カメラ用語の散歩道
第20回:固定焦点
「写ルンです」の仕様は? 「許容錯乱円」というマジック
2024年5月8日 07:00
オートフォーカスの普及以前、高級機はフォーカシングに関して連動距離計やレフレックスファインダーなどの補助機能が付いており、その下のクラスは目測によるフォーカシング、そして入門機のカメラは固定焦点というのが相場であった。
現在のコンパクトデジタルカメラやスマートフォンのカメラは、撮像素子の出力信号を用いて比較的容易にAFを実現できることもあって、ほとんどのものがAF付きであり、固定焦点のカメラは「写ルンです」のようなレンズ付きフィルムか、銀塩簡易カメラに限られている。しかしその昔、写真好きの少年少女が初めて手にするのは、価格面でも使いやすさの面でも、スタート35だとかフジペットのような固定焦点のカメラであった。今回はこの固定焦点について解説してみよう。
過焦点距離
固定焦点というのは、被写界深度を深くして通常の撮影距離ならばみな深度内に入るように設定し、フォーカシングの動作を省略するようにしたものだ。
被写界深度とはご存じのように「ある距離にピントを合わせたとき、その前後に存在する実質的にピントが合っているとみなされる被写体距離の範囲」だ。この距離の範囲が広いことを「被写界深度が深い」といい、狭いことを「被写界深度が浅い」という。
この被写界深度には、撮影レンズの焦点距離“f”と、絞りの値“F”、ピントを合わせた被写体までの距離“a”、それに許容錯乱円径“δ”が関係する。そして定性的にいうと、以下のようになる。
- 撮影レンズの絞りを絞るほど、つまりF値が大きいほど被写界深度は深くなる。
- 撮影レンズの焦点距離が短いほど、つまりfが小さいほど被写界深度は深くなる。
- ピントを合わせた被写体距離aが遠いほど、被写界深度は深くなる。
さらに、ピントを合わせた被写体距離aよりも、遠い方向の被写界深度「後側深度」の方が、aよりも近い方向の被写界深度「前側深度」よりも深くなる。そのため撮影レンズの焦点距離を短くし、絞りを絞った状態である距離にピントを合わせれば、比較的近距離から無限遠まで被写界深度内に収めることができ、通常のスナップ撮影などではいちいちピントを合わせる必要がなくなる。これが固定焦点というわけだ。
この固定焦点を考える時、「過焦点距離」という概念がある。これは撮影レンズの焦点距離や絞りが決まった場合「この距離にピントを合わせれば、それよりも遠方は無限遠まで被写界深度に入る」という被写体距離で、比較的簡単な数式で表されるので覚えておくと便利だ。その数式というのは以下の通り。
a=f²/δF
ここでfは撮影レンズの焦点距離、Fは絞りのF値、δは許容錯乱円径だ。点の像はボケると円になる。これを錯乱円と呼んでいるのだが、この錯乱円が、ある大きさ以下だと実質的に点とみなすことができる。その限界の大きさの錯乱円が、許容錯乱円δなのである。
この式は、撮影レンズの焦点距離を2乗し、それを絞りのF値と許容錯乱円径で割れば「過焦点距離」がわかり、その距離にピントを合わせることで無限遠まで実質的にピントの合った写真を撮影できるということを意味している。
なお、近距離側はどうかというと、この過焦点距離の1/2の距離まで深度内に入り、実質的にピントが合う。
レンズ付きフィルムの固定焦点
固定焦点のカメラでは、この過焦点距離にフォーカスを合わせることにより、過焦点距離の1/2の被写体距離から無限遠まで実質的にピントが合っている状態にするわけである。実用的な範囲を被写界深度内に収めるには焦点距離の短い撮影レンズを使い、明るさもある程度暗くすればよい。
例えば富士フイルムの「写ルンです シンプルエース」というレンズ付きフィルムは、撮影レンズの焦点距離は32mm、明るさはF10という仕様になっている。この設定で撮影距離1mから無限遠までカバーしているのだ。
しかしこの条件に、35mm判フルサイズの被写界深度を計算する際に一般的に使われている許容錯乱円径0.033mmを適用して、前述の数式で計算してみると過焦点距離は3.1mという結果になる。この距離に設定すれば1.55mから無限遠まで被写界深度内に収まるということになって、仕様の「1mから無限遠」とはちょっと異なってくる。
逆に「1mから無限遠」という仕様を基本にすると、過焦点距離を2mに設定していることになるので、そこから計算すると許容錯乱円径を0.051mmに設定していると推測される。
