インタビュー

富士フイルムのフィルムシミュレーションはどのようにつくられているのか(前編)

独自の設計思想の深層に迫る

入江公祐氏(左。光学・電子映像商品開発センター 技術マネージャー)、藤原慎也氏(右。光学・電子映像商品開発センター)

富士フイルムのカメラには、APS-Cセンサーを搭載するXシリーズと、大型センサーを搭載するGFXシリーズの2つのラインがある。それぞれマウントや設計思想、担っている役割は異なるが、フィルムシミュレーションといった画質面の設計は共通している。同社製カメラを使用していく上で大きな魅力となっているこの画質面については、フィルム製造に関わる蓄積や歴史を背景にした色再現の良さで定評があるが、しかしその内奥に踏み込んで詳しく語られることはほとんどなかった。今回、この画質設計を担う開発者お二方に詳しくお話を伺う機会を得た。同社の考える画質や色再現とはどういったものなのか。あらためてフィルムシミュレーションとは何なのかを聞いていった。

富士フイルムが考える画質の核心とは

——今回は、画質という明確な数値化や言語化が難しいことについてお話を伺っていきます。他社も含めメーカーの技術者や開発者の方に「どんな画質を目標としていますか?」という漠然とした質問をしてみますと、共通して「心地良い画質」という回答があります。冒頭から本丸攻めの質問になりますが、富士フイルムの目指している画質、あるいは心地良い画質とは、どのようなものなのでしょうか?

入江 :画質設計的にお話しますと、弊社では大きく分けて「色」・「シャープネス」・「ノイズ」・「階調性」という4つの要素で構成されている、と考えています。

もちろん、それぞれの要素には更に細かい内容が含まれていきますが、大きく分類するとこれら4つによって画質は成り立っており、いずれかが突出していたり、あるいは物足りなかったりしてバランスがいびつになってしまいますと、いわゆる「心地良くない画質」になる、と現時点では考えています。

その意味で「心地良い」という状態にするためには、これら4つの要素のそれぞれがどのくらいの数値にあれば心地良いのか? というノウハウが重要になってきます。

入江公祐氏

——その数値というのは、しきい値のようなものなのでしょうか?

入江 :「バランス」と捉えていただくのが分りやすいかな、と思います。ですので、しきい値を超えればOKという訳ではなく、全体のバランスからそれぞれの数値は設定されています。弊社ではこれら数値がどのように関係するか、に関するノウハウとしての蓄積があるわけです。

——「心地良さ」の定義をご説明いただきました。ちなみに社内で「心地良さ」について議論することはあるのでしょうか? 例えば、新しいフィルムシミュレーションをつくろうとした時に、どういったバランスを「心地良い」とするのか?ということであったり、既存のフィルムシミュレーションやデフォルトの画質を現在進行系で捉え直してみて、本当に心地良いのか? といった再確認であったり。

藤原 :まず新しいフィルムシミュレーションをつくろう、となった場合には様々な議論が行われます。その中で特に重要であると考えているのが「各色・各階調が同じ方向を向いているか?」ということになります。

藤原慎也氏

——同じ方向を向いている、というのは?

藤原 :例えば、フィルムシミュレーションのひとつである「クラシッククローム」は、ドキュメンタリー向けとして開発しています。全体的に色を鮮やかに見せないようにコントロールしていますが、開発段階では数値上だと鮮やかに見えないハズの暗い赤が、人間の目には鮮やかな赤に見えてしまう、ということが何度もチューニングテストを繰り返す中で明らかになりました。

「全体的に色を鮮やかに見せない」という設計方針でチューニングしたにもかかわらず、暗い赤が違う方向を向いている。この状態が「同じ方向を向いていない」ということになります。

現在のフィルムシミュレーションは18モード

カラー :PROVIA/スタンダード、Velvia/ビビッド、ASTIA/ソフト、クラシッククローム、PRO Neg.Hi、PRO Neg.Std、ETERNA/シネマ、クラシックネガ、ETERNAブリーチバイパス
モノクロ :モノクロ、モノクロ+Yeフィルター、モノクロ+Rフィルター、モノクロ+Gフィルター、セピア、ACROS、ACROS+Yeフィルター、ACROS+Rフィルター、ACROS+Gフィルター

藤原 :設計の意図・狙いを定めた上で「各色・各階調が同じ方向を向いている」状態になるようチューニングを繰り返し、さらにその上で心地良くなるようにバランスをとる、というのが、フィルムシミュレーションの開発の流れになります。

