ライカレンズの美学

光学責任者が語る“ライカレンズの美学”

高性能でも小型に。キレイなボケ味の理論とは?

ライカレンズの魅力を探る本連載。前回まであくまでも使い手目線に立ったインプレッションを行ってきたわけだが、逆に作り手側、すなわちライカ自身はどういう考え方でレンズを作り出しているのだろうか?ということも当然ながら大いに気になる。

ライカカメラ社レンズ開発責任者のピーター・カルベ氏

そういったハナシも連載のどこかでぜひ紹介したいなぁと常々考えていたところ、ライカカメラ社のレンズ開発責任者であるピーター・カルベさんが来日するという情報をキャッチ!ここぞとばかりにライカカメラ社が考えるオフィシャルな「ライカレンズの美学」をうかがうことにした。

――まずはカルベさんに、M型レンズに関する基本的な成り立ちについて説明してもらった。

我々は1954年にMシステムをスタートさせた当時から、そのアドバンテージをよく理解していました。レンズ、ボディ共にコンパクトに出来るということですね。1960年代後半からは一眼レフが出てきた影響でMシステムの生産は減りましたが、それでも一眼レフにはない、レンジファインダーカメラの優位点ははっきりと分かっていましたので、Mシステムだけはキープしようとずっとやってきました。

M型ライカの初号機、ライカM3(1954年)。60年後に続くスタイルが誕生した

時代の要請に従ってMレンズにもより明るい、より高性能なレンズを求められるようになり、レンズ設計も複雑になっていきました。ライカ(当時はライツ)では第二次大戦後くらいからガラスを溶解してレンズを作るということをしていましたので、自社で開発した特殊な高屈折率ガラスとか低分散ガラスを使うことで、高性能なレンズの要望にも対応することが出来ました。

1957年のエルンスト・ライツ社(ドイツ・ウェッツラー)

ライカのレンズの進化は大きく4つの世代に分けられます。第1世代はスクリューマウント(M型以前の、いわゆるバルナックライカ)時代のレンズです。第2世代は1954年に登場したMマウントレンズ。この世代のレンズは画面中心は高い性能を持っていましたが、周辺は性能が落ちるので、当時のレンズはある程度絞り込まなければ画面周辺部まで整った性能が出ませんでした。

1932年のライカII型。今に続く基本形が完成した、ライカレンズ第1世代の象徴的スタイル

しかし、第3世代になると非球面レンズを積極的に使うことで、画面中心から周辺まで高い性能を確保できるようになりました。そして第4世代ではフローティングエレメントを採用しています。特に大口径レンズは撮影距離によって性能が変わりやすいのですが、フローティングエレメントを入れることで、至近でも無限でも性能を発揮できるようになります。ただ、ライカMレンズのようなマニュアル操作のレンズにフローティング機構を入れるのは、メカ的に複雑になるので、そこが技術的なチャレンジになります。特にバックラッシュ(いわゆるガタ)を取ることが難しいですね。

非球面レンズに関しては、1960年代くらいから「レンズ性能を上げるためにはもうひとつブレイクスルーが必要」ということで採用をスタートさせました。最初に非球面レンズを使ったのはノクティルックス50mm F1.2でしたが、これは作るのが本当に大変で、1本売るごとに赤字を出している状態でした。

ノクティルックス50mmの最新モデル:NOCTILUX-M F0.95/50mm ASPH.

次の世代になると、いわゆる“手磨き非球面”を採用したズミルックス35mm F1.4を発表しましたが、これもなかなか難しく、さらに次の世代のズミルックス35mmくらいから、やっと上手く行き始めました。現在、非球面レンズの製造手法はガラスモールドか切削非球面のどちらかです。径が大きかったり、硝材的に難しいものに関しては切削非球面になります。

今、非球面を使ったレンズでよく言われているのが、点光源をボカした部分に同心円状のタマネギのような模様がでることです。我々はこれを「オニオンリングエフェクト」と呼んでいますが、その発生を防ぐべく、ガラスモールドの場合は金型を磨き込み、切削の場合はQEDシステムと呼ばれる装置を使ってレンズ側の磨き込みを行っています。切削非球面の表面を最終段階で磨き込むのは、レンズ性能のためと言うよりは、削り跡に起因するオニオンリングエフェクトを出ないようにするためです。

デジタルの現行機種ライカM-P(Typ240)。レンズは非球面やフローティング機構を取り入れた“第4世代”に突入

ライカレンズが最初の第1世代のころからずっと重視してきたのは設計品質だけでなく、量産品質を上げるということです。設計段階で高い性能を確保するのはもちろんですが、量産品質をいかにコントロールするかということですね。性能にバラツキがなく、お客さんがどのレンズを買っても同じ性能を楽しめる。そういうことを非常に重視してきました。

そうやってライカレンズはアナログの時代から設計品質、量産品質共に高いレベルをキープしていたので、たとえデジタルのMボディにアナログ時代のレンズを装着したとしても、片ボケ(編注:カルベ氏も“kata-bokeh”と言っていた)などに悩まされることなく、かなり高い性能を得られる。安定して使えるレンズになっています。

例えば非球面レンズを採用する前の、初代ズミルックス35mm F1.4(1961年〜)は中心画質は良好でしたが、周辺ではやはり性能が落ちる。でもボケ味のキレイさには定評があります。そのボケがキレイなのは、量産品質がいいからです。もし、片ボケしたらボケ味は決してよくならない。だから高い評価を受けているわけです。ライカレンズのコンセプトはスペック的なものだけではなく、いかに泥臭く量産品の品質を安定させてコントロールさせるかが重要なのです。

ズミルックス35mmの変遷について:SUMMILUX-M F1.4/35mm ASPH.

