写真展レポート

総勢11名の写真家がスナップに対する考え方を語る

公募作品の最終選考会も実施

富士フイルム株式会社の複合型ショールーム「FUJIFILM SQUARE(フジフイルム スクエア)」は、7月10日にかけて写真展「11人の写真家の物語。新たな時代、令和へ『平成・東京・スナップLOVE』Heisei - Tokyo - Snap Shot Love」(以下「平成・東京・スナップLOVE」展)を開催している(会期終了後は大阪会場へ巡回する。会期は7月26日~8月7日まで)。

総勢11名の写真家が捉えた“平成”の時代の“東京”が紹介されている企画展。同展の開催と連動してポートフォリオプレビューと題し、ひろく一般に作品の持ち寄りを募った作品選考会も実施されていた。

7月7日、東京会場での作品最終選考会が実施され、同展出展写真家11名が集ってトークイベントも実施された。選考会の様子とともに、イベントの様子をお伝えしていきたい。

ポートフォリオプレビュー(東京)の最終選考が実施

「平成・東京・スナップLOVE」展の開催と連動して、ポートフォリオプレビューと題して、ひろく一般に作品の持ち寄りを募り、参加者1名に対して、同展出展写真家2名が作品講評と写真展開催に向けたアドバイスをおこなった。

このポートフォリオレビューは、「プロを目指す方、作品づくりに取り組む方で、“写真展開催を目標にされている方”」を対象にしたもので、フジフイルム スクエアまたは富士フイルムフォトサロン 大阪で写真展を開催する権利を賞品とした作品選考会ともなっていた。

選考会は、一次選考(東京30名/大阪10名まで)と最終選考(東京計6名/大阪2名を予定)を経て、優秀と評価された参加者各1名に、2020年の春頃に東京または大阪会場のミニギャラリーで写真展を開催する権利が贈られる。

大阪会場に先がけて展覧会が実施されたフジフイルム スクエア(東京・六本木)では、6月22日、30日、7月5日に一次選考会を開催。そして7月7日に最終選考会が実施された。

大阪会場での一次選考は7月27日の予定となっており、同日中に最終選考も実施される流れとなっている。

なお、選考会への応募申込はすでに終了している。

展示会場風景

フジフイルム スクエアでの写真展開催権を得たのは

最終選考会は応募者以外に一般の観覧者が同席する公開形式で開催された。東京会場で最終選考に残った応募者は6名。それぞれの作品がスライド上映される中で、各応募者は1〜2分ほどの時間で自己の作品についてプレゼンテーションを行い、その制作意図を語った。

選考をつとめた写真家は、大西みつぐ氏、中藤毅彦氏、尾仲浩二氏、元田敬三氏、ハービー・山口氏、有元伸也氏の6名。

左から大西みつぐ氏、中藤毅彦氏、尾仲浩二氏。
左から元田敬三氏、ハービー・山口氏、有元伸也氏。

プレゼンテーションが終わると、各応募者を最終選考に残した、選考担当写真家から推薦意図に関するコメントがあり、他の選考担当写真家が応募者に対して、細かな意図や考え方などを尋ねるかたちで選考会は進行していった。

各応募者のプレゼンと質疑応答が終了した後で、しばらく時間をとって6名の写真家による選考がおこなわれたが、その選考はかなり難航。いずれの応募者も写真展をひらく力は十分にあると、プレゼン時から評価が高く、1名のみではなく2名の応募者に対して写真展の開催権が贈られることとなった。

最終的に選出されたのは、山端拓哉(やまはたたくや)さんと小西拓良(こにしたくろう)さんに決まった。

山端拓哉さん(右から2番目)、小西拓良さん(同3番目)。

山端さんの作品「Sight Seeing Song」は、ロシアのウラジオストクに語学留学していた折に形成された人間関係をもとに撮影された作品。観光を意味する“Sight Seeing”と、生活という意味を込めた“Song”を組み合わせている。生活しながらでしか撮れないものを表現しようと考えた、という。

写真を難しくない“軽さ”がいい、との評価とともに、今後の伸びしろにも期待がもてるとのコメントが中藤氏よりあった。

ロシアという国にこだわった理由を尋ねられると、もともとタルコフスキーに興味があったという山端さん。同作家の作品風景をめぐるところから入っていったのだと話した。

小西さんの作品「笹船」は、自身の妻をモデルに撮影されたもので、子どもに恵まれなかったという2人だけの生活を写しとめた作品群だという。川のようにとまることなく続いていく、この2人の日々を、そうした川の流れの中にある笹舟に例えた。

