インタビュー

ユーザーへの"共感"を重んじた「PowerShot ZOOM」

レンズ機構や手ブレ補正も新開発 キヤノンが"新コンセプト"に取り組む理由とは?

PowerShot ZOOM

キヤノンが12月10日に発売した、単眼鏡スタイルで"観る×撮る"を楽しめる「PowerShot ZOOM」。カメラとはひと味異なるユーザー体験を目指した製品の企画・開発ストーリーと、カラビナスタイルの「iNSPiC REC」に始まる"新コンセプトカメラ"を企画・発売するキヤノンの狙いについて聞いた。(写真:宮本義朗・本誌)

(左から)キヤノン株式会社イメージコミュニケーション事業本部 ICB開発統括部門 主任研究員 開発の深井陽介氏
キヤノン株式会社 総合デザインセンター デザインの保刈祐介氏
キヤノン株式会社 イメージコミュニケーション事業本部 ICB事業統括部門 課長代理 商品企画の島田正太氏
キヤノンマーケティングジャパン株式会社 コンスーマビジネスユニット コンスーマ商品企画本部 マーケティングの駒井裕士氏

——"新コンセプトカメラ"を企画した背景を教えてください。

島田: スマートフォンの台頭により、特に若い人を中心にスマートフォンで写真を撮影することがメインとなっている方が増えています。そもそも、"カメラ"の原体験を持っていない人も多くなっています。すると、そういった方にはキヤノンというブランド自体が以前ほど浸透していないのではという課題意識もありました。

そういった背景もあり、今までスマートフォンが中心だった方々にも興味を持って使ってもらえるような商品をキヤノンも作る必要があると考え、2018年のCESに展示する少し前から検討を始めました。

展示に対しては、"キヤノンが商品化も決まっていないプロトタイプを展示する"という新鮮さに対して、ご覧いただいた方からポジティブな声を多く頂きました。商品化されない可能性もありましたが、出展を通して得た声を商品にフィードバックさせていくというプロセスが大事だという考えでした。

商品企画担当の島田氏。交換レンズや双眼鏡を担当していた経験を持つ。

機能の上乗せではなく、ユーザーへの「共感」で企画開発

——PowerShot ZOOMは、どのようなユーザー層を想定していますか?

島田: 若い方はもちろんですが、カメラに馴染みのない方々という意味ではもう少し幅広く考えています。バードウォッチングで双眼鏡がわりに使ってみたい、旅行や運動会でスマートフォンで撮影していたけどもっと寄って見たい・撮りたい、といったようなニーズです。

——コンセプトとカメラの形は、どちらが先に決まりましたか?

島田: 光学開発に関わっていたメンバーのアイデアが最初にありました。スマートフォンのカメラをいわゆる標準ズームレンズに見立て、その望遠側を提供するイメージです。望遠に特化したレンズユニットを小型化できそうなアイデアから、デザインなどの案ももらいながら、合宿なども経て徐々に商品像を創りあげていきました。

——合宿というのは、よくあることなのですか?

保刈: キヤノンのデザインチームでは、特に新規の製品において、合宿でのブレストを伝統的にやっています。今回はコンセプト検討段階からデザイナーが入り、「気軽に望遠」「何を見たいか」「どう使いたいか」といったテーマで3〜4回ほど、商品企画・開発・デザインの混合チームでワークショップを実施しました。

外装デザインを主に担当した、デザインセンターの保刈氏。PowerShot ZOOMにはコンセプトの立案から関わる。

その一つに、どういった場所で使いたいか、というテーマがありました。サッカー場なのか、バードウォッチングなのか。例えば、競馬を楽しむ"UMAJO"という言葉もありますが、最近増えているスポーツ観戦を楽しむ"〇〇女子"たちは、遠くにある自分の好きなものをもっと大きく見たり撮ったりしたいのではないかという議論もしました。このように「遠くを見たい人とは?」という観点でたくさんの案を出しつつ、撮影合宿も実施しました。

そうして「慣れないと望遠はブレやすいよね」といった体験などを通じて、自分がユーザーになってみることに努めながら、デザインチームと開発チームで共通認識を持ち、課題出しをしていきます。デバイスを積み木のように組み合わせながら配置して様々な形状の可能性を探り、レンズユニットとファインダー部分が無線接続で分離するという案もありました。また、いち早く機能性の確認をしたいとの想いで、既存製品を分解してプロトタイプを作ったりもしました。

