インタビュー
ボケへのこだわり――富士フイルム「XF 56mm F1.2 R APD」
アポダイゼーションフィルターの仕組みとは?
Reported by 杉本利彦(2014/10/29 11:00)
富士フイルムが12月に発売するXマウントレンズ「XF 56mm F1.2 R APD」は、美しいボケを実現するという「アポダイゼーションフィルター」(以下APDフィルター)を備えているのが特徴だ。このフィルターがどういったもので、どのような効果があるのか開発陣に話を聞いた。(聞き手:杉本利彦、本文中敬称略)
絞り開放から高い画質を目指したXレンズ
――まず、XFレンズ全体のコンセプトからお聞かせください。
曽我:弊社はミラーレスカメラの市場に参入するに際して、究極の画質を実現するため「X-Trans CMOS」という、従来にない高性能なイメージセンサーを開発しました。
このイメージセンサーの特徴は、従来のベイヤー配列のイメージセンサーとは異なり、写真フィルムの構造から着想した独自のカラーフィルター配列を採用しており、偽色やモアレを防ぐための光学ローパスフィルターが必要なく、極めて高い解像感が得られるところにあります。
そのため、XFレンズはX-Trans CMOSの能力を最大限に引き出すため、高い解像力が得られるように設計しています。
加えて、Xシリーズのカメラでは、撮像センサー自体によるAFを行っていますので、別センサーでAFを行う方式に比べ、極めて正確なAFが可能になっています。それだけにイメージセンサーの性能をフルに引き出すにはレンズ側にも非常に高いポテンシャルが要求され、それに応えることのできる高い描写性を目指しています。
さらにもう1つのこだわりは、レンズの明るさです。開放F値が明るいレンズでは表現力が広がりますので、絞り開放から使えるレンズを目指しました。
よく開放F値が明るくても、開放から1~2段絞らないときちんとした解像性能が出せないレンズがありますが、XFシリーズのレンズでは絞り開放から十分な解像性能でお使い頂けるようにしています。
あとは小型軽量にも配慮し、高性能でありながら小型軽量を維持することにもこだわっています。
――明るいレンズで、絞り開放から使える高い描写性にこだわる理由をもう少し。
曽我:やはり明るいレンズの絞り開放では、大きなボケ味が得られますし、暗い条件でも撮影でき、撮影領域が広がる点が大きいですね。
それと、一般に35mmフルサイズ一眼レフカメラ用の明るいレンズでは絞り開放付近では諸収差が発生しやすく、十分な解像性能を得るために1~2段絞ってお使いの場合が多いと思いますが、それですとボケの大きさも絞った場合の大きさになってしまいます。絞り開放から使える画質とすることで、実質的に絞って使う35mmフォーマットと同等のボケ効果を期待できるという理由もあります。
――レンズの明るさと小型軽量は相反する関係にありますが、そのあたりはどのように折り合いをつけているのですか?
曽我:例えば今回のXF 56mm F1.2 R APDは、35mm判換算で85mm相当の画角になりますが質量は約405gしかありません。35mmフルサイズ用で、85mm F1.2クラスのレンズになりますと質量はおおよそ1kgになると思います。
従来35mmフルサイズの一眼レフをお使いのお客様にとりましては半分以下の質量に感じて頂けるということです。つまり、APS-Cフォーマットはスケールメリットで、もともと小型軽量には有利だと思います。
放送用レンズなどの技術が強み。レンズ設計ソフトも自社開発
――富士フイルムとして35mmフルサイズ機はお考えではありませんか?
曽我:現在のAPS-Cフォーマットのシステムはまだ開発の途上で、よりお客様にご満足頂けるシステムをまずは完成させなくてはいけません。
これからさらに交換レンズのラインナップの充実や、ストロボシステムなどアクセサリー類も拡充を進める予定で、当面はAPS-Cフォーマットに集中したいと考えています。
――単焦点の超望遠レンズがないのですが、ユーザーの要望もしくは提供の計画はないのですか?