つまり、この条件だと至近距離の1mと無限遠では、点像のボケが0.051mmとなり、一般に使われている0.033mmよりもボケが少々大きくなるのだが、このようなレンズ付きフィルムの用途を考えるとそれでも十分に実用に足るという判断なのだろう。
明るいレンズの固定焦点
このように、固定焦点のカメラは焦点距離の短い、暗いレンズを備えているというのが通例なのだが、歴史的にはもう少し明るい「本格的な」撮影レンズを備えた固定焦点カメラも存在していた。
実際の例を見てみよう。
1982年に発売された「オリンパスXA1」という固定焦点のカメラをとりあげてみる。このカメラ、実は設計者の米谷美久氏がカメラ雑誌の記事で被写体距離を2.7mに設定したと明かしている。つまり過焦点距離が2.7mになっているということである。
オリンパスXA1のレンズは35mm F4で、同じオリンパスのペンEEやトリップ35と同様のプログラムAEとなっている。明るさによってシャッター速度を1/30秒と1/250秒の2段に切り換え、あとは絞りで露出を変える形式だ。
まずはF4の開放で撮影する場合で計算してみよう。
許容錯乱円径を0.033mmとしてこれらの数値を入れてみると、過焦点距離は9.28mになる。つまり無限遠を深度内に入れるには撮影距離を9.28mに設定することになり、そのときの近距離側は4.64mまで深度内に入るということで、2.7mに合わせた場合とは大きく違ってしまう。
許容錯乱円径はこのままで絞り開放のF4とし、被写体距離を2.7mに設定した場合はどうだろうか?
この条件で計算してみると、被写界深度は2.1~3.8mの範囲ということになる。つまり無限遠は被写界深度の範囲外になってしまうのだ。この条件で無限遠まで被写界深度内に含めるには、計算上、F13.75まで絞らなくてはならない。
「許容錯乱円」というマジック
「写ルンです」のところでは許容錯乱円径を0.033mmではなく0.051mmに設定しているのではないかと述べた。そんなに勝手に変えられるものなのか?
実を言うとこの許容錯乱円径というのが、けっこうあいまいな要素を含んでいるのだ。理論的には視力1.0の人間の目の分解能が角度にして1分、つまり1度の1/60というところから出発する。明視の距離である250mm離れたプリントを見たときに点とみなされる錯乱円の径がここから計算で求められるので、それをプリント作成時の拡大率で割ったものが許容錯乱円径ということだ。デジタルカメラの場合なら撮像素子の画面サイズとモニターで観察する際の画像のサイズの比をもってくればよい。
明視の距離にしても、画像を観察する距離と必ずしも一致するとは限らない。展覧会で壁面に飾られた大型のプリントを見るときと、デスクに置かれたLサイズのプリントを見るときとでは観察距離が異なってくるのが普通だ。
つまり、最終的な写真画像の観賞条件によって許容錯乱円径が大きく違ってくるはずなのだが、その要素は含まれておらず、35mm判フルサイズの場合は、一律に0.033mmで計算されてきた。
ただ、別に許容錯乱円径に関して国家規格や業界規格があるわけではない。だからこれを場合によって手加減すれば、固定焦点カメラの「××mから無限遠までピントが合います」という表現を正当化することができるのだ。
前述のオリンパスXA1の例でいえば、許容錯乱円径を0.11mmと設定すれば開放F4でも過焦点距離は2.7mになる。ただ、さすがにこの設定では無理が生じる。実際にデジタル一眼レフカメラに35mmのレンズを装着し、撮影距離を2.7mに合わせ、絞りをF4に絞って撮影してみたが、遠景はやはりボケが認められた。
しかし、このカメラのユーザー層の場合は街角スナップや家族の写真が主な用途であり、撮影環境も昼間の屋外という例が多く、絞り込まれるのでそう大きな問題にはならなかったと思われる。最も厳しい条件としては被写体が遠方まで続き、しかも絞りを開けて撮影することになる夜景だが、そのような被写体を避ければけっこう実用的になったということだ。
なお、ここではオリンパスXA1を例としてとりあげたが、このカメラを悪く言うつもりはない。このようにF4程度の「本格的な」レンズを備えて固定焦点としたカメラは他にも、リコーオート35やキヤノンスナッピィ20など多数あり、同様のことが言えるのだ。