特別企画
【子どもとカメラ】7歳児にデジタルカメラを渡したら…
簡単・頑丈「COOLPIX W150」で撮る子ども目線の写真
2019年8月26日 07:00
8月2日に発売された「COOLPIX W150」は、防水10m、耐衝撃性能1.8mのタフネスデジカメ。丸みを帯びた優しいフォルムと、カラフルなボディカラーのラインナップは、子どもでなくても心躍るかわいらしさだ。
今回は、本機を7歳の息子にプレゼントして、バリへ家族旅行をしてきた。息子はCOOLPIX W150の数世代前の機種「COOLPIX S33」を使ったことがある。
ただ、何もわからずに撮っていたであろう4年前とは違い、最近は撮り方や被写体に対するこだわりが出てきたようだ。
息子のコメントと共に、子どもと写真を撮る旅の楽しさをお伝えしたい。
好きな色を撮る
「緑色が好きだから、キレイだなと思っていっぱい撮った」
バリのバトゥカウ山にある、世界遺産のジャティルウィのライステラス。広大な棚田を歩いて回ることができる。緑色(特に黄緑色)が好きな息子の琴線に触れたのだろう。ここでは歩きながら色々なアングルで撮影していた。
小さな子どもは、被写体の色や形が好みだと思ったらカメラを向ける傾向がある。そういうときは急かさずに、本人が納得いくまでじっくりと付き合ってあげると、親よりも良い写真を撮ったりする。
海の中を撮る
「撮っているときはこんなに魚がいるなんて見えていなかったけど、こんなに海の底に魚がいたんだね! これは大発見だね!」
離島のレンボンガン島でシュノーケルをしたときに、息子はライフジャケットと浮き輪、箱メガネの装備で浮きながら水中の魚ウォッチングをしていた。親はシュノーケル装備で浮き輪の紐を掴みながら、「あそこに魚がいるよ」などと教えながら撮影したのだが、波で揺れながらの撮影なので、本人は結構適当に撮っていたようだ(笑)
しかし、帰国してから筆者のパソコンの画面で見直してみると、自分が思っていたよりも多くの魚が写っていて、驚き喜んでいた。撮っただけで終わらずに、一緒に見返して思い出話ができるのも、家族旅行にカメラを持って行くメリットだろう。
飲み物を撮る
「ふたつのビールがちょうどいい位置にあったから撮りたいと思った。下から撮ったのは、こうして撮るとビールが明るくなって昼間に飲んだような感じがするから」
サンセットを待ちながら浜辺のレストランで休憩しているときのひとこま。椅子に寝っ転がるようにして撮っているのを見て、何をしているのかと思ったら、逆光の位置を探していた。撮れた写真を見せてもらって納得。
何も教えていないのに、試行錯誤して自分好みの写真を撮っている息子を尊敬しながら、美味しくビールをいただいた。
夕日を撮る
「人も写したら、ここがこんなに人気だってわかるかもって思った」
今回宿泊したバリのジンバラン地区は、浜辺からのサンセットが売りでもある。筆者たちもイカンバカール(インドネシア式海鮮バーベキュー)を楽しみながらサンセットを複数回堪能した。
息子も何10枚と夕日の写真を撮っていたが、この1枚はお気に入りだそう。人物が写っていることがポイントだそうだ。
確かに、どこのイカンバカールも人気で観光客が沢山いた。その雰囲気を、写真で残したかったのだそうだ。
ママを撮る
「ママが主役に見えるように撮った。こういうところを撮ったら、ママが喜んでくれるかと思った」
足元が良く見えないくらい、かなり暗い時間帯と場所で撮影。そんな時間なので、ブランコは誰も乗っていなかった。せっかくなので、ちょっと楽しい写真を撮ってもらおうと、ゆっくりとブランコを漕ぎながら、「シャッターを押すときは息を止めて脇を締めて」「カメラを絶対に動かさないように」とアドバイスをして撮影してもらった。
息子の感想は帰国してから聞いたのだが、そんなことを考えながら撮ってくれていたと思うと、とても嬉しくなった。
観光地を撮る
「なにこれ?人ちっちゃい! おもしろい!」
カメラの「場面を変える」設定で色々な遊び写真が撮れるのだが、高台から海岸を見下ろすようなタナロット寺院では、ミニチュア風がハマった。しっかりとカメラをホールドして、ブラさないように撮らないと効果が出ないので、カメラのグリップが甘い握力のない年齢では使っていなかったモードだ。
今まで試したことがない効果だったので、息子は面白がって何枚も写真を撮っていた。飽きっぽい子どもには、遊べる撮影設定があることも実は重要だったりする。
息子にとって写真を撮るということ
帰国して、ゆっくり写真を見直しながら、息子に写真を撮ることは好きかをあらためて聞いてみた。
彼曰く、「楽しかったことが頭のなかから消えても、写真を見れば思い出せるから、写真を撮って見るのは好き。こういうところだったんだってわかるし、どんなところだったのって聞かれたら、写真を見せれば楽しかったことを伝えられるから」なのだそうだ。
写真で育児をする「写育だ!」などと意気込んでいたが、育てられているのは親である私たちのほうなのかもしれない。