——「開発」と聞くと、どうしても“数値的な目標をクリアする”という取り組み方を想像してしまいがちですが、画質設計では明確なスペックや数値目標を定めにくいと思います。お話を伺っていても、どこか哲学的なことに挑戦している、という印象があります。

入江 :いま藤原が説明しましたのは「新しい画質表現を開発する」という観点でのお話になります。新しい事を始める上で最も難しいのは、“目標を定めること”だと考えています。

目標を定める際に「心地良い画質」という尺度をあてはめます。先ほど「4つの要素について数値化したノウハウを持っている」とお伝えしましたが、ある程度のところまではその数値を目標に調整を行い、そこを超えた部分は人間の感覚で「心地良い」と感じるバランスを探していきます。

既存のフィルムシミュレーションの是非に関するお話となりますと、各機種では同じフィルムシミュレーションでも、撮像センサーや画像処理プロセッサーの世代ごとに厳密にはほんの僅かに色が異なっています。

と申しますのも、デバイスの違いだけでなく、撮像センサーユニット上に存在するIRカットフィルターやUVカットフィルターなど様々なフィルターの違いなどによって、どうしても物理的な光学特性が変わってくるからです。

例えばX-T2とX-T3の関係を例に挙げますと、両機ではまず撮像センサーと画像処理プロセッサーが異なります。ですので、今お伝えしましたとおり両機の間で完全に同一の色を再現することは残念ながら不可能ということになります。

X-Trans CMOS 4の画素配置(FUJIFILM X-T3技術発表会時のスライドより)

その違いを「違和感なく同じ印象の再現になるよう、どうバランスさせていくのか」ということを調整していく時に、「心地よさ」という尺度をあてはめてチューニングを進めていくわけです。

——例えば、機種の世代間で色の数値が異なっていても、同じような心地良さや印象であれば「適」である、という理解で間違いないでしょうか?

入江 :そもそもは大きく違わないようにハードウェアから設計をしていますが、どうしても合わない部分はそうなります。

——世代をまたいでの色再現の微妙な違いがでたところで、階調性についてお聞かせください。ここでいう階調性というのは、ラティチュードの広さという意味ではなくトーンカーブという意味なのですが、世代が新しくなるにつれてハイライトエンドやローライトエンドが僅かずつではありますが「伸びている」という認識があります。一方で、そこからややミッド寄りの部分がどちらも世代が進むごとにコントラストが立って来ているようにも感じます。これは意図的なものなのでしょうか?

入江 :市場の要望を反映した結果、世代が進むにつれて階調性そのものは全体として粘らせる方向にシフトしています。ですが、トーンカーブの調整によって、お客様が普段お使いの領域によっては従来機とくらべて硬く見えたり、あるいは柔らかく見えたり、といった印象の違いがごく僅かではありますが生じていることは事実です。

藤原 :例えばX-T3の世代のプロビアは、X-T2の世代のプロビアと比べて、0〜255の間で16以下といったディープシャドーの領域を潰れにくくなるように粘らせる方向でチューニングしなおしています。

ただし、シャドーを単純に持ち上げると締りがなく浮いた再現になってしまったり、と不都合を生じる場合もありますので、自然な印象を保ったまま粘るようにし、なおかつ中間調が滑らかにつながるように、若干沈むと言いますか、メリハリが増す領域が存在しています。とはいえ、全体のイメージとしてはほとんど変えないまま、ハイエンドとローエンドが伸びて見える様にチューニングしていますので、ご質問のように実感として認識されているとは、恐れ入りました。

フィルムシミュレーションの起源

——フィルムシミュレーションの起源について教えて下さい。FinePix S5 Proなど、以前のシリーズではフィルムシミュレーションという名前では無かったと記憶しています。

入江 :弊社は2008年にFinePix S100FSというネオ一眼スタイルのデジタルカメラを発売しているのですが、このカメラがフィルムシミュレーションを実名で搭載した初号機となります。が、フィルムシミュレーションの「中身」としてはもっと以前からありました。2004年に登場したFinePix S3 Proに「スタンダード」や、「Fクロームモード」などが搭載されています。実は、これがフィルムシミュレーションの元祖ということになります。

FinePix S3 Pro(2004年)
FinePix S100FS(2008年)

——例えばFinePix S3 Proの頃には、名称が違うだけで「スタンダード」はプロビアのような仕上がりになる、といった認識で開発していたのでしょうか?

