インタビュー

キヤノンのWebカメラ化ソフト「EOS Webcam Utility Beta」ができるまで

世界で30万ダウンロード超 開発経緯と今後の予定を聞く

キヤノンUSAが4月28日に公開した「EOS Webcam Utility Beta」は、昨今需要が高まるオンライン会議用のWebカメラとして、手持ちのキヤノン製デジタルカメラを活用できるパソコン用ソフトウェア。現在は英語のベータ版のみの提供で、日本国内のサポートはないが、専門的な外部機器や有償ソフトを新たに用意することなくUSBケーブル1本で利用できる使いやすさが注目されている。

このソフトに携わったキヤノンU.S.A., Inc. Marketing Strategy & Planning Division, ITCGの中村剛志氏(Senior Manager)と今野隆平氏(Specialist)に、開発の経緯やタイムライン、今後の予定について聞いた。

左からキヤノンUSAの中村氏(EOS-1D X Mark II+EF 50mm F1.8 STM)、今野氏(EOS M200+EF-M32mm F1.4 STM)。ともにEOS Webcam Utility Betaを利用。

キヤノンUSA担当者インタビュー

——EOS Webcam Utilityの概要と開発コンセプトについて、改めて教えてください。

「EOS Webcam Utility」は、キヤノン製のレンズ交換式デジタルカメラEOSシリーズやコンパクトデジタルカメラPowerShotシリーズを、USBケーブル1本で高画質なWebカメラとして活用できるようにすることを意図し、キヤノンUSAが開発したパソコン向けソフトウェアです。米国内で4月28日にWindows向けのベータ版を発表・公開し、続けて5月27日にmacOS向けのベータ版を公開しました。

新型コロナウイルスの影響により、全米50州のうち40州以上でロックダウンになるなど、米国全体で自宅待機となる中で、仕事における会議、家族・友人とのコミュニケーション、遠隔授業など、多くの場面で動画によるビジュアルコミュニケーションが激増しました。

そのような中で、「手軽に、より高画質な映像を利用したい」というニーズの高まりに対応すべく、カメラやパソコンの知識がなくても、インストールさえすれば存在すら意識せずにすむような、誰でも使えるシンプルで簡単なソフトウェアの提供を目指しました。

——EOS Webcam Utility Betaの開発はどのように始まりましたか?

キヤノンUSAはアメリカのニューヨーク州ロングアイランドに本社があります。皆さまもニュースなどでご存じの通り、アメリカは新型コロナウイルスの影響を最も受けた国のひとつで、その中でもニューヨーク州は際立って感染者・死者の数が多い場所です。キヤノンUSA本社においても、ニューヨーク州政府の「Stay At Home Order」(外出制限令)発令の時期と同じくしてテレワークを始めました。

ある日、チームのリモート朝会に今野が他のメンバーとは異なる高画質で登場しました。私物のEOS M6 Mark II、EF-M32mm F1.4 STM、他社製の有償ソフトウェアを組み合わせたその"Webカメラ"は、PC内蔵カメラとは明らかにレベルの違う高画質を実現していました。

レンズ交換式カメラなどをWebカメラのように使うために、HDMIキャプチャーカードなどのハードウェアを利用する方法は既に自分たちも訴求していましたが、調べてみると「簡単で誰にでも使える」、「WindowsとmacOSの両対応」の「無償」ソリューションが意外にもないことが分かりました。

また同時に、WebカメラやHDMIキャプチャーカードがこの頃には市場で既に売り切れており、困っている方々が多くいらっしゃることにも気づきました。そして、自社カメラを熟知した自分達なら、上の3つの条件を満たすようなソリューションを実現できるのではないか、旅行やイベントといったカメラの出番が大きく減るなかで、カメラの新たな使い方を提案して手持ちのカメラに新たな価値を吹き込んで世の中に貢献できるのではないかと考え、開発を推進していく決意をしました。

——キヤノンUSAにおける企画の動き出しはいつでしたか?

今野がチームの朝会でメンバーを驚かせたのが3月27日でした。その直後に中村・今野と数名のアメリカ人メンバーで具体的な意見交換をし、1日で骨格となる提案資料をまとめました。翌3月28日には上司に答申して部門として開発を進める考えを固め、その後は数日で関連部門への協力要請と企画資料をブラッシュアップしました。主要関係部門のキーマンの同意を得て、プロジェクト進行が決定するまでに要した時間は1週間足らずでした。

"百聞は一見に如かず"とはまさにこのことで、実際にデジタルカメラをWebカメラとして利用した映像を見せることにより一気に理解者・協力者を増やすことができました。これは全員がリモートワークで会議を行う際に、その画質の違いが一目瞭然だったという、現在の状況ならではの特殊事情が良い形で寄与したことは間違いありません。

開発キックオフは日本で非常事態宣言が出された4月7日でした。そこからちょうど3週間後の4月28日にWindows向けのベータ版を公開していますが、この短期間でリリースできた背景には、開発、ユーザビリティと動作の確認・評価、マーケティング、サービス&サポートなど数十人におよぶプロジェクトメンバーが、それぞれの専門性を発揮してくれたこと、そして何より「このソリューションをいち早く世の中に投入する」という熱意を全員が持ってチームワークを発揮できたことが大きかったと考えています。

——"ベータ版"という形をとられたのは、このソフトウェアをより早く公開できるようにするための策だったのでしょうか?

