特別企画
北端の離島 利尻島・礼文島を撮影する(後編)
最北の浮島 礼文島
2020年11月4日 00:00
北海道の夏は短い。7月に入っても天候によっては気温も低く、また日中気温が上がったとしても夜間や早朝はかなり気温が下がる。さらに北海道のなかでも最北端に位置する稚内地方は、盛夏となる8月でも札幌と比べて体感で数度、気温を低く感じることがある。その代わりに晴天時の空の青さはどこよりも深く濃いのが印象的。私がこの夏に訪れた北海道の離島、利尻島・礼文島の空もやはり特別な青さと深さを持っていた。この空を撮影できただけでも訪れた価値があると感じたほどだ。
利尻島・礼文島のふたつの小さな島は、北海道本島の西側に並ぶように位置しており、両島の間隔は9kmほどしかない。北方領土を除くと日本国内で最も北に位置する離島群であると同時に、人が住む有人国境離島でもある。今回の撮影ではまず利尻島に先行して滞在して撮影を行い、続いて礼文島に移り撮影を行った。利尻島での撮影の様子は前編をご覧いただくとして、今回は礼文島での撮影の様子をご覧いただきたいと思う。
利尻島・礼文島はいずれも稚内市の西方に位置している。船便を利用しての交通は、稚内港から定期便フェリーで利尻島・礼文島ともに二時間弱で訪島できる。また利尻島-礼文島間をフェリーで移動することも可能だ(およそ40分)。なお礼文空港は現在運用が休止されているため、飛行機による礼文島への訪島はできない。
氷河期に形作られた丘陵地帯が連なる島 礼文島
礼文島は稚内より西方59㎞の日本海上に位置し、南北におよそ29km、東西におよそ8kmの細長い島だ。周囲はおよそ70km、面積約81平方kmと利尻島の半分以下の広さだ。島中央部には最高峰490mの礼文岳があり、そこから南部へかけておおむね標高200〜300mmの丘陵地が広がる。一方、北部には標高100mm程度の平坦な土地があるものの、湿地帯も多く人が住める土地は限られている。さらに島の西海岸は海食崖と呼ばれる断崖絶壁が連なるため、人家の多くは東海岸に沿うように集まっている。令和2年9月1日の時点では2,500人ほどの島民が暮らす。なお島名の語源はアイヌ語で沖の島を表すレプンシリから来ていると言われている。
島の玄関口である香深(かふか)港。稚内港および利尻鴛泊港からのフェリーが入港する。人と物資交流の拠点。町役場などの行政機関や、商店などもあつまる。島唯一のコンビニも港から車で数分の場所にある。
島の漁港はいずれも小さく、地区ごとに船泊が設けられている。沿岸部は傾斜地が多く、住居兼作業場の建物が限られた土地に軒を並べる。
香深港のある東海岸から西方へ向かう新桃岩トンネルを抜けると、唯一、西海岸沿いを走る南北2.5kmほどの道路へと出る。道路を南端まで走ったところにある桃台猫台展望台に登り海岸線を望む。
海岸線は原生の姿をほぼ残したままの野趣あふれるもの。大きく膨れ上がった風船のような岩は、天頂部がとがった姿から桃岩と呼ばれている。かつて礼文島全体が海の底にあった頃、マグマの噴出によってドーム型に膨れ上がったものがそのまま現在の姿となったと考えられている。高さはおよそ250m、幅300mにもおよぶ巨岩だ。ここはかつて、ふたつのアイヌ勢力による戦いが行われたとの伝説も伝わっている。
おなじく桃台猫台展望台から南側を振り返ると、礼文島南端部に至る海岸を目にすることができる。赤い屋根の建物はユースホステル。西海岸沿いの道路はここで終わる。ここからさきはまさに原生の島だ。
桃台猫台展望台から見える海の上の岩。座り込んだ猫の背中の姿に見えることから猫岩と呼ばれている。そう言われればたしかに猫背の猫のようにも見えてくる。
