東京エッジ~首都辺境を巡る写真紀行
第6回:日本唯一の砂漠を踏みしめる——伊豆大島
2018年12月14日 08:00
東京・竹芝客船ターミナルよりフェリーに乗る。長らく東京に住んでいるが、ここからフェリーに乗ったことはない。そもそも訪れたのも初めてだ。前日フェリーの予約をした際に「明日は空いてますね」と受話器の向こうのお姉さんが言っていたので、もっと空いていると思っていたら、いやいやどうして案外ターミナルには人がいた。団体客、女性同士、単独の男性、若いカップルなど、客層は様々。平日の夜、さすがにファミリーはいなかった。空いていてこれか。のっけから少しかまされた気分。出航は22時、行き先は伊豆大島だ。
片道8時間の船旅へ
私が購入した席は2等片道4,630円。朝の6時には到着するらしいから、それで充分だ。ちなみに少しでも早く行きたいのであれば、ジェット船7,490円(片道)がお勧め。僅か1時間45分で着くという。旅の気分などあったもんじゃない。ビールを飲みながらゆっくりうつらうつらと揺られて眠る。私はそんな船旅がしたい。
電話予約の際、「往復で買えば安くなりますよ。4,000円です」と言われたので、当然それでお願いしていた。片道4,630円が4,000円に。結構お得だなと思っていたら、違った。
往復合わせて4,000円だった! これには心底驚いた。「ええっ!? 往復で4,000円なの? まじで?」と、なにせ同じことを2度窓口で聞いたぐらいだから。
伊豆大島には4,000円で行って帰って来れるのだ。もちろん2等席で便の変更はできないという条件つきではあるが……。それを考慮しても驚きの値段である。
出発前の驚きは他にもある。今回最終的に伊豆大島行きを決定したのは出発前日。なのでその日にフェリーと宿の予約をした。当然伊豆大島に電車は走ってなく、バスはあるが便は少なく融通がきかない。各地を撮影するには不便である。やはりレンタカーだろうと思ったものの、電話でフェリーの席が空いていると聞いたものだから、まあそんなに急ぐ必要はあるまい。明日でも大丈夫だろうと高をくくってしまった。
ということで出発当日にレンタカー屋に電話をかける。しかし繋がらない。2回かけてもともに留守電。話し中でもない。おかしいなと思ってホームページを確認すると、16時で終了とある。時計を確認してみたら16時05分だった。16時で終了とは早すぎないか! せめて17時だろう。2軒目に掛けてみる。今度は空きがないと言われる。シーズンオフの平日に車が空いてないとは。そもそも何台用意してあるのだろう。
さすがに出発当日の電話予約は遅すぎたかと、焦り始めたら3軒目で決まった。確かにもっと前に確保しろよ、というのはあろうが(笑)。それにしても16時で業務終了とは。ましてレンタカーというサービス業である。16時以降には車を返せないということなのだろうか(後にその理由は理解できた)。
東京湾に面したシーサイドエリア港区、江東区、品川区のビルの夜景に見送られて、大型客船「さるびあ丸」は進む。11月の半ば、風は多少あるもののまだそんなに寒くない。しばらく甲板で東京湾クルーズを楽しんだ。
向かう先、伊豆大島は東京から120km。伊豆諸島の最も北に位置し、面積は90.76平方km。人口7,743人(平成30年11月時点)。島を一周する東京都道208号大島循環線(大島一周道路)の長さは46.6km。過去に沖縄本島、宮古島、奄美大島、屋久島、淡路島、利尻島、礼文島などを訪れているが、それらと比べてもそんなに大きくない島である。日本に存在する有人の島、大きさランキングで25位なのだとか。やろうと思えば車で1時間ぐらいで周れる。
役行者の流刑地としての大島
伊豆大島にはかねてより訪れたいと思っていた。理由は3つある。
ひとつめ、10年来、日本の山を撮り続けている身としては三原山(758m)に登って撮影したい。
次に、伊豆大島には日本で唯一の砂漠「裏砂漠」がある。砂漠と聞くと、鳥取砂丘を思い浮かべる方も多いと思うが、実は鳥取砂丘は砂漠ではない。文字通り砂丘である。
砂丘と砂漠の違いを調べてみると、砂丘とは強い風によって運ばれた砂が堆積してできた丘であり、一方、砂漠は雨量が極端に少ないため植物がほとんど育たず、岩石や砂礫からなる地域と定義されている。しかし伊豆大島の裏砂漠は雨量が少ないためできたわけではなく、度重なる三原山の噴火による火山灰や砂礫によって荒地になったところなので、厳密にいえば砂漠ではない。とはいえ国土地理院が発行する地図には砂漠と記載されているのだから、公的には砂漠ということになる。
