ライカレンズの美学

APO-SUMMICRON-M F2/50mm ASPH.

羊の皮を被った狼

現行のM型ライカ用レンズの魅力を探る本連載。5回目となる今回はAPO-SUMMICRON-M F2/50mm ASPH.について考察してみよう。

APO-SUMMICRON-M F2/50mm ASPH.が発表されたのは2012年5月のこと。ベルリンで行われたライカの新製品発表会において、ライカMモノクローム(現行のTyp246ではなく、CCDセンサーの初代モデル)と同時にお披露目された。実際に発表されたのは2013年2月だが、どうやらこのレンズは製造難易度が高いらしく、発売以降ずっと品薄状態が続いた。一時は「3年待ち」などとも言われていたが、最近になってようやく供給が追いついてきたようだ。

ライカ アポ・ズミクロンM F2/50mm ASPH.

まずは簡単にSUMMICRON 50mmの歴史を振り返ってみよう。初代SUMMICRON 50mmは1953年に登場。当初はスクリューマウント仕様であったが、1954年にM型ライカの初代「ライカM3」が発表されると、それに合わせるためにMマウントバージョンも登場。鏡胴構造も最初は沈胴式だったが、やがて固定鏡胴式となる。この初代SUMMICRONは、レンズとレンズの間隔を上手く利用した“空気レンズ”の採用など、当時としては最先端の光学設計が盛り込まれた銘レンズであった。

1956年には近接撮影用の機構を持ち“近接ズミクロン”や“DRズミクロン”(DRはデュアルレンジの略)などと呼ばれる、いわゆる「メガネ付き」のSUMMICRON 50mmなどを併売しながらも、初代SUMMICRON 50mmは1968年まで製造される。1969年になると新種の硝材を用いることでレンズ構成枚数を1枚減らしながらも光学性能をさらに向上させた第2世代のSUMMICRON 50mmが登場。その10年後の1979年にはレンズ構成を大幅に変更した第3世代へとバトンタッチする。この第3世代SUMMICRON 50mmはその後、鏡胴デザインなどに変更を受けながらも光学系は基本的に継承されつつ、2015年の今も現行モデルとして堂々とラインナップされ続けている長寿レンズである。

贅を尽くした1本

今回取り上げたAPO-SUMMICRON-M F2/50mm ASPH.は、第3世代SUMMICRONの後継モデルという位置づけではなく、まったくの新レンズとして登場した(このためSUMMICRON 50mmはそのまま併売されている)。今までのSUMMICRON 50mmとは価格がだいぶ異なるということもあるが、いろいろな意味で従来SUMMICRON、いや、これまでのどのM型ライカ用レンズとも異なる立ち位置にあるレンズなのだ。

その最たる特長はやはり描写性能の高さだ。50mmレンズとしては決して明るい方ではないF2という口径でありながら、F1.4のSUMMILUX-M F1.4/50mm ASPH.より設定価格が高いことからも分かるとおり、このレンズの光学設計は贅を尽くしたものとなっていて、ある意味「もしかするとまったくコスト度外視で設計したのでは?」と思えるほど。

レンズ構成そのものは5群8枚と比較的シンプルなものながら、レンズ名称からも想像できるとおりアポクロマート補正や非球面レンズが使用されている。50mmレンズへの非球面レンズの採用については本連載の2回目、SUMMILUX-M F1.4/50mm ASPH.の時にもそれがどういう意味を持つのか書いたが、それに加えてアポクロマート補正までもが開放F2の50mmレンズに投入されていることは、もはや狂気のレベルではないかと思えるほどだ。

しかもこのレンズには撮影距離によって変動する収差を効果的に補正することが可能なフローティング機構まで盛り込まれているのだ。現代レンズ設計における満漢全席のような贅の尽くされかたである。同様の設計手法は、たとえば大口径望遠レンズ、あるいは大口径広角レンズなどでは珍しくないが、そうした贅沢手法をF2の50mm単焦点レンズという、一見地味なスペックのレンズに投入してしまったところに、このレンズのすごさと面白さがある。

