インタビュー

製品担当者に聞く「ライカM6」復刻の経緯。フィルムは今後どうなる?

復刻版のライカM6とズミルックスM 35mm

ライカカメラ社が11月に発売したフィルムカメラ「ライカM6」および復刻版の「ライカ ズミルックスM f1.4/35mm」について、独ライカカメラ社のキーパーソンに聞いた内容をお届けする。

イェスコ・フォン・エーンハウゼン氏(ライカカメラ社 カメラ部門プロダクトマネージメント部長)

復刻版ライカM6について

——なぜライカM6が選ばれたのでしょうか。

昨今のフィルムカメラのトレンドを見ながら考えました。(オリジナルの)ライカM6は実績があり、足りない機能はなく、過剰な機能もない機種でした。そこで、生産ラインの都合も含めライカM6で行こうという判断になりました。

ライカM3/M2/M4で完成されたM型ライカの形状をそのままに、露出計を内蔵したのがライカM6という概念図。1971年のライカM5が先にTTL測光を実現したが、カメラが大型化したこともあり「大きな成功ではなかった」とのこと
ライカM6のメカニカルパーツの45%はライカM3と同一だという
ライカ伝統のゴム引き布幕フォーカルプレーンシャッターを“Heart of camera”と表現していた
2枚のスリットでブライトフレームを出す仕組みも継承(これは現行のMデジタルも同じ)

——ネーミングを「ライカM6」から変えるなどの案はありましたか?

最初からありませんでした。

——新しいライカM6の露出計やファインダー周りは、ライカMPと共通なのですか?

はい。ライカMPと新しいライカM6でキーコンポーネントは共通しています。

——ダイヤル類の書体やケースなど、細かな部分も現行機種とは異なるデザインが施されています。新たに設計したパーツは何がありますか?

今回新たに作ったパーツはありますが、いずれもオリジナルのライカM6の設計図を元にしているため、新しく設計したものはありません。

——トップカバーの製法は、亜鉛ダイキャストから真鍮削り出しへ、現行ライカと同様に変更されました。

オリジナルのライカM6以降の機種では、外装を真鍮削り出しとする流れでしたから、戻す必要もありませんでした。

——復刻で大変だったことは何でしょう。

内部コンポーネントやパーツの供給が十分であるかは不安でしたが、いけると判断してライカM6の生産を始めました。10年前に比べると、より多くの台数のフィルムカメラを売っていく確約がないため、サプライヤーを探すのも苦労するという悩みがあります。ただ、期待をもって作ろうと考えました。

イェスコ氏のプレゼンより。“ライカはフィルムカメラの生産をやめなかった”

——昔のライカM6も修理できるようになりますか?

はい。復刻のライカM6用に供給されるパーツが使えます。これには弊社のカスタマーケアが歓喜しています。

——例えば、オリジナルのライカM6の露出計が壊れたら、修理できますか?

露出インジケーターは変わりますが、修理可能です。

——オリジナルのライカM6のように、シルバーカラーの予定はありますか?

その予定はありません。

復刻版「ズミルックスM 35mm F1.4」について

——ライカM6と同時代ではなく、“スチールリム”と呼ばれる世代を選んだ理由は何ですか?

スチールリムがコレクタブルで有名であることを知っていました。絞りを開けることで特別な描写が得られるように、描写の方向性が明確なのも特徴的です。当初はライカM6と2つ同時に発表する計画ではありませんでしたが、タイミングが一致しました。

——このところ、古いライカMレンズの市場価格が高騰しているのを、どのよう見ていますか?

コレクターズアイテムとしての価格を興味深く見ています。これまでに発売したクラシックラインのレンズ(編注:ズマロン28mmや初代ノクティルックスなどのこと)の動向を見ていても、これらはオールドのコレクターズアイテムと競合せず共存できています。このためクラシックラインは、神話のあるレンズを実際に使いたいと考える人に対して、ライカとしてより現実的な価格でユーザーに提供できることになります。

——クラシックライン(いわゆる復刻版)のレンズは今後も続きますか?

はい。ラインナップの中からクラシックライン向きのものを探します。選択基準は「レアだからやる」ということではありません。例えば初代ズミルックスM 35mmのポイントは、デジタルカメラのユーザーが多い中、撮影後のレタッチではなく、レンズがそのまま独特の表現をしてくれるところにあります。

アンドレアス・カウフマン氏(ライカカメラ社主)

——このところ「Leica」ではなく「Leitz」の文字やバッジも多く目にするようになりました。どんな背景がありますか?

1999年に、当時のオーナーだったスイス人のシュミットハイニー氏が、全てを「ライカ」と名称変更しました。もともとライカは総称で、ライツは商品に紐付いていました。例えばこのレンズ(カウフマン氏の手元あった、ズミクロン35mmの6枚玉)にも「LEITZ CANADA」と刻印されています。

2007年にライツパーク(編注:ドイツ・ウェッツラーにあり、現在ライカカメラ本社が所在する地域)ができ、“Leitz”という名前を使うようになりました。2014年にライカカメラ社が移転した際には「ライツカフェ」もオープンし、2018年には「エルンスト・ライツ・ホテル」や「エルンスト・ライツ・ヴェルクシュタッテン」(ライカWatchを手がける会社)もできました。シネマレンズは「エルンスト・ライツ・ウェッツラー」という会社が手がけています。

また、“ライツフォン”もそうです。「LEITZ PHONE 2」も、日本だけで販売します。これは良いものになると思います。

LEITZ PHONE 2の製品情報ページには、「先見の明に長けたライカの創業者Ernst Leitzの名を冠しています。また、1924年に世界で初めて35mm判カメラの量産を決断し、写真界に革命を起こしたErnst Leitz II世の革新的な思考と行動を讃えています」と記されている

——フィルム写真は今後どうなっていくと思いますか?

