山岸伸の写真のキモチ
第9回:瞬間の顔
人の縁が紡ぐ歴史物語
2021年6月9日 06:00
5月20日から5月31日にかけて、東京・新宿のオリンパスギャラリー東京(オリンパスプラザ東京内)にて、写真展「瞬間の顔 Vol.13」が開催されました。山岸さん自身が目標に掲げている1,000人(組)到達にリーチをかけた本写真展。今、あらためてその歩みと撮影をはじめたキッカケ、被写体とのエピソードなどを語っていただきました。(編集部)
瞬間の顔シリーズ
最初に写真展を開催したのは2007年3月のことでした。14年前から撮り始めたテーマで、毎年1回の開催を重ねて今回で13回目。これまでに撮影したのは915人(組)。目標としている1,000人(組)までは残り85人。展示のためには、1年前から撮り始めていないといけませんから、すでにカウントダウンは進行中。もう数としての到達は見えてきているのですが、ちょっと恐怖心のようなものも抱いています。これだけの規模で撮っていますから、自分でも成し遂げた感が出てくるだろうというか、今までのものとはまた違った「自分はこれからどうなっていくんだろう」という感触を覚えるようになってきています。
そもそものキッカケは俳優の西田敏行さんを撮影したことが始まりでした。というのも当時、西田さんは少し体調を崩したこともあって、「1枚でも多く撮っておかなければ」という思いで撮影したことが出発点になっているんです。西田さんのことは、カメラを持ちはじめていた頃から撮らせていただいた恩もあって、心底からアニキだと感じていました。
そんな体験もあって、ほかにも僕に撮らせてくれた人たちを、もう一度撮影して、1つの写真展という形にまとめてみたいという気持ちになっていきました。この構想をオリンパスギャラリーの担当者に伝えたところ「とても面白いですね」と言ってくれて。そうして始まったシリーズ、それが「瞬間の顔」です。
最初の写真展はオリンパスギャラリーが、まだ神田にあった頃に開催しました。会場スペースの都合から、展示できるのは60枚が限界。この数にあわせて被写体を絞りこんでいきました。メイクなどの都合もありますから、女性を撮るということは考えませんでしたね。男性でいこうと最初から決めていました。
「出会い系」のカメラマン
唐突ですけど、僕は自分のことを出会い系のカメラマンだと思っています(笑)。どういうことかというと、人との出会いが僕にテーマを与えてくれたから。出会った人たちが、テーマを提示してくれて、僕はそれを一生懸命に撮っていくことで、ここまで来ているわけです。別の捉え方をすれば、それは出会った人たちが自分に「進路」を示してくれたということでもあります。
今回の写真展(Vol.13)では神社本庁の長官(石清水の宮司さん)を撮影させてもらっていますが、その縁も靖國神社の神職が賀茂別雷神社(通称:上賀茂神社)を紹介してくれたものです。縁から縁がつながっていったという経験は、ほかにもたくさんあります。年齢を重ねてきたから、上賀茂神社を撮影したのだろう、と思っている人もいるかもしれませんが、実はそうではないんです。人との出会いが、次の撮影テーマに結びついて、僕はそれをひたすらに撮って歩んできたということなんです。だからこそ、「酒呑童子」のように刺青をテーマにした作品を銀座で堂々とお見せしましたし、ヌードの撮影だってします。皆がタブーだとしているテーマでも臆することなく撮っているのは、人との縁が紡ぎだした必然的に撮るべき内容だったからなんです。だから、僕は出会い系のカメラマンなんです。それが自分は何者だったのか、と自問した答えでした。
とはいえ、撮り続けていくためには作戦が必要です。「瞬間の顔」シリーズは、毎年決めた人数を撮影していますから“どう撮り進めていくか”という戦略がないと、とてもじゃないですけれども続けていくことはできません。Vol.13で登場してくれた大塚芳忠さんは、一世を風靡した人気アニメ「鬼滅の刃」で主人公の師匠役を担当した声優です。大塚さんもカメラが趣味ということで、ご自身でもライカを持っていました。
