RICOH GR|Special Story
Life with GR / no.03_上田義彦
トーンの美しさがフィルムと遜色なく再現できるとすれば、道具としてのデジタルカメラは新たな写真の可能性をもたらす
2021年12月29日 12:00
豊かな光が注ぐ庭で、鈴なりに実を付けた夏みかんの木にGRを向ける。「うん、これは良いのが撮れた!」と葉の間にGR IIIxを差し込み、さらにシャッターを切っていく。その撮影風景を眺めていると、同じくこの庭で撮られた今回のスナップショットがどのように写されたものなのかが良く分かる。
新しいGR IIIxを手に、はじめはコロナ禍の東京を写そうと街に出かけたという上田さんが、そこではほとんど撮ることができずに、結果的に被写体として捉えたのが、この家と庭、そしてここで共に暮らす家族の姿だった。
「今回、まとめた写真は7月から8月に掛けて撮影したのですが、ちょうどオリンピックが始まった頃だったこともあって、はじめは東京を撮ろうと思っていたんです。だけど、気持ちが乗らないこともあって全然撮れなくて、何気なくいつものように日常の写真を撮っていたんです。それが写真になるのかなと思っていたのですが、最終的にセレクトしてみると100枚近くが残ったんです(笑)。写真を選んでいる内に、ああ、これは『at Home』の続きだなと思えたんです」
『at Home』とは妻である桐島かれんとの生活や、子どもたちの誕生とその後の日々を、移り住んだ様々な家や土地の風景と共にプライベートな目線で描いた、2006年刊行の写真集である。さりげない日常を捉えたスナップショットが多く構成されており、13年という月日の中を巡る家族との様々な瞬間が、ありのままに収められている。
「いつも座っている机の上にGR IIIとGR IIIxの2つが置いてあって、何気なく家族を撮っていたのですが、結果的にそれが『at Home』の続きのような形になったということだと思います。プライベートな写真を世に出すことが良いのかということは『at Home』を出版するときにも散々迷ったんですが、結果的には家族にとっても宝物のような存在に、この写真集がなっていますし、今回の撮影もそういう意味では、その続きを撮る良い機会になったのではないかと思っています」
家族写真は、多くの人にとっても最も身近なテーマの1つだろう。私自身、日々の暮らしの中で妻や娘にレンズを向けることは多くある。しかしながら、そこには近い存在ならではの照れや遠慮、あるいは思春期を迎えた子どもとの距離感など、家庭ごとの撮りやすさや撮りにくさといったものもあるのではないだろうか。また、どうしてもカメラを向けてしまうと記念写真のようなお決まりのものになってしまい、『at Home』のようなさりげない自然な瞬間を写すことが難しい。家族という存在を被写体とするとき、上田さんはどのような意識で撮影を行っているのだろうか。また、同じく家族を撮影する人へのアドバイスを伺った。
「まずは、この姿を残しておいてあげたいと思って撮っていたら良いんじゃないかな。そういうのは本人にしてみても後々嬉しいものですよ。しかも、“撮るぞ”と声を掛けて撮られたものではなく、いつのまにか撮られていた。撮られている感覚がない写真というのは、実際本人が見たことのない自分が写っているんです。そういう写真を本人に見せると“え、こんなのいつ撮っていたの?”と喜ばれることが多いですね。“あっ”と思ったときにパッと撮る。“ちょっと、こっち向いて”なんて言った瞬間に大体アウトになってしまう。気付かれずに撮影された写真には、ありのままが写るんじゃないかと僕は思います」
「撮られる側からすれば、カメラを意識してしまうと、もうそれは自分ではないという感じですね。記念写真のようにして撮られた写真に写る自分というのは、他人とまではいかないですが、自分の形をした何かに見えるという感覚が誰にもあると思います。いつのまにか撮るというか、写真で生け捕りにする感覚でしょうか。意識させられてしまったものは、もう被写体としては死んでいて、良い瞬間が終わってしまっているんですよね。スナップショットの名作の多くも、被写体が構えているものはほとんど無くて、気付かれる前にボンっと撮ってしまってますよね。子どもたちもそれが分かっていて、わざわざ声をかけて撮るというような了解はお互いに得ないんです」
「前に出した写真集が大切なものになったという理解があるから、今回も家族は割と素直に撮らせてくれました。小さくて軽いGRというカメラは、そういう瞬間を撮るのに向いていると思います」
今でも普段携帯するカメラはほとんどがGRという上田さんだが、GRを使い始めたきっかけとを聞いてみた。
「初めてGRを使ったのは、1999年だったと思います。ある雑誌のポートレートの連載で森山大道さんを撮るときがありまして、その時は中判の6×7で撮影をしていたんですが、途中で森山さんが“これが良いんだよ!”って僕のことをGRで撮り出したんです。そこで少し触らせてもらって、気になってすぐ買いに行ったから、それからですね。激しい雷雨の日で、いまでも良く覚えています。その後、デジタルは2年前にイランに持って行ったGR IIIからですね。フィルムからデジタルになっても、そのフォルムやスタイルは変わることがなかったので、ほとんど同じ感覚で使えましたね」
今回の作品は28mmのGR IIIに加えて、40mmのGR IIIx、2つの画角で撮影が行われている。40mmという画角についてはどのように感じているのだろうか。
「最初に40mmを使って撮ってみると、自分の視界の範囲に近いと思いました。なんというか、その画角が僕にはちょうど良い感じがして、今ではGR IIIよりもGR IIIxの方が出番は多くなりましたね。ポケットに入れられてすぐに撮影できるというサイズは、ライカとは少し違いますし、常に持っているから、逆にないときは少し不安になりますね」
発表されてきた多くの作品や商業制作では、大判カメラを始めとしたフィルムカメラを用いられてきた印象が強いが、最近では以前に比べて、フィルムとデジタルの違いをあまり意識しなくなっていると上田さんは話を続けてくれた。今回のカタログに同封されたプリントも、撮影したままの画像で十分に美しい仕上がりになったという。
「プリントの仕上がりを見ても、フィルムとデジタルの違いに対する違和感があまりないんですね。以前はあったんですけど、そこが曖昧になってきている。今回のGRのデータも、印刷会社の方には“画像処理などはしないで、そのままストレートに出して”と伝えています。それでちゃんと出てくるからデジタルも信用ができる。雑誌の依頼もデジタルで撮影したんですが、上がってきたものを見て“お、キレイだね”と思いました。やっぱりフィルムで撮れば良かったとは思いませんでしたね」
上田さんの代名詞の1つでもあるトーンの美しさが、フィルムとデジタルで遜色なく再現できるとすれば、道具としてのデジタルカメラは新たな写真の可能性をもたらすのではないだろうか。数多くの作品を生み出してきた上田義彦の目を通して、どのような映像表現を見ることができるのか、その過程と作品に引き続き注目をしていきたい。