2013年の大晦日、13歳ぐらいの孫がいる同年代の人と集まりました。彼女にとって大人の集まりは酷で、話すことがありませんでした。しかし、instax(チェキ)で2〜3枚のセルフィーを撮ると、彼女は初めて笑ったのです。出来上がった写真をスマートフォンで撮影して友達に送り、彼女は「It's cool.」と言いました。その体験に基づいて、富士フイルムと協力して「ライカ ゾフォート」(2016年。チェキフィルム対応のインスタントカメラ)を作りました。

そうした時代の流れの中で、日本の中古市場にも動きがありました。若い人がフィルムカメラに興味を示していることが、今回のライカM6復刻に繋がっています。2015年頃には、ライカのフィルムカメラは販売台数が年間500台という時もあり、ビジネス的には思わしくありませんでした。しかし、ライカこそアナログカメラを作り続けられると考えました。

1865年にマッターホルン初登頂を果たした人が「なぜ登った?」と問われて「登れるから」と答えたように、ライカもアナログカメラを作り続けることについて、そう考えています。

——愛好家からは「最後はライカがフィルムを作ってくれるはず」と期待する声も聞きます。いかがですか?

フィルム製造は化学産業です。コダックのフィルムは、生産量の95%がシネマ用で、残り5%がスチル用。写真用フィルムは、常に映画用のフィルムがあってこそなのです。今でもこの産業は生きていますから、それはそれで専門の会社に任せたほうが良いと思います。

現状のように、フィルムを使って映画を撮影し、デジタル化したものを我々が見るようなことが続けば、フィルムは死なず、うまいくいくと思います。

——ライカはどのように製品ラインナップを構築していますか?

常に3〜4年先までのロードマップを持っています。特にレンズは延びてしまうこともあり、かなり緻密な計算が必要です。そこから、さらに延びることもあります。

例えばデジタルのM型ライカは3〜4年の製品スパンを見ていて、毎年発表する必要もありません。新しいイメージセンサーや技術など、意味がある時にアップデートを行います。その間に、視点の異なるものとしてモノクローム(ライカMモノクロームなど、モノクロ専用版)を節々で出すよう意識はしています。

ライカは写真というメディアをリスペクトできる人が選ぶ最高のツールであってほしいと考えていて、写真を撮ることこそが目的です。

ライカM6発表イベント

一番左がアンドレアス・カウフマン氏(ライカカメラ社主)、一番右がステファン・ダニエル氏(ライカカメラ社 上級副社長 技術・オペレーション担当)。ライカM6のWebサイトにストーリーが掲載されているJohn Sypal氏、Paul Hepper氏、Joe Greer氏(中央左から)も登壇した

2022年10月、ドイツ・ウェッツラーのライカカメラ本社に、30の国と地域から約300名が集まった。「Celebration of Photography」と題されたイベントの中で、写真賞「オスカー・バルナックアワード」の授賞式などと並んでライカM6がお披露目。来場者に拍手喝采で迎えられた。

初代Macintoshの登場や、オリンピック報道に初めて電子スチルカメラが使われるなど、革新的で未来的なものが話題となった1984年。その当時としても“クラシック”な新製品だったというのがオリジナルのライカM6。結果としてライカの歴史において最も長く販売した機種となった。なお、最も多く販売したのはライカM3だという。

1984年10月から働くステファン・ダニエル氏(ライカカメラ社 上級副社長 技術・オペレーション担当)は、入社したての16歳当時を振り返り、フォトキナ発表前の新製品=ライカM6を親方が見せてくれたことを誇りに思ったと語る。

時代がデジタルに移行しはじめ、フィルムカメラのセールスが下がる中で、ライカとしては初となるMマウントAE機「ライカM7」(2002年)が登場する。だが2003年には、AE非搭載の「ライカMP」を追加。M型ライカに対して“オートはいらない”との声があったそうだ。M型のデジタル機は2006年の「ライカM8」に始まり、ライカ判フルサイズを達成する「ライカM9」の登場は2009年。

デジタルのM型ライカが登場した後も、露出計非搭載のシンプルなフィルムカメラ「ライカM-A」(2014年)が追加されている。新しいライカM6は、ライカMPおよびライカM-Aと共通の基本メカニズムを持ちつつ、よりモダンで日常的に使われることを想定した仕様として、キャラ分けされている。

プレゼンテーションでは、ライカM4の時代に作られた「the think camera」という広告を示し、現代においてもマニュアル操作メインのM型ライカは“think camera”だと説明があった。特にフィルムカメラはデジタルカメラに比べ、フィルムを入れる、巻き上げる、巻き戻すなど、撮影にあたって気にすべきことが多いが、そのプロセスによって得られる“マインドフルネス”も、フィルム写真における大事な一要素として語られた。

アメリカで展開されたライカM4(1967年発売)の広告「the think camera」
本誌:鈴木誠