赤城耕一の「アカギカメラ」
第143回:モノクロ縛りの愉楽。「GR IV Monochrome」を使う覚悟とは
2026年6月20日 07:00
今回はカメラグランプリ2026「カメラ記者クラブ特別賞」を受賞した、リコーGR IV Monochromeをお借りし、試用してみました。リコーイメージングのみなさま、受賞おめでとうございます。ここでは、その使用感を報告することにいたします。
もはや説明する必要もないほどの高画質モノクロ画像が撮れる本機の画質に関して、私ごときが、あれこれ細かく検証し、語るのも恐れ多く、説得力に欠けることでしょう。というのは建前で、ベンチマークは面倒で、こう見えても筆者も忙しいので、技術面や画質の話の詳しいところは、他のレポートを参考にしていただくとして、ここではGR IV Monochromeを通して、モノクロ専用機に、どのような特性と存在意義と必然性があるのかを検証、個人的な感想をご報告したいと思います。ま、早い話が毎度のヨタ話でありますので。
その前に筆者自身とモノクローム写真の関係について少し話をしたいかなあ。すみませんねえ年寄りだから昔の銀塩写真時代のころに少々遡り無駄な話をしないと、なんだかモノクロ話はじまらないわけです。お茶を用意して、かりんとうでもつまみながらお付き合いください。
人はその環境によってモノクロ写真への興味のあり方は異なるでしょう。
筆者が最初に写真に興味を抱いたのは1970年代の前半のことでした。カメラ雑誌の口絵に掲載されたある作品に惹かれたのですが、その作品も当然モノクロ作品でした。その当時は写真といえばモノクロが主流で、カラー写真は高価で特殊なものという認識がまだありましたね。うちの家族写真アルバムにもモノクロ写真がたくさん貼られています。
その当時、カラーフィルムや現像処理が高価なのはもちろんですが、サービスサイズの同時プリントは1枚70円くらいしたものですから、36枚撮りのカラーフィルムで撮影して、同時プリントをお願いしたりすれば、お小遣いは瞬間で蒸発しました。
自分の生活においても身の回りにある一般の週刊誌、新聞などの写真はモノクロページが普通で、カラーページは特別な体裁にみえたものです。
カラーページが主流になっているのは、生活情報誌とか主婦雑誌とか女性誌、ファッション誌、あるいは宝飾品とか食品の商品カタログくらいのものではないかと。
したがって、写真学生時代も筆者はまず美しいモノクロ写真作成をつくることに全力を挙げました。カラー作品制作をしている同級生は裕福かつ、自分の手を現像液で濡らしたくないヤツでしたから仲良くありませんでした。(笑)
RICOH GR IV Monochrome/GR IV LENS 18.3mm F2.8/プログラムAE(1/160秒、F3.2、±0.0EV)/ISO 400/イメージコントロール: スタンダード
仕事でいえば、私が駆け出しの頃でもまだ広告仕事はカラーで、週刊誌、グラフ誌などではモノクロページが基本でした。週刊誌でカラーページは特別なイメージがまだありました。女性のタレントとか俳優さんの特写とか。もちろんファッションや料理などは、カラーページが基本になっていましたけどね。
新聞や雑誌でモノクロページが主流だったのはコストや印刷スピードの問題もあります。新聞や週刊誌は速報性が命ですから当然です。モノクロフィルムとプリント作成は現像所での現像ではなく、多くは自社の暗室で処理していました。
印刷も一部のグラビア印刷以外はモノクロプリントを作成し、それを原稿としていましたから、速報性が重要だといっても、暗室での処理工程は必要です。
自動現像機もありましたが、基本は手焼きプリントしていました。新聞社の写真部の暗室で、少しの間仕事をしたことがありましたが、急ぐあまり、濡れたようなネガを引き伸ばしのネガキャリアに入れてプリントをしているのを目撃したことがあります。
新聞にカラー写真が沢山掲載されるようになったのは全国紙よりもスポーツ新聞のほうが早かったように記憶しています。1980年代の後半だと思いますが、スポーツ新聞のカメラマンはカラーネガフィルムを使用してプリントを制作して反射原稿を入稿してましたね。
雑誌や広告のカラーページは品質を求めるためにポジフィルムを使用していましたけど、撮影はもちろん神経を使いますし、苦労もあります。高感度フィルムも少ないためにロケに力を入れたカラーページではけっこうな大掛かりな照明を考えねばならず機材の運搬の様子は夜逃げにも似た装備になりました。
広告系ではカラーページに35mm判フィルムを使用するのは長く敬遠されており、4×5判カメラが主流で、最低でも中判カメラを使用していました。
これも可能なかぎり美しい誌面にするためで、筆者も『アサヒグラフ』のような大きな版型の雑誌では、カラーページの撮影に4×5判カメラも使っていましたから、移動にも時間と体力を要しました。
カラーページは印刷にも時間が必要ですし、厳密な色再現を追求するには色校正をとらねばならないということもありますが、しばらくするとカラー印刷技術の発展で、コストも下がり、オールカラーの雑誌も珍しくなくなりました。