入江 :実は、社内でも弊社のデジタルカメラで撮影した画像は“デジタル臭い”という評価がありまして、お客様からも「富士フイルムなのに、なんでデジタル感が強いんだ?」という意見が多く寄せられていたこともあり、「なんとかしなければ!」という想いが強くありました。

そこで銀塩フィルムの開発に携わった人に協力を仰ぎ、どうやったらデジタル感の少ない自然で気持ち良い再現が出来るのかを研究していきました。そうして誕生したのが2004年8月に発売されたFinePix F810というコンパクトデジタルカメラでして、F810に搭載されているスタンダードという画づくりは「プロビア」と定義して開発されたものになります。

FinePix F810(2004年)

入江 :当時はまだフィルムの実名を、画づくりの名称としてはつけていませんでしたが、デジタルカメラの画づくりにフィルム部隊のDNAやノウハウが入り始めた時期になります。

同年11月に発売されたFinePix S3 Proでも同様の画づくりが採用されています。そこで理論を構築した「PROVIA」という画づくりは現在まで大きな変更を受ける事なく続いています。

そうして製品にプロビアの画づくりが搭載されても、都合によりしばらくはフィルムの実名称をつけることが出来ず、F1bやF2と言った名称になっていました。そうした諸々を解決し、フィルムの実名が採用されるのは2008年のS100FSとなっています。

センサー・フォーマットによる画づくりに違いはあるのか

——X-Trans系とベイヤー系、またXシリーズとGFXシリーズで画づくりに何か違いはありますか?

入江 :まずX-Transとベイヤーではセンサー上のカラーフィルターの配列が異なりますので、空間周波数の特性が違うものとなっています。その辺りのチューニングの違いも関係していますので、厳密には同じではありませんが、思想や狙い、特に理想とするシャープネスなど、目指している方向性については同じです。

APS-CフォーマットのXシリーズと、より大型のセンサーを搭載するGFXシリーズの違いについてですが、GFXシリーズは対応レンズ(GFレンズ)のMTFが非常に高いので、画づくり側でのシャープネスはあまりかけていません。

X-S10のセンサー(左。X-Trans CMOS4。サイズは23.5mm×15.6mm。IBISとのセットで)とGFX100のセンサー(右。ベイヤータイプ。43.8mm×32.9mm)

——確かに、それぞれのフォーマットで同一シーンを撮り比べた画像をレタッチしてみると、画素数の優位性もあってか、GFXで撮影した画像の方が高周波数帯(細かな部分)にリンギング(輪郭部が強調されて明るい線が見えてしまうこと)が明らかに出にくいという印象があります。画づくりの面でもシャープネスをあまりかけていないという理由があったのですね。

入江 :GFXシリーズでは画素数が多く、例えば1億画素(厳密には約1億200万画素)のGFX100では同一のサイズに出力した際の拡大率がとても小さく抑えられるため、ノイズが拡大されることなく埋もれて見えます。この利点をいかして、ノイズ低減を弱く抑えた画づくりになっています。いわば、ありのままのデータに近い状態になっています。

——GFXシリーズとXシリーズに関連してお聞きしたいことがあります。高感度設定時のフィルムシミュレーション「ACROS」の粒状感については、GFXシリーズとXシリーズで何か違いはあるのでしょうか?

入江 :そこについては何度も議論を重ね、多画素機を使用する目的を「大伸ばししたいからである」と考えました。ですので、大きく伸ばした際に心地良い粒状が得られるように“画素数なりの粒状”でいこうと結論づけました。結果としてGFXシリーズとXシリーズでは変えていません。

藤原 :同じプリントサイズでGFXシリーズとXシリーズの画を見比べてみますと、GFXシリーズの方が拡大率では小さくなります。従いまして、自然と粒状は細かく見えることになるわけです。同じ拡大率でプリントした場合は、GFXシリーズとXシリーズは同じサイズの粒状となっています。もちろんこの場合はプリントサイズが大きく異なってきます。

——フィルムではフォーマットサイズに合わせた乳剤が塗布されていたので、粒状だけで言えば135サイズ(35mmフィルム)などの小さめのフィルムと4×5(シノゴ)などの大判フィルムを比べた場合、同様に拡大率の大きくなる135判の方が粒状が細かいという違いがあったと記憶しています。デジタルでも「デジタル」という特性に合わせた結果として、同じ結論に達していることが興味深いです。

