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日本写真協会賞表彰式で受賞各者がコメント

作家賞は畠山直哉氏・山岸伸氏

日本写真協会は毎年、日本の写真界や写真文化に貢献をした個人、団体を顕彰し、日本写真協会賞を贈っている。その表彰式が写真の日である6月1日に、都内で開かれた。

この賞は同協会が社団法人化された1952(昭和27)年に制定された。今回で65回を数える。協会の会員約1,700名と、写真評論家、編集者など約250名からの推薦を受け、5名の選考委員(全日本写真連盟総本部事務局長・勝又ひろし氏、写真家・鬼海弘雄氏、齋藤康一氏、百瀬俊哉氏、東京国立近代美術館主任研究員・増田玲氏)が選出する。

賞は作家賞、新人賞、国際賞、功労賞、学芸賞の5部門。

作家賞

作家賞は写真家の畠山直哉氏と山岸伸氏。

畠山氏は東日本大震災で、陸前高田市の実家を流され、母を亡くした。以降、故郷を撮影しながら思索し、何が起きたかを写真で提起し続けている。この賞は「写真を手段として思想を映像化するその独自の作品制作」に対して贈られる。

「このようなおめでたい賞を頂くことに後ろめたさを感じる。東日本大震災は酷いことばかりで、賞のめでたさと吊り合わない。めでたさをなんとか直接陸前高田の人に伝えられることを考え、僕なりにがんばっていきたい」

畠山直哉氏

山岸さんはアイドルや著名人など数多くの人を撮影してきたほか、北海道のばんえい競馬、上賀茂神社の式年遷宮などドキュメンタリーにも取り組んできた。「誰にとってもわかりやすくかつ秀逸な長年の写真活動に対して」贈られる。

「この賞と同い年の65歳で、まだアイドルや女優さんを撮らせてもらっている。賞とはまったく関係のない仕事をしてきて、生涯カメラマンでいたいと思っている。この賞を機に、1万人ぐらいの笑顔を撮っていきたい」

山岸伸氏

新人賞

新人賞は新井卓氏と初沢亜利氏が選ばれた。

新井氏は写真黎明期の撮影技法であるダゲレオタイプ(銀板写真)を使い、福島をはじめ、核にまつわる問題を撮影してきた。写真集「MONUMENTS」では今年の木村伊兵衛写真賞にも選ばれている。「そのユニークな作品制作」が評価された。

新井氏は先般、来日したオバマ大統領が日本に送ったメッセージが注目されたことに触れた。

「海外へ撮影に行くごとに、各国の人々が日本がどのようなメッセージを発信するのか注目していることを感じる。僕は政治家ではないので、自分なりに一人の小さな人間としてどういう言葉を発していけばいいかをこれからも考えていきたい」

新井卓氏

初沢氏は2010年以降、北朝鮮、被災地である福島、沖縄を取材し、それぞれ写真集にまとめてきた。今回は写真集「沖縄のことを教えてください」が、数多い沖縄の写真の中で異彩を放つことで選出された。

その撮影は権力が集中する地点である東京を、3つの地点から眺め返す作業であり、東京で暮らしてきた自分の中にある権力的な眼差しを振り返ることもあった。

「日米安保と憲法九条は沖縄を犠牲にする中で維持されている。そのことを実感しない沖縄人はいない。青い海の楽園と称して癒されに来る日本人の気が知れない。それが沖縄の本音です」

「これからも写真のみならず自分の言葉で伝えていく。それが写された者たちへの撮影者からの一つの答えであり、誰のための写真かを疎かにせず、表現活動を続けていく」

初沢亜利氏

功労賞

功労賞は写真家の桑原史成氏と広田尚敬氏、プロラボの写真弘社に贈られた。

桑原氏は水俣をはじめ、一貫したテーマに取り組んできた報道写真家の一人だ。その活動は50年を越え、その長年の功績に対して賞を贈る。

壇上に立った桑原氏は、あと5年ぐらいは現役のつもりでいくと自らの思いをひと言語った後、国際賞に選ばれた「韓国写真史 1931-1945」に触れた。その内容の素晴らしさを讃えると「1人2分の持ち時間が来たようなので」と話を締め、会場の笑いを誘った。

桑原史成氏

広田さんは鉄道写真のパイオニアの一人だが、賞を受けたのはこれが初めてだという。初個展は1968年4月9日から東京・銀座の富士フォトサロンで開いた「蒸気機関車たち」。ちなみにそのプリントを行なったのは、功労賞に選ばれた写真弘社だ。

以来、数多くの写真集、写真展を開いてきた。

「僕の写真に共鳴を受けてくれた人たちがたくさんいて、写真界、放送界にデビューした。僕は勝手に広田ボーイズと名づけ、これが僕の財産の一つ。以前と違い、今は鉄道写真が市民権を得た。この受賞はそんな時代の流れがくれたものだと受け止めています」

広田尚敬氏

国際賞・学芸賞

国際賞は「韓国写真史 1631-1945」の著者である崔仁辰氏と翻訳チームに、学芸賞は2009年10月、IZU PHOTO MUSEUMの開館以来、話題を集める展示企画を行なってきた研究員の小原真史氏に贈られた。