礼文島の最南部は丘陵地からつづくなだらかな大地。背丈より低い植生の草原となりその向こうには青い海と空が広がる。空には月とトンボ。
利尻島南端部の公園「北のカナリアパーク」では、映画の撮影用に建てられた分校舎をそのまま資料館にとして公開している。撮影用に作られたセットではあるが、かつて別の場所で実際に使用されていた建物の部材を利用して建てられており、また屋内の教室の造りや小道具なども含め、細かい考証のうえ揃えられている。ただし屋内は一部を除き撮影禁止となっているので注意。この日は海上に霧が立ち込めていたが、条件がそろえばこの公園から利尻島の美しい姿が望める。
夕日が沈みゆく草原。8月の後半だが北端の島にはすでに秋の気配が忍び寄る。吹き抜ける風はとても涼やかだ。
礼文島の北部には空港も現存しているが、現在は運行が休止されている。かつては定期便も就航していたが利用者の低迷により廃止となった。そのため礼文島への交通機関は船便だけとなっており、資材の流通面でも天候に大きく左右されてしまうのが現状だ。
日本最北の民間空港である礼文空港の滑走路は長さ800m×幅25mと短いため、小型プロペラ機の離発着用。平成21年4月から休止状態となり平成33年3月31日までは休止されることが決まっているが、その後は未定。残念ながら現時点では再開の目処は立っていないそうだ。
礼文空港は礼文島北部金田ノ岬の丘陵地帯に位置する。この丘陵地帯の地形は太古に礼文島が海底から隆起したのち、繰り返された氷河期に形作られたと考えられている。高い木はなく低い草花ばかりなのは、繰り返し発生した山火事により焼失した為だともいう。遠くの高台に建つのは陸上自衛隊礼文駐屯地の施設。北の国境の守り。
金田ノ岬から最北のスコトン岬へと続く小さな湾内にある船泊(ふなどまり)港。礼文島では香深港に次ぐ規模の港であり、かつては稚内へのフェリーも発着していた。市街には旧船泊村の役場が置かれていたことから商店も多く存在していた。現在は香深港と統合され船泊分港として島内の灯油備蓄基地として重要な役割を担う。
船泊港近くには礼文島では数少ない砂浜が広がる。かつて使用されていたと思われる石造りの桟橋が青い海に向かって延びる。流れてくる霧の塊が青い空を覆い隠そうとする姿に光を当て、長秒露光で炙り出す。
礼文島最北端のスコトン岬。船泊集落から寂寥たる丘陵地帯を岬の先端まで進むと、突然荒涼な岬の風景が目の前に広がる。まさに最果ての地といったところだ。沖に見える島はトド島。かつては猟期に限り住う人もいたそうだが、無人島となり幾久しい。
礼文島の西海岸のほとんどは車での通行が不可能だ。島の各所を巡るトレッキングコースがいくつも整備されており、数km程度を歩く初心者コースから島を南北に縦断する上級者コースまで体力に合わせて楽しむことができる。ここは最北端のスコトン岬から西海岸沿いを歩く岬めぐりコース。
岬めぐりコースをゆっくりと歩き、2時間弱で到着したゴロタ岬(標高180m)。この日は濃い霧に囲まれ周囲は真っ白。天気が良ければ真っ青な海と空を堪能できたはず。残念だが山歩きは気持ち良い。
花の浮島とも呼ばれる礼文島は、冷涼な気候により低地から高山植物も多く生息する島だ。今回礼文島を訪れた時期は8月の半ば。また訪れる直前に記録的な大雨が降ったことから最盛の花たちを堪能することはできなかったが、それでもトレッキングコース沿いにはいくつかの草花が広がっていた。
岬めぐりコースのゴロタ岬からはおよそ5km。2時間半ほど歩くと、青く小さな入江が特緒的な澄海岬(すかいみさき)に到着する。なお、ここは道路も整備されているので車で訪れることもできる。観光客も多い。
