熱田護の「500GP-Plus」
第1回:1992年 R02メキシコGP〜R14ポルトガルGP
2020年7月1日 06:00
29年間、世界各地のサーキットに出かけ、F1の世界を大切に撮影してきた写真で、2019年末に「500GP」(ゴヒャクジーピー)というタイトルの写真集の出版と写真展を開催しました。写真集は224ページ、写真展も常設写真展会場としては日本最大級の会場で、多くの方々に見ていただけました。
ですが、どうしても紹介できなかった多くの写真が残ってしまいました。そこで発表できなかった写真を、撮影時のエピソードや機材などの話も織り交ぜつつ「500GP-Plus」というタイトルで連載していこうと思います。
キヤノンがメインスポンサーのウイリアムズのマシン。しかも、他を圧倒するスピードがこのマシンにはありました。アクティブサスペンションやトラクションコントロールなどの電子制御のハイテクです。
ゼッケン6番のドライバーは、リカルド・パトレーゼ選手。ピットビルディングから600mmの手持ちで流し撮りをしています。
初めてのモナコGP。なんと刺激に満ち溢れているのでしょう!
走っているマシンとの近さ、パドックではマシンを隠さず作業している、カジノや豪華クルーザーをバックに収められること、しかもトンネルを通過する……もう、夢のような時間の連続。興奮したという当たり前すぎる感覚ではなく、10戦くらいモナコでレースをやっても、全然撮り足りないような気持ちになりました。
カメラマンの移動する経路も入り組んでいて、地下通路でエレベーターを使うところなどは、まるで迷路のよう。案の定、マンセル選手が独走して楽勝ペースで終盤まで走っているレース展開で、興奮しすぎて表彰台に戻る道を間違えて、迷いに迷って一般道に出てしまいました。その最中に観客席からどよめきが聞こえたりする中、なんとか表彰台の横に到着すると、マンセル選手が路面にへたり込んでいる状況でした……。
そしてセナ選手が満面の笑顔???
歴史的にも貴重なシーンを撮り逃しました。
でも、不思議とそんなに悔しくはなかったかな。
F1まで辿り着いた新人ドライバーの中で、光る速さを持つドライバーを見るのは楽しい。そんな才能を誰もが感じていた一人に、このカール・ベンドリンガー選手がいます。
しかし、この2年後の1994年モナコGP、上のコースを見下ろしている写真の右側にあるタイヤウォールに激突し重傷を負ってしまい、復帰はしたものの、その怪我の影響で元のスピードまで自身を持っていくことが出来ずに引退してしまいました。
濡れた路面に、厚い雲の切れ間から強い光が差してきました。
この時はまだ今のようなデジタルカメラという存在がなく、全ての写真はフィルムで表現されていました。自分の好きな色、コントラスト、粒状性は、数多あるフィルムの中から選択することで決定されました。
僕は、コダックのコダクローム64(KR、PKR)とコダクローム25(KM、PKM)という2種類を主に使っていました。30年近く経った今でも退色などなく、きれいな色で当時を再現しています。
若かりし頃の僕(笑)。
場所は多分、イタリアのモンツァ・サーキットだと思います。600mm F4のEFレンズは当時I型で、重量が6,000gもありました! それが現行のIII型は3,050g! 技術の進歩はカメラマンを助けてくれます!
手前に見えるのはEF200mm F1.8L USMに1.4倍のエクステンダー付きですね。フードを両方外しているのは、少しでも軽くしたかったから……。よく見えないけれど、お腹のキヤノンポーチバッグにはフィルムを入れてました。