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ドイツ本社の「ライカI」100周年記念イベントで見たもの(カメラ編)

ライツ アナスチグマット復刻、10億円になった試作ライカなど

6月25日(水)から27日(金)にかけ、ライカ本社のあるドイツ・ウェッツラーで「ライカI」誕生100周年を記念したイベントが開催。プレスとして参加し、現地で見聞きしたことを数回に分けてお伝えする。

ドイツ・ウェッツラーのライツパーク内にあるライカカメラ本社

ライカ本社では毎年、写真賞「ライカ・オスカー・バルナックアワード」の授賞式を中心としたイベントを10月に開催。世界各国から200人ほどの顧客、写真家、プレスが集まる。しかし今回は100周年記念という特別なタイミングで、集まったのは800人とも1,000人とも聞く。当然ウェッツラーの街中にあるホテルだけでは賄えず、ブラウンフェルズやギーセンといった周辺地域にまで溢れる賑わい。移動用バスの緻密なスケジューリングも相まって滞りなく運営されたが、カタールの空域閉鎖の影響でドイツに辿り着けない人がいるとの話も聞こえてきた。

100周年記念イベントの一環として、ウェッツラー旧市街の聖堂で行われたコンサート。ザルツブルグの合奏団や、ライカ社員による「ライカ・クワイア」が出演
メインの式典はウェッツラーのアリーナで開催。会場に入ると生バンドの演奏に迎えられた。いわゆるガラディナーだが、筆者はその言葉自体が初耳だった
ライカ本社イベントのディナーで供されるライツワインも、ライカ100周年仕様の特別ラベル
ライツパーク内にキッチンカーが並び、イベント参加者は無料で飲食できた
「カフェ・ライツ」のお菓子にも、100周年バージョンが登場

発売100周年の「ライカI」と、そのレンズを復刻した「ライカM11-D」限定モデル

2025年の「ライカM11-D "100 YEARS OF LEICA"」(左)と、1925年の「ライカI」(右)

100周年の起点は、1925年にライカとして初めて量産した35mmカメラ「ライカI」の発売。大きなガラス乾板カメラが主流で、極小の35mmフィルムを使うようなカメラは画質的にオモチャと見られていた時代に、小型かつ堅牢、高性能な撮影レンズと失敗しにくい簡便操作を実現。報道写真やルポルタージュの分野で世界に広まった。

「ライカI」と共に用意されたアクセサリー。引き伸ばし機、プロジェクター、現像タンク、映画用のロールフィルム(長巻き)から短く切って使うためのカートリッジなど。ライカが採用した36×24mm(現在の“35mm判フルサイズ”)という極小サイズではそのまま鑑賞できないため、引き伸ばしを前提とした

そんな「ライカI」の量産1号機「No.126」が、ライカカメラ社のコレクションに加わった。ライカのシリアル番号は基本的に時系列のため、年代が特定しやすい。「No.126」が最初にブラジル・サンパウロへ出荷された個体だという情報も、資料室に保管されている出荷台帳で容易に確認できたのだろう。

「ライカI」の空シャッターを切り、巻き上げノブを回してチャージ音を聞く場面。「100年前の製品が今でも使えることほど、メーカーとして困ることはない」といったジョークも飛び出すほど。カメラを手にするのは上級副社長のステファン・ダニエル氏

そして、既報の通り100周年を記念した特別限定モデルが登場した。概要情報は以下の記事を参照していただくとして、その中から「ライカM11-D "100 YEARS OF LEICA"」の外観を紹介する。

背面モニターのないカラー撮影機「ライカM11-D」がベース。初期のライカがブラックペイントとニッケルメッキを施した外装を持っていたことから、本機でもグロッシーブラックのペイントとニッケル仕上げを組み合わせている。その後の時代に登場したシルバークロームと異なり、少し黄みがかった色合いがニッケル仕上げの特徴だ。

ライカM11-D "100 YEARS OF LEICA"

目を引くのはシャッターボタン周りだろう。ボタンの形状は“マッシュルーム”と呼ばれる当時らしいもので、その台座部分が盛り上がっている点、Ernst Leitz Wetzlarと記載された点も含め、「ライカI」の造形に倣っている。電源スイッチはシャッターボタンと同軸リング部分だ。各部に施された綾目ローレット(英語では“クロス・ナーリング”と言うそうだ)は、初期ライカのレンズ鏡筒や巻き上げノブに見られるディテールに由来している。