岬めぐりコースの中間地点でもある鉄府(てっぷ)漁港。漁から帰港してきた漁船を海鳥が追いかけてくる。国土交通省北海道開発局によって第4種漁港に指定されており、沿岸漁業の基地として整備されるとともに、悪天候時等の漁船の避難港の役割も持つ。
礼文島は利尻島とならぶ漁場に恵まれた島。地先沿岸では昆布や雲丹、イカ、タラ、マス、カレイなどの沖合漁業も盛んだ。海上を颯爽と駆け抜ける小舟の格好良さ。
この島の海鳥にとっては雲丹も大切な食料。波打ち際から雲丹を咥えてきては、くちばしで器用に硬い殻を開いて中身を食べる。なんとも贅沢な食事だこと。
礼文島は霧の島と呼んでも良いくらい霧の発生率が高い。ほんの少し前までは陽が射すほどに晴れていた空が、海から流れてきた霧に包まれあっという間に辺り白一面の光景となる。この霧が島の植物を潤わし、後にそれら由来の栄養分が海に流れ込むことで沿岸の漁業資源を育む。
漁業が主な産業となる礼文島もやはり、漁の安全を祈り各地区で神様を祀っている。船泊の高台に鎮座する礼文神社から街と海を見下ろす。
始まりは湖の神様を祀る祠であったと伝わる礼文神社は、いまでは神明造りの立派なお社となり、地元の人々の心の拠り所として大切にされている。残念ながら今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のためにお祭りを行うことができなかったとのことだが、きっとまた賑やかなお祭りを目にすることができる時が来るだろう。
香深井地区の海岸沿いに建つ見内(みない)神社は、アイヌの伝承に出てくる岩を祀ったという珍しい神社。伝承では戦いの為に島を旅立った夫の帰りを待ち続けたまま、いつしか岩になってしまった妻と子の悲話。そして余所者の子であった彼女らを虐げてしまった集落の人々の悔恨の話が伝わる。社は海側を向くように建てられており、まるで今でも夫の帰りを待ち続けているかのようだ。
見内神社本殿に参拝。名称の由来には岩になってしまった親子に心ない態度を取ってしまった人々が、その行為に恥じて顔向けすることを避けた(見ない)ことから来ているとの言い伝えもある。一説によると御神体の岩は本殿のさらに奥の間に祀られているとのことだ。悲しい言い伝えを胸にご挨拶に伺った。
礼文香深港を離れ礼文水道を稚内港へと進むフェリー。海上を覆う霧の上空から利尻山山頂が覗く。
厳しくも豊かな自然と人々の暮らしが息づく北端の離島
今回の利尻島・礼文島での撮影取材では、両島合わせて10日間の滞在となった。利尻島と礼文島はとても近い位置にあり気候もほぼ同じである。それにより採れる海産物もほぼ同じなので島民の暮らしには共通点も多い。しかし地学的な観点では、この二つの島の成り立ちはまったく異なっており、それは島の景観や人々の気質にも大きな違いを生み出しているようだ。これは私感ではあるが、利尻島民は常に革新を求め、礼文島民は生活のなかで培ってきた伝統を重んじる気質を感じた。これはとても興味深い違いといえる。
また、滞在期間中には天候が崩れ雨や霧で思うような撮影ができない日もあったが、島を車で何周も周りながら撮影を進めるうちに、それさえもこの北端の島が持つ姿であることを自らの肌で感じられるようになった。そこには厳しい環境のなか長い年月を紡いできた人々の日常があり、また未来に向けて守り受け継ぐべき自然がある。都心から1,000km以上離れている島だが、間違いなくそこは日本の大切な国土であり、それを我々日本人は忘れてはならない。
今年は新型コロナウイルス感染症という予想外の事態に、行動を制限する状況が続いた。しかしきっとまた、以前のように旅行に出かけられる日々が戻ってくるはずだ。今回の撮影記を通じて利尻島・礼文島に興味を持たれたのであれば、その時にはぜひ機会を設けて島を訪れていただきたい。きっと存分に撮影を楽しんでいただけるはずだ。
協力:
礼文町観光協会