東京エッジ~首都辺境を巡る写真紀行

第5回:都内にいながら独特の植生に出会える場所——高尾山

奥高尾・景信山からの景色。ここまで来れば随分山深い。東京都と神奈川県の県境。
X-H1 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/5,000秒・F1.4・±0.0EV) / ISO 200

下町に長らく暮していた私は、2008年より日本の山を撮り始め、富士山に猛烈に魅せられた。毎日でも富士山に登り、富士山を撮りたい。そう考えた私は富士山麓に引っ越そうとした。

何回か通って物件も決めていたが、いざ契約の段になって、両親は他界してしまっているため、保証人としてサインしてもらおうと考えていた義父に猛烈に反対される。なんでわざわざ遠く富士山に引き籠もるのだ。縁もゆかりもないそんな殺風景な所に、娘と孫を連れていってもらっては困る、という至極もっともな理由で反対された。

加えて、その頃は富士山が噴火するかもしれないという情報が世間を賑わせていた時期であり、タイミングも悪かった。義父は画家であり、かなり自由に生きてきた人だっただけに、案外普通の父親だったことに驚き、同時にそんな義父に愛着が湧いたことをよく憶えている。

しかし、既に住んでいたマンションを退去する旨を大家に伝えていた私は、慌てて別の地を探さなければならなくなった。富士山麓が無理なのであれば山梨県にこだわる必要は、ない。でも「山」を撮っているのだから、どうせなら山の近くが良い。それでいて東京都心にもアクセスが良いところ。そういう、いわば折衷案として「高尾」が浮上したのだった。

都心から1時間弱にある暮らし

東京の山国高尾に暮らしてまもなく7年。高いビルがそんなにないので空が近く、自然豊かな環境のため四季の移ろいを身近に感じれるこの地は、写真家にとって良いところだと考えている。都心までは急行電車で45分程度。少し遠いと感じる向きもあるが、それを差し引いてもあり余る魅力が高尾にはある。

自然豊かでありながら、里山であるが故に、随所に人の手が入っている。その微妙なバランスが高尾山。
X-H1 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/5,800秒・F3.6・±0.0EV) / ISO 200

山国とはいっても、高尾駅周辺はコンビニやスーパー、病院に学校、銀行、郵便局、飲食店などが軒を連ね、普通に生活する分にはまったく困らない。昨年には大型のショッピングモールもできた。唯一あげるとすれば、一杯呑み屋的なものがないのが玉に瑕か。

このように街の顔がありつつも、それでいて山が近い。自宅から5分も歩けば山に入れる。ここは広大な関東平野の西の端に位置し、これより先は延々山が続く。そのため冬はすこぶる寒い。私が山国だと称する所以である。気温は明らかに都心より3度ぐらい低い。

山国・高尾に夜の帳が降りる。
X-H1 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/50秒・F1.4・±0.0EV) / ISO 800

冬の夜、東京都心で呑んで遅く帰ってきて高尾駅で下車した時の寒さは格別だ。凍える寒さに酔いも一気に覚める。

毎年雪のため、何度か電車が止まる。そのため、週間天気予報で撮影や打ち合わせの日が降雪予報だと知ると、都心に出られなくて仕事に穴を空けてしまうのではないか、と数日前から落ち着かない。まさか東京に暮していてそんな気分を味わうことになるとは思わなかった。

高尾山ケーブルカー「清滝駅」。強い雪の日は、さながら雪国のよう。
X-H1 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/90秒・F5.6・±0.0EV) / ISO 200

地元では山梨県高尾と書かれていても手紙が届くという都市伝説もある。要するに東京でないのである。東京だけど。

天気予報の表記も、この辺りは「東京」ではなく「八王子」だしね。

八王子は標高にして駅周辺で約120m。東京駅周辺は約3m、四谷で約20m、新宿で約35mなので、八王子は大体都心より100mほど高い。高尾駅周辺は約175m、高尾山口駅は約190mだから、高尾はその八王子より尚60〜70m高い。寒いわけである。

雪の降る日にJR中央線の高尾駅から電車に乗ると、隣の西八王子駅とその次の八王子駅まではかなり雪が積もっているけれども、八王子を過ぎて都心に近づくほどに、明らかに積雪量は減っていく。寒さや積雪は見事に標高に比例しているのだ、と毎回実感できて面白い。

年間260万人以上が登る山

年中人で賑わうイメージのある高尾山だが、正月三が日を別にして、さすがに真冬は訪れる人も少なくなる。

山頂近くにある高尾山薬王院、元旦の様子。例年人で賑わう。
X-Pro2 / XF16-55mmF2.8 R LM WR / 42.7mm(64mm相当) / 絞り優先AE(1/280秒・F2.8・±0.0EV) / ISO 1600

暖かくなりだす3月頃から、また人が訪れだし、4月、5月のゴールデンウィークあたり、新緑の季節が上半期のピークとなる。

高尾の梅。春先3月雪と共に。
X-H1 / XF90mmF2 R LM WR / 90mm(135mm相当) / 絞り優先AE(1/1,100秒・F2.0・±0.0EV) / ISO 200

梅雨に入り、猛暑の8月、台風が猛威を奮う9月、10月と過ぎて、天候が落ちつきを見せ始めた頃、再び、朝の高尾駅でリュックを背負った登山客の姿を見かけることが多くなる。

今年は台風被害が酷かった。その影響は高尾山の木々にも。
X-H1 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/1,100秒・F1.4・+0.7EV) / ISO 200

そんな山に向かう人の流れとは逆に、ひとり反対方向の都心に向かう電車に乗る日々を何日か過ごすと、もう早い。次の週末には人でいっぱいだ。私は1年を通じ、登山客の推移を駅で目の当たりにしている。