さまざまな試作機。CP+2019には一番右のプロトタイプが展示されていた。
写真のように「つまむ」スタイルの試作もあったが、「握る」スタイルの方が安定したホールド感が得られ、操作的に好ましいと考えた。
試作機を改めて手にしたところ。確かに、製品版のPowerShot ZOOMを手にしたあとでは大柄で、観察への集中という面では一歩譲る印象。
"無線で分離"にはわかりやすく技術的なキャッチーさがあるが、結果として"観る×撮る"の本質に集中したことが伺える。
コネクタを内蔵し、スマートフォンに直接取り付けられるようにした案も。
無線というだけで難しく感じるユーザー層も確実に存在するので、専用ハードウェアらしくスタンドアロンに徹したのは慧眼だと思う。

島田: この商品は、通常の製品と異なるプロセスで形になっていきました。通常は各担当グループごとに順番に渡していくような流れなのですが、PowerShot ZOOMでは最初の企画段階から各担当が一緒に取り組んでいるので、全員に共通認識がありました。フィールドテストもリサーチの担当だけでなく、できるだけ多くのメンバーに参加してもらいましたし、展示会などでお客様の声を実際に聞いて反映していく作業も、チーム全体で取り組みました。

通常の製品は機密の状態で開発を進め、最後の発表段階で皆さんにお披露目するのですが、この商品の場合はコンセプト段階から露出しているので、社内でゴーサインが出てからはスピード感重視で進めました。

写真と動画が撮れる、望遠鏡。PowerShot ZOOM紹介動画【キヤノン公式】

保刈: デザイン思想もこだわりがあります。ユーザーに共感するという取り組み方です。機能を上乗せするのではなく、ユーザーに共感する。そのために自分自身がユーザーになって考える、という思想です。本体の大きさや使い方を大事にしながら、必要な機能だけを載せていくという手法です。こうした前例のない新機軸の商品には、まだ誰もファンがいないので、まっさらから考えることができます。

例えば、両利きで使えるカメラ製品は珍しいです。これも、スポーツ観戦であれば飲み物を飲みながら、メガホンを持ちながら、といった「ながら」になることを想像できたからです。また、画角を切り替えるズームボタンをカメラ上部の一等地に配置するのも、カメラの操作系として考えれば珍しいことです。しかしこれも、実際に使っていて一番楽しかったという経験に基づいています。

片手で扱えることに重点を置いた。
PowerShot ZOOMで月を写したところ。
各操作ボタンも実際の体験から配置した。中央が製品版。
視度調整ダイヤルは、カメラに備わるそれと異なり、片手でも素早く調整できるような部材になっている。複数人で使うときに、それぞれが素早く自分の視度に合わせられるようにとの配慮。

島田: ユーザーの皆さまには、いろんな使い方をしていただきたいと思っています。お子さんの運動会やサッカーの試合などで、応援と撮影を別々にせず、覗いて応援しながらそのまま撮れるといった使い方もこの商品ならではです。50m走を走る前の子供の緊張した様子など、アップで見たから初めて気付けた子供の表情があったという声も頂きました。

——検討を経て、最終的に残った要素は何でしたか? また、機能面やデザイン面で課題となった点はありましたか?

島田: 「小型で望遠」というのが譲れないところでした。また、"観る"と"撮る"が一つになるというのが、ユーザーに"刺さる"ポイントになるとの手ごたえもありました。

保刈: コンセプトはよいと評価を得ました。実は、モックアップは開発チームに実現可能と言われたサイズより更に小さく作って展示していました。これが実際にユーザーの方々に欲しいと思ってもらえる小ささだと考えていたからです。しかし展示を見ていただいた来場者の方々からは、「もっと小さくしてほしい」との声もありました。

深井: 私自身も展示会やフィールドテストに何度も参加しており、「もっと小さく」ですとか、「ポケットサイズに」といった要望は納得でしたので、設計チームで鏡筒、本体のレイアウトを根本的に見直し、小型化の実現に取り組みました。

真ん中の2つが初期のコンセプトモック。一番右が同時期に既存カメラを改造して作ったプロトタイプ。様々なフィードバックを経て、現在の商品形態(一番左)に行き着いた。

——白いカラーリングを選んだ理由は何ですか?

保刈: 新機軸の商品なので、従来のカメラの"黒"ではない軽やかなカラーリングにしたいと考えました。

当初はコンセプトモックのようにカラフルなカラーリングも検討していましたが、スポーツ観戦の用途が多くなることが予想されたため、応援しているチームの色に対して本体色が邪魔になってしまうことも考えて、中立的かつ、同じ重さでもより軽やかに感じる白を選びました。

カメラだけでなく、双眼鏡や交換レンズなど様々な開発の知見が集結

——実際に手にする方々に注目してほしいところは何ですか?