推薦人をつとめた中藤氏は「静かな生活の中にある幸せや美しさ、それらを繊細な視点で捉えている。モノクロームの美しさにも良い感覚を持っている」とコメント。花火や雪の写真が、そうした妻をとらえた写真の合間に入ってくることで、心象風景が感じられるものになっている、と評した。

選考写真家からも高い技術力をもった作品との評があったが、小西さんによれば、2001年頃からワークショップに参加して自他の作品を批評しあう中で、作品を磨き上げていったのだそうだ。妻との関係が気まづくなった時やケンカした時はどうしているのか、という質問に対しては「撮影は続ける」と、作品づくりに向けたはっきりしたスタンスを示した。そうした力強さがある反面、撮影した写真は妻の検閲を受けているとして笑いを誘う場面も。言葉の端々に、連綿とした作品づくりを支える、夫婦の絆の強さのようなものが感じられた。

両名の写真展開催は1年後。開催に向けて山端さんは「15年写真をやってきて、“ヘタだね”と言われて、とても嬉しいです。今後もヘタでいたいです」とコメント。小西さんは「これは私から妻へのラブレターでもあるので、今後1年かけて磨きをかけて、みなさんに楽しんでいただける展示にできたらいいなと考えています」と話し、受賞の喜びと抱負を語った。

写真家トークイベント

「平成・東京・スナップLOVE」展に出展している写真家は総勢11名。最終選考会が開かれたこの日、この11名が一堂に会してトークイベントがおこなわれた。

登壇した写真家は有元伸也氏、ERIC氏、大西正氏、大西みつぐ氏、オカダキサラ氏、尾仲浩二氏、中野正貴氏、中藤毅彦氏、ハービー・山口氏、原美樹子氏、元田敬三氏。同展のキュレーションをつとめた佐藤正子氏の司会進行のもと各氏が自身の作品についてコメントを披露した。

トーク開始にあたり、スナップに対する考え方や今回の展示について、佐藤正子氏から各写真家に問いかけが投げかけられた。

佐藤正子氏

スナップ写真を僕自身意識しはじめたのは、写真学生時代からなので、もう20年以上前になります。路上で知らない人やとおりすがりのものに向けてシャッターを切ることはひじょうに苦手なんです。1枚(シャッターを)押すごとにひじょうに心が痛んで……。ポートレートや肖像写真を撮る写真家として認識されることが多いんですが、今回展示している写真は(被写体に対して)声をかけるんですけれども、(撮るときは)自由にしてもらっています(有元伸也氏)

私は日本にきて22年、東京から岡山に移住して4年になります。もともとスナップを撮っていたわけではなく、海のポートレートを撮っていました。でもそれが、すごく疲れてしまって。海で声をかけて写真を撮らせてもらっていたんですが、よく断られたり変な目で見られたりして。それなら勝手に撮ろうかな、と。それがきっかけでスナップを撮りはじめたんです(ERIC氏)

スナップは、もともと街中に出て人を中心に撮ることが楽しかった、というところから入りました。今は生活の延長、日常の一部として撮るという感覚のほうが強くて。撮っているときは、“撮影している”という認識が強くあって撮っているわけではなくて、感じたままとか、その前に撮れたらいいなと思うような感じで撮っています。そのあとでセレクトをしていくという流れでやっています。今回の展示ではチェキを真ん中に並べている作品があるのですが、そこに自分のふだんの生活が写っているのかなと思います(大西正氏)

左から有元伸也氏、ERIC氏、大西正氏。

スナップショットの現場というと、都市スナップでは六本木や渋谷、新宿といった繁華街を想定してきます。僕はあえて下町を撮っているかといわれると、結果としてはそういうところにしか住んでいませんし……。でも、そうした都市の周辺部にも時代性とか現代性というのがちゃんとあるんです。周辺部だからこそ、中心を照射するようなイメージがでてくるわけで。1980年代から現在まで続いている、自分自身の思いとか見えかただとは思うんですが、それがバブルであったりとか、政治や経済の動向にも影響されますが、街並みや空間が大きくかわってきて、そこに人間が関わってくる、というところからみると、その中で見えていた周辺風景がちょっと一歩引いてみることでより顕著に見えてくる。そうした部分に自分の立ち位置があったのかな、と思います(大西みつぐ氏)

