インタビュー
ライカに勤めて40年。“Mr. M”ことステファン・ダニエル氏に聞く「変化と継承」
ノクティルックス35mmがF1.2になった理由は? ドイツの職業訓練とは?
2026年3月29日 12:00
CP+2026にあわせて来日したライカカメラ社のステファン・ダニエル氏は、新たに“Mr. M”という肩書きで、ライカのブランドを代表する立場になった。日本のライカファンには長くお馴染みのダニエル氏だが、今なぜ新たなタイトルがついたのか?ライカの考えを聞いた。
世界にライカブランドを伝える“Mr. M”
——ダニエルさんは40年以上に渡りライカに関わられ、ライカファンにはお馴染みの存在です。今になって“Mr. M”となったきっかけは何だったのでしょう?
製品の観点から会社を代表できる人間が必要ではないか?というアイデアがありました。これまで長らく、ライカを代表する人間といえばCEOや経営陣でした。今後は、製品のことを知っていて、今でも製品開発に深く関わっている私の立場から、顧客の皆さまやメディアに対してライカのブランドと製品について、筋の通ったメッセージを発信できるようにしていきます。
私は以前、商品企画のリーダーでもありました。今の私は組織的にはそこに属してはいませんが、他にもベテランの社員がたくさんいて、安心して見ていられます。今後も継続して面白い製品を出してくれると信じています。
日本の皆さまには、私がお話しする機会が多くありましたが、実は、他の国ではそうでもなかったのです。ですから今後は、他の国でもこのようにしていきたいと考えています。
新レンズ「ライカ ノクティルックスM f1.2/35mm ASPH.」について
——ノクティルックスM f1.2/35mm ASPH.を試しました。ライカレンズの名前には、単にF値だけでなく、どこか描写にも共通したキャラクターがあるように思います。どのように企画されたレンズですか?
ノクティルックスに、35mmという今までで最も広角のレンズが増えました。光学設計を行うときには、さまざまなパラメーターを検討します。それはサイズや重さなど多岐に渡ります。
今回のノクティルックスM f1.2/35mm ASPH.は、小型で開放F値が明るく、絞り込めばとてもシャープ。絞りを開いてもコントラストはありつつ、絵筆で描いたような芸術的な雰囲気が得られます。スムースなボケが私の好みです。
ノクティルックスなので被写界深度の浅さを意識しますが、収差バランスや像の平坦性を保つことも重視しています。最終的には“良い写真”となるようにそれぞれのバランスを取っていくことが大事です。
実は、開発段階では2種類の光学設計がありました。ひとつは開放F1.2、もうひとつは開放F1.0でした。検討の結果、サイズと重量を優先してF1.2を選びましたが、それにより“毎日持ち出せるノクティルックス”になるという幸運がありました。F1.0では大きく重くなり、いかにも特殊なレンズという感じでしたが、この軽さであれば一日中カメラを持っていられます。これも、カスタマーファーストの選択でした。
——今回は採用されなかったF1.0バージョンも、今後リリースの予定はありますか?「スペシャルなレンズこそ欲しい」という方も少なくないかと思います。
今のところ予定はありませんが、いつか日の目を見るときが来るかもしれません。光学設計者の引き出しには、常にたくさんのアイデアが眠っているのです。
——ちなみに、F1.0バージョンも試作はしたのですか?
していません。ものすごく高価だからです。
——ノクティルックスM f1.2/35mm ASPH.の登場は、EVF内蔵のMマウント機「ライカM EV1」の登場が後押ししていますか?
いえ、2つの製品は発売時期こそ近かったですが、特に意識していませんでした。つまり、ノクティルックスM f1.2/35mm ASPH.はEVFを前提に作ったレンズではありません。 レンジファインダー方式の通常のM型ライカにおいても、絞りを開けた状態でピント合わせがしやすいレンズなので心配無用です。私自身の好みでも、ぜひともレンジファインダーで使いたいレンズです。
私は35mmが好きで、長らくズミルックスM f1.4/35mm ASPH.を愛用してきました。今度のノクティルックスM f1.2/35mm ASPH.は日常のシーンやポートレートなどに幅広く使えるので、個人的にも購入しようかなと思っています。
——ノクティルックスM f1.2/35mm ASPH.の小型軽量化には、どんな背景がありましたか?