曽我:XFレンズでは現在ロードマップで発表済みのものを含めますとすでに19本のラインナップがありますが、鳥などの野生動物やモータースポーツなどの用途で超望遠域をカバーするレンズの必要性は感じています。
超望遠ズームに関しましてはロードマップに入っており、フォトキナ2014でも展示した「Super Tele-Photo Zoom Lens」がそれに相当します。
しかし、単焦点の超望遠レンズをご要望のお客様がいらっしゃることも把握していますので、今後のラインナップの検討の上では、単焦点の超望遠レンズも考えていかなくてはいけないと考えています。
――型番のRの意味を教えてください。
曽我:これは絞りリングのあるレンズに「R」の文字を付けています。「R」はリングを意味します。
――他社に比べ、XFレンズが優位であるという点はありますか?
曽我:弊社の歴史をひもときますと、フジノンブランドで古くから放送用カメラ向け高倍率ズームレンズの大口径レンズの製造から、最近ではスマートフォンの内蔵レンズの小径レンズの製造まで、各分野最高性能を持ったレンズを製品化しています。
そのためレンズ設計には、さまざまな技術的ノウハウを織り込むことが可能になっていますので、XFレンズにもそのノウハウが活かされています。
――古くは大判・中判のフィルムカメラ用レンズも発売されていたと思いますがそういった時代のノウハウも活かされているのでしょうか?
曽我:そうですね、レンズ設計には多くの経験とノウハウが必要ですが、弊社では独自のレンズ設計ソフトを使用して、そういったノウハウを吸収しやすいように工夫しています。
――コンピューターの普及当初は市販のレンズ設計ソフトなどはないので、レンズ設計の技術者が自らレンズ設計のプログラムを書いたと言う話をよく耳にしますが、同じような状況なのでしょうか?
曽我:弊社のレンズ設計ソフトも、設計部内の技術者が開発に携わっています。それとこれは余談ですが、コンピューターの導入以前、レンズ設計の計算には多くの人員の手計算でこれを行っていたと聞きます。それを効率化するため弊社では日本で初めて、ひと部屋ほどもある大きさのコンピューター「FUJIC」を作り、レンズ計算に使用しました。現在でもそのコンピューターは、国立科学博物館に展示してあるそうです。
――自社でコンピューターまで作りたくなるほど、レンズの計算は大変だったのですね。ところで、XFレンズは製造も日本で行っていますか?
曽我:「MADE IN JAPAN」のクォリティにこだわろうということで、製造は一部(XF 27mm F2.8、XF 18-135mm F3.5-5.6R LM OIS WR)を除き日本で行っています。
“究極のポートレートレンズ”を作りたい
――このレンズが生まれたきっかけを教えてください。
曽我:もともとXシリーズのカメラは画質にこだわって作ったカメラであり、中でも特にポートレート撮影時の肌色再現性や階調特性には、お客様から高い評価を頂いています。
そこで、今回のレンズのベースになりました「XF 56mm F1.2 R」は、当初から究極のポートレートレンズを作ろうというコンセプトで開発しました。これにより、肌色再現の良いボディとポートレートに最適なレンズの組み合わせで、究極のポートレートシステムができ上がることになります。
これをまずはポートレートを主体に撮影されているお客様にお使い頂き、Xマウントシステムのよさを感じて頂き、さらには逆にこのレンズが使いたいからXマウントのカメラを購入して頂くといった流れにもつなげたいと考えていました。
その一貫で、XF 56mm F1.2 Rの優れた描写性をさらに高めるアイデアは何かないかと考えました。その中に今回のAPDレンズのアイデアがあり、製品化に至ったということです。
近藤:我々設計部では、画質にこだわった、他にないようなレンズを作って行きたいとの思いがあり、いろいろとアイデアを出す中の1つがAPDフィルターを使ったレンズでした。
APDフィルターの狙いは、ボケ味をよくするところにあります。一般にボケ味の美しさは球面収差をコントロールするのが効果的で、実際に球面収差を調整できるレンズも存在します。しかし、球面収差でボケをきれいにするとジャスピン部の画質低下を伴いますし、前ボケか後ボケのどちらか片方のボケしかきれいにすることができません。
その点、APDフィルターを使うとシャスピン部の画質を落とさずに、前後のボケを両方ともきれいにすることができます。
XF 56mm F1.2 Rは開放時のジャスピン部の画質が非常に高くなるように設計しましたが、ボケに関しましてはノーマルのままできれいだとする評価を頂いています。しかし、比較的ボケの輪郭ははっきりしていますので、被写体によって背後のボケがざわつく場合もあります。そこで、APDフィルターを導入することで、ジャスピン部の高い画質を維持しながら、ボケ味をさらに改善しようということになりました。
APDフィルターとは何か?