暑すぎず寒すぎず、空気がからっと乾いていて湿気も少なく晴天が多い。確かに高尾山を訪れるには今が一番良い時期だろう。例年高尾山の紅葉は、麓が11月初旬から色付き始め、山頂付近は11月中旬ぐらいから下旬までが見頃で、年によっては12月頭ぐらいまで楽しめる時もある。

高尾山頂近くの紅葉。昨年の11月下旬に撮影。
X-Pro2 / XF16-55mmF2.8 R LM WR / 55mm(83mm相当) / 絞り優先AE(1/100秒・F8.0・±0.0EV) / ISO 200

一説には高尾山を訪れる人の数は年間260万人以上だと言われている。日本は国土の76%を山が占める、世界でも有数の山国であり、それ故か山に登るのが好きな人がたくさんいる登山大国でもある。1年間で260万人に登られる山なんて、世界中見わたしても他にない。

それが東京にあるのだ。1,000万都市東京に。なんとエッジの効いたことか。その山がまた自然豊かなのだから面白い。

ミシュランガイドにも選出された植生

高尾山は山の稜線を挟んで、北面と南面で植生がまるで違う。北面には、ブナやカエデ類などの寒さに強い落葉広葉樹林が広がり、かたや南面には、カシ類などの暖かいところに生息する常葉広葉樹林が繁っている。植物学上とても珍しい山で、約1,600種もの植物が自生しているといわれている。

これはイギリス全土に自生する植物種の数と同等で、この豊かな植生から、高尾山は「植物の宝庫」とも呼ばれている。2007年から連続してミシュランガイドで最高ランクの「三つ星」の観光地に選出されている所以でもある。

年間260万もの多くの人が訪れていながら、その豊かな自然が守られているのも特筆すべき点であろう。登山客のマナーの良さが要因であることは間違いない。日本人として誇るべき点ではなかろうか。

植物だけではない。私は高尾山頂より先の早朝の登山道で野生の猿を見たことがある。まだ実際には見ていないが、イノシシもいる。春先、高尾山麓にある知り合いが所有する竹林にタケノコを取りに行った際、イノシシが掘り返した痕跡をいくつも見た。熊もいる(らしい)。数年前、熊が出没したという地元住人の目撃情報から、小学校の午後の授業がなくなり、一斉下校で娘が帰ってきたこともある。地方の田舎の話ではない、東京都心から電車でわずか1時間足らずのところでの話だ。日本は山国なのである。

高尾山は天狗信仰の霊山としても知られている。
X-Pro2 / XF16-55mmF2.8 R LM WR / 50mm(75mm相当) / 絞り優先AE(1/60秒・F2.8・±0.0EV) / ISO 1600

登山コースは?

高尾山には山頂に至るコースがいくつかあるが、純粋に山歩きを楽しみたいのなら6号路か稲荷山コースである。このふたつは1号路のようなアスファルト道ではなく、木々に囲まれた山の景観を充分に楽しめる。

私のお勧めは稲荷山コース。山頂まで3.1kmの、日中であれば明るい日差しが降り注ぐ気持ちのよい稜線歩きである。下りでよく使うのは、1号路から蛇滝へと下りる道。もう少ししっかりと山を歩きたいのであれば、3号路、2号路を経て琵琶滝へ下りるコースもお勧めだ。

高尾山頂(599m)までの道に飽きたら、奥高尾と呼ばれる、高尾山より先にある小仏城山(670.3m)、景信山(727.1m)、陣馬山(854.8m)までの縦走が、次のステップだ。それでも物足りなくなったら、高尾山の南面に広がる山々の稜線をぐるっとめぐる南高尾山陵をお勧めする。途中に山の中腹を巻いた道で180度視界がひらけたところがあるのだが、そこから見える津久井湖越しの丹沢の山々、富士山の景色は誠に絶景だ。

さらにもう一段階、上級者のコースを所望とあらば、アップダウンが激しく少し強度は高めだが、高尾山の北面の山々を往く、北高尾山陵がある。ここを歩く人はかなり少ないので、高尾山域といえども静かな山歩きが楽しめる。

北高尾山稜の道。東京とは思えない自然に満ちた静かな山歩きが楽しめる。
X-H1 / XF35mmF1.4 R / 35mm(53mm相当) / 絞り優先AE(1/950秒・F1.4・±0.0EV) / ISO 200

高尾山へようこそ

このように、高尾山は簡単なハイキング山である一方で豊かな山深さも同時に持ち合わせているので、様々な楽しみ方ができる。もちろん、ケーブルカーやリフトを使って登るのもありだし、夏であれば山の上にあるビアガーデンもお勧めだ。常に自分の足で登って下っているように思われているが、私はリフトで下りるのも好きである。傾斜が結構あるのでスリルがあって楽しい。

個人的には山頂にある「曙亭」の、麺の太さが一定でない、無骨で少し太めの歯ごたえのある蕎麦が好きだ。下山して入る温泉も格別である。高尾山口駅のすぐ裏手にある「京王高尾山温泉」がそれだ。館内は少し狭いけれど、疲れた体を温泉で癒した後に飲むビールは、何物にも代え難い。紅葉はまさにこれから。秋の高尾山にようこそ。最後は観光大使みたいになっちゃったな(笑)。

井賀孝

1970年和歌山生まれ。写真家。ブラジリアン柔術黒帯。主な著書に富士山写真集『不二之山』(亜紀書房)、修験道の世界に身を投じて描いた『山をはしる』(亜紀書房)などがある。最新作は『VALE TUDO』格闘大国ブラジル写真紀行(竹書房)。