20周年企画

デジタルカメラニュースの20年を振り返る/第5回(2008年)

ミドルクラスのフルサイズ移行が本格化 マイクロフォーサーズもスタート

ご覧いただいている「デジカメ Watch」が9月27日(金)、無事20周年を迎えることになりました。長きにわたりご愛読をいただきありがとうございます。

20周年を記念し、過去20年のニュースをピックアップする小特集を連載しています。

今回は2008年のニュースを取り上げていきます。


フルサイズ化と低価格化が進んだデジタル一眼レフカメラ

1月に発表されたペンタックス「K20D」は、CCDからCMOSセンサーへとイメージセンサーを刷新。この撮像素子は提携関係にあったサムスンテックウィンおよびサムスン電子との共同開発品で、これによりライブビューが可能になっています。また、画像仕上げを「カスタムイメージ」と呼ぶようになり、カメラの機能名称としてはインパクトの強い「雅(MIYABI)」も、このときより実装されました。

なお同じタイミングで、エントリークラスの「K200D」が発表されています。

ペンタックス K20D

キヤノンからは1月、エントリークラスの「EOS Kiss X2」が発表されました。この系列もトレンドを追うかたちでライブビューに対応。エントリークラスこそライブビューが求められていたので、この進化は歓迎されました。

キヤノン EOS Kiss X2

さらにキヤノンは、「EOS Kiss X2」よりも廉価なエントリーモデル「EOS Kiss F」を投入。新製品なのにレンズキットが8万円前後という価格設定で、デジタル一眼レフカメラの普及を後押しします。その後もラインアップの充実に注力し、シェア1位を維持し続けるのでした。

キヤノン EOS Kiss F

同年1月、ニコンがエントリーモデルの「D60」を発表しました。この系列は毎年新機種が登場しており、このときの主な新機能はイメージセンサークリーニング機構の搭載。コンパクトデジタルカメラでは生じなかった、ゴミ問題に対応したかたちです。ただしイメージセンサーは「D40x」を引き継いだままのCCDであり、ライブビューへの対応は見送られました。

ニコン D60

ソニーもエントリーモデル「α350」を2月に発表。流行のライブビューに対する回答として、同社は「クイックAFライブビュー」を提唱しました。

ファインダー近くのライブビュー専用イメージセンサーに、ライブビュー時のみレンズからの光を導く仕組みです。さらにクイックリターンミラーをハーフミラーとし、ミラーをパタパタ動かすことなく位相差AFを動作させることに成功しました。

この方式は理にかなっており、かつ当時としては比較的使いやすいものでした。ただしライブビューの視野率が低かったりと、それなりにデメリットも生じています。同時発表のより廉価な「α200」では採用されていません。

ソニー α350(クイックAFライブビュー模式図)

ちなみに1〜2月に発表が集中しているのは、米国のフォトイメージングイベント「PMA 2008」に各社があわせたためです。

オリンパスは3月に「E-420」を、5月に兄弟機の「E-520」を発表。「E-520」のみボディ内手ブレ補正を搭載するなど、この2台の関係性は前世代と同じでした。

オリンパス E-420ダブルズームキット
オリンパス E-520

「α350」でライブビューAFの進化を世に問うたソニーは、続いて7月にチルト液晶モニター搭載の「α300」を発表しています。こちらも「クイックAFライブビュー」を搭載。

すでに「E-3」「LUMIX DMC-L10」でバリアングルモニターを採用するフォーサーズ勢を除くと、当時のデジタル一眼レフカメラにおける背面モニターの主流は固定式でした。「α300」のチルト式モニターは、「クイックAFライブビュー」の有用性をよりアピールするものといって良いでしょう。

ソニー α300

この年のハイライトの1つが、ニコン「D700」の発表(7月)になります。前年、「D3」で35mmフルサイズのFXフォーマットの始動を告げたニコンが、いよいよFXフォーマットにもミドルクラスを投入したのです。2カ月後にキヤノンが発表することになる「EOS 5D Mark II」とあわせ、その後もしばらくハイアマチュアの心を捉え続けました。

ニコン D700

APS-Cセンサーのミドルクラスとしては、まずキヤノンが8月に「EOS 50D」を発表。「EOS 40D」から約1年の発売となるハイペースです。周辺光量補正や顔検出などを搭載し、現在のレンズ交換式カメラに細部が近くなってきました。

キヤノン EOS 50D

同じく8月、ニコンが「D90」を発表しています。2006年発売の「D80」の後継機ですが、この時代に早くも720pのHD記録に対応。ニコンでは「Dムービー」と呼び、他社との差別化を訴えました。

