イベントレポート
君はウルトラマイクロニッコールを知っているか
半導体産業を支える超高解像度レンズの世界
2018年5月16日 07:00
東京・品川のニコンミュージアムでは、6月30日まで「世界最高解像度レンズの系譜 ウルトラマイクロ ニッコール」という企画展が開催されている。
もしこれまでウルトラマイクロニッコールについて問われても、筆者は「産業用のアレでしょ。うん」としか答えられなかっただろう。ニコンミュージアムから今回の企画展を見学・レポートしてほしいとの打診があったので、この機会に学んでしまおうという魂胆のもと、ニコンの半導体露光装置に30年間携わった経験を持つ同ミュージアムの岩田浩満氏に話を聞いた。
マイクロニッコールから始まった"超高解像度"の追求
ウルトラマイクロニッコールに繋がる超高解像度レンズの歴史は、1956年に発売されたニコンS用のマイクロニッコール5cm F3.5を原点とする。当初は本や図面を縮小撮影してマイクロフィルムを作るためのレンズとして開発された。
マイクロフィルムはコンピューター以前の時代に資料保管の省スペース化を行うために用いられていた技術で、他でもないニコンのマイクロニッコールが高解像度を目指した理由は、日本語で漢字を扱う必要があったから。漢字を扱うには、アルファベットに比べて数倍の解像度がレンズに求められる。
1960年頃から、こうした超高解像度レンズはトランジスタやICといった半導体製造のために電機メーカーなどから求められるようになる。その半導体に焼き付ける電子回路の原板となるフォトマスクを製作するためのレンズとして登場したのが、ウルトラマイクロニッコールだ。1980年にニコンが半導体露光装置(ステッパーとも呼ばれる)を発売すると、その超高解像度レンズの技術はフォトマスクからシリコンウェハに電子回路を焼き付ける投影レンズに活かされる。
原点となるマイクロニッコールの開発を最初に要望したのは、銀塩写真をプリントする時に引き伸ばし機と一緒に使う「小穴式ピントルーペ」や、月刊誌アサヒカメラの機材テストコーナー「ニューフェース診断室」の初代ドクターとしてお馴染みの小穴純氏。設計を担当したのは日本光学の名レンズ設計者として知られる脇本善司氏で、のちに超高解像度レンズの開発について紫綬褒章を受ける。
小穴氏はウルトラマイクロニッコールに1mmあたり1,000本の解像度を求め、最初の製品となったウルトラマイクロニッコール30mm F1.2では、有効撮影範囲直径3mmのうち直径2mmの範囲で「1mmあたり1,260本」を実現。1964年の国際会議で大きな反響を得たという。
館内には、用途に応じて様々な仕様を持つレンズの実物が並ぶ。レンズ鏡筒のサイズも開口数や撮影範囲の違いにより様々で、詳細不明の試作品や、カメラレンズのようにNikon 1に装着した状態のものもある。
興味深いのはレンズの外観だ。ウルトラマイクロニッコールの時代はカメラ用のニッコールレンズと同じ塗装が施され、刻印文字や操作環のローレット形状も各年代のそれとよく似ている。しかし投影レンズとして装置内に組み込まれることが前提になると、使用時に外から鏡筒が見えないこともあって、より実用主義の見た目になっていく。
半導体露光装置の高解像度は何のために?
半導体の材料となるシリコンウェハ(鏡面の丸い板)にはフォトレジストという感光剤が塗られ、引き伸ばし機で言うところのネガとなるフォトマスクの像を露光し、現像処理する。銀塩写真ではネガからプリントに拡大する(引き伸ばす)が、半導体は元々の像を縮小して電子回路を形成する。デジタルカメラのイメージセンサーやメモリーもこの銀塩写真のようなプロセスで露光→現像が行われているというのは、初めて聞くと面白い話ではないだろうか。
ステッパーがなぜそう呼ばれるかというと、1枚のシリコンウェハに対する露光を一定面積ごとに"ステップ&リピート"で細かく行っていくから。高速でシリコンウェハが動き、それぞれの場所に指定のパターンを焼き付ける。この位置合わせの精度も投影レンズの解像度と並んで大変重要だ。そのためステッパーを含む半導体露光装置は"史上最も精密な機械"と呼ばれているそうだ。
この投影レンズの解像度が高くなることで生まれるメリットは、焼き付けられる電子回路の線幅が小さくなり(集積度が上がり)、機器の性能向上やコスト低減に繋がること。ニコンがステッパーを開発した1980年頃に約1,000nmだった線幅は、現在では約10nmまで小さくなっている。
1nmとは10億分の1mで、髪の毛が約10万nm、スギ花粉が約3万nm、インフルエンザウイルスが約100nm。PM2.5は2.5μm=2,500nmだから、なるほど花粉用マスクでは防げないはずだ。それより花粉症の時期には、半導体工場のクリーンルームに住みたくなる。
やがて空気の限界を超える解像度
投影レンズの解像度を上げるためには、まずレンズの開口数(レンズの口径。絞りFの逆数)を上げていき、そこで限界が訪れると、扱う波長を短波長側へシフトしていく。光は波長によって分解能が異なり、短波長ほど高くなるからだ。
人間の目に見える「可視光線」は380~780nm(ナノメートル)の範囲で、ウルトラマイクロニッコールの開発当初はe線(546.1nm)を扱い、ステッパーはg線(436nm)から始まった。1990年頃には人間の目に見えない短波長を使うようになり、2005年からは空気中における解像度の限界を超えるためにレンズとシリコンウェハの間を純水で満たした「液浸」が使われるようになった。波長が短くなるほど使用できるガラス材料が限られるため、各波長に適した光学素材を開発してきたという。
興味深いのは、ウルトラマイクロニッコールは単波長を想定しているため、写真をシャープに撮影するためのレンズには欠かせない「色収差補正」を必要としないところ。基準倍率(基本となるピント位置)も決まっていて、レンズ銘板の赤文字がそれを示している。ちなみに色収差は一切気にしないというわけではなく、ピント合わせ時の使い勝手のために考慮はしているそうだ。
さて、こうして半導体製造に欠かせないレンズの解像度の変遷を追ってきたわけだが、ニコンのステッパーが人気を博すようになったのは、露光範囲をそれまでの10mm角から15mm角に広げたことで処理能力(生産性)が高まったのがキッカケだったそうだ。前述の解像度と位置合わせ精度のほかに、時間あたりの生産性も半導体露光装置には大事なスペックである。どこか一点突破の性能だけでは成功しないところに、カメラとの共通も感じられるのではないか。