フォトコンテスト
名取洋之助写真賞に関健作さんの「Limited Future」
35歳以下が対象の新進写真家のための公募
2017年12月18日 14:17
日本写真家協会は12月13日、東京・市ヶ谷で協会各賞の贈呈式と、祝賀会を開いた。今年から「日本写真家協会賞」と「名取洋之助写真賞」に加え、ドキュメンタリーフォト分野で活躍する写真家を顕彰する「笹本恒子写真賞」が新設され、第1回受賞者に宇井真紀子さんが選ばれている。
闘病中の友人にもらった生きるためのメッセージ
第13回「名取洋之助写真賞」は、脳腫瘍を患った友人の日々を記録した関健作さんの「Limited Future」、「同奨励賞」は老齢の女性舞踏家を追った楠本涼さんの「もうひとつの連獅子」だ。
審査員の1人、フォトジャーナリストの広河隆一さんは、「被写体との出会いが写真家を誕生させる」といい、反骨の写真家といわれた福島菊次郎氏が広島の被爆者である中村杉松氏を撮ったことで、写真家としてスタートした例を示した。
「若い時代は自分を証明するものがない。賞が背中を押してくれる。その役割が写真家協会にはある。今回の受賞者は素晴らしい被写体と出会えた2人であり、良い人に賞が与えられたと思う」とエールを送った。
関さんは20代半ば、ブータンの小中学校で体育教師を勤めた。被写体はその時の同僚だ。彼は帰国後、小学校教師になり、初めての子を授かった矢先、脳腫瘍で余命5年から10年の宣告を受けた。
「僕自身、母をガンで亡くし、闘病中、力になれなかった想いもあった。病のことを聞いた時、彼と写真を通して関わりたいと思った」
手術後は左半身が動かなくなり、今も麻痺が残る。だが、彼は嘆くことなく、新しくできるようになったことだけを前向きに受け止めて生きている。
「いつ死ぬか分からないから、毎日を満足して生きるため、できることを積み重ねる」
彼から関さんが受け止めた一番大事なメッセージだ。
この賞はずっと狙っていたそうだが、これまで自信を持った作品ができず、今回、初めて応募できたという。
2018年3月には銀座ニコンサロンで個展を開く。その被写体はブータンのヒップホッパーだ。この国は関さんのライフワークの一つで、長年通っている。以前から彼らの存在は知っていたが、「教え子がこの国で一番有名なヒップホッパーになったので、今年の5月から撮り始めました」という。
また大学時代はアスリートとして活躍し、陸上選手とのつながりも深い。次のテーマは「スポーツ選手のセカンドキャリア」を追うつもりだ。
見る取材から相手へ踏み込む取材に
楠本さんは医薬品メーカーの会社員から写真家に転じた。京都を拠点に新聞、雑誌の撮影などを行ないながら、自らのテーマを追う。この賞への応募は2度目だ。
2014年の末に、舞踏家のやまとふみこさんと知り合い、撮影を始めた。最初は独自の活動を行なうやまとさんが、若い世代にどのように芸や技を継承しているのかに興味を持ったという。
1年ほど撮った時、「ジャーナリストとして何ができているのかを自問した」。
「自分の存在は他者にとってどんな意味があるのか。ちょうど子どもができたことで、そんなことを考えるようになりました」
単に外から見る立場から、相手に踏み込んでいく取材姿勢に変えた。その意志をやまとさんに話し、プライベートの時間も同行し、対話と撮影を重ねた。
「どう被写体と向き合うかを学ぶきっかけになりました。今後も私しか知ることができないことを写真家として伝えていきたい」
初の笹本恒子写真賞は宇井真紀子さん
笹本恒子写真賞は有識者から推薦された16名の候補から、1992年からアイヌの人たちを取材してきた宇井真紀子さんが選ばれた。
「彼らには、人の力の及ばないものを感じながら生きる大切さを教わりました。今も取材の中で、アイヌとして自然に生きることが難しい現実を実感しています。これからも時間を惜しまず、丁寧に取材を続けていきます」と受賞の喜びを語った。
日本写真家協会賞は日経ナショナル ジオグラフィック社に贈られ、中村尚哉代表取締役社長が表彰を受けた。ナショナルジオグラフィック日本版は1995年4月に創刊。2012年からは海外へつながる登竜門として「日経ナショナル ジオグラフィック写真賞」を実施している。
2017年第13回「名取洋之助写真賞」受賞作品展
東京会場
会場:富士フイルムフォトサロン東京
会期:2018年1月26日(金)〜2月1日(木)
時間:10時〜19時(最終日は16時、入館は終了10分前まで)
大阪会場
会場:富士フイルムフォトサロン大阪
会期:2018年2月16日(金)〜2月22日(木)
時間:10時〜19時(最終日は14時、入館は終了10分前まで)