記憶のほとんどは平成なのですが、バブルの崩壊やリーマンショックは小さい頃に過ごしてきたことで、私自身はそうした事件に深い関わりはなく、平成から令和になった後の残骸をスナップしている、という感覚です。美術大学の卒業なのですが、暗室が嫌いすぎてカメラなんて絶対にやるもんか、と思っていたんです。写真を撮りはじめた最初の2年間はポートレートを撮っていたんですが、先生から“君はスナップをやったほうがいい”と言われて、自分はスナップが向いているんだ、と思って撮り続けて今ここにいる感じです。なので、フィルム経験が全然なくて……。今回の展示でプリントってこんなにきれいにできるんだと気づかされました(オカダキサラ氏)

左から大西みつぐ氏、オカダキサラ氏。

僕が東京に出てきて写真を撮り始めたころは、キャンプという森山大道さんが開いていた写真ギャラリーのメンバーだったんですが、そこには北島敬三さんや山内道雄さんという、スナップでこの人たちに敵うはずないという人たちがいたので、早々に街中のスナップ写真はあきらめて、旅写真にいきました。でも、そうした旅の写真もスナップだよなと思っていて……(尾仲浩二氏)

今回展示されているハートの写真(※Tokyo Candy Box No.00, 1999)から僕のカラー写真は始まっています。それまではずっとモノクロでやっていたのですが、この時はモノクロとカラーで迷っていた時期で。サンシャイン60の特別展望台に行って、白黒で3枚くらい撮って、カラーでも撮っていたんですが、同時プリントでカラーの写真を見たときに、面白いなと思って撮り始めたのが「Tokyo Candy Box」だったんです(尾仲浩二氏)

この写真を収めた写真集を2001年に出したんですが、5年経ったらこの写真集はつまらなくなっているだろうと編集者と話していて。でも10年たつと少し面白くなっているんじゃない、と話していて。それで、今回20年経って、この作品が大きく展示されることになって(尾仲浩二氏)

尾仲浩二氏

僕の撮っている「TOKYO NOBODY」という無人のシリーズは、8×10という大きなカメラで撮っています。スナップ展という見方からいうと、(大判のカメラを使っているということについて)疑問に思われる人もあるかと思うんですが、スナップショットという視点でいうと、撮り方としては“出会い頭に自分がどう反応するか”という点で、物理的な動作というよりも頭の中の構造として、写真を撮るということに関してはスナップと大判とをそんなに区別しているわけではないんです(中野正貴氏)

いつも写真を撮っている時に、人間の頭の構造としては(情報が)目から入ってきて、そして脳に伝達されて、そこで判断があって、動作に移るということになるんですが、写真を撮っているときは、目そのものに脳があるように感じていて。そうした意味で、あまり自分としては分けたくないな、と思っているんです(中野正貴氏)

撮り方としては、車の中に8×10のカメラをセットして、東京をぐるぐるまわっているんですが、いつもスナップ的な目線で東京を見ているし、この作品もそうした視点でつくっているんです。今回の展示では色の再現が難しかったです。尾仲さんもアンバー系の色味ですが、青いと朝の風景でしょ、ということで終わってしまうので、昼の風景に見えるように、こうした色にしているんです(中野正貴氏)

今回展示した作品は、1995年にはじめて大きな個展を開いたときのプリントそのものなんです。それを今回20数年ぶりにひっぱりだしてきて展示しています。もともとは平成のスナップと聞いていて、ここ最近のスナップを出すつもりだったんですが、今回の展示では、昔から同世代で知っていた人たちの現在進行形で見ていた作品が展示されていたこともあって、急遽最近の写真を出すのをやめて、今回は自身の原点となる写真を出させてもらいました(中藤毅彦氏)

今回の展示は東京という都市の30年をいろいろな切り口で切り取られていて、都市論みたいな写真展になっていると思います。それは、一見するとばらばらで、つながりがないように見えるんですが、ひとつの空間としてみたときに、東京という多面的な都市を、写真家それぞれの切り口で撮った30年の東京の時間というものが、展示全体でひとつの作品のようになっている展示だと。世代による時代の見方の違いみたいなものも浮かびあがってきているようにも思います(中藤毅彦氏)

中野正貴氏(左)、中藤毅彦氏(右)

写真をはじめて50年以上経っていますが、写真のスタイルはずっと変わっていないんです。振り返ってみると、脊椎カリエスを患って20歳が近づいたころに医師から気をつけていれば生きていけるだろうと言われた時に、はじめて生きる希望を感じて。それまでは生きていけるのだろうかという不安があり、学校でもイジメにあってばかりでした。そうした目線の中でしか生きていなかった。いまのハービーという名前はバンドをやっていた時についたあだ名なんですが、そこで本来の名前を捨てて“ハービー”という名前で生きていこうと(ハービー・山口氏)

