ライカレンズの美学

SUMMILUX-M F1.4/50mm ASPH.

華麗なる中庸レンズ

M型ライカ用レンズの魅力をお伝えする本連載のトップバッターは、SUMMILUX-M F1.4/50mm ASPH.である。記念すべき第1回目ということで、どのレンズから行こうか迷ったが、ここはやはり標準レンズの王道スペックである50mm F1.4から始めることにした。

ライカM(Typ240)+ズミルックスM f1.4/50mm ASPH.

まずはM型ライカ用50mm F1.4の歴史について簡単におさらいしておくと、初代SUMMILUX 50mm F1.4は1959年に発売された。それ以前にもF2を超える大口径50mmライカレンズとしてはスクリューマウント時代のXENON 50mm F1.5(1936年)や、SUMMARIT 50mm F1.5(1949年)が先にあり、初代SUMMILUX 50mm F1.4はそれらの後継レンズとして登場した。

が、この初代SUMMILUX 50mmは意外と短命で、約2年後の1961年には光学系を変更した第2世代のSUMMILUX 50mm F1.4へとバトンタッチされる。ライカレンズとしては異例の短命さだった初代とは異なり、この第2世代SUMMILUXは鏡胴デザインの刷新や最短撮影距離が1mから0.7mへと変更されるなどの変更・改良を受けつつも、基本的には同じ光学系のまま約43年もの長い間作られ続け、2004年に現行のSUMMILUX 50mmが登場する。

43年ぶりのモデルチェンジだけあって、現行SUMMILUX 50mmには数々の技術的革新が盛り込まれている。中でも大きな注目ポイントは非球面レンズが採用されていることだ。と書くと、非球面レンズなんて別に珍しくも何ともないのでは?と思われるかもしれないし、現に2004年時点でも非球面を採用したレンズは他にも沢山存在していた。しかし、そのほとんどが広角系レンズやズームであり、単焦点標準レンズへの非球面レンズ搭載は当時としては非常に進んだ考え方だったのだ。

実はライカは非球面レンズの可能性にどこよりも早く着目しており、1966年には民生用レンズとしては世界で初めて非球面レンズを採用したNOCTILUX 50mm F1.2を登場させている。単なる広角レンズの収差抑制だけではなく、標準画角においても非球面レンズの効用がとても大きいことを知り尽くしているからこそ、現行SUMMILUX 50mmにも非球面を投入したのだろう。

今回の作例はすべて昨年の5月に行われたライカカメラ社ウェッツラー新社屋お披露目の時に撮影したもの。この写真は旧市街中央にある教会内にて。中距離での撮影だが、背景ボケはとてもスムース。LEICA M(Typ240)/ ISO200 / F1.4 / 1/30秒 / WB:オート

もうひとつの技術的特長はフローティング機構が搭載されていることだ。フローティング機構とは、撮影距離ごとに変化する収差を補正する機能のことで、SUMMILUX 50mmの場合はピント合わせの全体繰り出しとは別に、最後群の1群2枚だけをフォーカス群と切り離して独自移動するようになっている。

本連載のプロローグ編でも少し触れたが、M型ライカ用レンズのような完全マニュアルフォーカスレンズでフローティング機構を実現する場合、フォーカス用のヘリコイドとは別のフローティング用ヘリコイドが必要になる、いわゆるダブルヘリコイドとしなければならない。最近のAFレンズのように電気で作動するアクチュエーターを動力とするならばフローティングといえどもそれほど実現難易度は高くないが、ダブルヘリコイドで行うフローティングは超精密なメカ制御であり、量産するに当たっての製造難易度は高い。

宿泊したホテルのカーペット上の鳥。フローティング機構のおかげで近距離撮影でも像質は非常に安定している。LEICA M(Typ240)/ ISO200 / F1.4 / 1/30秒 / WB:オート
開放でもピントには明確な芯がある。LEICA M(Typ240)/ ISO800 / F1.4 / 1/250秒 / WB:オート

描写性能は非常にハイレベルだ。特に絞り開放気味で近〜中距離で撮影したとき、大口径レンズ特有のシャープで線の細い合焦部分から、美しいグラデーションを見せつつアウトフォーカスしていく様は素晴らしい。設計が2004年ということで、最近のレンズほど解像方向へ振った設計ではないと思われるが、このレンズを使っていて解像性能に不満を感じたことはまったくない。レンズの解像限界が露呈しやすいモノクロ専用モデルのライカMモノクローム(Typ246)との組み合わせでもキレ味鋭い描写を見せてくれた。設計がモダンで秀逸なため、先代SUMMILUX 50mmのような収差に起因する個性は弱めなものの、それだけにアベレージ性能は高く、人物から風景まで被写体を選ぶこともない。

