ライカレンズの美学
LEICA THAMBAR-M F2.2/90mm
個性的な設計のソフトフォーカスレンズ
2018年12月28日 07:00
ライカレンズの魅力を探る本連載。今回はライカM用のTHAMBAR-M F2.2/90mmを取り上げよう。ライカカメラ社では往年の銘玉を復刻した「クラシックシリーズ」を展開していて、その第1弾として2016年にSUMMARON-M F5.6/28mmを発売。それに続くシリーズ第2弾が今回のレンズである。
ライカのことをある程度好きな人だったらTHAMBAR(タンバール)というレンズ銘を今までに一度は耳にしたことがあるはずだ。THAMBARは1935年に登場したソフトフォーカスレンズで、その上質なソフト描写についてはもはや伝説的である。ただ、わずか2,984本しか製造されなかったため、実際に愛用している人は非常に少なく、それゆえTHAMBARで撮られた写真を見ることもまた非常に少ない。こうした情報の少なさもTHAMBAR伝説を加速させているわけだ。
新THAMBAR 90mmの鏡胴デザインは基本的にはオリジナルを踏襲しているが、復刻シリーズ第1弾のSUMMARON-M F5.6/28mmがそうであったように、細かい部分は現代的な見た目にアレンジされている。そして、オリジナルとの最大の相違点は何といってもマウントである。オリジナルは1935年登場なので当然ながらライカスクリューマウントだったが、新THAMBARはバヨネット式のMマウントに変更。6ビットコード付きなので、デジタル化されたM型ライカに装着するとレンズ名がボディ側へ伝わりExif情報にも反映される。
マウントアダプターを併用すればライカSLにも装着可能だが、ソフトレンズは軟調なのでピントの山が分かりにくい。どちらかというとレンジファインダーで正確にピントを合わせることができるM型ライカの方が相性はいいと思うが、M型ライカの90mmフレームは視野に対して小さいので、ある程度の慣れが必要だ。ライブビュー機能付きのM型ライカなら、フレーミングとソフト量の把握をライブビューで行い、ピント合わせだけをレンジファインダーで行うのもいいだろう。
約83年前に登場したオリジナルのTHAMBAR 90mmはライツ社の有名な光学技術者であるマックス・ベレクを中心に設計されたが、今回の新THAMBARもオリジナルと同じ光学系を基本的に踏襲している。現在一般的なレンズでは非球面を持つレンズを使うなどして徹底的に補正されている球面収差を、軟調描写のために意図的に残している。また、新THAMBARはレンズを腐食や環境変化から守るためにコーティングが施されているが、現代レンズでは当たり前のマルチコートではなく、あえてシングルコートが採用されている。これはマルチコートだとコントラストが上がってしまい、軟調描写と相性が悪くなってしまうためと推測できる。
筆者は過去に一眼レフカメラ用のソフトフォーカスレンズを所有していて、手に入れた当初こそ面白がって多用していたのだけど、そのうち飽きてしまった思い出がある。まだソフトレンズの神髄を知るには若すぎたせいかもしれないが、当時手に入れたソフトフォーカスレンズがやや1本調子というか、ソフト描写の幅が狭かったことも早く飽きてしまった一因かもしれない。
その点、THAMBARは絞り値でソフト描写が変わるのはもちろん、付属のセンタースポットフィルターを付ける・付けないでも描写が大きく変わるので、ちゃんと使いこなすには真面目に研究する必要があり、そう簡単には飽きそうもない。また、とにかく軟調の「質」が素晴らしい。他のソフトレンズとはどこか軟調描写の印象が違うように感じたので少し調べてみると、多くのソフトフォーカスレンズは球面収差をアンダー側(収差曲線のマイナス側)に出るようにしているのに対し、THAMBARは逆にオーバー側(収差曲線のプラス側)へ出しているそうだ。
球面収差を出すのがアンダー/オーバーのどちらでも球面収差の絶対量が同じであれば合焦させた被写体部分のソフト量に大差はないが、アンダー側の場合は背景ボケが大きく柔らかくなる一方、手前側は深度が深くなる特性があり、オーバー側だとその逆になる。一般的にソフトフォーカスレンズは手前よりも背景ボケに強いソフト効果を求める場合が多いので、球面収差をアンダー側へ振った設計が多いわけだが、どうやらTHAMBARは球面収差をオーバー側に振ることで、背景側よりも手前側のボケ味を大きくし、そのため他のソフトレンズとはひと味異なる描写になっているようだ。このあたり、マックス・ベレクがどうしてオーバー側に振る設計を選択したのか興味深いが、確かにTHAMBARの写りは他のソフトフォーカスレンズとはひと味異なる、個性的な描写だ。
絞りによるソフト量の変化
共にセンタースポットフィルターを使用。F2.3では最大のソフト量になるが、フィルターを付けたままF2.8まで絞ると急激にコントラストが上がってソフト量も少なくなる。わずかな絞りの変化でも描写はかなり異なるため、研究のしがいがあるレンズだ。
共通データ:ライカM(Typ240) / ISO400 / WB:オート / フィルターあり
デジタルカメラが高画素化され、それに対応するためにレンズの解像性能も飛躍的に高まって、怖いほどによく写るレンズが多くなった今。それとは真逆に、写りすぎず、なおかつ幻想的で美しい描写を得られるTHAMBARは、ある意味時代にもっともマッチしたプロダクトかもしれない。この時期にあえてソフトフォーカスレンズを復刻させたライカカメラ社の知見はサスガだなぁと思う。
モデル:鈴木 万里子
参考文献:朝日ソノラマ「写真レンズの基礎と発展」小倉敏布 著
制作協力:ライカカメラジャパン株式会社