――富士フイルムのAPDフィルターの特徴を教えてください。
近藤:弊社では、APDの光学素子を薄型のフィルム状とすることで、どのようなタイプのレンズでも、小型化、かつ高性能なレンズを実現できるようになりました。
レンズを光にかざして頂くとわかりますが、APDフィルターは中央部は透明で周辺になるに従ってしだいに濃度が上がるグラデーション状になっています。これをレンズの絞り位置近くに配置しますと、ボケのエッジ部分がとろけるような美しいボケが得られます。
つまり1点1点の点像のボケの周囲がとろけるようにボケていますと、ボケの集合になっても非常に柔らかいボケ味が得られます。
青木:今回のレンズには、実際にはこのようなフィルターが入っています。このフィルターは、中心の透過率は高く周辺になるに従って透過率が低くなっています。
理想のレンズの場合、点光源のボケを考えますと、合焦点からずれた位置にあるボケの形は均一な円形になりエッジは比較的はっきりしています。
しかし、ここにAPDフィルターを組み込みますと、レンズの中心を通る光はそのまま通過しますが、周辺を通過する光はAPDフィルターで減光され、ボケのエッジ部分がしだいに薄くなるようなボケになります。このようなボケがたくさん集まってもエッジ同士が重なり合うことはありませんので、非常に柔らかく滑らかなボケになります。
XF 56mm F1.2 Rは、ジャスピンの性能が非常に高いため、シーンによってはボケが固くなる場合もあります。しかし、APDフィルターを入れたXF 56mm F1.2 R APDでは、高い描写性を維持したまま、滑らかなボケを得ることができるのです。
曽我:例えば実写ポートレートでは、目の部分は非常にシャープに描写できますが、APDフィルターなしのレンズに比べ背景のボケのエッジがなくなり、溶け込むような滑らかなボケが得られます。
――レンズの周辺部ほど濃くなっていておもしろいですね。このグラデーションの工夫点は?
青木:今回のAPDフィルターの開発過程では、中央部から周辺部に至る濃度変化をいろいろとシミュレーションして検証しました。つまり中央にピークのある尖った形のグラデーションや、緩やかな山なりのカーブを描くグラデーションなどいろいろと、シミュレーションをしています。そのなかで、大きなボケ効果が得られ、かつボケの形が美しいグラデーションカーブを選択して製品化しました。
近藤:APDフィルターを入れると、一種の絞り効果が出てMTFは若干上がる傾向があり、ピントの合った部分は非常にシャープに描写できます。
ただこれは好みにもよるのですが、APDフィルターを入れるとボケのエッジにグラデーションがついてボケがきれいになる反面、ボケの大きさが若干小さく見えてしまう傾向があります。そのため、お客様によっては普段見慣れたエッジの効いた大きなボケのほうが好きとおっしゃる場合もあると思います。
――確かにMTF特性を見るとAPDフィルター有りのレンズのほうが良いですね。
――ところで、35mm判換算で85mm相当を採用した理由は? アポダイゼーションレンズと言えば、ソニーに「135mm F2.8[T4.5]STF」がありますね。
近藤:基本的には、当初から弊社のラインナップにあるレンズの中からAPDフィルターを入れたレンズを作るということで56mm F1.2を選択しました。ボケの効果だけを見ると長焦点レンズになるほど迫力のあるボケが得られますので有利という意見もありますが、今回は明るくコンパクトで使いやすく、ポートレートレンズに最適な56mmに市場性があると判断して採用しました。
曽我:先ほども申しました通り、当初は究極のポートレートレンズを作るという目的でXF 56mm F1.2 Rを開発し、このレンズがあった上で、新しい技術のAPDフィルターが開発され、搭載したという経緯があります。
今後具体的にAPDフィルターをどのレンズに搭載するという計画は、まだ何も決まっていません。まずは今回のXF 56mm F1.2 R APDが市場でどのような評価を頂くか見極めたいと思います。
APDフィルターの有無につきましては、例えばボケはきれいになりますがボケのサイズは若干小さくなる所など、お客様の好みにだいぶ左右される部分もあると思いますので、忌憚のないご意見をおうかがいしながら今後の計画に活かしてゆきたいと考えています。
――XF 35mm F1.4 R(53mm相当)など標準や広角域のレンズをAPD化することはありませんか?