採用している3枚の非球面レンズが特徴です。ライカは写真用レンズに初めて非球面を使ったメーカーですが、このノクティルックスM f1.2/35mm ASPH.には、ウェッツラーの本社工場に新しく導入されたPGM(Precision Glass Molding。精密ガラスモールド)設備が使われています。金型で作るガラスモールド非球面レンズを社内で生産できるようにしたのです。
いままではグラインディング(研削)で作っていましたが、1枚あたりの製造に時間が掛かったり、外部から調達すると仕様面での制約が多かったのです。社内に新技術が導入されたおかげで、レンズの径や曲率についての自由度が高まり、どのようなレンズをどのように実現できるか、光学設計から工場との打ち合わせまで、より柔軟な開発が可能になりました。品質の均一性も上がっています。
とはいえ、とても径の大きなレンズや、プレスできない(熱加工に耐えない)硝材には引き続き研削も必要です。例えばノクティルックスM f0.95/50mm ASPH.やノクティルックスM f1.25/75mm ASPH.に使われているようなレンズです。ちなみに、ライカではハイブリッド非球面は使いません。
そんな新たな設備が初めて生かされた製品がノクティルックスM f1.2/35mm ASPH.なのです。同じようにこの設備のメリットを生かしたレンズが、遠からず登場するでしょう。
ドイツの職業訓練とは? 今と昔で異なる“顧客”との関係
——1970年代にライカ製品に関わった日本のカメラ技術者に話を聞いたところ、「マイスター」というキーワードが出てきました。日本でも有名な、ドイツのものづくりを象徴する言葉です。ドイツと職人の関係について教えてください。
3年から3年半の期間で行われる「アプレンティスシップ」という職業訓練の制度があります。私のライカでのキャリアも、16歳でそこからスタートしました。
その時に印象的だったのは、まずは真鍮や鉄、アルミといった素材を学ぶところから始まったことです。それぞれを手で触ったり、削ってみたりして、その素材がどんなものであるか、手で感覚的にわかるようにトレーニングされます。手に材料の感覚を学ばせるのです。これは、機械に材料をセットしてボタンを押すのとは全く異なる訓練です。
ライカは現在も職業訓練を受け入れており、専用のワークショップが存在します。もちろん今は手作業だけではなく、5軸加工機のようなハイテク機械を使うことも組み合わせています。機械で金属の切削加工を行いながら、それに手で触れるとどうなのか、といった手の感覚も引き続き大事にしているのです。
この職業訓練が終わると、今度は2年ほどかけて会社内の各部署を回ります。技術部門だけでなくさまざまな部署を回り、会社の全体像を学べるシステムになっています。これはライカだけでなく、ドイツが国として実施していることです。光学関係を学びたければ、場所はウェッツラーかイエナになります。
現在ライカでは、光学製造部門の中に若い職業訓練生が光学技術を学ぶためのエリアも用意しています。16〜17歳ぐらいから来てもらい、ワークショップでは球面や平面(プリズム)のレンズを学びます。そこから工場で働く人もいますが、もっと研究したい人には大学へ進む機会を与えたりと、内部から才能を育てています。
——ライカの歴史では、経済的に難しい時期もあったと聞きました。ダニエルさんの視点から、ライカの昔と今で変わったところ、変わらないところを聞かせてください。
大きな違いは、顧客の要望をダイレクトに聞く機会を得たことです。1970〜80年代を振り返ると、顧客とはすなわちカメラ販売店のことでした。エンドユーザーであるお客様の声を直接聞く機会はほぼなく、どんな製品を作るべきかも販売店に聞いていたのです。
これは商品企画時の調査にも通じます。商品開発の理由付けが、それを売っている人から来るのか、実際に買おうとしている人から来るのかでは、大きな違いがあると思います。この点は昔と変わって、良くなった部分だと思います。
世界中のライカストアも顧客とのコミュニケーションのための大事な場所となっていて、世界第一号店のライカ銀座店は今年でオープン20周年を迎えます。
昔から変わらないと感じる部分は、働く人達のプライドです。ライカの会社としての歴史は19世紀終盤からあり、拠点がウェッツラーからゾルムスに移り、またウェッツラーに戻ったりもしました。
その100年以上の歴史で変わらないプライドの源は、「良い製品で有名な会社」というだけでなく、社内の雰囲気や“ヒューマン・スピリット”、人間関係やお互いを尊重する部分から来ていると思います。
別のドイツ企業からライカに移ってきたドイツ人に、「ライカは社内の雰囲気が良い」と言われることがあります。会社によってはなかなか、難しいところもあるようです。
もちろん仕事ですから、ライカでも改善のために活発な議論が交わされることはありますが、それは個人レベルの話ではなく、「どのような商品を作りたいか」から来る前向きな議論です。この社内の良い雰囲気こそがライカの宝だと思いますし、それが製品にも反映されています。
CP+2026パナソニックブースで、Lマウントトークショーが開催
CP+2026初日のパナソニックブースでは、Lマウントアライアンスのトークイベント「Lマウントの未来と展望」が開催。毎年恒例となったコアメンバー3社のトークに、今年はドイツから“Mr. M”ステファン・ダニエル氏と、ライセンス担当のヴァレンティノ・ディ・レオナルド氏が参加した。
2000年代、まだAFシステムカメラを持っていなかったライカが、どのようにミラーレスカメラのLマウントを生み出し、現在のようなアライアンスを結成するに至ったのか。そして、2018年のフォトキナにおけるLマウントアライアンス発表以来、3社がどのようにレンズやカメラボディを拡充し、アライアンスメンバーを迎えてきたかの歴史を各社のキーパーソンが振り返った。