入江 :粒状について少し踏み込んだ話になりますが、フィルムシミュレーションでは元々撮像センサーが持っているノイズ特性をフィルムシミュレーションごとに調整し、バランスさせています。一方でグレイン・エフェクトでは誤差拡散によって人間の脳を騙すことで、画質を向上させて見える「ディザリング」という技法の効果を期待しています。ですので、設計側の気持ちとしてはグレイン・エフェクトに対して「粒状」へのコダワリはないという本音があります。

極論を言えばディザリングが欲しいのであればランダムドットを加算すれば良いだけなのですが、それだけではどうしてもデジタル臭さが出てしまうので、自然に見せるために「粒状っぽく見える」加工を施しています。ですので、フィルムシミュレーションで得られる粒状とは異なっています。

ということで「ドットを加工して写真として見えるレベルにしている」というのがグレイン・エフェクトになります。

一方で高ISO感度にした時に見えるノイズについては「気持ち良く見える」ことが大切だと考えていますので、ノイズを粒状っぽく見せる画像処理を行っています。ですので、フィルムシミュレーションで得られる粒状とグレイン・エフェクトで得られる粒状はニュアンスが異なるものになっています。

グレイン・エフェクトの設定画面(X-S10)。OFF・弱・強の3段階から選択ができ、さらに粒度を大と小の2とおりから選択できる

——グレイン・エフェクトの粒状は「模様のレイヤー」、フィルムシミュレーションの粒状は「粒子」と表現するのが分りやすいような気がします。ちなみに、グレイン・エフェクトの粒状模様はランダムで生成されているのでしょうか? と言いますのも、他社の同様の機能と比べるとランダム性がより高いように見えるからです。

藤原 :はい、ランダムで生成しています。疑似乱数発生回路は数学的にも視覚的にも相当に気をつけた設計をしています。

——個人的な話になりますが、私が富士フイルムのカメラを好んで使っている理由のひとつに「粒状表現の自然さ」があります。富士フイルムの画づくりにおけるバランスや心地良さと、私自身が期待している感覚が近いというのが、その理由です。

ディザリングに関する内容を含みますが、トーンが非常に滑らかな連続性のある平滑状態になると、人間の脳はトーンジャンプを起こして知覚してしまいます。しかし粒度があると脳の錯覚でトーンジャンプが抑えられトーンが滑らかに連続して見える。そういったディザリングの効果がありますので、私は画像の「粒(つぶ)」感には、ある程度のコダワリをもっています。この粒感はトーンの連続性以外にも、人間が感じる奥行き感の知覚面でも脳が上手く騙されるで、より立体的に見える効果があるのでは? と考えているわけです。

入江 :均一過ぎるものに対して、人間はどうしても人工的、つまり不自然に感じてしまう傾向がある、と考えています。均質なものにノイズを少し足すだけで人工的なものからリアルな表現に変わったりします。人間の目自体もノイズ成分から知覚を形成していますので、ひょっとするとその辺りのプロセスに近いものがあるのかもしれませんね。

ACROS
ACROS+グレイン・エフェクト弱
ACROS+グレイン・エフェクト強
※ディザリング効果によってハイライトトーンが補完されて見えます。画像はいずれもX-Pro2+XF10-24mmF4 R OISで撮影したものです

フィルムシミュレーションについて

——フィルムシミュレーションの目的についてお聞きしていきます。名称のとおりフィルムを模したものなのでしょうか?

入江 :フィルムシミュレーションについて、お客様からの意見を拝見していて、我々もまだ上手く伝えられていないなと感じているのですが、この機能はフィルムそのものをシミュレートしたいのではなく、良い画が欲しくてやっているものになります。私個人の意見を申しあげますと「フィルムシミュレーション」という名前を変えたいという気持ちがあります。

——私も「フィルムシミュレーション」という名称から、ゴールをフィルムの再現と捉えているのかな? と考えていました。ですので、フィルムメーカーである富士フイルムらしい特徴を商品の魅力として活かしているのだな、とマーケティング的な目線でフィルムシミュレーションを見ていた節があります。

