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【PhotoPlus Expo 2006】
キーノートスピーチ「世界が変わった瞬間:9/11映像の背景にあるもの」


写真左から、司会のDavid Friend、パネリストであるカメラマンのJonathan Torgovnik、Kelly Price、John Labriolaの各氏
会場:米国ニューヨーク ジェイコブ・ジャヴィッツ・コンベンションセンター
会期:11月2日~4日(現地時間)


 3日(現地時間)に行なわれたPhotoPlus Expo 2006のキーノートスピーチは、デジタルフォトグラフィが持つ影響力と、それが9/11同時多発テロ後にどのように世界を変えてきたかについて、David Friend氏(雑誌「Vanity Fair」編集者)が進行役をつとめる形で始まった。

 Friend氏は「この日惨劇のあったその瞬間から、デジタルテクノロジーという手段を通じてニュースやイメージが伝えられ、世界は一気に広まりを見せた。その規模は我々もかつて経験したことの無いほどであり、我々も広がりを体感することとなった」、「米国民のほとんど全員、そして外国人の多くがなんらかの形でこの日の出来事と結びついた個人のストーリーを持っていると言われる。誰もが『どこにいたときに』、『何をしていたときに』、『どこから』この事件の一報が耳に入ったのかを今でも覚えているが、これがまさにそのことである」、「世界の25億人以上もの人がなんらかの形でこの惨劇を目にし、さらに詳しい情報を得ようと、およそ80%の人がテレビを点けたと言われる。一方インターネットでニュースを探していた人は2~3%と言われている」、「にも関わらず世の中は写真を通して、物理的に跡形もなく無くなってしまったあの惨劇から学んだり、見たり、ビジュアル化できるようになった」とキーノートスピーチを始めた。

 続いてDavid Frned氏が3人のパネリストを紹介。彼らが撮った写真はその後、アメリカ国内で大きな反響を呼び、テレビや新聞、それに写真誌で大きく取りあげられることとなった。

 ここからは各パネリストが順にプロジェクタを通してスライドショウを見せる形で進行した。その中には未公開の写真も多く含まれているとのことだった。

 パネリストが撮影したときの状況を1枚1枚コメントしながら進行するのだが、地元New Yorkからの来場者も多いため、一般のキーノートスピーチとはだいぶ様子がことなり、会場内は張り詰めた空気が流れた。

 3人のパネリストはまず、事件が起きたときになにをしたかを話した。Jonathan Torgovnik氏は、「9/11の前日、フランスからニューヨークに帰ってきたばかりのところに、朝電話が鳴った。僕は留守番電話の音で目が覚め、メッセージを聞いてみると最初の飛行機がワールドトレードセンタービルにつっこんだときの事を伝えるものだった。(当時はまだフィルムで写真を撮っていたのだが)冷蔵庫に保存してあったフィルムを取り出し、カメラに入れすぐにアパートの窓から写真を撮り始めた。そのあとすぐに自転車に飛び乗り、ワールドセンタービルに向かった。着いてみると『自分は一体ここで何をしているんだ、ここにいたらそのまま死んでしまうかもしれない、でも写真を撮らないと』という考えが頭の中を駆けめぐった」と述べた。


向かって一番左がJonathan Torgovnik氏
氏のアパートの窓から最初に撮った写真


Kelly Price氏
 続いてKelly Price氏。「私はこの日の朝、最近勤め始めたオフィスに向かう途中だった。最初の旅客機がビルに突入したとき、とっさに近くのデリに飛び込んで使い切りカメラをいくつか購入した。そのあとフィルム5本分の使い切りカメラを使って写真を撮ったのだけれど、その時の記憶や何を考えていたかは実は思い出せない。はっきりと覚えているのは、私のすぐ背後まで灰とダストでできた巨大な壁が迫っていることだった。私も皆と一緒に必死になって走って無我夢中で逃げたのだけれど、あるときなぜか後ろを振り向いて写真を撮り始めた」。そうして彼女が恐ろしい体験をして撮った写真はその後大きく評価されることになった。


すぐ隣のトリニティチャーチから撮った写真

John Labriola氏
 John Labriola氏はこの日、この悲劇の前から写真を撮り始めていた。彼はこの日ちょうどワールドトレードセンターの71階で開かれるミーティングに出るため、近くに車を止めたあと、毎日持ち歩くデジタルカメラで日常の風景を撮っていたのだ。この日、たまたまワールドトレードセンターを見上げるようにして1枚写真を撮ったのだが、これがビル崩壊前の無事な姿を納めた貴重な1枚になった。

 「8時45分、71階の会議室でミーティングが始まるとすぐにものすごい爆発音が聞こえた。そのときビルは5~6フィート揺れた」。

 その後たくさんの人と一緒に1時間かけて非常階段で避難したときに撮った110枚のイメージの中には、救助に向かって登ってきた消防士など、2度と写真に納めることのできない人たちの顔があった。

 「現場ではすぐに報道規制がひかれ、警察官や消防士に撮影の停止を命じられた。けれどもこのときにビルに突入して非常階段を登ってきた消防士達の写真は皮肉にも彼らから感謝されることになった」。

 再びDavid Friendがこう結ぶ。「その後、テクノロジーの変化する速度は加速度的なものとなり、以前とはすっかり変わってしまった。ちょうどこの頃はデジタルへの移行が始まったばかりだったが、もし今のように誰もがデジタルカメラやカメラ機能付き携帯電話を持っていたらこの事件をどんな風に捉えるだろうか、想像して欲しい」。


ワールドトレードセンタービルに航空機が飛び込む直前の姿 ビル倒壊後、すぐ近くのチャーチにて

 その後来場者から質問が続いた。「自分も含めて、周りの人が生きるか死ぬかのようなシチュエーションで、一体何が自分をフォトグラファーであると自己認識できるのか?」。

 これは周囲の人から「フォトグラファーとは人間の持つ痛みに対して免疫ができているのでは?」と思われたり言われたりすることが多いことを受けて、出てきた質問だった(来場者の多くもフォトグラファーやジャーナリストが多い)。特に今回のような悲劇が起きたときは、フォトグラファーとは感情を押し殺し、レンズ越しにその悲劇を見ることができる冷酷な人たちだ、と一般の人たちの目に映ったそうだ。

 パネリストからは「写真を撮っていたときのその場の詳しい状況は実はよく覚えていない。その時のことを思い出したのは、後日、十分な時間が経ってから自分の撮った写真を見つめ直した時である」という回答が返ってきた。そしてパネリスト全員が「あのときとっさにカメラを手にして、本能的に写真を撮ったことは、正しいことだと今も信じている」という言葉が印象的だった。

 David Friend氏の新しい著作、「Watching the World Change: The Stories Behind the Images of 9/11」は、あの日ワールドトレードセンターで命を奪われた人たちのその直前の姿を、彼らの撮った写真を通して見ることができた、という遺族の物語が多く描かれている。

 この本は、写真集ではないが、当時世情を鑑みて「人々を不安や混乱に陥れる」という理由で公開されなかった写真がいくつか納められている。けれどもカメラを通して感じた痛みは今日フォトジャーナリスティックドキュメントとしての重要性が認められた写真となると同時に、惨劇で命を落とした犠牲者遺族にとってかけがえのない、貴重な1枚となった。



URL
  Photoplus Expo
  http://www.photoplusexpo.com/


( Yusef Junquera / Hiroyuki Yoshikawa )
2006/11/06 00:02
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