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【写真展リアルタイムレポート】
報道写真の先駆者・名取洋之助の仕事/ドイツ・1936年

~写真の力を信じた報道写真家
Reported by 市井 康延

名取洋之助が使ったカメラ(コンタックス、ローライフレックス)も展示されている。横には「友情のメダル」(このエピソードを知らない人はぜひ会場へ)も
 写真展リアルタイムレポート第2回は、29日からスタートした「報道写真の先駆者・名取洋之助の仕事/ドイツ・1936年」だ。この「作品編」がJCIIフォトサロンで12月25日まで行なわれ、12月13日からは同じビルの地下1階にあるJCIIクラブ25で「資料編」が併催される。また、12月17日にはシンポジウム(参加費無料、定員90名、要予約)も予定されている。詳細は文末に。

 名取洋之助という人をご存知だろうか。写真史のなかでは重要な役割を果たした人だ。報道写真の草分けの一人といわれ、1934年にはグラフ雑誌「NIPPON」を創刊した。この雑誌の評価は近年、著しく高まっているが、古書市場にも滅多に出てこない。出れば1冊5万円以上の価格がつくという。一度、家の納戸や倉庫、物置をさらってみよう。

 閑話休題。要は戦前(昭和9年)に、現代にも通用する雑誌を作り上げたセンスを名取氏が持っていたということだ。出版された雑誌などの資料はあるが、それ以外の写真などはあまり発見されていなかった。それが1992年に、名取家の茶箱から多くのネガが見つかり、JCIIで所蔵、研究が進められてきた。その成果のひとつが今回の「ドイツ・1936年」なのだ。

 なおJCII(日本カメラ財団)は、写真文化の向上、普及・啓蒙を行なう財団法人で、このJCIIフォトサロンや、歴史的カメラを所蔵・展示している日本カメラ博物館などを運営している。理事長は衆議院議員の森山眞弓氏。今回、お話を聞いたのは日本カメラ博物館・運営委員の白山眞理さんだ。


ギャラリー入口ではこれまでに開催した写真展の図録を販売。これをつらつら見るのも楽しい
奥にはゆっくり腰掛けられる椅子があるから、時の流れに思いを馳せるのも良いかもしれない

現代にも通用する名取のセンス

日本カメラ博物館運営委員の白山眞理さん。左がお気に入りの1枚だという「決勝のトラックへ向かう大江季雄と西田修平」
 名取氏は高等学校課程である慶応大学普通部を卒業後、渡独し、私立の美術学校に入学した。成績不振で、大学には進学できそうもなかったことで、それならと海外留学を選んだようだ。

 その時、すでに名取は結婚を考えたドイツ人女性(エルナ)がいた。昭和初期に息子を海外留学させる資産家の家柄が、国際結婚をあっさり許すわけもなく、日本には帰れず、仕送りもなくなるピンチに陥った。

 「報道写真はお金になるらしい」。そんな折、名取はそんな話を聞く。ロンドン留学中の兄からライカを譲り受け、エルナともども自己流で撮影、現像作業を学んだ。名取氏が投稿した作品で最初に雑誌の誌面を飾ったといわれていたのが、「ミュンヘナー・イルストリールテ・プレッセ」に掲載された「宝を掘る人」という作品だ。この報酬が500マルクであり、これは1カ月分の生活費にあたる額だった。

 が、実はこの作品は妻になるエルナが撮影したものだった。エルナが火事にあった美術館の横を通ったとき、美術家たちが工芸品の焼け残りを探していて、エルナはその光景を撮影した。彼女が撮ってきた写真を見た名取氏が、「宝を掘る人」というコンセプトを考え、作品をセレクトし、キャプションをつけて投稿したのだ。

 「名取が作品をまとめあげて、面白く見せるセンスを持っていたことを伝えるエピソードだと思います」と白山さんはいう。それが1931年6月のことだ。


名取が撮ったベルリンオリンピック

資料編ではこうしたグラフ雑誌記事が紹介される。これは「上空から見た日本」で、「Berliner Illustrierte Zeitung」の1935年8月15日号
 その後は、ミュンヘンの雑誌社の協力カメラマンになると、半年も経ずしてベルリンのウルシュタイン社の契約写真家に抜擢された。同社は当時、世界最大の発行部数200万部を誇るグラフ雑誌を擁していた。

 折しも満州事変が勃発し、日本への関心が欧州でも高まっていたことから、日本へ特派員として送られることになった。母国への特派員となった名取は、最初の3カ月で60テーマ、約7,000枚の写真を撮影した。当時は現像作業もともない、作品をセレクトし、キャプションをつけてドイツへ送っていたのだから、学生時代とはうって変わった勤勉な日々を送るようになったわけだ。

