山岸伸の「写真のキモチ」
第42回:靖國の桜
誰も見たことがない桜を撮りたくて
2023年3月15日 13:00
山岸さんがライフワークのひとつとして10年間撮り続けた「靖國の桜」。それも、他の誰も撮ることができない”早朝開門前”の靖國の桜。撮影に至るまでの経緯と思いについてお話しを聞きました。(聞き手・文:近井沙妃)
きっかけは15年前
春は私の誕生日があるので毎年いつもドキドキワクワクします。私が桜を撮りたいと思ったきっかけ、それは今から15年前に大学病院での検査で慢性骨髄性白血病と診断されたときのことです。入院中は病室で天井を見ながら、この先自分にはどんな写真が撮れるんだろうと考えていました。体力が無くなっていくので、これまでの様にポートレート撮影を中心にバリバリやっていくのは少し難しいのかもしれない。そんな中で重い浮かんだ被写体のひとつが自分のペースで撮影できる球体関節人形。そしてもうひとつが桜でした。
私が最初に事務所を構えたのは九段坂上。交差点からふたつ離れていて大通りに面したとても環境のいい場所で、目の前に靖國神社がありました。平成元年に会社を設立し、そこから私の写真人生が始まったんです。いつも神社の前を歩いて通勤したり、春になると桜のシーズンは人がいっぱいで歩けないくらいで、屋台もたくさん出ていて事務所のみんなや友人たちとゴザを敷いて花見をしたものです。近くにある九段坂病院で、今はとても有名になられた大谷先生と知り合い、私の病気を見つけてくれました。
桜を撮りたいと思った時に最初に千鳥ヶ淵の桜を撮ろうかなと考えましたが、体力的な問題に加え、そこで桜を撮る人は既に多いし私は風景写真家では無いので同じように撮るのもどうかと悩みました。「そうだ、誰もいないところで桜が撮れる」と思い付いたのが靖國神社。靖國神社とは縁があり、思い切って広報の方に「靖國の桜を撮りたい」とお願いをしました。それも早朝の開門前、まだ誰もいない4時半過ぎから門が開く6時まで。そして快諾をいただいて“自分にしか撮れない靖國の桜”を撮る機会を得ました。
裏の通用門から守衛さんに入れていただき、暗がりから約1時間半の撮影。毎日行けるわけではなかったのですが、その繰り返しを10年続けて開門前の静かな境内の中で靖國の桜を撮らせていただきました。その間にアシスタントも何人か変わり、これを読んだら懐かしく思うアシスタントもいるんじゃないかな。
標本木のソメイヨシノ
靖國の桜といえばまずは桜の標本木。この木に桜が咲くか咲かないかで桜の開花が決まります。靖國の桜はとても古くからあり、皆さんが歩く場所にも根が張っているので桜は非常に弱っているそうです。中でも標本木は支えが施されている上に周囲に人が入ってこれないようになっています。
暗がりに包まれた静寂の中で
撮影を始めて思ったことは、“難しい”。桜というのは恐らく高い所から見たり、緑などの背景があったり、様々な風景の中に咲いているものが綺麗なのではないかと思います。靖國神社の場合は基本的には下からしか見ることができず、良き枝っぷりというか花よりも枝の方が立派に見えてなかなか難しいということに気づきました。
加えて場所によっての咲き具合の差があったり、周囲のビルや桜の季節に出る祭り用の電飾提灯のケーブルが写り込みそうになったり。そういった条件下で美しく撮ろうと思うと、なかなか一筋縄ではいかないものがあります。
しかし10年間毎年桜の時期に2~3度訪れ、開門の太鼓が鳴り朝日が昇るのを見ながら神社を後にし、みんなで今はなきグランドパレスホテルで朝ごはんを食べたりして、その日が始まっていました。今回ちょうど桜の咲く時期にこの連載を書くことができてとてもいいタイミングだなと思っています。
この開門のシーンはアシスタントの近井が撮ったものです。私が撮っている間、「手が空いたらなんでもいいから撮っておきなさい」と常に二人のアシスタントにカメラを預けています。以前のアシスタント達には常にカメラを持たせているわけではなかったのでメイキング写真をほとんど撮っていません。今の二人になってからは私が撮っている姿も残してくれています。それは非常にありがたいなと最近ふと思い、アシスタントにも感謝しています。この開門の写真は私が撮りっぱぐれたと言ってはおかしいですが、なかなかこのシーンは撮れません。この門が開いて、私たちは駐車場から帰っていきます。
いつの間にか靖國神社とは縁が深くなり、その後にお正月や夏のお祭りのポスターを撮らせていただくなど、とても良好な関係を築いてきました。東京の真ん中、いつの間にか靖國神社に足を運ぶことが多くなりましたが、もっと言えば私の父の生前には神社の裏にある大きな会社の社長さんとお友達で、何度か父に連れられ靖國神社で参拝したこともあります。シンプルに私の写真人生の中での守り神、それは森の鎮守のような、そういう関係だと思います。
靖國の桜を撮っていた縁で、京都の賀茂別雷神社(上賀茂神社)に繋がり、そしてまた上賀茂神社からたくさんの神社を紹介していただいて、私のライフワーク「瞬間の顔」でも多くの宮司様を撮らせてもらっています。コロナ禍になってからはなかなか参拝に行けていませんが、この連載を書くにあたり一度靖國神社に顔を出してみたいと思います。
また、夏のお祭りで掲げられる各界名士の揮毫による懸雪洞も靖國神社から依頼され、私は字も絵も下手なので、指定の和紙の上に事務所にあるキヤノンのPRO-1000でプリントしていますが、なかなか難しく綺麗に印刷できません。しかしそれがまたいいのかなと思っています。今年もどんな写真をプリントするか悩んでいます。今年は自分のところじゃなくてプロラボにお願いしようかなとも思っています(笑)。
朝は生命が特別な気をくれる
誰もいない境内での撮影は自分との闘い。これから自分はどうなるんだろうと、この桜を見ながら毎回祈り、撮影していました。おかげさまで病気が発覚してから15年経った今もまだ写真を撮る気力があります。それは全て、被写体がエネルギーをくれるから。
中でも靖國の桜とばんえい競馬からは計り知れないエネルギーをもらっています。決して早起きは好きではありませんが、朝が好きです。靖國の桜もばんえい競馬の朝調教も、日が昇る前からの撮影。それを撮り切ったことは私なりに写真と共に生きるということを考える場所でもあったと思います。
誰もいない静かな神社の境内で一生懸命写真を撮った結果、とても立派な写真集を出すことができました。今は恐らく絶版になっていると思いますが、私の中でとても大切な一冊になっています。
春は桜が咲いて、私にとっては一年が始まるような気がします。今年もこれから桜が咲きます。今年は昼に明るい太陽の下で桜を撮ってみたいと思います。