イベントレポート

日本カメラ博物館「カメラとスポーツ ~スポーツ写真と技術の進歩~」

スポーツ撮影とカメラ技術の変遷を知る特別展 10月10日まで

東京・半蔵門の日本カメラ博物館は、特別展「カメラとスポーツ~スポーツ写真と技術の進歩~」を6月22日から10月10日まで開催する。開館時間は10時~17時。休館日は毎週月曜(9月21日は開館)。入場料は一般300円(中学生以下無料)。

スポーツの魅力を伝えたカメラやレンズの数々を紹介する特別展。1800年代後半の「初期の報道用カメラ」からはじまり、スポーツ報道を支える技術の変遷を、伝書鳩や電送機といった話題も交えて紹介している。

「初期の報道用カメラ」。画像左上の「アンシュッツカメラ」(ドイツ。1890年頃)は1882年にオットマール・アンシュッツが発明した最高速度1/1,000秒のフォーカルプレーンシャッターを搭載。こうしたカメラはその後1940年ごろまで報道写真に使用されたという
アメリカのグラフレックス社が製造した、通称“スピグラ“こと「スピードグラフィック」。堅牢性があり、フォーカルプレーンシャッターを内蔵し、レンズ交換の自由度が高かったことから、第2次世界大戦の前後で幅広く活躍。一般撮影のほか、接写や複写までこのカメラ1台でまかなえるほど多用途に使えたため、新聞社のカメラマンに多く使われた
ジェームズ・フレッツォリーニ テレフォトカメラ(1930年頃。アメリカ・ジェネラルリサーチ)。焦点距離36インチ(約914mm)F6.5のレンズを装着した、5×7インチ判の一眼レフカメラ

第18回オリンピック競技大会(1964/東京)では、各国の代表カメラマン以外はスタンドの指定エリアでの撮影をしいられ、結果として望遠レンズの需要が高まったという。それに伴って、装着したレンズそのままの画角をファインダーで確認できる一眼レフカメラが、特にスポーツ写真における報道用カメラの主流となっていった。一眼レフカメラは第2次世界大戦以降、日本製のものが世界をリードする存在となり、露出やピント合わせの自動化を通じて技術的な優位を築いていった、と紹介されている。

キヤノン F-1(1971年。キヤノン)
キヤノン ハイスピードモータードライブカメラ(1977年。キヤノン)。「キヤノン F-1」をベースに半透明ペリクルミラーの採用で反射ミラーの往復をなくし、高速連写を可能とした
ニコンF 高速モータードライブ(1971年。日本光学工業:現ニコン)。1972年のオリンピック札幌大会用として製造された。
国産一眼レフの代表機種として、「オリンパス OM-1」や「アサヒペンタックス SP」なども並ぶ

35mmフィルムの画像を電話回線を通じて送るトランク型の携帯電送機「AP リーファックス 35」(1988年。リーフシステム)。これは報道写真家の山本晧一氏が実際に使用したもので、現像したフィルムを読み込み、左上のモニターに表示する。備えられたキーボードでキャプションを打ち込むこともできたという。

AP リーファックス 35(1988年。リーフ)
回線用の端子が備えられている
読み込んだフィルムの映像をモニターに映し出すことができたという

試合結果をいちはやく送信することも課題となるスポーツ撮影の現場。フィルム時代は前記したような電送機などが使用されていたが、第23回オリンピック競技大会(1984/ロサンゼルス)では、ソニーとキヤノンのスチルビデオカメラが使用され、デジタルカメラの迅速性が業界内に認められていったという。

ソニーマビカ試作機 JW-C7(1982年。ソニー)朝日新聞社と共同開発した黒白画像専用のスチルビデオカメラ。
中央のニコン D1(1999年。ニコン)はCCD電子シャッターと機械式シャッターを併用し、一般ユーザー向も視野に入れて発売されたモデル。同カメラの登場以降、デジタルカメラが報道の分野でも多く使用されるようになり、撮影から公開までの時間が大幅に短縮されるようになったという
ニコンとキヤノンの歴代デジタル一眼レフ
ソニーのトランスルーセントミラー・テクノロジー初号機「α55」や、各社のミラーレスカメラ

このほかにも、スポーツ撮影をささえてきた望遠レンズや、五輪モデルのカメラ、第18回オリンピック競技大会(1964/東京)当時の資料なども展示されている。

超望遠レンズがずらりとならぶ
とりわけ大きなレンズは「Super-Multi-Coated TAKUMAR / 6×7 1:4/800」(製造年不詳。旭光学工業:現リコーイメージング)※6月22日17時修正:製品名に誤りがあったため、日本カメラ博物館に確認のうえ修正しました。
大きなレンズをおさめるケースも展示されている
オートニッコールテレフォトズーム 8.5-2.5センチ F4-4.5(1959年。日本光学工業:現ニコン)。国産初の35mm一眼レフカメラ用望遠ズーム
ニコンフォーカシングユニット(右。1964年。日本光学工業:現ニコン)。オリンピック東京大会に向けて製造された400mm F4.5、600mm F5.6、800mm F8、1200mm F11に装着して使用するピント調節装置。写真はニッコールPオート600mm F5.6
ともに、キヤノンF-1の五輪モデル。モントリオール五輪モデル(1976年)と、レイクプラシッド五輪モデル(1980年)
リコー製カメラのルーツだという「オリンピックA」(1934年)。オリンピックの名を冠したカメラの集まりも。
「GoPro」シリーズの初代機も展示
「フジ 連写カルディア ビューン」(1931年。富士写真フイルム:現富士フイルム)
1840年にはじめて通信業務に伝書鳩が使用され、ロンドン→パリ間が6時間で情報伝達できるようになった。日本では1893年に東京朝日新聞社で研究が始められた。伝書鳩による運搬業務は、読売新聞社が1966年まで行っていた
写真家・水谷章人氏の機材と作品が展示されている
写真家・名取洋之助氏の機材と作品が展示されている
第18回オリンピック競技大会(1964/東京)当時の貴重な資料も展示されている
本誌:宮本義朗