入江 :繰り返しになりますが、フィルムシミュレーションはフィルムの模倣ではありません。

目指したのは、あくまでもフィルム時代からある“画質の目標”なのです。これはお客様からの要望であったり、我々の研究結果から得られたものであったり、そういったものを総合した画質の目標に近づけようとしている。その結果がフィルムシミュレーションというわけです。ですので、それぞれのシーンに応じた目標に合わせて、PROVIAやVelviaという名称をつけています。

例えば、「銀塩のASTIAと再現性が違う」という指摘をしばしば頂戴しています。これは、“銀塩のASTIAを目標にした画質設計にはなっていないから”、というのがその理由になります。

ASTIAのパッケージ(120判)

違うものなのに、ASTIAの名前を冠するとは何事か、と思われるかもしれませんが、全く関係がないのではありません。実はフィルムもデジタルも、同じところを目指しているんです。つまり、フィルムシミュレーションの「ASTIA」は、銀塩フィルムのASTIAを開発する時に開発部隊が目標とした「理想のASTIA」に近づけようと開発したものになっているわけです。

デジタルでは銀塩での制約がありません。そうしたメリットを、もちろんデメリットだってありますけれども、ともあれ銀塩で出来なかったことをデジタルのASTIAで実現しているわけです。銀塩に及ばない部分——、これがデメリットということになるわけですが、この部分については、極力銀塩に近付ける努力をしていまして、それが現在のフィルムシミュレーション「ASTIA」における画づくりと思想になっています。

——大きく誤解していました。私自身、フィルムのASTIAを知る者として、「これは全くASTIAじゃない」と思っていた人間のひとりです。しかし、フィルムシミュレーション「ASTIA」の説明ともなっている“ソフト”については今回のお話を伺っても、まだ腑に落ちない気持ちがあります。

入江 :それにつきましては耳が痛い部分です。様々な事情から“ソフト”という表現を用いてきていますが、社内でもASTIAを「ソフトである」と思い込んでいる面があることも事実です。

ASTIAの設計意図は、明るい肌色が滑らかなスキントーンに再現されるように、また柔らかな肌の表現となるように、という意図で“ソフトな肌再現”を目標としています。その結果、銀塩フィルムのASTIAでは時として全体的に柔らかく見えるシーンがあることは事実です。

——そこから「ソフト」という部分が独り歩きしてしまったのですね。

入江 :はい。本来は開発思想をフィルムシミュレーションの名前に適用すべきでしたが、このイメージのまま「ASTIA/ソフト」と名づけられてしまった、という経緯もあります。

藤原 :ですので、誤解を避けるためにも名称を変えたいと考えているのですが、なかなか変えることは難しくて……。

一同 :笑

藤原 :大掛かりな変更というのではなく、“ソフト”という言葉を除いて、ただ「ASTIA」という名称にしたいだけなんです。というのも、フィルムのASTIAが描いた理想に近づけたものがフィルムシミュレーションの「ASTIA」なので。

この11月に発売となったX-S10ではフィルムシミュレーションの選択画面で、それぞれの画づくりを説明するキャプションをつけているのですが、実はこのダイアログの内容はすでに改定しているんです(笑)。

X-S10
フィルムシミュレーションでASTIAを選択したところ(X-S10)
X-S10以降では上の画面でさらにQボタンを押すことで、より詳細な説明文が表示されます

[2020.12.09追加]ASTIAの詳細な説明画面を追加しました。

——先程デジタルがフィルムに及ばない部分がある、というお話がでましたが、富士フイルムが考えている、フィルムのほうが優れている点とはどのようなところなのでしょうか?

入江 :極論を言えば、デジタルでは何でもできるという状況にあります。できることが多いがために評価が非常に難しい部分になるのですが、色の連続性という部分についてはフィルムのほうに優位性があると考えています。

——それを聞いて理解できた気がします。フィルムではそれぞれの色(波長)に反応するいくつかの感光層に分かれていて、それらが重なっていることで曖昧さを持ちつつ、かつお互いに影響しつつ微妙な色のグラデーションを表現する構造がありますから、確かに数字で明確に定義された色を再現するデジタルにはない部分、そうした「曖昧さ」に起因する連続性のある色表現はフィルムならではの強みだと思います。

入江 :そのとおりです。逆にデジタルならではの強みとして、銀塩では大変困難なことが簡単に実現できます。その最たるものが、グレーのリニアリティです。

銀塩では濃度によって色変わり(色の転び)がありますが、デジタルでは完全にグレーのスケールとして表現できます。と言いますのも、撮像素子は半導体なので、光の強さに応じて出力が変化します。つまり一定量の光を受光すれば、定量化されたデータを出力するので、白は白、グレーはグレー、黒は黒として簡単に出力できるわけです。