コンパクトデジタルカメラならいざ知らず、デジタル一眼レフカメラでの動画記録は、まだ先になるとみられていた時代。動画記録時の「D90」のフォーカスはマニュアルのみで、720pでの記録時間は約5分。ここからずいぶん進化したのですね。

ニコン D90

ちなみにこの「D90」、年末にSMBCコンサルティングの「2008年ヒット商品番付」に東の前頭4枚目として選出されています。ちなみに西の前頭4枚目はH&M。横綱は該当なし、大関はアウトレットモール(東)・5万円パソコン(西)。カメラがヒット商品番付に選ばれるとは、今から考えると輝かしい時代でした。

コニカミノルタのレンズ交換式カメラ事業を継承してから、矢継ぎ早に製品を投入するソニー。この年の9月には、早くもフルサイズセンサーを搭載する「α900」を発表しました。

フルサイズにして4段分のボディ内手ブレ補正を可能とし、ペンタプリズム式のファインダーは視野率100%、倍率0.74倍。往年のフィルム一眼レフカメラを思わせるペンタ部頂点のとがり具合や、約850gの金属製ボディの造りなどに、ソニーの一眼レフカメラへの本気度を感じたものです。

ソニー α900

同じく9月には、キヤノンが「EOS 5D Mark II」を発表します。有効約2,110万画素のライブビュー対応CMOSセンサーを搭載するなど、約2年前に登場した「EOS 5D」からさらにブラッシュアップされての登場です。しかも「D90」に続き動画記録にも対応。こちらはFHDでの記録が可能でした(記録時間は約12分)。

結果「EOS 5D Mark II」は、「D700」とハイアマチュアの人気を2分する製品となりました。さらに「α900」を交えての中級機フルサイズ時代が本格化したのです。

キヤノン EOS 5D Mark II

ペンタックスが9月に発表した「K-m」は、「K200D」のさらに下位に位置するエントリーモデル。キヤノンでいうところの「EOS Kiss F」にあたる機種になるのでしょう。単に部材を廉価なものにしたのではく、メニュー体系を初心者向けにシンプルに整理し、ヘルプ機能も充実させるなどの工夫が見られます。

ペンタックス K-mダブルズームキット

11月には、オリンパスがかねてから予告していた中級機「E-30」を発表します。フラッグシップの「E-3」とエントリークラスに近い「E-520」の間を埋める機種であり、オリンパスユーザーからつとに求められていたセグメントの製品でした(フォーサーズにしてはE-3が大きく重かったので)。

この製品の特徴はもう1つあり、それが初めて「アートフィルター」を搭載したことです。発表当初、頭の硬いカメラマスコミの面々から若干色物扱いされた「アートフィルター」ですが、その後各メーカーが同様の機能を軒並み搭載するようになるなど、カメラでの表現に影響を与えた機能となりました。「アートフィルター」の考え方は、おそらくその後のスマートフォンでの写真撮影にも影響を与えていると思います。

オリンパス E-30

デジタル一眼レフカメラでこの年のトリを飾ったのは、ニコン「D3X」でした。「D3」の約1,250万から約2,450万画素へと、有効画素数がアップしています。当時、高画素の基準は2,000万画素に据えられていました。

ニコン D3X

マイクロフォーサーズシステム規格が発表

パナソニックの参入で、軌道に乗り始めたフォーサーズシステム規格。そこに突如、オリンパスとパナソニックの2社から、よりコンパクトな「マイクロフォーサーズシステム規格」が発表されます。

当時は主な特徴としてフランジバックの短さを挙げており、ミラーレス構造になるかは具体的に明言されていませんでした。ただ、レンジファインダーカメラよりも短い20mmのフランジバックということで、「クイックリターンミラーがなくなる?」との予想が広がりました。

発表会のフォトセッションで。左からオリンパスイメージングの大久保雅治社長と、パナソニックAVCネットワークス社の吉田守副社長

そして9月。初のマイクロフォーサーズカメラの「LUMIX DMC-G1」がパナソニックから発表されました。レンズキットで9万円前後というエントリークラスで、「女流一眼」というキャッチコピーも印象的なもの。フラットボディではなく、ペンタ部を残した一眼レフスタイルだったことに衝撃を受けたのを思い出します。

パナソニック LUMIX DMC-G1
発表会に出席した「女流一眼隊」。左から森木美和さん、鈴木慶江さん、樋口可南子さん、鳥居かほりさん、高橋まりのさん

一方オリンパスも9月、マイクロフォーサーズ対応の製品を投入すると発表。それまでのE-システムにない、シンプルなスタイリングのモックアップをフォトキナ2008に参考出品しました。