付属レンズは2本。1本は、現代のライカレンズの代表だという「ズミルックスM 1.4/50mm ASPH.」。カメラボディのカラーやディテールにマッチした仕上げになっている。最短撮影距離45cmの最新バージョンがベースのようだ。

もう1本のレンズがすごい。ずばり「Leitz Anastigmat-M f3.5/50mm」と命名された、ライカIの搭載レンズがモチーフになった新レンズである。レンズ構成などの詳細は不明だが、沈胴式を継承しつつMマウント化された。外装はアルミ外装にニッケルカラーのアノダイズド処理。このレンズのために記念セットが欲しい!という声も多く聞かれた。

Leitz Anastigmat-M f3.5/50mmの裏側

発売は2026年春、限定数は世界で100セット。カメラボディとレンズ2本がグロッシーブラックの木製ケースに収まる。

なお、本限定モデルは101セット生産されるという。その差分の1台は、1954年から数えて生産100万台目のM型ライカであり、1925年から数えて600万台目のライカでもある。これはライカカメラ社を率いて20年となるアンドレアス・カウフマン博士の家族に贈られ、今後チャリティ・オークションに出品される見込み。

目の前で10億円が動いた

カタログでも大フィーチャーの「No.112」

もう1つのイベントのハイライトに、ライカ100周年を記念した「第46回ライツ・フォトグラフィカ・オークション」があった。目玉は「ライカI」の量産開始に先駆けて少数製造された1台、「No.112」だ。“ヌル・ライカ”や“0-Series”とも呼ばれる過渡期のプロトタイプである。

ガラスケース内の「No.112」。それぞれのアイテムについてオークション担当者から説明を受けたり、実機を手に取って確認したりできる。

このオークションには、電話、Web、会場から入札可能。入札価格が大台に乗るごとに会場は沸き、筆者のような野次馬も含む全員が“その瞬間”を見守る。

「No.112」の入札中。まだ2億円弱(まだ、とは?)

結果、「No.112」は600万ユーロ(約10億円)で落札された。実際の落札金額はバイヤーズ・プレミアムの20%を加えた720万ユーロとなる。途方もない金額だが、「ワールドレコードには届かなかった」(※2022年にライカ試作機が約20億円で落札)と見る冷静な関係者も。すごい世界だ。

落札者が決定。歓声が上がり、拍手が起こる。テレビの取材も来ていた。

貴重なライカのプロトタイプに遭遇

イベントの合間に、ライカ本社の資料室を見学するツアーも組まれた。新しいところでは、「ライカM for (RED)」の複数のプロトタイプがお目見え。「No.112」のヌル・ライカに限らず、プロトタイプと聞けば時代を問わずワクワクする。

「ライカM for (RED)」のプロトタイプ。ポリッシュ仕上げも候補にあったようだ

本機は「ライカM(Typ240)」がベースで、プロダクトデザイナーのジョナサン・アイブとマーク・ニューソンが手がけ、1台だけがチャリティ・オークションに出品された。2012年のフォトキナで、社主のアンドレアス・カウフマン氏が本プロジェクトについて口頭だけで話し、約1年後に突如としてデザインが公開されたのを記憶している。

「ライカM for (RED)」の背面。今となってはボタンの多さに時代を感じてしまう
天面のダイヤルも独特だ。ホットシューやEVF端子は省略。マイク穴と録画ボタンも見当たらないので、動画機能ごと省略されているのかもしれない。
レンズは「アポ・ズミクロンM f2/50mm ASPH.」。光学系は通常品と同じだろうが、“フルスペル”だ
おまけ:1920年代に作られた「ライカI」の特別仕様「ラクサス」。街でこうした金ピカのバルナックライカらしきカメラを見かけた場合、だいたいロシア製のコピーだが、これはホンモノ。やっぱり造形も輝きも違う

ライター。本誌編集記者として14年勤務し独立。趣味はドラム/ギターの演奏とドライブ。日本カメラ財団「日本の歴史的カメラ」審査委員。YouTubeチャンネル「鈴木誠のカメラ自由研究