対して、銀塩フィルムでは乳剤の感光特性であったり、フィルムベースの拡散特性であったり、そういった様々なことが影響して、シャドーでは青く転んだりする一方で、ハイライトは黄色に転んだり、といったように色変わりがありました。

ただ、フィルムはそうした曖昧さを得て、色の連続性やトーンの繋がりの良さなどを表現することができます。そのえもいわれぬ美しい再現性は、どうしてもデジタルでは難しい部分であるわけです。もちろん、そこにはフィルムが持つ粒状も加わっています。デジタルでも、早くそこに追いつきたいという気持ちがありますね。

藤原 :例えば、水中で撮影したポジフィルムは非常に深みのある美しいブルーなんですよね。そういった深い色の表現などフィルムから学ぶことがまだまだあると感じています。

ところで、こうしたフィルムが持つ深い色表現に近づけようと研究を重ね、試行錯誤したのがカラークロームエフェクトになります。

この機能はフィルムの思想を参考に開発しておりまして、発色が良い部分の発色を、あえて抑えるという多重層効果——重層効果とも言うのですが、これの明るい部分の階調性をデジタルで擬似的に構築するという処理を行っています。そうすることで、ベタ塗りになってしまいやすい部分の階調が明瞭になり、深い色再現が得られるようになっています。

カラークロームエフェクトの設定画面(X-S10)OFF・WEAK・STRONGの3段階から選択ができる

——カラークロームエフェクトは一見地味な効果のように思えますが、実は黒白写真をつくりたい時にも効果があると感じています。というのも、フィルムシミュレーションの「アクロス」なり「モノクローム」なりで白黒画像を得るよりも、カラークロームエフェクトを適用したカラー画像からモノクロ画像をつくった方がトーンに深みが出る場合があるからです。

今、ご説明をお聞きして深いトーンの再現が出来るプロセスが見えてきました。ベタ塗りになりやすい部分を深い階調としてカラーで表現できるようになったことで、黒白化した時にもその部分がグレーのコントラストとして反映されるということですね。

これは……、X-Pro2とX-H1ユーザーの私としては困ってしまいました。

一同 :笑

フィルムシミュレーションの色再現に迫る

——フィルムシミュレーションの色再現についてお聞きしていきます。フィルムシミュレーションでは色再現の数値的な正確性、つまり忠実色よりも、記憶色であったり、より自然な再現性を重視している、という認識で間違っていませんか? また正確な色再現が欲しい場合のオススメの設定がありましたら教えてください。

入江 :まず、フィルムシミュレーションの色再現が忠実ではない、ということはありません。ある程度の正確性や測色性を担保した上で、心地良さや自然な再現となるようなチューニングになっています。

忠実色での再現は、例えばクルマのボディカラーでしたり、物撮りなどの場面で正確に色を再現しなければならない場合で求められる要素ですよね。ですから、忠実色による色再現では、現物と比較して見比べた際に「同じ色だ」と知覚される必要がありますので、画像単体で見た時にはどうしても地味に感じてしまう、という評価の難しさがあります。

弊社が考える記憶色とは、測色に近い忠実な色再現をベースにしながらも、画像単体で見ても「同じ色」だと感じられるような、自然な再現性を目指したものです。

藤原 :フィルムシミュレーションの中では「PRO Neg.」系が最も測色に近いと言いますか、一部の色に意図的な偏りは設けていますが、全体としてはクセのない再現性になっています。

——「Pro Neg.Hi」と「Pro Neg.Std」の違いは、どんなところにありますか?

入江 :主にトーンカーブの違いですね。シャドーが締まってハイライトがタイトな調整としているのが、PRO Neg.Hiになります。一方で色については同じ設計になっています。

Pro Neg.Hi
(X-H1+XF10-24mmF4 R OIS)
Pro Neg.Std
(X-H1+XF10-24mmF4 R OIS)

——経験上、PRO Neg.HiとPRO Neg.Stdでは色が違って見えることがある、と捉えていましたが、これはトーンが違うことで色の印象が違って見える場合もある、ということでしょうか?