また自分自身にルールを課すことも重要。いま1年で決めた数を撮影していくとお伝えしましたが、この1年しばりとすることも大きなポイントになっています。以前JPS前会長の田沼武能さんが写真展に来てくれた時に1年で撮影したものだと説明した僕に「すごいね」と言ってくれたんです。公益社団法人日本広告写真家協会(APA)会長の白鳥真太郎さんが会場の去り際にボソッと「負けた」と呟いていたことも印象的で、いまでもよく覚えています。
1,000人への道標ともなった図録のデザイン
写真展の図録デザインは、グラフィックデザイナーでありアートディレクターでもある長友啓典さんにお願いしました。当初は1,000人を目指していたわけではありませんでしたし、そもそもどこまで撮影できるかも分からない状態でした。それでも最初の図録をデザインしてもらった時に、長友さんから「たぶん、君はこのシリーズをずっと撮り続けるだろう」と言ってくれて。表紙には被写体の数を示す意味で「60」という数字を入れてくれたんです。
長友さんが2017年に逝去されてからは、アートディレクターの三村漢さんが担当をしてくれています。三村さんにデザインが移った時にひとつだけお願いしたのが、フォーマットは大きく変えないでほしいということでした。
全く別のデザイナーがブックデザインを担うのに、基本デザインは変えないでほしいというのは、難解な注文だったと思います。それでも、特徴的で思い入れのある数字のあしらいや、書体を三村さんは引き継いでくれています。
撮影は出会い頭
「瞬間の顔」シリーズの撮影では事前の打ち合わせは一切していません。伝えているのは、「こういう写真展をやります」ということだけ。あとはスケジュールのやりとりをするだけなんです。ですから、事前にコンセプトを伝えるといったことはありません。
文字通り、瞬間という短い時間で撮影をしています。ここに登場してくれる人達は企業の要であったり、芸能人であったり、人気スポーツ選手だったりと、とても忙しい方たちばかりです。いわば日本という国を動かしている中心メンバーのような方です。だから、皆さんのスケジュールはギチギチに埋まってしまっているような状況です。スケジュールとスケジュールのほんの少しの合間を見つけて、事務所の一角やテレビの収録現場など、思いもよらない場所で撮影をしなくてはならいケースも多々あります。
撮影にかける時間もわずか。なぜかって、人は「疲れた」と言うでしょ? モデルの女の子とかだと、数時間にわたって撮っていても、もちろん休憩をとってやっていきますが、様々な表情を見せてくれます。でも、瞬間の顔で登場してもらっている方々はモデルではありません。当然1時間近く撮っていれば、「もういいよね」ってなる。そうなってしまうとどうしようもありませんから、撮影は極力短くが、鉄則。「もう」と言われる前に終えることを大切にしています。何よりも「瞬間の顔」は、出会った直後の表情を狙っていますから。
ちなみに使っているメイン機材は当然オリンパスです。今は明るいレンズも揃っていますから、撮影もだいぶやりやすくなりました。ただ機材トラブルに備えて、キヤノンの機材を常に控えとして用意しています。僕自身、元々はキヤノンの機材でたくさんの仕事をしてきましたから、そこには絶対の信頼感があるわけです。
これに関連して面白いエピソードがひとつ。今回、住友林業株式会社の最高顧問職をつとめる矢野龍さんを撮っているんですが、カメラを出して構えたら「御手洗さん(キヤノン株式会社 代表取締役会長兼社長 CEO)のところのカメラじゃないのか」と言われたんです。二人とも経団連に所属している方たちですし、仲もいいからなのでしょうね。ゴルフをともにしたばかりだと話していました。
