赤城耕一の「アカギカメラ」
第121回:Sigma BFで改めて意識した、「カメラそのもの」の存在意義
2025年7月5日 07:00
7月も始まったばかりだというのに、連日猛暑が続いておりますが、読者のみなさまはいかがお過ごしでしょうか。今回はCP+2025からずっと話題が続いているSigma BFの話をすることにします。なんだか見た目がひんやりして冷たそうなカメラだからです。ええ、嘘です。
本体はアルミニウムの塊から7時間かけて削り出されたとされていますが、ボディには継ぎ目がありません。素人目に「メンテナンスはどうするんでしょうか」と心配になります。それでも、これは正気の沙汰ではない加工方法かと思います。
このためにボディ全体からは強い「金属皮質」の主張を感じましたし、剛性感もあり、金属ボディが好きな人は大歓迎では。この徹底したデザイン優先、「金属皮質」の主張は清々しさを感じるほどです。手にした一瞬はひんやりしますが、すぐにおじさんの体温はボディに移りますね。熱伝導率がいいのでしょうか。
BFの意味は、勝手に「Boy Friend」かと解釈していた(笑)のですが、「Beautiful Foolishness」(美しい愚かさ)と聞いたときには感動したと同時に、筆者自身の低偏差値ぶりを自覚し、嘆いたりしました。
気を取り直して続けます。本機はこれまでのミラーレス機にはないかなり目立ったデザインが採用されました。
これは“斬新”という意味あいとは少し違いますよね。右側面にはストラップホール、側面にはUSB type-Cポートがあるのみ。本機にはメモリーカードスロットもなく、撮影画像は内蔵の約230GBのストレージにデータを格納する方式を採用しています。
マウントはライカLマウント、背面は3.15型約210万ドット静電容量方式タッチ式のディスプレイと、ステータスモニターの小窓、ダイヤル、3つのボタンだけ。ボディからわずかに迫り出しているのはカメラ上部のシャッターボタンと背面ダイヤル、サムグリップのみで、他はボディのツラ位置よりもわずかに引っこんでいます。誤操作防止のためかもしれません。
正直なところ、ボディ周りはボタン類の数が少なく、あまりにもシンプルすぎて、ボタンやダイヤルがどの役割をするのかパッと見ではよくわからないので、撮影前にあらかじめ解明しておく必要があるでしょう。
ボタン類をいじくりまわしたい人には物足りなさがあるかもしれませんが、通常の撮影においては、機能的にはこれで十分すぎるほどです。
お借りしたシルバーボディはとても美しいのですが、ある意味ではカメラらしくないという言い方もできます。
筆者は本機を試用する前に、知人、友人たち、うちの妻、同業者や、カメラ、写真に興味のない人を含めてBFを見てもらい、率直な第一印象を尋ねてみることにしました。結論をいえば、カメラに興味ない人の方が反応は素直ですね。
「キレー!」「宝石箱みたい」「カッコイイ」「高そう」と好評な意見が多いのです。うちの妻だけが「まさかコレを買うんじゃないでしょうね?」と怖い顔をしましたので、目をそらしてしまいました。
カメラ好き、というかスペックマニアの方々は素直ではないですから、アクセサリーシューがねえなあとか、ストレージは内蔵だけなのかよーとか、ボディ右側の滑り止めの凹凸加工を「おろし金」みたいだといった人までいて、筆者は本機を使って、この人に大根おろしを食べさせてやろうかと本気で思いましたぜ。もちろんお借りしているものですからそんなことはしません。
見た目はユニークだけど、それでもレンズがドンと存在しますから、どこからどうみてもカメラだとおもいます。でも従来のような「カメラっぽくない」という意見もありました。
これは筆者も同意見ですが、従来からの「カメラのカタチ」に囚われているからでありますね。トシ食うとつまらないことに頑固になるものですから、BFのようなスタイリングのカメラが出てくると、素直に受け入れちゃいけないとか思うんですよ。素直に生きたほうがラクなのにね。
筆者はプライベートな写真制作では街でスナップを撮っていますが、BFの輝くシルバーのキラキラボディでは通りの向こうからカメラを構えても、撮影していることがわかってしまいそうで、気の小さい筆者は当初ドキドキしました。本機にはブラックもあるのですが、お借りするときにはシルバー一択しか考えていませんでした。
これは私的な意見なんですが、最近では、スナップ撮影ではカメラは目立つほうがいいと考えています。その昔は小さな黒いカメラで木村伊兵衛のように素早く「巾着切り」的な撮影がスナップの奥義とされたものであります。
これを否定するものでもなく、筆者もときおりそうした撮影方法をとる場合もありますが、最近では自分は「写真を撮る人」であることを周囲に知らしめて行動した上で、街中のスナップ撮影した方が、逆に撮影者本人も覚悟が決まるというものですし、無用なトラブルを避けることができるのではないでしょうか。
ある意味では、開き直りという考え方ですが、それよりも撮影者自身も含めた世界をスナップしていると考えた方がいいと思います。監視カメラや隠しカメラではなくて、生身の人間が、意志をもってスナップ撮影することに写真制作の意義があると考えるからです。
