山岸伸の写真のキモチ

第10回:ばんえい競馬

ポートレートカメラマンが、なぜ輓馬を撮り続けているのか

α7R III / FE 70-200mm F2.8 GM OSS(200mm) / 絞り優先AE(F3.2・1/3,200秒・±0EV) / ISO 400

カメラマン「山岸伸」といえば、“ポートレート”が続きます。そんな山岸さんですが、人物だけでなく、賀茂別雷神社(上賀茂神社)や球体関節人形の撮影も手がけるなど、様々な内容に意欲的に挑戦している側面も忘れることはできません。そうした山岸さんが長年取り組んでいるライフワークの中でも異色を放っている仕事があります。そう、ばんえい競馬です。山岸さんは輓馬に何を思い、なぜライフワークにしていったのでしょうか。(編集部)

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これまでの連載

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ばんえい競馬との出会い

ばんえい競馬との出会いは、2006年の5月のことでした。親交のあった芸能事務所の社長に連れられて、疲れを癒すために北海道へ行った際に、旭川のばんえい競馬場を訪れたことが出発点となっています。もう、15年も前のことです。

実を言えば、僕は動物に対する感情は人よりも薄いように思っていました。もちろん、依頼されてペットの写真を撮ることもありますが、それは仕事だから。僕個人の感情で言えば、動物に対して何かを思うということはありませんでした。

そんな感覚があるものですから、「馬を撮りたい」という意識は、その時もありませんでした。でも、せっかく手許にカメラがあるのだからと、写真を撮ったのです。驚いたのは、後日、東京に戻ってからその写真を見返した瞬間です。手前味噌ですが、写真になった馬の姿に驚きと興奮を覚えたんです。「ここはどこなのだろう」と。

OM-D E-M5 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO(150mm:300mm相当) / 絞り優先AE(F2.8・1/60秒・-1.0EV) / ISO 800

それからすぐに、ばんえい競馬の広報に、ぜひもう一度撮らせてほしいと連絡を入れました。この時はまだ、ばんえい競馬をめぐる状況はもちろん、ばんえい競馬自体の理解も不十分な状態でした。でも、自分で言うのも何ですが、思い立った時に行動に移すスピードって、僕はすごく速い。連絡を入れた1週間後には再び北海道のばんえい競馬場に立っていました。

朝調教に魅せられて

写真を見て感じた「ここはどこなのだろう」という感覚。あえて表現するならば、それは「感動」の一言に尽きます。普段から写真を撮っている身ですから、撮影時には当然感動していますし、だからこそ写真を仕上げることができています。でも、この時の衝撃は、そうした経験とは全く次元が異なるものでした。

朝もやの中に浮かび上がる馬の姿、光の様子が本当に印象的で。その写真に収まっている光景は、まさしく自身の全く知らない世界でした。世界のあちこちで撮影をしてきましたが「日本にこんな光景があるなんて知らなかった」というのが正直な感想です。まさに“未開の地に馬がいる”ように見えたんです。この時はじめて馬が“動物”に見えました。

OM-D E-M1X / M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO(57mm:114mm相当) / 絞り優先AE(F3.5・1/8,000秒・-1.0EV) / ISO 800

「感動」という言葉は、ともすると陳腐な表現に聞こえるかもしれません。でも、心の底から湧き上がるようにして生まれた、その感覚は、まさしく「感動」そのものでした。ここまで感情を揺り動かす感覚って、そう経験できることじゃない。この衝撃が、僕にとっての「ばんえい競馬」の原体験。この時の光を追いかけていたら、気がついたら15年も経っていた(笑)。でも、だからこそ追い続けているのだとも思いますね。

最初はよそ者

最初は、ばんえい競馬が開催されている競馬場4カ所を撮り回るところからはじめました。というのも、ばんえい競馬の催行方式が北海道内の4カ所を3カ月ずつ馬を連れて練り回るものだったから。勢いで飛び込んだ僕は、そんなことすらも知りませんでした。

そうして撮りはじめたわけですが、最初の頃は、とにかく馬のそばへ行きたいと思っていました。この写真はソリをつけた輓馬が坂を登り終えた瞬間をとらえたものです。画角から想像できると思いますが、坂のほぼ真下から撮影しています。