近藤:実はXF 35mmでも試作機を作ってみたのですが、もともと背景のボケ効果が小めですし、ボケ像が小さくならない特性にしたAPDフィルターを装着するとボケがとろける効果も小さくなります。
効果が全くないかと言うとそんなことはなく、効果の出るシーンもあるのですが、効果の大きい望遠レンズを優先することになりました。
――ところで光学系は、構成図から見てAPD無しの56mmと同じに見えますが、APD無しの56mmにAPDフィルターをいれたものという考えで良いでしょうか?(注:大きさ、重さは同一)
近藤:ほぼ同じになります。
――APD無しの56mmの市場でのこれまでの評価を教えてください。
曽我:おかげさまで我々の狙い通り、絞り開放から非常にシャープな解像が得られると言って頂けるお客様が多いです。また、ボケ味に関しましても、非常にきれいで気に入っていると言われています。
また、明るいポートレートレンズをお好みのお客様は、既に他社のポートレートレンズを所有されている場合も多く、これまでのカメラでは重かったが、このレンズとカメラの組み合わせは軽量で助かっているというご意見も多数頂くようになりました。
そして何より、このレンズが使いたいからXマウントのカメラと合わせて購入したとおっしゃるお客様も徐々に増えていまして、まさに我々が意図した通りのシナリオが実現しつつあり、大変喜ばしく感じております。
――APD無しの56mmでもボケは十分に綺麗という声があるということですが、それでもAPD化する必要性は?
近藤:やはりこの分野で突出した性能を追求したいという思いにつきると思います。富士フイルムのこのレンズがあるからシステムを揃えたいとする流れが理想ですから、そのきっかけとしてこれからも他メーカーにはない新しい製品を提供していきたいですね。
曽我:レンズは使ってみなければその良さがわからない部分もありますので、東京ミッドタウン内のフジフイルムスクエアではレンズのレンタルサービスもはじめました。
お好みのレンズをフジフイルムスクエア内で試写して頂き、データのお持ち帰りも可能ですし、外に持ち出される場合も1日ですと無料、1泊2日で税込1,080円からの費用で済むようになっています。
レンズはいくら文章で説明してもわからない部分は多いと思いますので、まずはレンタルで実写して頂き、レンズの良さを実感して頂く事をお勧めします。ただし、レンタルとデータのお持ち帰りは発売済みのレンズに限られますので、XF 56mm F1.2 R APDのサービス対応は発売日(12月)以降となります。
――APD無しの56mmの開発時にはAPDタイプも想定して設計していたのですか。
近藤:何かやりたいという漠然とした思いはありましたが、具体的にAPDフィルターを入れることは決まっていませんでしたので、設計時はそれを考慮したということはありません。
――でも実際にはフィルターを入れるスペースが必要だと思いますが、その程度は何とかなったということですか?
近藤:レンズ搭載の自由度を上げるために、サイズに影響のない薄いAPDフィルターを開発しました。これにより従来のレンズから遜色のない大きさのレンズを開発することができました。
――フィルム状の光学素子とはどんな構造ですか?
近藤:フィルムと言いましても銀塩写真のフィルムなどとは全く違います。光を吸収するナノ粒子を含んだ層をでグラデーションをつけ、光学的に歪みのない安定した素子にしているというのが技術的にコアな部分になります。
曽我:一見しますと普通のフィルターのように見えますが、今までにない技術を使用しており、今回の製品が初めて世の中に出る製品となります。
――周辺減光を抑えるセンターフィルター(周辺減光補正フィルター)にはなじみがありますが、同じようなものでしょうか?
近藤:光を落とす方法にはいろいろな方法があると思いますが、これまでの減光補正フィルターなどはガラス面に蒸着によって遮光層を作るするのが一般的だったと思います。
これに対して今回のAPDフィルターは、遮光するための素材として吸収素材を使用し、フレアー(有害な反射光)がなく、かつ薄くて自由な特性のグラデーションが正確に作れるというのが特徴になっています。
――T値は1.7となっていますが、これはどのように決まるのですか?
