私はこれを買いました!

極めて日本的な美学が息づくカメラ

FUJIFILM X-Pro3(宮澤孝周)

年末恒例のお買い物企画として、写真家・ライターの皆さんに、2020年に購入したカメラ関連製品をひとつだけ挙げていただきました。(編集部)

そのスタイルを受け入れることができるのかどうかが問題

X-Pro3を手にすることは、正直ないと思っていました。だからこそというのか、今自身の考え方が大きく変わってきていることに、自分のことながら驚いています。誤解を生みがちな製品なので、ちょっとこの考え方の変化も交えながら、今回の顛末をお伝えしてみたいと思います。

賛否で大きく意見が分かれるカメラです。“否”とする意見は徹底して否定的ですし、一方で“賛”とする意見に目を向けると、それはそれでほぼ全肯定なので、よくわからなくなってきます。では筆者はどうだったのかというと、正直なところ否とする立場をとっていました。

その理由は見て触れた感触では退化という印象のほうが強く、また製品の性格づけからくる価値観の押しつけ感になじむことができなかった、という点が最も大きかったように思います。カメラであれペンであれ、あまねく道具というものは、使用方法について一定のルールはあったとしても、そこから先の使い方は基本的にユーザーに委ねられるべきだと思うからです。

こうした意見の割れを招いた最も大きな要因が背面モニターを隠し仕様としたことにあるのは明らかです。外装部材へのこだわりだけであれば、ここまで否とする意見も噴出しなかっただろうと思います。センセーショナルとするには、すでにM型ライカのデジタル版で末尾に「D」とつくモデルがいくつか販売されていますので、そこまでの衝撃はありません。ただ、多くのファンを獲得しているX-Proシリーズで、このようなチャレンジがあったことに対するアレルギー反応のようなものだったのかもしれません。

撮影に所作と美しさを

どうしても背面モニターがすぐに見られる状態だと再生ボタンに指がかかりがちです。筆者はふだんから撮影直後のプレビューを切ることで、必要な時以外は再生確認をしないようにしています。それでも「見ることができる」状態の近さは、確認の頻度を自然と高めます。その点で本機は背面モニターがそもそも不便な仕様となっているので、よほどの理由がない限り背面モニターを開くことがなくなりますし、何よりも、本機を「粋」に使用したいという意識が潔い割りきりをもたらしてくれます。

「粋である」ということは、思想であったり生き方そのものをあらわす在り方だと思います。そうした在り方を端的にあらわしているのが、江戸っ子という在り方です。例えば、“そば”の食べ方。つゆに麺を“ぼちゃり”とつけ込んで食べると、濃厚な醤油の味・香りが楽しめて高い満足感が得られますよね。でも江戸っ子はそうした食べ方はせずに、つゆのつけ具合はほんの少し。そばの香りを楽しむように食べることを流儀としています。つまり美味しくて満足感の高い食べ方があったとしても、あえてそれをしないという「選択」をしているわけです。言ってみれば、それは「やせ我慢」以外の何ものでもありません。でも、そこには確固たる美学が息づいていますし、そうした生き方は、何よりも人を美しくします。立ち居振る舞いに表れる所作の美しさもまた、そうした抑制の美学に支えられているのだということは、古典がよく教えてくれるところでもあります。

全てとはいうことはありませんが、昨今の写真やカメラを見ていると、ともすると小手先の技巧や、ごてごてと盛り込まれた機能に埋め尽くされている部分が目立ちます。例え市場の求めがあるのだとしても、「写真を撮ることの本質」が見えづらくなってきているのではないか、とも思います。ここまで言ってしまうと、少々言葉がすぎる面があるかもしれませんが、ライカがM10になってM(Typ240)で獲得した動画撮影機能を切り捨てて、あらためて静止画の撮影に特化したということは、あらためて評価されるべき判断だったのだと感じられます。素直な感想として、カッコいいですし、まさに粋な計らいではありませんか。

そうした視点からX-Pro3を捉え直していくと「用の美」をしっかりとおさえつつ、抑制の美学がよく反映された美しいプロダクトだと感じられるようになってきます。キャッチコピーを含めて製品の見せ方がものすごく感覚に訴える方向を向いていますので、誤解を与えがちなのは否めませんが、写真の本質とは何かということを、実に明快に問いかけてくるカメラなのだと思います。その意味で「PURE PHOTOGRAPHY」というキャッチコピーが本来の意味を獲得するのだと思います。

OVFかEVFか問題

メーカー曰く、X-ProシリーズではEVFを使用するユーザーのほうが多いのだそうです。そんな話を東京・上野で開催された本機のお披露目会で聞きました。

EVFは確かに便利です。でも、せっかく背面モニターの呪縛から解き放たれたのに、なおも確実性を求めるのはいかにも潔さが足りないように思えます。

EVFによるフレーミングは正確ですが、それだと背面モニターを使っているのと大差がなくなってしまうように思うわけです。その意味で、本機を楽しむコツはOVFによるアバウトなフレーミングを許容することにあるのだと言い換えることもできてきます。おおらかな気持ちで、ざっくりと世界を切り取っていくということ。そうしてはじめてレンジファインダースタイルは完成するのだとも思えます。言うなれば、レンジファインダースタイルを標榜してきたX-Proシリーズの美学は、本機でようやく完成した、ということでもあるのではないでしょうか。