深井: 小型軽量でありながら、高い手ブレ補正を両立している点です。カメラの小型化のために、レンズ鏡筒は従来(コンパクトカメラ)のような円形ではなく、縦長にまとめています。限られたスペースの中に、手ブレ補正のメカ機構を収めることはかなり苦労しました。

新コンセプトカメラのメカ設計を主に担当した深井氏。これまで多くのコンパクトカメラの鏡筒まわりを手がけてきた。

また、手ブレ補正の制御にも独特の工夫があります。デジタルカメラではライブビュー時にあまり補正を効かせず、撮影する時に効かせますが、今回は"観る"と"撮る"の両方が大事な商品なので、ライブビュー中も強く効いています。このチューニングは新しいものです。

島田: この手ブレ補正の効かせ方は、弊社の手ブレ補正付き双眼鏡の思想に近いです。カメラを振った時に手ブレ補正機構の揺り戻しが目立たないようにすることなども含め、手ブレ補正の機構とチューニングは、いずれもこれまでのデジタルカメラとは異なるものです。

新開発の2焦点ズーム機構

——"瞬間ステップズーム"とは、どういった部分を表現していますか?

深井: 超望遠のコンパクトカメラで被写体にズームしていった時、被写体を一度フレーム内から見失うと、再び追いかけるのが難しくなります。一部のコンパクトカメラには、一時的にズームを広角側に戻すボタン(フレーミングアシスト)を付けていましたが、それでもズームアウトするスピードが遅いという声がありました。今回は、ズーム位置を2か所に固定する割り切りによって高速になっています。

※編注:PowerShot ZOOMで選べる画角は、100mm相当と400mm相当の2焦点光学ズームに、デジタルズームによる800mm相当が加わった3つ。本体の「ZOOM」ボタンでトグル操作する。

当初は2つの光学系を左右で入れ替える方式も考えましたが、本体が大きくなるため、ズームする方式にしました。ズームレンズといっても中間域を使わないため、ズームの両端の性能が高ければよく、ズーミングに伴ってレンズが長い距離を移動しなくてすむよう設計しました。

島田: 私はもともと交換レンズを担当していたので、ただの"望遠"ではなく"超望遠"と呼ばれ始める400mmという焦点距離は、ユーザー体験から考えても、ぜひ実現したいと考えていました。

PowerShot ZOOMのレンズユニット。手で握れる本体形状に仕上げるために、鏡筒部分は縦長にまとめた。
右側はバッテリー室。
左右がこのように組み合わさることを前提とした設計のため、レンズユニット(左)は片側を開放し、バッテリー室(右)が被さることでフタとなる構造に。小型化への積み重ねとなる一例。
本体と見比べたところ。バッテリー室と隣り合う都合で、レンズ部が片方に寄っている。

深井: また、PowerShot ZOOMでは、従来のカメラよりも速い高速ズームを実現しています。しかし、ズーミングした直後に像がぼやけていると違和感があるため、高速ズームに追従できるようにフォーカス設計を行いました。制御についても、"現在の画角でフォーカス位置がここなら、ズーミングするとフォーカス位置はこの辺りになるだろう"という先読みでピントを合わせに行きます。

——EVFは高級なものを使っていますか?

島田: 全体のコストを抑えようとすれば、この価格帯の製品であればEVFはもっと小さいものを採用してもいいのではないかという考えもあります。しかし、"観る"という体験を重視した製品ですので、フルサイズミラーレスカメラにも採用されるようなクラスの高品位なEVFを選びました。

——メカやデバイス的な苦労と見どころは何ですか?

深井: 本体を握るように持つ関係上、どうしても熱がこもってしまい、どのように放熱するかに苦労しました。結果として、放熱板を這わせて熱を逃がす構造にしています。

島田: 駆動時間も通常のカメラとは異なる視点で気にかけました。カタログ上では連続動作70分と記載していますが、実際には1試合を見てもバッテリーがなくならないことを意識しました。様々なスポーツでフィールドテストを繰り返し、"10分あたりでどれぐらい覗くか"といったモデルケースを検討したうえで、接眼センサーを使って数秒でEVFをオフにするなどしています。

初期状態では電源の自動オフまで15秒となっています。10秒でも20秒でもなく、15秒という体感上の結論でした。また、それと合わせて電源オンしたときの起動スピードは可能な限り速くするなど、バッテリーを長持ちさせつつ、できるだけわずらわしく感じないようにと工夫してもらいました。

ユーザー体験会において、一般の方に実際にスタジアムでお使いいただいた際には、試合前後も合わせて合計3時間以上観戦し、1,500枚以上を撮影した方もいらっしゃいましたが、バッテリーは持ちました。また、それでもどうしてもバッテリーが切れてしまうというときには、USB Type-C端子から給電と高速充電も可能です。

——ちゃんと最新のUSB Type-C端子を搭載しているところが素晴らしいと思います。Type-Cを採用する難しさは何ですか?