E-500 / 23mm(46mm相当) / プログラムAE(F3・1/10秒・-1.7EV) / ISO 200

これを撮影した時は本当に大変でした。足下はぬかるんでいますし、凍てつくような寒さの中で待ち構えているわけです。で、いざ馬が近づいてきたら、今度は石ころが降ってくる(笑)。今にして思えば、実際には笑っては済まされないくらいの危険な状況です。知らないからこそ、踏み込んでいけたといえばそれまでですが、騎手の方々や関係者の方からしたら、きっと「何だコイツ」と思われていたに違いありません。それくらいに最初の頃は僕は、よそ者で邪魔者でした。

それはそうですよね。僕が各競馬場を訪れていたのは、朝の調教が行われている時間帯でしたから。騎手の方々には散々怒られました。マナー知らずだったということです。

EOS-1Ds Mark III / 200mm / 絞り優先AE(F5.6・1/500秒・±0EV) / ISO 200

それでも何年も通い続けていると、馬のもつ様々な表情に気づけるようになっていきましたし、騎手の方々や、競馬場周辺の飲食店との距離も縮まっていきました。撮影の準備をしていると、「今日も寒いね」なんて声をかけてくれる騎手の方も増えてきて。土地に自身が馴染みはじめていることが実感されるようになっていきました。

最初の頃なんか、馬糞の匂いにすら「イヤだな」と思っていたのにね。気がついたらマスクを外して撮るようになっていました。馬もそうなんですけれども、現地の人にも訪れる度に喜んでくれる人が増えていって。当初、癒しを求めて訪れた場所が、そうしていつしか温かい場所になっていた。僕自身もそうだし、馬や人々が受け入れてくれたことも、これまで続けてこられた原動力になっているのだと感じています。

危機的な状況だった「ばんえい競馬」

ばんえい競馬は、旭川、石見沢、北見、帯広の各地にある競馬場を3カ月ごとに巡回する形式で催行されていました。「いました」というのは、ご存知の方も多いと思いますが、今、ばんえい競馬は帯広のみで開かれている状況にあります。

他の3カ所では、もうばんえい競馬を見ることは叶いません。でも、僕が撮りはじめた頃はもっと状況は悪かったんです。なにせ、ばんえい競馬それ自体が廃止になるかも、という危機的な状態だったのですから。

そもそも、ばんえい競馬というのは現地に暮らす人々にとっての農繁期の楽しみなんです。今は、オンラインで馬券を買うこともできますし、帯広の競馬場だって当時からしたら見違えるようにキレイになりました。トイレを使うのだって少し躊躇していた頃からしたら、同じ場所かと思うほどです。それくらいに広く知られるようになりましたし、訪れる人の数も増えました。

撮り続けてきたこの十数年の間には、変化もたくさんありましたね。通い続ける中で、とかち観光大使の役を拝任しましたし、現地の知り合いも増えた。夢中で撮り続けていく中で、ばんえい競馬の写真集も出しましたし、売り上げの一部を寄付するなどして応援も続けてきました。「廃止されるかも」という状況が続く中でも、通い続けられたのは、ばんえい競馬に関わる人々にがんばってほしいという想いがあったことと、とにかく自分に出来ることで精一杯応援していきたいと思っていたからです。

『北海道遺産 ばんえい競馬』(大阪書籍、2008年3月)
『北海道遺産 ばんえい競馬』(朝日新聞出版、2016年3月)
『輓馬 —BANEI KEIBA—』(朝日新聞出版、2019年8月)

黒字化してきたという話題が聞こえてきた頃は、地域そのものに貢献していきたいという考えも抱くようになってきていました。ばんえい競馬には、アイドルが大きくなって自分から離れていく感じって言えば分かりやすいかな。そんな感覚も覚えるようになっていましたね。

帯広市副市長(当時)の田中敬二さんと
十勝のFM局「株式会社エフエムおびひろ」(JAGA)にも出演。ディスクジョッキーの梶山さんと

変わっていったことは、それこそたくさんありますけれども、変わらないこともあります。それはずっと撮影でオリンパスのカメラが活躍してくれているということ。それはOMデジタルソリューションズに事業が移管した今も変わることはありません。