そうした大らかな気持ちで本機を手にすると、ちょっと世界が変わって見えてくるように思います。「いいな」と感じた瞬間であったり、記録以上の意味が感じられないような瞬間でもいい。世界への眼差しの変化は、きっと写真それ自体も変えてくれると思うわけです。

あらためて試行錯誤に楽しみを見出す

写真を撮るという情動は、ひじょうに感覚的な反応だと思います。感覚が反応するという意味で、撮影行為にはその人そのものがあらわれてくると、筆者は考えています。今、感覚的な部分に訴えてくるのが、X-Pro3だとお伝えしたのですが、一方で、実は本機って理詰めで考えていく人にとって、無二の心地よさをもたらしてくれるカメラなんじゃないか、と最近では思うようになっています。

アバウトと言ってみたり、理詰めで考えると言ってみたりで、矛盾があるじゃないか、と思われるかもしれません。このバランスを調整する上で活躍するのがEVFとOVFの双方を選べる、ということなのではないかと考えています。

筆者の場合のお話をすると、被写体を観察をしている時は使用しているレンズの画角を考慮した上で、どのようなアプローチをするかを、まず考えています。別の言い方をすると撮影時には、その頭で描いたアプローチであったり、求めたイメージにどこまで撮影結果を近づけることができるか、に挑戦していることでもあるわけです。

そうしたイメージを一発で決められることはごく稀で、撮影結果に応じて試行錯誤を繰り返すことが圧倒的に多いです。そのため、背面モニターですぐに結果が確認できて、即座に別の手はずを整えることができるデジタルカメラならではの利点はとても大きいと感じています。

この考え方自体は今も変わりはありませんし、業務上必要な撮影ではしつこいくらいにねちっこく様々な角度や寄り引きを押さえていきます。仕事としての話なので当然のことではありますが、一方でここまでのしつこさをプライベートの撮影でも持ち出してしまうクセがついてしまっていたことに、ふと気づかされました。そう、そのカットはそうまでして、ねちっこく、執着してまでバリエーションをつくる必要はあるのか、と。

答えは内容によるということになります。でも、それ以上に撮影している以上、失敗カットしか残っていないということが、どうしても許せない自分がいることに気づいたのです。ミラーレスカメラを使用するようになって、ピント精度や解像感が向上して、過剰に失敗ないしは、ニアリー失敗カットを避けたがるようになっていたのです。

趣味として楽しんでいる撮影ですから、それが撮れていようが撮れていまいが、責任は自分にしかかかってきません。ダメだったときは潔くあきらめるべきなのです。その意味でも失敗の蓄積は力になりますし、次の試行錯誤にもつながっていきます。それは使用しているカメラへの理解が深まる瞬間でもあります。

過去を振り返ることは大切だと思いますが、0.1秒前の出来事までいちいち振り返っていては前に進むことはできなくなってしまいます。だからこそ、富士フイルム自身も、とにかく撮ることに向き合うカメラだと紹介していたわけなのです。身をもって納得が得られました。

使っていくほどに被写体を観察する力が養われる、と言うと美しい表現とはなりますが、実際には「被写体をどう見るか」の徹底した鍛え直しが求められます。写真集を開き、写真展に足を運ぶことは楽しみのひとつでもありましたが(むしろ見るほうが好きだったという面もあります)、今はさらに自分ならどう撮るのかを考える時間にもなっていて、見方や考え方も大きく変わってきています。

ひじょうに趣味性の強い、いい意味で酔狂に溢れたカメラではありますが、その分撮ることの楽しさもちょっと違うと実感しています。それは、つくり手のエゴがつまったカメラならではの魅力でもあるように思います。どんな場面でも一定の使い勝手が得られることは道具として絶対的な価値がありますが、制約の中で工夫したり、その制約自体を楽しめることもまた、撮り手の特権なのだと感じています。

【追伸】
背面のカラーメモリ液晶モニターは「標準」モードを使用しています。バッテリー残量と撮影残枚数が視認・把握できるので便利です。そのほかの撮影性能もX-Trans CMOS 4センサーとX-Processor 4の組み合わせですので、AFもスピーディー。とかくその性格が強調されがちな本機ですが、基本性能の高さも魅力です。

X-Pro3 / XF23mmF2 R WR / 絞り優先AE(F5.6・1/500秒・-1.0EV) / ISO 160

近況報告

私ごとではありますが、子どもが生まれました。元気な男の子です。正直なところ自分が人の親になるとは思っていなかったので、不安もありつつですが、希望のようなものも感じています。思い返してみると、X-Pro3に手を出したということも意外つながりではあるのですが、やはり価値観が変わってきているのかもしれないなと、ふと思っています。次年はもうすこし外出がしやすくなって、イベントごとも盛りあがってくれるといいのですが、どうなるでしょうか。

本誌:宮澤孝周