も多いし。だからアマからプロになりたきゃ、なればっていいます。だけど無理ですよ。どんなに大変かって心底思うから。やってみればっていう意味ですけど。だけど俺には絶対なれないよ! ってね(笑)」



「人生60を過ぎちゃうと、もうね昔のことを思い出すのは面倒でねえ……」といいながらも、話し始めると少し擦れたすてきなハスキーボイスで山岸さんはたくさん語ってくれた。ボクが子ども時代に憧れていたスターたちの棲む世界。ここでは書ききれないことが多いが、山岸さんの話しを訊いてるだけで若き日、駆け出しカメラマンだった坊やとスーパースターとのやりとりが、ボクの頭の中の白黒テレビに走査線を走らせながらも映像がクッキリと浮かんできてた。

 この数年、おそらく何度も訊かれてきたであろう内容のインタビューにはうんざりされてるだろうから、今回は訊かなかった抱えてらっしゃるご病気のこと。その話しは他所で語られています。

 ここでは写真と写真家を取り巻く、人生のルーツを書きたかったのです。

 山岸さんのご病気のことを前情報で知らない人であれば、そんな深刻な大病を患ってらっしゃるとは、誰にもわからないくらいにスタジオとロケ現場を朝から晩まで動き回って撮影されている。まさか還暦を過ぎた肉体年齢だとすらも感じさせられない。

 これからもより一層の精力的な活動を期待していますね先輩。だけどあんまり無理はしないでくださいね、山岸伸さん。




 いつもこのコーナーをご覧頂きまして、ありがとうございます。

 突然ではありますが、今回でこの連載は最終回となります。

 読者のみなさん、これまで約2年間の不定期連載「Photographer’s File」をご覧頂き、また応援してくださって本当にありがとうございました。

 機会がありましたらまたどこかで、素敵な写真家の方たちと一緒にお会いできる日を楽しみにしております。皆様もその日までお元気で!!

 HARUKI



山岸伸写真事務所HP
アイドルブログ 写真家山岸伸・撮影日記

山岸伸写真展「瞬間の顔Vol.5」
 オリンパスギャラリー東京(2012年11月15日〜11月28日)
 オリンパスギャラリー大阪(2013年2月28日〜3月13日)

杉本ゆさDVD『ゆさかっぷ』(2012年9月21日発売 竹書房)
杉本ゆさカレンダー(10月発売予定 ハゴロモ)

取材協力 今回の取材撮影使用機材
  • ペンタックス:645D、FA 645 55mm F2.8、SMC Pentax 67 75mm F2.8 AL
  • キヤノン:EOS 7D、EF-S 10-22mm F3.5-4.5 USM
  • オリンパス:OM-D E-M5、PEN E-P3、M.ZUIKO DIGITAL ED 12mm F2、M.ZUIKO DIGITAL 17mm F2.8、M.ZUIKO DIGITAL 45mm F1.8、M.ZUIKO DIGITAL ED 75mm F1.8、M.ZUIKO DIGITAL ED 9-18mm F4-5.6、M.ZUIKO DIGITAL 14-42mm F3.5-5.6 II R、M.ZUIKO DIGITAL ED 12-50mm F3.5-6.3 EZ、M.ZUIKO DIGITAL 40-150mm F4-5.6
  • サンディスク:Extreme Pro SDHC、Extreme Pro CF


(はるき)写真家、ビジュアルディレクター。1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写 真学科卒業。広告、雑誌、音楽などの媒体でポートレートを中心に活動。1987年朝日広告賞グループ 入選、写真表現技術賞(個人)受賞。1991年PARCO期待される若手写真家展選出。2005年個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」、個展「普通の人びと」キヤノンギャラリー他、個展グループ展多数。プリント作品はニューヨーク近代美術館、神戸ファッ ション美術館に永久収蔵。
http://www.facebook.com/HARUKIphoto
http://twitter.com/HARUKIxxxPhoto

2012/8/31 00:00