入江 :その通りです。PRO Neg.HiとPRO Neg.Stdの設計意図としては、スタジオライティングの差を意識して設計しています。

——PROVIAやVelvia、ASTIAに関してお聞きします。これらの設定ではマゼンタ寄りになる傾向がある、と感じていますが、これは記憶色と言いますか、心地良く自然な表現を追求した結果、若干マゼンタに転がしている、ということなのでしょうか?

入江 :その通りです。例えば青空のヌケの良さを表現するために、測色よりも少しマゼンタ傾向にしています。

PROVIA
(X-T4+XF10-24mmF4 R OIS WR)
Velvia
(X-T4+XF10-24mmF4 R OIS WR)
ASTIA
(X-T4+XF10-24mmF4 R OIS WR)

——写真館を営んでいる友人に話を聞いたところ、「自然な肌色にするためには、わずかにマゼンタを足す」と言っていたので、同じ考えなのですね。ちなみにですが、「クラシッククローム」の肌色はまた違った独特さがあると感じています。

入江 :クラシッククロームのスキントーンはクールなイメージがありますが、実はウォームにシフトしています。ただ、トーンが硬調で彩度を低く設計しているので、人の感覚としてはそう見えづらいという特徴があります。

あらためて、トーンというのは「色」なんだな、と思う瞬間です。

——非常に興味深いお話ですね。続けて「ETERNA」についてお聞きします。空の再現が銀幕(映画のスクリーン)に投影された空の色になっていて感動しました。これは銀幕の色を意図して表現されているのでしょうか?

藤原 :フィルムシミュレーション「ETERNA」は、実際に弊社の映画用フィルム「ETERNA」で撮影された映像を参考に開発しました。映像の特徴としてあった「青」の表現を、実際に銀幕に投影した時の色に寄せていますので、やや緑がかった青としています。

ETERNA
(X-T4+XF10-24mmF4 R OIS WR)
PROVIA
(X-T4+XF10-24mmF4 R OIS WR)

入江 :静止画では青空というのは主役にもなりますので、ヌケが良く印象的に見せるために、僅かにマゼンタを足していますが、映像では逆の考え方で青空は主役ではなく、あくまでも背景である、という考えですので印象を抑える必要があります。

藤原 :映画と写真の異なるところは、画が動くだけではなく、セリフや音楽など「音」があるという点です。そうした総合力でひとつの作品をつくりあげていますので、画像だけが際立ってしまうと全体のバランスを崩してしまうので好ましくない場合が多いというわけです。

——確かに、映画では衣装や画面全体の色味でそのシーンの感情を表現したりもしますし、音で情感を表現することもありますね。

入江 :はい。ですので「邪魔しない色」という考えも必要になります。そうした意図を踏まえた結果、空と分かる範囲内で極力主張を抑えた色味にするために、やや緑がかった青にしているわけです。

ちなみに近い空色を表現するフィルムシミュレーションとしては「クラシッククローム」が挙げられます。クラシッククロームの方がよりシアンよりの表現ではありますが。

クラシッククローム
(X-T4+XF10-24mmF4 R OIS WR)
ETERNA
(X-T4+XF10-24mmF4 R OIS WR)
PROVIA
(X-T4+XF10-24mmF4 R OIS WR)

——私の撮り方では、ETERNAに近い空色表現というのは、てっきり「クラシックネガ」の方だと思っていました。

藤原 :クラシックネガはかなり特殊なフィルムシミュレーションになっていて、明度によって色の見え方が変わるような設計にしています。ですので、暗いトーンだとシアンに、明るいトーンだとマゼンタになるように調整しています。

入江 :恐らくローキーに撮られる事が多いので、そう感じられたのではないでしょうか?

クラシックネガ
(X-T4+XF10-24mmF4 R OIS WR)
ETERNA
(X-T4+XF10-24mmF4 R OIS WR)

——まさに。暗めにまとめることが多い私の撮影スタイルがバレてしまいました。

一同 :笑

入江 :豊田さんに質問なのですが、クラシックネガで思い通りに撮影するのは難しくはありませんか?