解像性能とクセのないボケが共存

具体的にこのレンズの写りがどうスゴいのかというと、まずは解像性能が高いこと。これについては「デジタル時代の最新設計なのだから当たり前では」と思うかもしれないが、そうしたデジタル時代の高解像度レンズの描写を見慣れた目にも新鮮に見えるほど解像性能が良いのだ。また、これはレンズ性能だけではなく、ボディ側の画作りも関係しているけれど、高解像画像にありがちな乾ききったパサパサな印象の解像ではなく、どこか湿度を感じさせるような潤いのある結像なのが個人的には素晴らしいと思う。

「手で触れたらこんな感じだろうな」という感触が「リアルに想像できる」質感描写がすごい。LEICA M(Typ240) / ISO200 / F5.6 / 1/350秒 / WB:オート
色の褪せた塗装面、樹脂パーツ、ゴム、そしてアルミというそれぞれの素材をちゃんと描き分けられる能力はさすが。LEICA M(Typ240) / ISO200 / F5.6 / 1/500秒 / WB:オート

次に素晴らしいのがボケ味の自然さだ。一般的に性能を解像方向へ振ったレンズは、その副作用として、どうしてもボケにクセが出がちだ。必要以上にボケの輪郭が強調されたり、二線ボケになったりしやすいのだ。

ところが、このAPO-SUMMICRON-M F2/50mm ASPH.は合焦部分に関しては他に類を見ないほど高解像でありながら、ボケの自然さも同じように他に類を見ない見事さなのだ。なかなか両立させることが難しい解像性能の高さとボケの自然さを、どちらも犠牲にすることなく高いレベルで共存させているところにこのレンズの真骨頂があるのではないだろうか。

絞り開放でのアウトフォーカス描写は本当に見事。ピントの立ち上がりの鋭さと甘美なボケの両方を同時に楽しめるレンズだ。LEICA M(Typ240) / ISO320 / F2 / 1/1,000秒 / WB:オート
開放はもちろん、ある程度絞り込んだときのボケも決してカクカクとはせす、実に自然なアウトフォーカス描写。LEICA M(Typ240) / ISO200 / F5.6 / 1/350秒 / WB:オート

興味深いのは、これだけの高性能を内包しながら、その外観は「ごく普通のライカレンズ」にしか見えないということだ。フィルター径は39mmと小さいし、長さは4.7cm、直径は5.3cmしかない(さすがにガラスと金属の塊なので、こんなに小さくても重さは300gあるが)。現行のM型ライカ用レンズの中でも実はもっとも過激な存在でありながら、見た目はごく普通というが実に奥ゆかしいというか、そこがカッコいいではないか。

見た目は平凡なセダンなのに、実は高性能エンジンを搭載していて、走らせるとすごいクルマのことをよく「羊の皮を被ったオオカミ」などと表することがあるけれど、このレンズはまさしくソレである。ライカカメラ社が得意とする双眼鏡の接眼部構造にヒントを得たという、回転しながら繰り出すタイプの組み込みレンズフードなどもよく考えられている。

組み込み式のレンズフードは回転させながら繰り出すタイプ。双眼鏡の接眼部にヒントを得たという。
絞り開放での撮影だが、画面中央はもちろん、最周辺部まで乱れのない描写を得られた。LEICA M(Typ240) / ISO200 / F2 / 1/180秒 / WB:オート
光源をフレームインさせた強烈な逆光状態でも、若干のフレアは発生すれど合焦部の解像感はまったく揺るがない。LEICA M(Typ240) / ISO200 / F5.6 / 1/750秒 / WB:オート
解像性能が高くシャープな描写でありながらも、決して無味乾燥としたドライな描写ではなく、どこか潤いのある写り方をする。LEICA M(Typ240) / ISO320 / F5.6 / 1/1,000秒 / WB:オート
歪曲収差はほぼ完璧に補正されている。LEICA M(Typ240) / ISO320 / F5.6 / 1/90秒 / WB:オート

協力:ライカカメラジャパン

河田一規

(かわだ かずのり)1961年、神奈川県横浜市生まれ。結婚式場のスタッフカメラマン、写真家助手を経て1997年よりフリー。雑誌等での人物撮影の他、写真雑誌にハウツー記事、カメラ・レンズのレビュー記事を執筆中。クラカメからデジタルまでカメラなら何でも好き。ライカは80年代後半から愛用し、現在も銀塩・デジタルを問わず撮影に持ち出している。