山岸伸の「写真のキモチ」
第46回:世界文化遺産 賀茂別雷神社
第四十二回 式年遷宮を追った1年5カ月
2023年5月15日 13:00
平成27年に第四十二回式年遷宮を迎えた賀茂別雷神社。その様子を1年5カ月にわたり追いかけた山岸さんに経緯や思いを聞きました。(聞き手・文:近井沙妃)
賀茂別雷神社(通称:上賀茂神社)
神代の昔、秀峰神山に御祭神・賀茂別雷大神が御降臨されたことを起源とし、その後天武天皇の御代(678年)に現在の社殿の基が造営。現在では農耕守護・厄除開運・方除・電気産業守護 の御神徳により皇室はもとより多くの皆様方に尊崇され、「上賀茂神社」として慕われている。
国宝に指定された本殿を中心に、同じく国宝の権殿と国の重要文化財の多数の社殿を配する賀茂造りの佇まいと共に、5月15日の 賀茂祭(葵祭)他年間70数度に及ぶ神事が現在まで連綿と継承され、平成6年12月には境内全域23万坪が世界文化遺産に登録される。
靖國の桜からの縁
平成26年(2014年)の春。ライフワークのひとつである「靖國神社の桜」を撮り続けている最中、神職の方に「京都の上賀茂神社の桜も綺麗ですよ。ぜひ先生にあの桜を撮ってほしい」と言われたことが上賀茂神社に足を運ぶきっかけとなった。ご紹介を受け、まずはご挨拶と田中安比呂宮司の「瞬間の顔」を撮影させていただくことになり上賀茂神社へ。
撮影を終えて宮司様とお話しをしていると、翌年の平成27年には60棟に及ぶ建造物を維持するために21年ごとに行う「式年遷宮」が行われるという。第四十二回となる式年遷宮では主に国宝の本殿と権殿や重要文化財の楼門などが修復される。「来月、本殿を修復するにあたり御神霊を本殿から権殿に遷す「外遷宮」が行われますが、ひとまず撮影していただくのはいかがですか」とお話しをいただき、このタイミングに強く運命を感じた。
仮遷宮の前日に再び京都入り。その夜は本殿から権殿へ宝物(ほうもつ)を遷す儀式が行われ、撮影を終えると広報の方から「今日は大丈夫ですが、明日は正装でお願いいたします」と突然の注意事項。しきたりも何もわからないまま東京から来た私たちは大急ぎで正装を揃えるため、アシスタントは京都駅近くの量販店でスーツを買い、私はサイズがちょっと特殊なので東京から事務所のマネージャーに朝一番でスーツを届けてもらうという一騒動。
スタートは20時。約10mの板の間に30社近いマスコミがいる中、私とアシスタントは前日の撮影を踏まえて決めた場所にスッと座り静かに本番を待つ。どんどん暗くなり、次第に緊張感が増していく。ただ、この撮影は宮司様の言葉を受けて私が残したいと決めた自分のための撮影である。仕事としての依頼ではない分、緊張感がありながらもプレッシャーや変な気負いは無かった。とにかく夢中で約2時間の間シャッターを切っていた。東京へ戻る高速道路の車中で「式年遷宮の最後まで撮り続けたい、撮り続ける」と心に刻み、改めて宮司様にその気持ちを伝えると「いいよ、あなたが撮りに来るならいくらでも撮っていいよ」と答えてくれた。
こうして仮遷宮で権殿へ遷した御神霊を再び本殿へお戻しする正遷宮までの約1年5カ月、檜皮葺(ひわだぶき)屋根の葺き替えや上賀茂神社で行われる様々な神事の撮影が本格的に始まった。64歳にして出会った被写体。式年遷宮は21年に1度、さらに檜皮葺屋根の葺き替えは42年に1度。もうこの一生で一度しか撮れないだろう。それだけでも私にとって貴重な経験であり、貴重な体験と言ってしまっていいのかどうかという程の大役である。
月に約1度のペースで東京から車に荷物を積み、神社の駐車場に車を停めて半ば車で寝起きするような状況で撮影が進んでいく。本格的な神事や催し物の撮影に携わることが初めてで当時は撮影に同行している広報の方から「右側に来てください。左側に来てください。少し頭が高いです。」と撮影のマナーや神社のしきたりなど全て教わりながらの撮影だった。
上賀茂神社の四季と神事
本殿の檜皮葺屋根の葺き替えを撮影する際には特別に許可を得て工事用の足場にのぼり、その過程を数回に分け撮影する機会を得た。国宝は建て替えるわけにはいかない。傷んだ部分を修復しながらその威容を保ち続けるのだ。時代ごとの宮大工や職人たちが修復を重ねながら古の姿を維持してきた重みを感じる。
神社の方々に一番褒めていただいたのは当時使用していたカメラのシャッター音や電子音がオフになり無音で撮影できる静音モード。今では珍しい機能では無くなったが当時はとても驚かれて「山岸さんの撮影は音が静かでいいですね」と良い印象を持っていただけた。神事の静かで厳かな空気を壊さないため、玉砂利や廊下を歩くときでもなるべく静かに、とにかく音に注意を払って撮影をする。
朝、誰もいない静かな境内を撮影し神社と共に寝起きするような日もあった。時には寒く時には暑く、当時の私にとっては相当過酷な撮影だったが今思えば心地よい疲れと心地よい撮影だったと振り返る。
