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山下豊写真展「軍艦アパート」
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――写真展リアルタイムレポート
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2008年4月、刊行した写真集(冬春社刊、価格2625円)の表紙に選んだ1点。「これは現像したまま、プリントし忘れていました。結構、そういったカットがありました」と山下さん
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※写真、記事、図表などの著作権は著作者に帰属します。無断転用・転載は固くお断りします。
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山下豊さんは1970年大阪生まれ。今後も何らかの形で大阪を撮り続けていきたいという
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大阪市は1930(昭和5)年から1932(昭和7)年、浪速区に衛生の改善を目的に鉄筋コンクリートの集合住宅を竣工させた。水道、水洗トイレ、ダストシューターが完備されたモダンな作りで、以来、「軍艦アパート」の通称で親しまれてきた。
東京で言えば同潤会アパートが想起され、その成り立ちから大阪と東京の違いを明らかにしていて興味深い。山下豊さんは1989年頃から、最後の一棟が解体される2006年まで、軍艦アパートを撮り続けてきた。大判カメラで捉えたその映像には、人の営みの痕跡が記されており、見る人それぞれにさまざまな読み方をさせてくれる。
山下豊写真展「軍艦アパート」はビジュアルアーツギャラリー東京で開催。会期は2009年1月13日(火)~2月7日(土)。日曜、祝日休館。入場無料。開館時間は10時~18時(最終日は15時まで)。
所在地は東京都新宿区西早稲田3-14-3 早稲田安達ビル1F。問合せは03-3221-0206 ・東京ビジュアルアーツ写真学科まで。
展示は外側から見た軍艦アパートと、それぞれの部屋の風景で構成。そこにあるモノが主たちの生活、生きてきた時間を語る |
■ 専門学校の卒業制作で撮り始めた
山下さんがこのモチーフを撮り始めたのは、大阪の写真専門学校の学生時代からだ。卒業制作に取り組む時期に、ゼミの担当講師からこの被写体を教えられたのだ。
「『古いアパートがあるんやけどテーマ決まってなかったら撮ってみいへんか』と言われて、興味津々でアパートを訪れました」
それは大阪・日本橋の電気街の外れにあった。3階建てのアパート群は、ビル街に隠れ、小道を折れた時、忽然と姿を現した。
「行ったことはないのですが、香港の九龍城砦みたいで強いインパクトがありましたね。卒業後は東京に行くつもりだったのですが、結局、この被写体にひきつけられたこともあって、大阪に残ることになりました」
講師に撮ることを伝えると、4×5のカメラを渡され、2冊の写真集を見るように言われた。高梨豊氏の「町」と、篠山紀信氏の「パリ」だ。
「『町』からは昭和という残影の切り取り方を、『パリ』は石畳やコンクリートなどの質感の描写を学べということだったと思います。ただそれに気づくまでに半年以上はかかりました」
最初は昭和を感じさせるモダンな建物の外観にばかり眼がいってしまっていたのだ。
■ 住人に会ったら必ず挨拶をする
軍艦アパートは、南日東、北日東、下寺住宅の3つの群で構成されていて、南日東は2001年、北日東はその翌年に取り壊されている。山下さんはちょうど最初に壊された南日東から撮影を始め、それぞれの終焉を見届けることになった。
「最初は自治会の会長さんに撮影の許可をお願いに行きました。といっても、正式なものではなく、住んでいる人全員の了承を得ているわけではないので、撮影中、住んでいる人に『帰れ』と言われたことも何度かあります」
ただ偶然に訪れてカメラを構える人が何人かいて、勝手に撮影して行く姿を住人はあまりよい印象で見ていなかった。だから山下さんは、住人に会ったら必ず挨拶することを自らに課し、撮影を続けた。