こうした20歳のころに街の人々の笑顔がつくりだす幸せな瞬間に惹かれて。僕もそうした瞬間の一員になりたいと思って撮っていったのが僕の原点です。そうして、僕と同じ境遇や希望をもっていない人に、“君もいつか輝けるよ”という応援歌としているのが、僕の写真なんです(ハービー・山口氏)

ハービー・山口氏

私がスナップをはじめたきっかけは、東京写真専門学校で4年写真を学んだんですが、そこで出された課題がストリートスナップだったからでした。在学中4年間の試行錯誤の結果、今のスタイルにいきつきました(原美樹子氏)

あらかじめテーマとか伝えたいメッセージがあるのではなく、淡々と自分の身の回りや日々の日常、たまたま出会った瞬間を撮っていって、そうした瞬間が集積したものが、みているようでみていないものが写真になってあらわれてくることが、新しい発見をすることにつながっていると思っています(原美樹子氏)

原美樹子氏(右)

94年か95年頃に大阪の街で写真を撮りはじめたんですが、人を撮りたいなと思ってはじめたんです。それから20数年経っていますが、街が変わっても人は変わらなくて。スナップが撮りにくい時代になってきているという話もありましたが、僕はそうは思っていなくて。僕は声をかけて撮らせてもらっているのですが、人間ってとてもシンプルな気がしていて、時代が変わっても人間って変わらないんじゃないかと思っていて。写真自体も変わっていないんじゃないかなと思っています(元田敬三氏)

元田敬三氏(右)

異なる世代の写真家が集まった展覧会

作家自身によるコメントが一巡した後、元田敬三氏より世代ごとのスナップ写真の視点の違いについて問いかけがあった。

まずこの問いに応えたたのは、登壇写真家中で最も長く写真を撮っているというハービー・山口氏。視点自体はその人の生まれ育った環境によるものだとしながら、若い世代に対する視点の持ち方として「柔軟性をもって対応していかないといけない」とコメント。自身も学校で若い学生を相手に教鞭をとる際に、学生それぞれの視点に同氏自身の「私」の視点を加えて伝えるようにしているのだと話す。

元田敬三氏の世代の写真を見ると、自分の目にはちょっと古く映るというERIC氏。その一方で「自分がモノクロで撮っても、元田さんのようには撮れない」ともコメント。自身との違いが明確にあるのだろう、と話した。

ZINEやSNS発で作品を発信している位置からのコメントも。写真家の縦・横のつながりとは別のところから活動しているという大西正氏は、VoidTokyoという集まりでZINEをつくっており、それを見た海外のキュレーターから声がかかって、北イタリアやドイツ・ハンブルグでの展示の機会を得ていったのだという。

もっとも若手となるオカダキサラ氏もまた、写真界の縦・横のつながりとは別のところで活動しているという。

美術系の大学に通いながらも写真をやるようになるとは思っていなかったと話すオカダキサラ氏。アルバイトなどでもサブカル系の人と知り合ったものの、写真家どうしのつながりはなかったのだという。大西正氏と知り合ったきっかけもSNSだったそうだ。

ただ一方でSNSは個人の作品をより深く知ってもらうには弱い気がしている、とコメント。SNSへの投稿はおこなっているものの、肖像権の問題は常に抱えているし、投稿したことで被写体に不幸になってほしくないという思いもあり、いつも“こわごわ”とした気持ちで投稿しているのだと、昨今のスナップ写真が抱えている課題の難しさに表情を曇らせた。

デジタルネイティブがどんどん成長する中で、写真が変わってきているという佐藤正子氏。そんな中でも変わらないものが、この展覧会を通じてあることがわかったともコメントした。

これまで雑誌などにしか発表の場がなかった時代から、個人でも作品をどんどん発表していける時代に。そうしたメディアの変化や、写真をめぐる人々の意識そのものが、写真家の作品制作の態度そのもの、撮影行為に深く根をおろしているのだということが、登壇写真家のコメントに伺われたトークショー。

ハービー・山口氏は、今回の写真展とあわせて催されたポートフォリオプレビューについても、「新しい人がポートフォリオプレビューをやって、次の展覧会につなげていく」ことに期待しているとコメント。この写真展を見て“いいな”と思ってもらえれば、次につながっていく。そのためにも自分たちがいい写真を撮って発表しつづけていかなければならない、と話した。

本誌:宮澤孝周