はい。このプロジェクトにおいては「スピードが何よりも優先される」という明確な世情と、それに基づく信念がありました。キックオフの前に主要関係部門に対して協力要請をした際には、「来週、ベータ版をリリースしたい」と真顔で言い、苦笑いされました。ただ、それくらいのスピード感でやりたいという本気度は一気に浸透しました。

中村・今野ともにキヤノン株式会社では商品企画部門に在籍していたため、正式版の開発・評価にはどうしても一定の時間を要することは理解しており、キックオフの時点から「ベータ版を最速でリリースするためにはどうしたらいいか」という視点を明確にして議論をしていました。

——開発での苦労や注力したポイントがあれば教えてください。

まず初めに、キヤノンUSAとしては、コンシューマー向けのPCソフトウェアを開発した経験がほぼない、という大きな難題がありました(笑)。開発を担ったチームはもともとオフィス用複合機のソフトウェアなどを担当していましたが、元ソフトウェアエンジニアの今野の知識・経験や、EOSシリーズのSDK(EDSDK:Canon EOS Digital Software Developer Kit)をサポートしているチームの知見などを結集して取り組みました。また、キックオフからリリースまでずっと在宅勤務であったため、直接面識のないメンバーと最後まで一度も顔を合わせることのないままチームとしてプロジェクトをやり遂げるという難しさがありました。

そして、一番大変だったのは、短い時間の中で、どのように動作確認対象の25機種の評価を割り振り、発見した現象を開発メンバーにリアルタイムで共有し、その日のうちにすべきことを明確にして優先順位を付けるかでした。

ニューヨーク州における新型コロナウイルスの爆発的な感染拡大にともない、キヤノンUSAにおいても在宅勤務が急遽導入されました。すぐにオフィスを出なければいけないだけでなく、その後は原則オフィスに戻ることができず、機材は各メンバーの手持ちと出庫可能なマーケティング機材のみ。そこで、それぞれのOS環境とともに、まず調査をし、必要とされる評価を100%カバーするための計画を立て、毎朝、新たにリリースされたテスト用ソフトウェアの評価計画を立ててリモートで浸透させることが必要でした。

ただ、各種コミュニケーションツールを使いこなすことで、当初の課題はうまくカバーできました。会議室予約の手間削減、物理的な移動の削減に加え、自分だけで思い悩まずにすぐにチャットや短時間のビデオ会議を実施する、承認が必要であれば上長の応答可能アイコンを見てすかさず会議に呼び込み、その場で意思決定をする……一つずつの取り組みは決して大きなものではありませんが、オンラインでの業務環境を存分に活かして、前例にとらわれることなく働き方を柔軟に適応させて、非常に効率的に進めることができたと思っています。

——発表の反響に対する感想はいかがでしょうか。

ベータ版は公式にはアメリカ市場のみの展開となっていますが、発表直後から各国・地域で大きな反響があり、世界中のお客さまがダウンロードしてお使いになられているのが実態です。6月4日時点で既に30万以上(Windows/macOS合計)のダウンロード実績があり、安定的な日別の推移となっているため、今後も伸びが期待されます。

ベータ版ということで、当然すべてを理想的な形で実現できているわけではないのですが、ありがたいことにメディアやユーザーのみなさまから、この状況下において迅速な対応をとったことについて非常に好意的なコメントを多くいただいています。

また、できる限り透明性を確保すべく、みなさまに既知の現象や回避策のアドバイスなどをお伝えするよう心がけ、Windows向け、macOS向けそれぞれの公式ユーザーフォーラムをキヤノンUSAが自ら運営しています。ユーザーのみなさまご自身による動作確認情報の共有や、困っている方への相互のアドバイスなど、活発なやりとりを拝見し、みなさまに応援していただきながら一緒に作り上げているような感覚になり、非常に心強く感じています。

キヤノンUSAのYouTubeチャンネルで使い方を説明する、キヤノンUSAのGenaro Arroyo氏。

新型コロナウイルスの影響で、旅行やイベントはもちろんのこと、手軽な街歩きのようなことさえ制限され、写真や動画を撮る機会やモチベーションが失われてしまうことを非常に複雑な思いで見ていました。今回、キヤノン製カメラの撮影能力の高さを違う形で活用することで、むしろ従来と比較して使用頻度が高まったお客さまも多くいらっしゃるようです。簡単さと高画質への驚きについて広く見聞きします。また、こだわりを持ったお客さまがレンズ交換やカメラ設定変更による自分好みのルックの探索などもされており、非常に嬉しく思っております。

——対応機種の拡大や正式版発表など、今後の展望について教えてください。

Windows向けのベータ版をリリースしてすぐに市場での反響を分析したところ、macOS向けのリリースと対象機種拡大を熱望する声が非常に多く聞かれました。macOS向けは同じく日程優先という方針を貫き、まずはベータ版という形で5月27日にリリースし、みなさまのご要望にお応えしました。

正式版については既に着手していますが、対応機種の拡大についてもできる限り手を尽くして、より多くの皆さまにこのソリューションを利用していただけるようにしたいと考えています。

また、今回の新型コロナウイルスについて、一刻も早く世界中で収束することを願っております。世間で言われている通り、働き方など、これをきっかけに世の中が変わっていくものと思っております。人々は、離れ離れとなることを余儀なくされることで、新たなコミュニケーションのあり方を創意工夫し、他者との繋がりを維持しました。キヤノンのイメージング技術により、少しでもこうしたコミュニケーションを豊かにできたのなら、これほど嬉しいことはありません。この件に限らず、そうした変化に今後も機敏に反応し、技術やアイデアで社会やみなさまに貢献できる会社であり続けたいと思います。

本誌:鈴木誠