最後に、これが伊豆大島を訪れたかった最大の理由なのだが、私が長年撮り続けている、日本古来の山、川、木、岩、花などすべてのものには神霊が宿ると捉える自然崇拝(古神道とも称される)に、大陸から伝わってきた仏教が密接に絡みあってできた日本固有の山岳宗教「修験道」、その開祖とされる、役行者(本名、役小角)が699年、役行者のことを快く思わない者達の讒言によって島流しにあった地。昼は大人しく大島にいたが、夜は海上を越えて富士山頂で修行していたと言われている。
「都」でありながら「伊豆」を感じる土地
子供の頃よく遊んだ実家の裏山が役行者が開いた行場であったり、両親が眠る墓がある円明寺が、そもそもその行場「鳴滝不動尊」とともに1,300年前に役行者によって創建されたお寺であったりと、役行者には日頃から親しみを感じていて、それが由縁で霊山や修験道の世界を撮影している。そんな私にとって伊豆大島は外せない場所だった。行こう行こうとずっと思いつつ随分時間が経ってしまったが、今回ようやく訪れることができた。この連載『東京エッジ』としては日本で唯一の砂漠が、実は東京にあったという切り口になる。
定刻通り朝6時、伊豆大島に上陸。船が大きく揺れることもなく快適に過ごせた。僅か8時間の船旅、2等席で充分である。早速三原山を目指す。この日は快晴だったこともあり、富士山と伊豆半島が三原山に向かう道すがらずっと見えていた。思った以上に近い。
ここは現在は行政区画としては東京であるが、実際に来てみて感じたことは伊豆の領域だということ。120km離れた東京より、25kmしか離れていない伊豆を近しく感じるのは当然である。事実「伊豆大島」とその名が示す通り以前は伊豆国に属していた。江戸時代に幕府の直轄領になったことから東京との結びつきが強くなったようである。地理的には伊豆(静岡県)だと感じながらも、ああ東京なのかと再認識するのは、島を走る車のナンバーが「品川」であることからか。
三原山山頂からも富士山がよく見えた。間に遮るものは何もない。まっすぐ見える。ここから役行者は毎夜飛んでいったのか、そんなことを思いながら、しばし歴史ロマンに身を浸す。
霊山・三原山
関東に暮らしていると、富士山を意識することが多い。山に限らず、ビルなど少し高いところに上ると富士山が見えるし、テレビの天気予報でも快晴ぶりを示す形容のひとつとして「今日はよく富士山が見えます」などと表現することが多い。これが関西だとそうはいかない。なにせ富士山が見えないのだから。事実、和歌山で生まれ育った私は東京に来るまで富士山を意識したことはなかった。信仰(物語)は視認できる場所で膨らむ。
三原山の東の裾野に広がる日本で唯一の砂漠「裏砂漠」は、黒色から濃い灰色の小さな石ころ、火山噴出物の一種であるスコリア(岩滓ともいう)に大部分が覆われている。
既視感。この景色は見たことがある。ジャッジャッという踏みこむ感触と音まで同じだ。これは噴火によって形成された富士山も同様である。ほとんど植物がないところも同じ。
訪れたのは夕暮れ時。誰もいない開放感から、思わず走りだし「山ってすげえ。自然ってすげえ」と叫んでいた。静岡県の御殿場登山口から富士山に登ると似たような景色を体感できるが、それには体力が必要なので、体力に自信のない方は裏砂漠をお勧めする。確かにここは皆がよく知る「東京」ではない。でも車のナンバーが「品川」である以上、紛れもなく東京なのだ。ここもエッジである。
でも、ここからはさらにその先にエッジが広がっている。東京には有人の島が11ある。伊豆大島はその最も北に位置する。南にはまだ10の有人島が。
今回伊豆大島に3日間いて、レンタカー会社の営業が16時に終了する理由が分かった。ジェット船にしろ大型客船にしろ、船の発着が16時以降にないため、それ以降に営業していても意味がないのである。レンタカーを借りるのは、そもそも島の外から来て帰って行く人達なのだから。レンタカーに限らず、島のサービス業は基本的に船の発着時間と密接に関係している。
この先に広がる島々にも独特の風習や特色があるのだろう。東京のエッジを探る旅はまだまだ続く。