ところで「瞬間の顔」シリーズは、はじめた時から写真チェックはお願いしていません。理由はキリがないから。ただ、芸能人のように「どうしても気になる」というケースに限って見てもらってはいます。今紹介した住友林業・最高顧問のエピソードで、もうひとつ印象的だったのが、写真チェックで「これは会長のイメージではないので」というチェックバックがあったことでした。これくらいの立場の方になってきますと本人がチェックするということは、まずないでしょう。時間的な都合で雑誌媒体の差し替え対応は難しい状況でしたから使用させてほしいと伝えたところ、「どうしても間に合わないのであれば前ので大丈夫です」との返答。これは、本人からの意向ではないなと直感しました。ハードルが高いと、本人だけではなくなってくるんですね。
悩みの種は色
カメラが良くなってきて、いま特に苦労しているのが、実は色なんです。本当の色が出せないんです。今、オリンパスのほかにキヤノンやソニー、シグマのカメラも使って仕事をしているのですが、本当の肌色が出ないと感じています。キヤノンの機材では、EOS R5とRF70-200mm F2.8 L USMを組み合わせているのですが、レンズ側のコントロールリングに色温度設定の変更をあてて見るようにしています。そこで問題が。目で見るのと、カメラで見るのと、パソコンで見るのとで、それぞれ表示される色が違いすぎて、もう色がわからなくなってきているんです。フィルムの時代にはこのようなことはありませんでしたから。このように色で悩むようなことなんてなくて、よく写るねーで終わっていた。でも、今はよく写りすぎて、本当の色が分からなくなってしまったんです。
特に顕著なのが「瞬間の顔」です。撮る場所や時間帯がまちまちで、光源の違いは当たり前ですから、撮影条件は被写体によって大きく異なります。
撮影は去年から100人を撮るようにしたんでが、100人が限界でもありました。1,000人への到達を優先したことが一番の理由ではあるのですが、どうしても撮る人数を増やしていこうとすると乱暴になってしまいますから。最近では撮影のペースにあわせてLEDライトも併用していますけれども、どうしても色が悪いというのが悩みになってきていますね。
ただ一つだけ思っていることは、僕はオリンパスの機材を使うということを、モンブランの万年筆を持つことと同じだと思っているんです。
かつて作家の柴田錬三郎さんが愛用していた万年筆は代々受け継がれていき、僕の父に継承されて、今は僕の手元にあります。続々と新しいカメラが登場していて、新しい機能も数多く搭載されるようになってきていますが、多機能な道具でなければ優れた写真が撮れないなんてことはありません。今、僕はOM-D E-M1 Mark IIIを愛用しているのですが、このカメラの強みは、何よりも「僕の手に合っている」というところにあります。それは、このカメラだから手持ちで撮れている、ということにもつながっています。別の言い方をすれば、まさに「右手になったカメラ」ということでもあるわけです。こうなってくると、もはや性能云々ではなくなってくる。そういうこともあって、1,000人に到達するまでは、このカメラにメインを張っていってもらおうと、固く決めています。
ちょうど機材の話になったので、少しだけ脇道にそれます。この連載中で何度もお伝えしていることなのですが、最近のカメラはとにかくよく写ります。写るが故に色の悩みがでてきたというのは今お伝えしたとおりなのですが、とにかく訴えたいと思っているのが、カメラが写りすぎるから、かえって「壁がなくなっている」ということなんです。今、僕の事務所にはアシスタントが2名いますが、それぞれに撮ってこい、と言えば彼らなりに撮ってくるだろうと思います。ですから、問題は「何を撮るか」となるわけです。
何を撮るのか、っていうのは、つまりテーマをどうするのか、ということです。そこで最近実感しているのが、「終わりのないテーマはない」ということ。ばんえい競馬も実はそう。昨年から世界的に猛威をふるっている新型コロナウィルスの関係で、実はばんえい競馬には、もう1年半も撮りに行けていません。こうなってくると、もう、なんとなく糸が切れたみたいな気持ちになってきてしまっているわけです。1年半も会っていないわけですから、それはもうイチからやり直していくようなものです。それならば、被写体を変えるしかないのかな、とも考えています。逆に時間的な間があいてもいいテーマって、風景なのかな、とも思っています。