USB Type-C端子を備える。隣はmicroSDスロット。

島田: そのように評価して頂けると嬉しいです。Type-Cは消費電力の大きい製品でも給電や高速充電が可能になるなど、 これから様々な製品で採用されていくでしょうし、徐々に浸透しつつありますが、いまは過渡期かなと思います。

過渡期ということは対応アダプターを持っている人も持っていない人もいます。アダプターを同梱としてしまうと、既に持っている人には問答無用で不要なものを購入してもらうということになり、環境配慮という点でもよくないと考えました。一方で、非同梱とすることで、持っていない方には購入して頂く手間をかけるのですが、消費者の方にアダプターを購入する・しないの選択肢を残せると考え、非同梱としました。

駒井: "USB充電"に不慣れなお客様やType-Cの充電器をお持ちではないお客様もいることを想定し、セット品を用意するなど工夫しました。

商品企画と国内マーケティング、クラウドファンディングを担当した駒井氏。

——コスト面での苦労はありましたか?

島田: はい。「もっと価格を安く」といった声ももちろんありましたが、私達が目指したユーザー体験をお届けするために、例えば"EVFのサイズを落として安くする"といった考えはありませんでした。

深井: ユーザーが求めることから作ったので、コストのために譲ってはいけない部分が明確にわかっていました。

保刈: 実物を見てコンセプトを体感していただくと、「意外と安いね」といった反応もありました。撮影機材としてのカメラという側面のみにスポットを当てると物足りなく感じられる方もいるかもしれませんが、"撮れる、望遠鏡"としてみた場合、他にはないコンセプト商品として捉えて頂いている方もいらっしゃいます。そういった方にはそれぞれのユースシーンで代替のない商品として、高く評価頂いているようです。

駒井: ご期待にお応えできる、この商品の良さを適切にアピールしたいです。

販売・展示にも新たな挑戦

——こうした企画を実施・継続する上での難しさはありましたか?

島田: このコンセプトが本当に受け入れられるかは、誰にもわかりませんでした。プロジェクトを進めていく中では、展示会でご覧いただいた方々からの声をはじめ、社外・社内でもファンやサポーターの声が支えになりました。

——このような活動に関して、日頃はどのような取り組みを行っていますか?

島田: アイデアを自由に提案する場面そのものは、社内にいろいろとあります。新コンセプトカメラについても、アイデアを提案し、最初は各自が他の業務と並行してプロジェクトに取り組んできました。

あるときに「展示会に出してみる?」という機会を得て、まずはそこを目標として走り出しましたが、その展示会が終わった後にはまた次の目標ができて、といった具合に商品化まで繋がっていきました。

今回こうしてiNSPiC RECに続き、PowerShot ZOOMが発売となったことで、「自分達も次に続きたい」とモチベーションが高まる人もいます。

——PowerShot ZOOMは、先行してクラウドファンディングで登場しました。反響はどうでしたか?

駒井: 2019年にクラウドファンディングに出品したiNSPiC RECより短い時間で購入予約が終了となり、買えなかった方々からも「もう売り切れてしまったか」「欲しい」といった声がありました。そうした方々の声に応えるために、正式発表・一般発売としました。

新コンセプトカメラの第一弾として発売された「iNSPiC REC」。

島田: 期待はもちつつ、 開発側としては、当初用意した1,000台に予約が入るかヒヤヒヤしていました。

駒井: 自分自信が欲しかった商品でしたが、この商品の良さをどのように理解していただくか、キービジュアルや言葉を慎重に選びました。ありそうでなかった体験ができる商品として、"撮れる、望遠鏡"と言語化しました。

購入者からいただいた「しばらくカメラは買っていなかったけど、この"見て、撮れる"というコンセプトで買っちゃいました」という反応は非常に嬉しかったです。

——これまでにコンセプト展示があった、そのほかのカメラは今後どうなりますか?

島田: 自動撮影とパン・チルトに対応した「インテリジェントコンパクトカメラ」と、キッズ向けにゲーム感覚の機能を搭載した「キッズミッションカメラ」は、先行する2機種に続く発売を目指し、検討を続けています。

CP+2019に展示されていた、インテリジェントコンパクトカメラ(左)とキッズミッションカメラ(右)。編集部撮影

駒井: 展示という部分では、有楽町と新宿マルイにある体験型ストア「b8ta」(ベータ)で、最新ガジェットのひとつとしてPowerShot ZOOMを展示しています。様々な種類の最新ガジェットがあり、スタッフの方々もとても詳しく説明してくださいますので、楽しんでいただける場所になっていると思います。さらに、二子玉川にある蔦屋家電+にも展示しています。こういった商品展示の形態も、弊社の取り組みとして新しいです。

b8taでの展示イメージ
蔦屋家電+の展示コーナー

本誌:鈴木誠