「一つの群で、200世帯前後は入居しているので、長く通っていても、まったく顔を見たこともない人もいます。ある時、屋上で撮影していたら、初めて顔を見るおばちゃんが上がってきた。不審がられるかなと思ったら、『ああ、兄ちゃんか。いつも見てんでぇ』って。聞くと、僕が1階で他の住人に挨拶する姿を、3階の部屋の窓から何度も見ていたから安心やというのです」
軍艦アパートでは毎年、空き巣の被害が出ていたので、住人の信頼を勝ち得ることが撮影を続けるための絶対条件だったのだ。
■ 17年通えたのは人とのつながりがあったから
学校卒業後は、仕事をしながら休日に軍艦アパートへ通い続けた。トータルで17年間も撮影を続けられたのは、人とのつながりにほかならない。住人からアパートの昔話を聞くことで、より深くこの風景の意味を理解していけたのだ。
たとえば多くの家のベランダに、出し屋と言われる一室がある。このアパートは2Kであり、子どもが生まれると手狭になり、もう一部屋がほしくなる。
「住人の大工さんが請け負って、部屋を作ったのがその始まりのようです。自治会の会長さん宅にお邪魔した時に部屋が4つある。聞いてみたら、2部屋増築したと言ってました」
賃貸アパートにもかかわらず、住みやすいように増改築してしまっている。山下さんが最初に抱いた九龍城砦というイメージも、あながち的外れではないわけだ。
「昼過ぎに着いて、撮影を始めようと思ったら、通りがかったおばさんと話が始まり、あとから人が増えて、井戸端会議。気づいたら夕方。『にぃちゃん、今日は何しに来てん?』っておばさんに言われながら、1枚も撮らずに帰ったこともあります」
撮影に反対していたおっちゃんがいた。ある日、撮った写真を住人に見せていると、その人もやってきた。
「にぃちゃんには、このアパートがこんな風に見えてるんか。わしはこんな風にキレイに思ったことはないなあ」とおっちゃんは話し、それから撮るなとは言わなくなったそうだ。
■ 写真に人を入れなかった理由
カメラはトヨビュー45Cと45G、レンズは65mm、75mm、90mmを使う。すべてのものにピントを合わせるため、絞り込んで長めに露光する。
「ここの住人たちは、自分が撮られるのを嫌がるんです。家の中を撮るのは構わないが、自分たちが写るのはイヤっていう」
アパートの敷地内には、驚くほどモノがあふれている。子どもの遊び道具や洗濯機をはじめとする生活用品、植木鉢などが廊下に並べられ、歩行困難なほどだったという。住人を写すよりも、これらのモノたちの方がそこに住む人やコミュニティのあり様を雄弁に物語っていることに気づき始めた。
「そして引きがない場所が多かったので、自然と一定の距離感で撮ることが増えていきました。実際、展示する時は同じようなフレーミングでシンプルに見せた方が、1点ずつの違いがわかりやすいんです。そうしたことは、撮影しながら、大阪で幾度か個展を重ねてきた経験で学びました」
■ 撮影の動機は大阪が好きだということ
山下さんはこの軍艦アパートと平行して、モノクロームでの大阪のスナップや、デジタルカメラで一風変わった看板の撮影をしてきた。
「ようやくわかってきたのは、自分は大阪の人とその生き方が好きで、単純にその良さを写真で伝えたいんだということ。一時、写真で自分は何を表現しようとしているのか考え込んでしまい、撮れなくなった時期があったんですよ。軍艦アパートもスナップも、自分の中の根っこではつながっているんです」
会場には大全紙に引き伸ばされたプリントが並び、東京で初めてとなる、今はなき軍艦アパートが追体験できる空間が出現している。昭和という時間に熟成された大阪のカタチは、見る人によってずいぶんと違う印象を与えるに違いない。
■ URL
ビジュアルアーツギャラリー東京
http://tva.weblogs.jp/vagallery/
写真展関連記事バックナンバー
http://dc.watch.impress.co.jp/cda/exib_backnumber/
市井康延 (いちいやすのぶ)1963年東京生まれ。灯台下暗しを実感する今日この頃。なぜって、新宿のブランドショップBEAMS JAPANをご存知ですよね。この6階にギャラリーがあり、コンスタントに写真展を開いているのです。それもオープンは8年前。ということで情報のチェックは大切です。写真展めぐりの前には東京フォト散歩( http://photosanpo.hp.infoseek.co.jp/ )をご覧ください。開催情報もお気軽にお寄せください。 |
2009/01/22 14:00
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