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ライカの歴史を辿る、ドイツ・ウェッツラー探訪記
Reported by 本誌:鈴木誠(2014/6/13 08:00)
2014年5月22日〜5月24日にかけ、筆者は既報のライカ関連イベントを取材すべく、ライカ発祥の地であるドイツのウェッツラーを初めて訪れた。本稿では、取材の合間に訪れた同市内の「ライカゆかりの地」をいくつか紹介したい。
フランクフルト国際空港までは、成田から直行便で11時間。空港からウェッツラー市内までは約60km、車で1時間ほどの距離だった。
今回はせっかくの機会なので、ウェッツラーの刻印が入っている自前の「ライカIIIf」を里帰りさせることにした。出国時に税関で「ドイツにドイツ製の古いカメラを持ち込むのですが、書類に記入した方がいいですか?」と尋ねたところ、「どうしても心配でしたらどうぞ」と言われたので、特に申請はしないことにした。
ドーム広場・アイゼンマルクト
ウェッツラー市内のランドマークには、大聖堂(Wetzlar Cathedral)が建つドーム広場(Domplatz)がある。屋外席に座ってビールとホワイトアスパラ(Spargel、シュパーゲル)、というのがドイツの春の味覚らしい。
広場のすぐ近くには、クラシックカメラを扱う店「Lars Netopil Classic Cameras」がある。平日の3時間しかオープンしていないという一風変わった営業形態の店で、聞けばメインの仕事は「顧客からリクエストのあったレアライカを探して販売する」ことだそうだ。ちなみに、ライツパーク内にずらりと並んだ歴代ライカは、この店主が3カ月かけて用意したのだという。
ドーム広場から200mほど移動したアイゼンマルクト(Eisenmarkt)には、オスカー・バルナックが35mmカメラの試作機「ウル・ライカ」(Ur Leica、ウア・ライカ)で撮影を行なった場所がある。ライカ100周年を記念して、その撮影ポイントにライカカメラ社による解説入りの看板が設置された。
その撮影スポットに立っていたところ、通りがかったご婦人に声をかけられ、地元新聞と思しき記事の切り抜きをいただいた。ライカゆかりの街とはいえ、突然世界中からライカを提げた人達が集まっているのは、さぞ珍しい光景だったことだろう。
撮影スポット周辺でライカを提げていると、他国から訪れたライカファンにも声を掛けられたり、(おそらく)地元の方にサムズアップされたり、散歩中の紳士に「俺の犬を撮れ!」と要請されたり、なんとも楽しいひとときだった。
エルンスト・ライツ通り(ライカマイクロシステムズ付近)
アイゼンマルクトから500mほどの場所に、顕微鏡などを扱うライカマイクロシステムズの建物がある。車窓や大通りからでも筆記体のライカロゴがよく見えた。この通りは市庁舎も建つ「エルンスト・ライツ通り」(Ernst-Leitz-Strasse)だ。
道路を挟んで向かいにオスカー・バルナックの記念碑があり、エルンスト・ライツ二世がライカの製造を決めたという建物も近くにあるので、併せて訪れておきたい。
ライカ誕生に関わる人物のお墓
市内の墓地に、エルンスト・ライツ家、オスカー・バルナック、マックス・ベレクの墓がある。筆者が今回宿泊した「メルキュール ホテル コングレス」(Mercure Hotel Kongress)からは100mほどの場所だった。ちなみに、同ホテルからアイゼンマルクトやドーム広場までは徒歩で10分程度。
エルンスト・ライツは、言うまでもなくライカを開発したエルンスト・ライツ社のオーナー。オスカー・バルナックは、同社でライカを開発した技術者。マックス・ベレクはライツのレンズ設計者で、「エルマックス」(Elmax、A型に採用されたレンズの一種)の”マックス”であり、「ヘクトール」(Hektor、スクリューマウント時代に数本あるレンズ銘)という名の犬を飼っていたことが知られている。
“光学の街”を感じるスポット
ここまでライカゆかりの地を紹介してきたが、ウェッツラーという街はそもそも「光学の街」として有名なのだそうだ。例えば、ライカマイクロシステムズの近くには、カールツァイスのスポーツオプティクス本拠地がある。
ラーン川まで足を伸ばすと、対岸の公園にミノックスのデジタルスパイカメラを模した記念撮影用カメラがある。
このように、2014年にライカカメラ社がゾルムスからウェッツラーのライツパークに移ったことで、ライカの施設見学とウェッツラー市内の歴史探訪・聖地巡礼がこれまで以上にしやすくなった。ライカファンは一度、愛機の里帰りも兼ねて訪れたい。