競馬場の中は、足場が悪いです。寒さもありますから、カメラにとっては厳しい環境です。そんな場所だからこそ、防塵防滴性能が高く、コンパクトで撮り回しのしやすいOMデジタルソリューションズのカメラが使いやすかった。とっさの時でも身動きが軽いと、しっかり反応できますから。

参加者を募って撮影会を開催したことも

レースの写真は撮らない

僕が撮るばんえい競馬の写真には、実際のレースを写したものは、ほぼありません。理由は簡単で、冒頭でもお伝えしたように早朝の調教の様子に魅せられたから。それに、現地で通い続けている人が撮る写真は、やっぱりすごいし、調教師の方が撮る写真も本当に上手い。正直、負けちゃうなと思うほど、皆さん良い写真を撮られています。そうしたこともあって、僕は朝練専門(笑)。

撮影の時期も冬季が良い。太陽の位置や、早朝の凍つくような寒さがまとわりついてくる空気感、大気の揺らぎなど、この時の光で撮っていきたい、ということもあります。

EOS-1Ds Mark III / 105mm / 絞り優先AE(F5.6・1/25秒・-0.3EV) / ISO 1250

現地ではジュエリーアイスなども撮れますが、僕はばんえい競馬しか見ていません。撮る時は、それだけを見て、意識を集中して撮る。僕のスタイルです。

やっぱり原体験として目に焼きついている光景の存在が大きいな、と思います。職業カメラマンとしては、仕事が先にあるべきところではありますが、殊、ことばんえい競馬に至っては、写真が先行していて、がむしゃらに撮っていたら仕事になっていた、という感じ。もうちょっと分かりやすい言い方をすると、ばんえい競馬って僕にとっては自分と写真との関わりを明確にしてくれる場所なんです。だから撮っている行為自体が癒しになるし、自分の居場所に確かに立っているという感じも湧き起こってくる。それが、朝練の中にある、ということなんです。

OM-D E-M1 / M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO(150mm:300mm相当) / 絞り優先AE(F2.8・1/5,000秒・-1.0EV) / ISO 800

写真集を開いてもらえれば分かると思いますが、撮影は競馬場の中から出ていません。レース場一周の世界で完結させています。そう感じさせない拡がりがあると感じてもらえたならば、それはもうひとつの大きなテーマとしている“小さなところを大きく見せる”というアプローチで撮っているからです。

E-520 / ZUIKO DIGITAL ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD(12mm:24mm相当) / プログラムAE(F11・1/800秒・-1.0EV) / ISO 400

これからどう撮っていくか

今は新型コロナウィルスの感染拡大防止が第一となっていますから、帯広には行けていません。コロナ禍以前は年に3〜4回は行っていましたから、隔世の感がありますね。これだけ間が空いてしまうと、もう忘れられてしまっているんじゃないかな、と心配になりますし、僕のほうも糸が切れてしまっている感じがある。もしかしたら、最初に訪れた頃のようにスタート地点からの仕切り直しになるかもしれません。

OM-D E-M1 Mark II / M.ZUIKO DIGITAL ED 40-150mm F2.8 PRO(150mm:300mm相当) / プログラムAE(F2.8・1/125秒・+0.7EV) / ISO 800

この連載でも何度かお伝えしていることですが、どんなテーマであっても、終わりは必ずあります。もしかしたら今なのかもしれませんし、これからまだ数年かけて撮り続けていくことになるのかも分からない。でも1つだけ確かなことがあります。またあの光景を撮りたいということが、変わらずに胸の中にあるんです。そういう意味で、あらためて初心に立ち返って撮りたいと、今は考えています。

今回の連載が掲載される頃は、まだ東京の空には梅雨の雲がひろがっているだろうと思います。叶うことなら、この夏にまた北海道・帯広に行きたいな。きっと、皆が待ってくれていると信じて。

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(やまぎし しん) タレント、アイドル、俳優、女優などのポートレート撮影を中心に活躍。出版された写真集は400冊を超える。ここ10年ほどは、ばんえい競馬、賀茂別雷神社(上賀茂神社)、球体関節人形などにも撮影対象を広げる。企業人、政治家、スポーツ選手などを捉えた『瞬間の顔』シリーズでは、10年余りで延べ800組以上の男性を撮影。また、近年は台湾の龍山寺や台湾賓館などを継続的に撮影している。公益社団法人日本写真家協会会員、公益社団法人日本広告写真家協会会員。