僕の被写体はあくまでも「人」です。今は、新型コロナウィルスの感染拡大を防止することが最優先になっていますから、撮影をお願いしても、どうしても厳しく高いハードルが課せられてしまうケースが多くあります。そうした決まり事、制約のある状況で写真を撮っていくということは、本当に難しい。正直に言って、今の仕事はキツイと感じているくらいです(苦笑)。
1枚の写真に歴史が凝縮されている
「瞬間の顔」で撮影している人物は、歴史に残る人たちばかりです。ですから、きっと1,000人を撮り終えたら、日本の歴史や経済が写真から見えるようになるだろうなと思っています。
撮影にまつわるエピソードは本当にたくさんあります。それこそ一人ひとりをテーマに、毎日トークショーをやりたいくらいの想い出があるし、一人のことでも話すことは盛り沢山。ちょっとだけ振り返ってみましょうか。
柔道家の吉田秀彦さんからは「何で俺だけ風呂に入ってるの」なんて言われたりして。これはもう、その時一緒に行っていたからなんですけどね(笑)。
初代統合幕僚長(防衛庁になったばかりの頃ですね)の先崎一さんを撮影した時は、後ろに湾岸戦争から帰ってきた隊長たちが挨拶に来ていました。この時は皆さんに少し待ってもらって先に撮らせてもたったりもしました。先崎さんの縁でいろいろなところを撮影させてもらうこともできました。陸自を撮影できたのも、この縁があったからこそでしたし、去年、佐世保に行ってくることができたのも、先崎さんのおかげでした。
漫画家の弘兼憲史さんの撮影は彼の住むマンションの敷地内で実施したのですが、撮っている最中に守衛さんが飛んできて、ここは撮影禁止ですよ、と一言。住民であっても敷地内で撮影できないケースもあるわけです。その後場所を移して撮影したのですが、この時に撮ったカットが一番表情が良かったですね。
ほかにもあります。国会議員の中川昭一さんは、撮影当時、選挙戦に負けた後のことでした。そこで、僕の撮った写真を名刺に印刷して、ツライ選挙戦を戦っているんだと話してくれました。
ミュージシャンの坂崎幸之助さんを撮影したカットは、デジタルカメラマガジンの福島さんが以前に手掛けていた月刊誌『デジタルフォト』(2007年3月号)の表紙にもなりました。
なぜ1,000人にこだわるのか
最初の写真展を開いた時に撮影させてもらった人々には、もう縁のない人は一人としていませんでした。以前からお世話になっている人や、知り合いばかり。こうした近しい人々の姿を撮影していったのには、「お世話になった人に返していきたい」と思ったからでした。
この写真は首相に就く前の鳩山由紀夫さんです。撮影時のこともよく憶えています。国会議事堂前に構えていた個人事務所で撮影したのですが、ピンクのジャケットを奥のほうから奥様が着せようと用意していたんです。鳩山さんの眼下には首相官邸があり、私が「将来はあちらですね。」と声をかけると苦笑いをされていていました。その数年後に首相になられ、政権交代のポスターも私が撮影致しました。
こうして縁のある人を撮影していく中で広がっていった「瞬間の顔」も、回を重ねるに従って、被写体の数が拡大していきました。では、そもそも1,000人を目指そうと考えだした時期はいつ頃だったのかっていうと、500人を超えた時あたりからかな。意識して1,000人が目標ですと言葉にするようになったのも、4年ほど前からのこと(Vol.8で505人に到達)。OMデジタルソリューションズもオリンパスから事業が移管して以降も変わらず支援してくれています。これまで協力してくれた人々はもちろん、お世話になっている人、返していきたい人、それぞれに報いていくためにも、あと85名。昨年から難しい状況が続いていますが、もう撮ることが決まっている人も大勢います。
ちなみに1,000人目は自画像でいきます。レリーズは誰かが押してくれればいいので、絶賛募集中。でも、レリーズを押した瞬間に、その人には跡を継いでもらうことになるかもしれません(笑)。