フォトキナ2008のオリンパスブースに展示されたマイクロフォーサーズ機モックアップ

お得意の「カラバリ」が誕生してしまう

当時のエントリーデジタル一眼レフカメラの新しい提案としては、ペンタックスの「K-mホワイトモデル」もその1つでしょう。エントリークラスにありがちなシルバーボディが用意されていなかった「K-m」ですが、その後追加されたのは意表を突くホワイト。キットレンズも同色にするなど、手の込んだカラバリモデルです。

味を占めた(?)ペンタックスはこの後、オリーブ色の「K-m」をはじめ、盛んにカラーバリエーションを展開するようになります。

ペンタックス K-mホワイトモデル

FOVEONセンサーを搭載したシグマ「DP1」

PMA 2008で正式発表されたのが、シグマ「DP1」です。フォトキナ2006、PMA2007、PIE2007でそれぞれ参考出品された製品で、2年越しの2008年、ついに発売が決まりました。

重量250gのコンパクトなボディにAPS-CサイズのFoveonセンサーを搭載。レンズは28mm F4の単焦点です。スナップ向けの小型ボディながら画質に全振りしたような仕様とあって、マニアから注目されました。

60コマ/秒の「EXILM PRO EX-F1」

カシオが1月に発表した「EXILM PRO EX-F1」は、フル解像度60コマ/秒の静止画連写と、フルHD60fpsの動画記録に対応したレンズ一体型デジタルカメラ。シャッターボタンを押す前を記録できる「パスト連写」を搭載するなど、久しぶりにガジェット好きの耳目を集めた機種でもありました。

イメージセンサーがCCDからCMOSセンサーへと切り替わるトレンドが前年から続き、デジタルカメラの可能性に広がりを感じていた時期の1製品です。

カシオ EXILM PRO EX-F1

ちなみにカシオはこの年の8月、いまでは当たり前になった美肌機能を搭載するコンパクトデジタルカメラも発表しています。この流れも各社へと波及していきました。

デジタルフォトフレームの認知が進む

この年くらいから、店頭でデジタルフォトフレームを見かけるようになります。プリントではなく、デジタルならではの撮影画像の活用方法として注目されたのでしょう。市場自体は1999年頃からあったのですが、デジタル一眼レフカメラの普及にあわせ、盛り上がりを見せ始めたのです。

その中の1つ、日本サムスンの「SPF-83H」は、USBでPCにつなぐとサブディスプレイになるという機能を有しています。いまでいうモバイルディスプレイの先駆けですね。

日本サムスン SPF-83H

クリエイターノートPCの元祖

ソニーが9月に発表したノートPC「VAIO type A」には、写真編集に特化した「フォトエディション」が用意されていました。いわゆるクリエイター向けPCの走りともいえるものでしょう。

18.4型モニターの色域はAdobe RGBカバー率100%、メモリーカードスロットもCF・SDHC/SDメモリーカード・メモリースティックに対応と豪華。当時は買い切りソフトだった「Lighroom 2」も標準添付されていました。

ディスプレイフード「VGP-DHA1」を装着したVAIO type Aフォトエディション(VGN-AW70B/Q)

無線LAN内蔵SDカード「Eye-Fi」が日本上陸

米Eye-Fiが、初の海外進出先として選んだのが日本。この年国内で「Eye-Fi Shareカード」が発売されました。時は写真系オンラインサービスが華やかなりし頃。ブロガーがこの製品を盛んに取り上げたこともあり、ちょっとしたブームとなりました。

Eye-Fi Share

無線規格「TransferJet」がお目見え

この年にソニーが発表したのが、近接無線技術の「TransferJet」。デジタルカメラをPCなどにかざすことで、画像データを無線で伝送するという規格です。赤外線通信が一般的なデータ通信だった当時、実効375Mbpsの無線伝送は夢のある話でした。

TransferJetはその後2009年に規格が固まり、ソニー以外のメーカーにも採用機種が広がります。サイバーショット、メモリースティック、SDメモリーカードなどに実装され、2015年頃まで対応機器が出ていた記憶があります。

松下電器産業が「パナソニック株式会社」に

カメラ業界だけの話ではないのですが、大きな話題なのでここで紹介します。この年の1月、松下電器産業株式会社が社名を「パナソニック株式会社」にすると発表。同時に「ナショナル」ブランドの廃止も明言されました。

同社のデジタルカメラはすでにパナソニックブランドのもとで展開していたため、このとき特に違和感はありませんでした。が、日本の産業発展を担った企業グループから創業一族の呼称がついに消えることに、時代の移り変わりを感じたものでした。

本誌:折本幸治