冒頭に書いた仮遷宮前夜での一枚。感度を上げシャッタースピードを速くして動きを止めたり、実物以上に明るく写すこともできるが、自分の見えている範囲で見たままを忠実に記録したい思いがあった。
神社のみなさんに段々と顔を覚えていただいて撮影ができる距離感が縮まり、式年遷宮へ向けて様々な撮影ができるようになってきた。大晦日の日、この時初めて神社の皆さんにグッと近づいてカメラを向けたと思う。
この時、急いで帰らずに泊まってもよかったかなと迷いもしたが、なんと直後には大雪。もし泊っていたら帰るのも大変な事態だった。タイミングよく無事に東京へ帰れたということも、どこか神の力を感じるのだった。
3月3日、桃花神事の撮影に訪れた。そしてこれもまたタイミング。本殿の屋根を見上げると檜皮葺屋根の葺き替えは終わり、大棟の銅板が輝いていた。数日経つとこの銅板の部分も雨風などの影響であっという間に黒くなると聞き、自分はなんて運のいいカメラマンなんだとシャッターを切った覚えがある。
毎年5月15日には京都三大祭りの一つとされる賀茂祭(葵祭)が執り行われる。京都御所から下鴨神社を経て、上賀茂神社に至る新緑の都大路を、総勢500を超える平安絵巻さながらの優雅な行列がねり歩く。葵祭の終点である上賀茂神社では勅使と斎王代(さいおうだい)を迎え、勅使による祭文の奏上をクライマックスに、儀式次第に則って粛々と祭儀が進められた。自由にとまではいかないが私はカメラマンとして破格のポジションが与えられた。
ただ、最高のポジションで撮るということはちゃんと撮らなければいけないという責任がだいぶ芽生えて、それはもう必死だった。とにかく撮りたいシーンが多く、時には同時に事が起こるためなかなか撮りきれず、どこか撮り残した気持ちがあるのは確かである。
その後も上賀茂神社の四季や烏相撲や月次祭などの神事を撮り、遂に10月15日、正遷宮の日がやってきた。私のカメラにはこのような形でしか写らなかったが、私の気持ちがこの時こうあるべきだと思ったのだ。記録に残す写真としてはこれでいいのかと思うところもありつつ、私は見た目通りの写真しか撮れない不器用なカメラマンなので(笑)。これが私が撮った式年遷宮一番のメインカット。
約1年5カ月、述べ32日、北洛・上賀茂神社に通って撮影をしてきた。撮影枚数は約3万1,200枚に及ぶ。自らに課したのは「記録性」だが、人物写真を撮り続けてきた私が単なる「記録性」にとらわれてしまっては私が撮る意味が無い。この相反するテーマとの葛藤も私の新しい挑戦となった。今、もう一度たくさん撮った写真の中からセレクトをして上賀茂神社の式年遷宮を私なりに見てみたいと思う。
残し、伝え、知ってもらうこと
ライフワークとして、写真展の開催と写真集を残すことを一つの目標としていた。結果的に2回にわたりオリンパスギャラリー東京/大阪にて上賀茂神社の式年遷宮を追った写真展を開催することができた。
写真展だけではなく青山スパイラルホールで行われた「京あるきin東京2016」でもトークイベントに参加するなど、発表の機会を多くいただいた。「山岸伸はこのような撮影もするんだ」と多くの方に意識してもらったことも非常にありがたく思う。
この一冊の写真集は、2016年に日本写真協会賞 作家賞を受賞したお祝いでキヤノンマーケティングジャパンが作ってくれたもの。数多くある写真集の中でも宝となった一冊。
式年遷宮の撮影を終えたその翌年、両陛下が22年ぶりに上賀茂神社と下鴨神社を参拝される「天皇皇后両陛下御参拝の儀」の撮影依頼を受け、その記録は記念誌として残されている。
天気は曇から段々と雨に変わり、待機している社務所の屋根に当たる雨音がしっかり聞こえてくるくらい。私とアシスタントの近井は白装束の上にビニールのカッパを着て、とにかくフットワーク軽く撮るつもりで準備をして、参列するお客さまたちも傘をさして両陛下の到着を待っていた。ところが下鴨神社での御参拝を終えた天皇皇后両陛下が乗る車が上賀茂神社に到着すると同時に、雨は止み、それだけでなく太陽まで顔を見せた。帰られるとまた雨が振り、なんとも貴重で不思議な時間だった。
このような大きな仕事をさせていただけたことは、やはり撮影に通って生まれた神社との信頼関係の上に成り立っている。この一冊は記録性が高く、今後またこのような機会が訪れた時に役に立つものとなる。あまりにも大きな撮影で上手く伝えることができないが、とにかくやり抜いて無事に終わったことを今も誇りに思う。
再び、挑むチャンス
この記事の公開日である5月15日、新型コロナウイルスの流行で中止が続いていた賀茂祭(葵祭)が4年ぶりに実施される。そしてこの記事を書いている最中、葵祭の撮影が約束された。どのような写真が残せたのか、後に発表される機会を待っていてほしい。