M型ライカをデジタル化するときに何が一番チャレンジングだったかというと、ボディ側をどうやってMレンズに対応させるかと言うことが非常に難しかった。イメージセンサー、特に昔のものはテレセントリック性に対する要求度が高く、センサーに対して真っ直ぐ光が入ってくるように求められました。ところがMレンズはその逆で、インシデントアングル(センサーへの入射角)が急になるものが多く、レンズからの光をどうやって撮像素子が正しく受けられるようにするかということがチャレンジでした。

世の中にあるMレンズの特性は後から変えることはできませんから、そうしたインシデントアングルの深いレンズであっても光を受け取れるよう、イメージセンサーの方で対応させることにしました。M型ライカ用レンズに関しては、最新製品であってもテレセントリック性についてはあまり考えていなくて、昔と同じように小型化を中心に考えています。

なぜライカレンズは高価なのか?:ライカに惚れ込む“3つの魅力”

ライカレンズの辞書に「ボケ味」や「個性」はあるのか?

――ライカレンズに関する説明をひととおり伺ったあと、いくつか質問もしてみた。まずはライカレンズの「ボケ味」に関して。ライカユーザー、特に日本人はライカレンズのボケ味が素晴らしいというが、そもそもライカはレンズのボケ味を評価しているのだろうか。ボケの良さを狙って作っているのだろうか。また、ライカレンズはどのような哲学で作られているのだろうか。

ボケ味を直接的にリファインすることはないですが、設計の時にどの収差をどういう風にコントロールするかというのがノウハウとしてあります。収差を上手にコントロールしていけば、自然とボケもキレイになるのです。

ボケ味を活かしたポートレート作例:APO-SUMMICRON-M F2/75mm ASPH.

マックス・ベレク(ライツ社の光学設計者)は1930年に出した本で、レンズを設計するにあたっては絞りとか焦点距離といったスペックはもちろん、「できるだけ収差を減らすこと」と書いています。収差を上手にコントロールすることで画質もよくなるし、ボケもよくなる。そういう関連性があるんです。

マックス・ベレク

設計の時、そもそもレンズの1枚1枚それぞれ個々で持っている収差を、最初から抑えて設計しなければいけません。例えば「ここで大きな収差が出ているので、それを抑えるために新たにレンズを入れて修正しよう」なんてやっていると、どんどんレンズ枚数が増えて大きく重くなってしまいます。特にM型ライカ用レンズの場合はできるだけ小さく高性能でなければならないので、レンズ枚数を増やせない。そこで、個々のレンズ、エレメント、ブロックで、できるだけ収差を抑えていきます。

例えば半導体製造用のステッパーに使われているレンズは、ものすごく多くの枚数のレンズを使って収差を抑えていますが、M用のライカレンズはそういう考え方では成り立たないので、注意深く7枚くらいのレンズで、どの面がどんな仕事をして、どの面がどういう収差を抑えるのかひとつひとつ検討しながら、丁寧に設計していきます。安易にレンズを足したり枚数を増やさずに、出来るだけ少ない枚数で高性能なレンズを作ろうというのが基本で、それがライカレンズの哲学なのです。そしてそれはマックス・ベレクが当時定義した考え方そのものです。

ベレクの本は1930年に最初の版がでたあと、1970年に次の版がでて、1990年まで売られていました。いろんな重要な特許がその本に載っていて、今でも基本的にはその哲学に則っています。

ライカが究極を謳う1本も8枚構成:APO-SUMMICRON-M F2/50mm ASPH.

――昔はレンズの残存収差をどうバランスさせるかでメーカーの個性が出ていたと思います。ところが今は光学設計技術が進化して、収差の絶対量が少なくなってきています。そうなるとメーカーは個性というか持ち味を出しにくくなっているのではないでしょうか。

そういう時代になっても基本的なスタート地点が重要なのは変わりません。今のコンピューターを使った光学設計でも、強い収差があると「ここでこう修正したら良い」といった指示があって、無理矢理修正して、最終的には高性能なレンズができる可能性が高い。でもライカはスタート地点として、なるべく少ない枚数で1枚1枚のレンズの性能を見ながらやるという考えがあるので、出来てくるモノは違ってくる。それがライカの個性になっていると思います。

現代ライカレンズの王道:SUMMILUX-M F1.4/50mm ASPH.

――ベレクの時代はハガキサイズにプリントすることを前提にそこから逆算してレンズの解像度を決めたということですが、M用レンズを設計するとき、ボディ側の画素数はどのくらいまで想定していますか?

ベレクの時と同じように、このカメラではどのサイズまでプリントするかを想定し、それにはどれくらい解像度が必要かで設計値を決めています。画素数ではなく、あくまでもプリントサイズです。これはカメラのイメージセンサーがAPS-Cであっても35mmフルサイズであっても同じです。残念ながらどれくらいの大きさのプリントサイズなのかは非公開ですが…。ただし、一般的な鑑賞距離から見たときに充分であれば良いというのではなく、全体を見たあとに近寄った時、より情報量がわき出てくる。そういう解像度を求めています。写真をどう使うかということを考えてレンズ性能を決めています。

高性能かつ小型にこだわる美学

カルベさんには何度かインタビューさせてもらっているが、常に最適な言葉を選び、真摯に応えてくれる印象がある。

今回伺った話はどれも興味深いものばかりだったが、安易に構成枚数を増やさないとか、今でもM型レンズはテレセントリック性をあまり考えていないといった事実は特に興味深かった。「高性能レンズ=巨大化もやむなし」といった風潮の中、ライカ、特にM型ライカ用レンズの在り方には、大いに賛同を覚えた。

どのメーカーのレンズも性能が高くなってきている中、ライカレンズの個性の在り方や、確固たる方向性の一端を垣間見られた気がする1時間半であった。

協力:ライカカメラジャパン

河田一規