近藤:レンズのF値は単純にレンズの焦点距離を有効口径で割った数値ですので、例えばF1.2と言っても実際にはレンズの透過率などによりもう少し暗くなるのが普通です。一般的なT値はレンズのF値に透過率を加味し(F値を透過率の平方根で割る)、実効F値を表す数値として一部のレンズで表示されることが多いですね。
しかし、APDレンズの場合は一般のレンズとは構造が異なりますので、APDフィルターによりF値からどれくらい光量が低下するかを示した数値として“実効的なF値”を使用しています。そのため、F値と一緒にレンズに書かれている橙色の数字はT値ではなく、APDフィルターによる露出倍数のみを加味した値となっています。
つまり、XF 56mm F1.2 R APDの開放F値はF1.2で実効的なF値は1.7ですから、F1.2に設定しても実際にはF1.7相当の明るさになっているということを意味します。絞りの段数で考えると約1段分相当暗いということになります。
しかしながら、F値と実効的なF値の差が大きいほどAPDフィルターの効果が大きいともいえるのです。
――F5.6でF値と実効的なF値が同じになりますが、F5.6の瞳では減光効果はなくなり、APD無しの56mmと描写は同じになるのでしょうか?
近藤:そうなります。
――F値と実効的なF値の差が大きいほどAPDフィルターの効果が大きいということですが、絞り開放時に最も効果があるのですね。
近藤:そうです。F値と実効的なF値は絞り込むほど数値が近くなりますが、実際に撮影してAPDフィルターによるボケ味の効果を実感できるのは開放からF2位の間までと考えて頂くと良いと思います。
曽我:Xマウントのカメラのシャッタースピードは1/4,000秒までなので、ISO200でも絞り開放で晴天の野外で撮影しますと、露出オーバーになる場合があります。そこでXF 56mm F1.2 R APDには、絞り3段分の減光が可能なNDフィルターを同梱することになっています。
――F2.8くらいまでは効果が欲しい気がします。
近藤:そうしますとフィルターのグラデーションのピークを少し尖った形にする必要があり、開放付近のボケの大きさが小さく見えてしまいますのでバランスが悪くなってしまうのです。
――APDフィルターを入れる位置はどうやって決めるのですか。
近藤:これは光学的に光が集まっている位置に入れないと効果が出ませんので、絞りの近くが最適です。
例えば、APDフィルターをレンズの前に置くと、周辺光量が落ちるだけで、ボケ味には効果が出せません。
そのため、APDフィルターは光束が集まり、周辺光量に影響がない位置、つまり絞り位置付近が最適なのです。
APDフィルターを前に置く方法は、実は天体望遠鏡の世界では使われている技術で、光の回折を抑えるために利用されています。
青木:例えば、通常は星が2つつながって見えているような状況で、星が分離できるような効果があります。
――撮影距離によってボケ効果は変わりますか?
近藤:無限遠に近い遠景ではボケ自体が少なくなりますので効果はその分小さくなります。近距離撮影になるほど背景が遠くにある場合はボケが大きくなりますので、最短撮影距離側に被写体がある場合にAPDフィルターの効果が最も大きくなります。
――イルミネーションのボケはどんな感じになりますか?
近藤:APDフィルターなしのレンズの場合は、先ほどもありましたほぼ均等な明るさの円になりますが、APDフィルターのあるレンズでは、ボケの大きさがやや小さくなって輪郭が徐々に薄くなるようなボケになります。
お客様の中には、普段見慣れた均等で輪郭がしっかりとあるノーマルなボケのほうが自然だとおっしゃる場合もあり、イルミネーションのボケ方では好みが別れることもあると思います。
これまでアポダイゼーションレンズでAFが使えなかった理由
――このレンズはアポダイゼーションレンズとして世界で初めてAFに対応しました。AFが可能になった理由は?
