熱田護の「500GP-Plus」

第5回:2004年 佐藤琢磨選手とシューマッハ選手

この写真は、2004年のF1インディアナポリスで佐藤琢磨選手が自身唯一の3位表彰台を獲得した時のもの。この時も嬉しかったけどね。
EOS-1Ds EF600mm F4L IS USM(F5.6・1/800秒・ISO 100)

世界の3大モーターレースというのがあります。F1のモナコGP、WECのル・マン24時間レース、そしてインディアナポリス500マイルレース(通称、インディ500)。前回は佐藤琢磨選手について書きましたが、なんとその佐藤琢磨選手がインディ500で優勝しました!

今回で2回目、もちろんそのインディ500で勝ったことのある日本人は佐藤琢磨選手しかいません! もうこれこそ快挙です! くどいですけど、もう信じられないような偉業です。

僕個人的には、国民栄誉賞と人間国宝を同時にあげたいくらいです。琢磨選手は、43歳。現役最年長です。おじさんの希望、星、目標。世界中のプロドライバーが夢見て、苦労して3大レースに参加しているチームのシートを手に入れたとしても、各カテゴリー、1年、1人ずつしか勝てないわけです。しかも道具を使うスポーツなので、勝てる体制の整ったトップチームで走らなければなりません。

用意周到に準備をして、ライバルに睨みを利かせ、チームとの連携を完璧に取りレースに挑み、さらに運も味方につけて最大の集中力を保ったままチェッカーを目指し、やっと手に入れる事ができる栄冠です。そんな事を2度も達成できるドライバーが日本人だという奇跡に感謝したいし、心の底から嬉しい。本当にたいしたもんです。

ミハエル・シューマッハ選手

2004年のシーズンは、このミハエル・シューマッハ選手の圧倒的な速さに誰も追従できなかった年。全18戦のうち13戦の優勝という圧勝。5年連続、7度目のチャンピオン獲得。

EOS-1Ds EF600mm F4L IS USM(F4・1/125秒・ISO 100)

連戦連勝、またシューマッハだ……。というようなレースが続いていました。どんなスポーツでもそうかもしれませんが、スーパースターの才能を存分にみてみたいという憧れは誰しもが抱きます。

しかし、偉大な才能を持った選手がそのカテゴリーで1人だった場合、人気を独り占めし勝ち続けた結果、その競技自体にマンネリ感が徐々に大きくなって「最近のF1はつまらないなあ……」という声が聞こえてくるのです。

人というのは身勝手なものですが、切磋琢磨し誰が勝つかわからないようなレースを見てみたいと思うのは僕も同じ。理想を言えば、そんな偉大な才能を持った選手がもう1人いて、この当時のフェラーリと同等の速さを持ったマシンに乗っていたら、これほど面白いことはないのですが、そんな奇跡のようなことは起こらないものですね。

EOS-1Ds EF600mm F4L IS USM(F11・1/500秒・ISO 100)

マシンを降り、ヘルメットを取り、すぐさまエンジニアとマシンの挙動について話し合う。勝利に向けて、どこまでも妥協なく追求する姿勢がチームを動かし、その結果自分のマシンが速くなる。ドライバーの仕事はただ速く走るだけでなく、その情熱をチーム全体に行き渡らせて強くすること。

EOS-1Ds EF600mm F4L IS USM(F4・1/250秒・ISO 100)

ブラジル、インテルラゴス・サーキットの最終コーナー。はるか向こうにあるコーナーをバックに少し流し撮り。

EOS-1Ds EF600mm F4L IS USM(F20・1/125秒・ISO 100)

ベルギーGP、スパ・フランコルシャン。シューマッハ選手の実家にもっとも近いサーキットで、このコースを得意としていて楽しみにもしていました。この年も優勝し、記者会見の後にピットビルの3Fにあるプレスルームを出ると、眼下には大勢のファンがシューマッハ選手が出てくるのを待っている状況。

きっと、ここに立つに違いないと予想し、長い間待ち続け、予想通り目の前に立ってくれた。でもストロボのチャージが遅く、良いタイミングで発光しなかったカットを、画像の破綻しないギリギリの感じで補正してみました。

EOS-1Ds EF600mm F4L IS USM(F20・1/250秒・ISO 50)

シューマッハ選手の両手。話している時の手の動きは、ファインダーで見ると、とても速い。

EOS-1Ds EF200mm F2.8L IS USM(F3.2・1/200秒・ISO 100)

フェラーリの赤いテントの下にある、ブリヂストンタイヤとBBSホイール。両方日本のメーカー。懐かしいなあ。

EOS-1Ds EF600mm F4L IS USM(F4.5・1/250秒・ISO 100)

熱田護

(あつた まもる)1963年、三重県鈴鹿市生まれ。東京工芸大学短期大学部写真技術科卒業。85年ヴェガ インターナショナルに入社。坪内隆直氏に師事し、2輪世界GPを転戦。92年よりフリーランスとしてF1をはじめとするモータースポーツや市販車の撮影を行う。 広告のほか、雑誌「カーグラフィック」(カーグラフィック社)、「Number」(文藝春秋)、「デジタルカメラマガジン」(インプレス)などに作品を発表している。2019年にF1取材500戦をまとめた写真集『500GP』(インプレス)を発行。日本レース写真家協会(JRPA)会員、日本スポーツ写真協会(JSPA)会員。