すでに単体のカメラは生活必需品ではなくなっています。カメラを持ち歩く人は相当なマニアかアドバンストアマチュア、写真作家、プロ写真家くらいでしょうか。
あえてスタンドアローンのカメラは今後どうあるべきなのか、その存在の意味をシグマはBFによって示したようにも思えるのです。
BFで実際に撮影を始めてみると、いろいろと新鮮であります。まずボディが角ばっているから強く握りしめたりすると手のひらがイタイわけです。手に馴染まないのです。
角は一部だけですが、面取りしてありますけど、これもたいした意味はなさそうな。むしろかつてのニコンFみたいな、角ばったボディにすることで、手の中で存在感を示し、撮影者の意識を覚醒させ、かつ緊張感をもたらすために意図的にこうしたデザインにしているのかもしれません。
先に述べましたが、シンプルな操作性なのに自分がよく撮影するスナップ撮影では何も困らないことを知ることになります。しかも使用していて楽しいのです。
もちろん世界はとても広いですからBFに超望遠レンズをつけて、陸上競技を撮影する人が出てこないとも限りませんが、そんなことをしても大した意味はないわけであります。
適材適所ということでカメラを選べば、カメラを増やす理由が生まれる、じゃない表現の幅が広がるというわけであります。本当です。
最もボタン類には操作を示す目立つアイコンはありませんので、取り説を見ないで記憶のまま操作を覚えるには、いやでもあれこれいじくりまわす必要があり、ここから直感的に身につけてゆく仕様なのではないかと。
少し触ってみると問題なく操作することができますが、でも年寄りなんで、一晩寝て、次の日の朝になると設定を忘れたりすることもありました。まあこれは仕方ありません。
BFがすごく潔いなあと思ったのは撮影モードの設定がないことです。
筆者は個人的には歓迎しております。撮影モードダイヤルが嫌いなこともあるのですが、BFは、なかなかよく考えられております。
ボディ背面右上の小窓にはさまざまな設定数値が表示されますが、「絞り値」を撮影者が任意設定すればA(絞り優先AE)モード、「シャッタースピード」を任意設定すればS(シャッタースピード優先AE)モード「絞り」と「シャッタースピード」の両者を「AUTO」にすればP(プログラムAE)モードに。さらにISO感度を「AUTO」にすればISO感度オートになります。
では、マニュアル露出はどうするのかといえば、シャッタースピードと、絞りを撮影者が任意に決め、AE時に露光補正量が表示される部分が±0.0となれば、適正露出になる理屈です。メータードマニュアルを極めるにはこれも潔くて良いかもしれませんね。
いずれにしろ至極あたりまえのことではありますが、絞りとシャッタースピード、ISO感度という、写真の本質に関わる露出設定の根幹をあらためて数字にて、直接認識させられることになるので、当然のこととわかっていながらも、思わず「なるほど」と声が出ました。
BFを使用していて、まず筆者が最も困難を極めたのはフレーミングです。背面のモニターは性能は優秀でもとくに日中晴天下では、恐ろしく見づらいので、確実なフレーミングは難しいのです。
実用的にみればfpのような外づけのファインダーがあってもいいかなあと少しだけ思うのですが、BFの場合は全体のデザインを乱してしまう恐れがありますから、ココロの底からファインダーが欲しいと思わないのです。ホントです。文句があるのではなくて、ファインダーがなければないで、こちらがなんとかするぜ、という思考になるのが面白いですね。
今回使用した交換レンズは、筆者のいちばん好きで得意とする35mmのレンズなので、画角はほぼアタマに入っており、ファインダーを覗かずとも、おおよその撮影範囲や被写界深度は認識することができました。
いわば「心眼」で撮る意識となり、使い始めてしばらくしたら、すべての撮影をほとんどノールックで行っていました。モニターがよく見えなければ見えないで、こちらがなんとかしてやるぜという気持ちが働くわけです。
起動時間やAFのレスポンスに関しては、筆者には十分すぎるほど高速で。たいへん失礼ですが、ここはスペックが見た目からの想像を裏切るようで嬉しくなってしまいました。
画質にしても、35mmフルサイズ、2,460万画素、裏面照射型CMOSセンサーですから、筆者は、35mm判ミラーレス機のいちばんバランスのとれた仕様だと勝手に思っています。画質はこの季節だからでしょうか、デフォルトでは、ややコントラストが高くクリアな印象を持ちました。もちろん調整が容易な画像ですから気に入らなければ、追い込めばいいですし、シグマ自慢のLUTも用意されていますから、工夫してみるとよいのではないでしょうか。今回はほぼデフォルトのままです。
カメラが必要ではないと言われる時代だからこそ、大袈裟なようですがBFはカメラとは何かを人類に向けて訴えているようにも見えてきました。この企画と試みには賛同したいと思います。