近藤:他社製のアポダイゼーションレンズは、AF一眼レフ用交換レンズですがマニュアルフォーカス専用になっていてAFは使えません。これはアポダイゼーションレンズでは位相差AFが使えないからです。
しかしXマウントのカメラは、像面位相差AFとコントラストAFの両方でピント合わせが可能ですから、APDレンズの場合でもコントラストAFでピント合わせが可能なのです。合焦速度の点では像面位相差AFよりシーンによっては多少時間がかかりますが、正確なAFが可能です。
――なぜ位相差AFが使えないのでしょうか。
青木:位相差AFはレンズの瞳を分割して位相のズレを検出してピントを合わせる方式ですが、レンズ内でAFに使用する光束が通過するエリアにAPDフィルターがあると、位相差検出用の像がかげってしまい正しい測距ができなくなるからです。
近藤:一眼レフの位相差AFも像面位相差AFも瞳を2つに分割する原理は同じですが、一方の瞳を通過した光の像は山が対象形になったような形をしていて、もう一方の瞳を通過した同じ形の像と、山の重心位置の間隔を検知して、ピントを合わせています。
ところが、APDフィルターを入れますと、位相差検出用の像がかげってしまい、重心の位置が内側に移動してしまいます。そのため、通常と同じアルゴリズムでピントを合わせると重心の位置がずれていますからピントがずれてしまい、使えません。
――その場合、絞り値によって重心の位置を補正する機構を組み込めばよいのではないですか?
近藤:確かに力技で補正すればAFが可能になるかも知れませんが、既にボディもレンズも多数製品化されている中で、システムの全てにおいて新たな仕組みを開発してファームアップなどで対応するのは難しい面があります。
――液晶などの素材で、グラデーションのサイズや濃度分布が自由に変えられるデバイスがあるといいかも知れませんね。
近藤:例えば絞り値に応じてグラデーションが最適化できるようになればさらに効果的だと思いますが、残念ながら現時点の液晶デバイスで光学系に全く影響のない素材はありません。液晶は透過率も最大で10%程度ですから実際に利用するのは難しいと思います。
APDレンズの使いこなし
――既存のXF 56mm F1.2 Rユーザーが、APDフィルターを組み込む改造をして欲しいという場合、対応できますか?
近藤:今のところ対応の予定はありません。一見簡単そうに見えると思いますが、簡単には改造できない構造になっています。
――開発で苦労された部分があれば教えてください。
近藤:やはり、フィルターの濃度特性をどのように設定するかという部分が最も難しかったです。最初はシミュレーションもなかなかうまくできなかったので、今回はシミュレーションの構築方法から検討し、開発しました。
――どのようなシーン、被写体で使うのが効果的ですか? 使いこなしのアドバイスがあれば教えてください。
近藤:なるべく被写体は近距離のほうが効果が出やすいですね。また、ボケ部分の背景はなるべく明るくカラフルで明暗差が大きいほうが、効果の違いがわかりやすいと思います。
例えば、桜など近くの花びらにピントを合わせると、背景が比較的乱れやすいですが、APDレンズでは背景にざわつきが感じられず、滑らかな描写が得られます。
青木:この種のレンズは撮影スキルがあり写真にこだわりのあるお客様が購入されることが多いと思うのですが、私のようにそれほど背景などを気にせずに撮影している者でも、普通に撮るだけで背景をきれいにぼかした写真が簡単に撮れるということに気がつきました。
つまり、カメラが苦手な方でもこのレンズをお使い頂くだけで、背景がきれいな写真を簡単に撮影できると思います。簡単にきれいな子どもの写真が撮れるという意味ではすごくおすすめです。
近藤:私の場合も何気なく撮った写真が作品になる。普通に撮った写真がプロが撮った作品みたいに見えるということは感じました。
青木:それから、食べ物などの撮影にも向いていると思います。ピントの合った部分はシャープですが、手前のボケと背景のボケがとてもきれいなので自然な感じの写真が簡単に撮れます。
近藤:普段は手前にボケを持ってくるような構図は少ないと思いますが、食べ物の写真では手前のボケが気になる場合も多いので、きれいなボケで印象も良くなるのではないでしょうか。
今後は小形軽量なXレンズも検討
――現在ロードマップにあるレンズについてお話しできることがあればお願いします。
曽我:まず「XF 16mm F1.4 R」は、35mm判換算で24mmの広角レンズで、XFレンズのコンセプトでもある明るい単焦点レンズの製品群をさらに拡充する製品です。