——とても難しいと感じる一方で、露出によって見せる表情が変わるように感じていたので、一筋縄ではいかないフィルムシミュレーションだと感じていました。フィルムの場合だと、露出によって色が変わることは経験的に理解していましたが、デジタルカメラにおける色の表現は露出によってあまり変化せず、ゲインだけを上げ下げしている、という二次元的な表現のものだ、という認識があったからです。
ですので「露出によって表現がなぜ変わるの? まさかフィルムのように……、いやデジタルだからそんなハズは……」と、頭を悩ませていました。先程の藤原さんの「明度によって色の見え方が変わるような設計」というお話を聞いて謎がとけました(笑)。

私は良く落ち葉や日陰の草をローキーで撮影します。その場合にニュートラルな表現では「艶」と言いますか「寂び」と言いますか、そういったニュアンスが物足りなく思っていましたが、クラシックネガではいい具合に“スレた寂び感”が出る、という印象があります。

入江 :ひょっとすると設定を細かく調整していますか?

——はい。ローキーに撮りたい時は特にシャドー側のコントラストを立て、他にも設定を変えています。

藤原 :状況が想像できました。

ところで、露出によって表情を変える事に対しては、実は議論がありました。というのも、デジタルのリニアリティの良さ、先程「ゲインの上げ下げ」という表現を用いてらっしゃいましたが、その特性はフィルムが目指して、しかし到達できなかった事になります。デジタルになって、ようやく理想を実現することができた、言わば進化と呼ぶべき領域だからです。

入江 :フィルムでは出来なかったことが、デジタルでは簡単にできるようになって嬉しい反面、ニュートラルな表現ができるようになったことが、かえって淡白に感じられたり、人工的な再現に感じてしまう、という難しさが見えるようになりました。フィルムが持つ「曖昧さ」を含んだ再現性が、自然でかつ「ニュアンス」や「味」という部分にも作用していると分かったからです。

藤原 :リニアリティの良さを活かし、いわば優等生になったデジタルで、フィルムの曖昧さを再現するにはどうすればいいか? と研究した結果が、クラシックネガの画像設計というわけです。

入江 :本音をいうと、クラシックネガは少し思い切りが良すぎた感を持っています。

クラシックネガ(X-Pro 3+XF35mmF1.4 R)

——個人的には非常に特徴的で面白いと思います。露出の失敗の中にも発見がある再現性というのはデジタルでは新しいと感じていますし、コントラストを立ててハイキーにすると、クラシックネガはノスタルジーな再現になるところも、他にはない魅力です。先程お話したようにローキーに撮れば寂び感があるので、単純に私の好みということもありますが(笑)。

入江 :そうですね、カラーネガからの写真プリントを10年以上の時間を経て見た時のような表現にしていますので、ノスタルジーという表現は、まさにそのとおりです。

——かなり複雑な処理で達成しているのでしょうか? 2次元的な思考で処理が行われているとはとても思えません。

入江 :単純に明度に応じて色を回すだけならそれほど難しくありませんが、色をまわした上で破綻のない再現にするという部分が非常に難しかった部分ですので、その意味でいえば複雑な処理を行っています。

藤原 :色は立体的に遷移させています。例えば、ひとつのシーンで人の顔を撮るにしても、ハイライトからシャドーまでたくさんのトーンがありますので、明度に応じて色を回すだけですと、中間調はスキントーンがニュートラルだけど、シャドーがグリーンになってハイライトがマゼンタになる、みたいな事が、ひとつの顔の中で起こってしまい破綻した再現になってしまいます。そういった「色ごとの方向」を整えて破綻のない範囲でフィルムのようなニュアンスを表現させるというのが、本当に難しかったところです。

入江 :このチューニングについては最後の最後まで悩みました。開発側の人間が言うことではないのですが、クラシックネガの色再現は、例えば料理を撮るとあまり美味しそうに見えない再現になってしまうこともあるなど、少しじゃじゃ馬な側面があると思っています。

藤原 :最初に搭載することになったカメラがX-Pro3という少し尖ったカメラだった、という事が決め手となり「カメラが尖っているのだから、新しいフィルムシミュレーションも少し尖り気味にしよう」と決めました。

FUJIFILM X-Pro3(DRシルバー)

——そうだったのですね。ちなみにクラシックネガの「ヌケてない」感じというのは色の混ぜ方によって表現されているのでしょうか?

藤原 :色とトーンカーブのバランスによって表現しています。

◇   ◇   ◇

後編につづきます。

豊田慶記

1981年広島県生まれ。メカに興味があり内燃機関のエンジニアを目指していたが、植田正治・緑川洋一・メイプルソープの写真に感銘を受け写真家を志す。日本大学芸術学部写真学科卒業後スタジオマンを経てデジタル一眼レフ等の開発に携わり、その後フリーランスに。黒白写真が好き。