 そうこうしているうちに、時局は緊迫し、ドイツでは外国人が就業できないことになり、本社から「特派員として日本にとどまった方が良い」との手紙が名取のもとに届いた。当時、グラフ雑誌といえばアサヒグラフしかなく、自分が活躍できる発表舞台はないに等しい。であれば、その舞台を自分で作ろうと「日本工房」を創設した。

 創設メンバーは写真家の木村伊兵衛、美術評論家の伊奈信男ら6名。5名は意見の違いから数カ月で袂を分かつことになるのだが……。

 新たなメンバーで、1934年に創刊したグラフ雑誌「NIPPON」は、日本の文化を海外に紹介する主旨で制作され、約1年で軌道にのせている。制作面も、1935年11月に新人写真家だった土門拳が入社し、名取の薫陶を受け、制作を任せられるようになった。

 そんな準備ののちに、名取は1936年から37年まで、ドイツを中心にヨーロッパと、アメリカを回る旅に妻のエルナとともにでかけたのだ。

 でかけることになった大きなきっかけは、ベルリンオリンピックの取材だ。この写真展はそのオリンピックの記録と、ドイツ紀行の2つで構成されている。ベルリンの次のオリンピック開催地は(幻となった)日本がほぼ決まっており、名取はその広報担当を日本工房で担うべく考えていたようだ。

 「その頃にはドイツ国外にお金が持ち出せなくなっていて、ウルシュタイン社からの収入がドイツにプールされていたこともあったかと思いますが」とは白山さんの分析。

 このとき、名取が見たドイツの報道写真はすっかり様変わりしていた。「ジャーナリスティックな報道写真は、政治的宣伝写真に置きかえられて」いたと指摘しながらも、オリンピックにおいて「優秀な報道写真家を総動員し、各通信雑誌社を猛烈に競りあわせたことで、(ドイツの報道写真は)オリンピックの会期2週間で、完全に1年間の進歩より遥かに大きな進歩を示した」と驚嘆している。



 「ナチスは実によく宣伝に写真を使う」、そして多大な効果をあげていると名取は言い、日本でも、そうなっていかなければならないと確信する。この経験により、写真による世界への日本理解を促進する名取の夢が大きく膨らんでいったのだ。

 そうした思いを担いながら、名取洋之助はベルリンオリンピックを写真で記録していった。この大会は平泳ぎで前畑秀子選手が優勝したほか、日本人選手が活躍した大会でもある。フィールドの風景は、いまのオリンピックと比べると、実に手づくりで、良きアマチュアリズムの薫りがただよう。そうした歴史の記録としても興味深く見られるし、違う見方も楽しめるだろう。


名取洋之助が撮った「平沼亮三団長を先頭に選手団街頭行進」。このほかオリンピック開会の祝宴でスピーチする宣伝相ゲッペルスなど、大会の表裏が記録されている
ファインダーをのぞく名取洋之助。ドイツ紀行では、当時のドイツの風景や人々の姿が写し込まれている。妻と2人で穏やかに旅を楽しむ作者の気持が伝わってくる作品だ

名取の写真は上手い?

 「資料編」では、名取が寄稿した日本文化を伝えるドイツのグラフ誌の誌面を展示する。日本人特派員が取材した日本でありながら、現実と違う日本が紹介されている面白さも感じられるはずだ。

 また名取洋之助に関して、編集者、プロデューサーとしての手腕は高く評価されているが、写真家としてはいまひとつだった。木村伊兵衛に言わせれば「下手くそ」とにべもない。1992年に見つかった、これらアメリカとヨーロッパ旅行での写真によって、白山さんは「私は上手だと思いますし、そうした評価をする方も増えてきました」と擁護するが、さてアナタはどう思うだろうか。

 「歴史上の人物について、ある事実が明らかになることで、180度評価が変わることがありますよね。名取の場合、まだ発表されている事実が少なく、いまはその事実を明らかにしていく段階だと思っています」と白山さんは、今回の話を結んでくれた。

 そこでこの写真展に合わせて、12月17日の13時~16時に「名取研究會シンポジウム」を開く。パネリストは白山さんと、東京都写真美術館の金子隆一さん。名取洋之助長女の名取美和さんをゲストに招き、福島県立美術館・掘宜雄さんの司会で行なう。参加申込みは同フォトサロン(Tel.03-3261-0300)へ。

会期:12月25日(日)まで
休館日:月曜(祝日の場合は開館)
開場時間:10時~17時
問合せ先:Tel.03-3261-0300



URL
  JCIIフォトサロン
  http://www.jcii-cameramuseum.jp/photosalon/



市井 康延
(いちい やすのぶ)1963年、東京都生まれ。あの北島商店の肉を食べて育つが、水泳は大の苦手だった。写真とは無関係の生活を送り、1995年から約9年間、フォトギャラリーのスケジュール情報誌の制作に携わる。「写真に貴賎はない」が持論。

2005/11/30 16:54
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