F1.4以上の明るい単焦点レンズはすでに、23mm、35mm、56mmがあり“ハイスピードトリオ”を形成してますが、今後は16mm をラインナップに加えて“ハイスピードカルテット”としてアピールしていきたいと思います。
「XF 90mm F2 R」に関しましては、35mm判換算で135mmの望遠レンズとしてラインナップに加わります。これも一般的なフルサイズ用の135mm F2レンズに比べるとかなり小型軽量にできますので、Xマウントのメリットを実感して頂けるレンズになると思います。
「XF 16-55mm F2.8 R WR」は、先に発表しましたF2.8通しの望遠ズーム「XF 50-140mm F2.8 R OIS WR」と組み合わせて使用すると最適なF2.8通しの標準ズームです。F4通しの超広角ズーム「XF 10-24mm F4 R OIS」を加えると、35mm判換算で超広角15mmから、望遠210mmまでのほとんどの焦点域を高性能ズームでカバーできます。
また、「Super Tele-Photo Zoom Lens」は、フォトキナ2014でモックアップの展示をさせて頂きましたが、そのスペックは仮にですが140-400mm F4-5.6と、35mm判換算で600mmの超望遠域をカバーするものとしていました。ただし、このレンズはスペックを含めてまだ検討中で、仕様が固まったというわけではありません。
この中では、F2.8通しの望遠ズーム「XF 50-140mm F2.8 R OIS WR」のプロトタイプがすでにフジフイルムスクエアに展示してあり、お試し頂くことが可能です。ただし、まだデータの持ち帰りおよびレンタルはまだできません。
――今後どのようなレンズを出して行きたいとお考えですか。
曽我:Xマウントのレンズは当初から明るさや解像性能にこだわったレンズが多かったこともあり、画質につきましては高い評価を頂いた反面、ミラーレス機の交換レンズとしてはやや大きくて重いというご指摘もありました。
そこで、今後は小型軽量なXマウントのボディに似合う、もう少し小型で薄くて軽量な単焦点レンズも検討して行きたいと考えています。
また、全天写真が撮影可能なフィッシュアイレンズなどのご要望も頂いておりますので、こうしたお客様のご要望をはじめ、フォトキナなどの展示会でのご意見のフィードバックなどもふまえて、今後の商品化検討に反映して行きたいと思っています。
◇ ◇
―インタビューを終えて― 老舗メーカーの技術者魂を感じた
ポートレートレンズのボケ味というのはレンズ設計者にとって悩ましい問題なのだろう。ボケ味をきれいにするには、球面収差を補正不足にするのが定石とされているが、この場合インタビューでも説明のあった通り、後ボケはきれいになるが前ボケに二線ボケ傾向が出て汚く見えるし、ピントの合った部分の画質低下を招いてしまう。一昔前のフィルムカメラ時代のレンズなら、それもレンズの味として許容されただろうし、ポートレート撮影でもソフトフォーカスが珍重された時代でもあるので、そういった描写が好まれる場合も多かった。しかし、デジタル時代になるとポートレートでもシャープでリアルな描写が好まれるようになり、新しく発売される標準から中望遠域のレンズのほとんどがシャープな描写を持つようになってきている。
今回のXF 56mm F1.2 R APDのベースとなったXF 56mm F1.2 Rも、絞り開放からシャープな描写を実現したと言うが、まさに新しい時代の嗜好に合わせたポートレートレンズなのである。しかしこれで終わらないのが、老舗レンズメーカーとしての富士フイルムの技術者魂なのだろう。シャープな描写であっても、ボケ味もきれいにしたいという相反する課題を解決するために、APDフィルターまで作ってしまったというのだから。
インタビューの途中で、技術者自ら撮影されたお子様のポートレート写真を見せて頂いた。ピントの合った部分は極めてシャープなのだが、どれも背景がきれいにボケているのがかえって不思議に思えた。見慣れたエッジのあるボケとは明らかに違う、溶け込むような滑らかなボケと、シャープなピントが共存している。これは今までにはない、ちょっと新鮮な感覚でもある。
この部分に価値を見いだすユーザーがたくさん出てくれば、富士フイルムが期待するレンズからボディへの流れを加速することになるだろう。幸い東京・六本木のフジフイルムスクエアでレンズレンタルサービスをやっているので、ボケ味にこだわっているユーザーは発売後レンタルして使ってみることをお勧めする。