これはライカカメラ社新社屋の階段。絞り開放なので合焦部分は画面内のごくわずかだが、アウトフォーカス描写はかくも繊細で美しい。LEICA M(Typ240)/ ISO200 / F1.4 / 1/1,000秒 / WB:オート
現在のライツ家当主であるクーンツ氏。エルンスト・ライツII世が建てた屋敷は広く美しい。これは厨房だが、窓越しの外光が柔らかく描写された。LEICA M(Typ240)/ ISO800 / F1.4 / 1/750秒 / WB:オート
旧市街にはオスカー・バルナックが活躍していた頃の建物がまだまだ現役で頑張っている。今回の作例は絞り開放のものが多いが、これはF5.6まで絞っている。絞っても線が太くなることはなく、シャープな描写。LEICA M(Typ240)/ ISO200 / F5.6 / 1/1,000秒 / WB:オート
これだけはウェッツラーではなくフランクフルトの空港にて。点光源のボケに口径食の影響が少し感じられるものの、気になるほどではない。LEICA M(Typ240)/ ISO400 / F1.4 / 1/90秒 / WB:オート

この現行SUMMILUX 50mmを設計したのは、ライカカメラ社の光学設計部門責任者でもあるピーター・カルベ氏。日本にもよく来ている方で、昨年のCP+2014(あの大雪の!)ではライカレンズについてのセミナーを行ったりもしているので、ご存じの人も多いだろう。数年前、まだライカカメラ社が今のウェッツラーではなく、ゾルムスにあったころにカルベ氏を取材させてもらったことがあるのだが、個室オフィスの壁にはカルベ氏が自ら撮影した写真が掛けられていたほか、自分で撮影した画像を大量に見せてくれるなど、本当に撮ることが好きな人である。こうした自ら写真を撮る人が作るレンズというのは、やはりユーザーにとって安心感がある。

現行SUMMILUX 50mmは個人的にも使用頻度の高いレンズなのだが、使えば使うほど良さを実感できるというか、単に解像性能を上げるだけではなく、写真という2次元表現において立体感をどう表せばいいのかといったことまで十分に配慮されていると強く感じる。

50mmの顔ぶれ

ところで、現行のM型ライカ用50mmレンズは5本ほどラインナップされているわけだが、この中からどれを選べば良いのか迷う人もいると思う。この5本は価格的にもそれぞれ差があるため、人によっては「SUMMICRON 50mm F2よりSUMMILUX 50mm F1.4の方が口径が明るいし価格も高いので高級。NOCTILUX 50mm F0.95はさらに高級」といった松竹梅的なヒエラルキーでそれぞれのレンズの立ち位置を解釈してしまっている方もいるかと思う。しかし、それはあまり正しいとは言えない。

ライカの場合、それぞれのレンズは目的に応じて描写傾向が微妙に異なり、そもそも目的が違うので、どちらが上とか下という話ではないのだ。例えばSUMMILUXは大口径ならではの繊細な写りを活かすことで、デリケートで感覚的な表現に向いているのに対し、SUMMICRONはもっと骨太でリアリズムな描写をするといった具合にそれぞれ個性がある。

こうしたことは何を意味するかというと、たとえばSUMMILUXを持っていたとしても、SUMMICRONも欲しくなってしまうということを意味する。レンズが次々に欲しくなってしまって後に引けなくなる様を俗に「レンズ沼」などと言うが、ライカのレンズ沼はひときわ深く危険なのだ。

というわけで、5本あるM型ライカ用50mmレンズのうち、どれを買っても後悔することはまったくない(ハズ)。ただ、迷っているなら今回取り上げたSUMMILUX 50mmがオススメだ。というのも、SUMMILUX 50mmにはNOCTILUX的なエッセンスとSUMMICRON的なエッセンスの両方が(あくまでもエッセンスであり、同じではない)共存しているからだ。言葉にすると「中庸」ということになるわけだが、ライカが作ると中庸であったとしても決して退屈にはならないのが面白い。個人的には「華麗なる中庸レンズ」だと思っている。

ウェッツラーにあるリッテルアリーナで行われたライカ100周年記念の催しにて。絞り込んでパンフォーカスにするよりも、こうしてアウトフォーカス部を多くした方がむしろ臨場感が高まるのは面白い。LEICA M(Typ240)/ ISO1600 / F1.4 / 1/4秒 / WB:オート

協力:ライカカメラジャパン

河田一規

(かわだ かずのり)1961年、神奈川県横浜市生まれ。結婚式場のスタッフカメラマン、写真家助手を経て1997年よりフリー。雑誌等での人物撮影の他、写真雑誌にハウツー記事、カメラ・レンズのレビュー記事を執筆中。クラカメからデジタルまでカメラなら何でも好き。ライカは80年代後半から愛用し、現在も銀塩・デジタルを問わず撮影に持ち出している。