面白いことにこの頃から、カラーページにモノクロ写真を掲載して、逆に目立たせるという方法も使われたりしました。モノクロプリントを4色分解してカラーページに掲載するのですから、コストは同じはず。
筆者は広告の仕事に軸足を移しておりましたので、カラーポジフィルムを主に使っていたものですから、一般的なカラーネガによる写真作成のことはよく知りませんでした。
少し調べてみると1980年代には、カラーネガフィルムもプリントも大幅にコストが下がり、同時プリントをお願いすると、引き換えに新しいフィルムを無料でもらえるとか、「0円プリント」などのサービスもあり、カラー写真は普通のものになり、自動現像機などの発展もあり、街角の小さなカメラ店にもミニラボが装備され、フィルムを渡してから1時間でプリントができるなど、当然のサービスとなりました。
このためにモノクロフィルムやモノクロプリントのほうが特別な存在になり、カラーネガフィルムのほうがモノクロフィルムよりも安くなるという逆転的な現象も起こりました。
モノクロ写真制作は、筆者には体に染みついた当然のことなので、現在もモノクロフィルムで撮影して暗室で現像液を使い、薬液をちゃぷちゃぷさせながら処理することもあります。
もちろん仕事でフィルムを使うことはありませんからこれは日常ではなくて、プライベートな世界ではあるのですが、このデジタル時代になぜモノクロ写真なのかと問われることがいまもあります。
これ、明確な理由というか言葉がなかなか見つからないんですよね。これまで述べてきたように、世界をモノクロで翻訳し、写真制作することが筆者にとってはずっと自然な行為で当たり前だったこともあり、写真撮影時にもプリント時にも、モノクロであることに、まったく違和感がないわけです。最近よく聞きますが、「現実社会をモノクロに置き換えて再現し表現するのだ」と、いうような高邁な芸術的意識は1ミリもありません。
ハイエストライトからディープシャドーまで階調で世界を作り直して表現してみるという意識は当然ありました。あるいは色に情報としての意味を持たせる必要がないシーンがあること、その光の意味を知らせるという意味もあるのです。
硬調な写真にすれば印象的かつ力強くなり、軟調にすれば優しい再現性になると言う人もいるのですが、コントラストで印象が全てが決まるわけでもなく。粗粒子表現はデジタルでももちろん可能です。粒状性の変化による表現も否定はしませんが、筆者の好みは、ノーマルで階調の豊富なモノクロ写真だったりします。これはフィルムでもデジタルでもさほど変わらないわけです。
カラー写真が一般的なものになったわけですから、デジタルカメラで撮影した画像がカラーであることは当然のことでありました。モノクロ写真を制作するにはカメラでの設定で行うか、画像処理時に行う必要があります。
筆者は仕事では利便性を求めたいものですから、カラーとモノクロをシームレスに行き来できるデジタルカメラの登場に喜んだものであります。
ただ、生まれた時からスマホやデジカメで撮影した写真しか見たことのない人にモノクロ写真はどう感じるのか。興味がありますけど、色がない写真はヘンだという人も少なからずいるらしく、こうした感想を聞くと筆者のような年寄りにはそこそこ衝撃なわけです。
またモノクロが特別な「レトロ調」「作品主義的」な扱いであると考えている人が多いことは興味深いですね。だからこそ、ライカがモノクロ専用機を出してきた経緯もあるのでしょう。それでも筆者はいまも日常をカラーで撮ることのほうが不思議な感じがすることがあるのです。すみませんね、年寄りの考え方で。
筆者がデジタルのモノクロ専用機を最初に使用したのは2012年に登場したモノクローム撮影専用デジタルカメラ「ライカMモノクローム」です。正確には、新聞社でニコンF5をベースにしたモノクロ専用デジタル一眼レフに触れたことがあるのですが、これは一般にはほとんど発売されていないようです。
デジタルのモノクロ専用機に対する筆者の第一印象は階調の広さと深みのようなものでした。
カラーフィルターを廃し、しかもローパスレスのセンサーですから、輝度値の演算に必要な色補間処理が不要です。このため鮮鋭で豊富な階調を得ることができるとされ、使用レンズに忠実な描写が期待できるそうです。GR IV Monochromeにおいてもこれは同様です。
それでも、どこか人ごとのように書いてしまうのは、筆者は通常のデジタルカメラで撮影した画像をモノクロ化することに対して抵抗があまりなかったこともあります。と、いうかそれで満足していたというか、あたりまえのことというか。正直、この価値観は今も本質的には変わっていません。
では、やっとここからが本題です。もう先に結論をいえばリコーGR IV Monochromeはすばらしいカメラですね。いや、画質ということは論評不要なのですが、ユーザーにカラーを撮影させるという選択肢を与えなかった英断がすばらしいわけです。
このことはGR IV Monochromeを1台だけを持ち、街を歩いてみればわかります。新緑も、紫陽花の鮮やかな紫色も、街の派手な看板も赤いポストを撮影しても、すべてモノクロに置き換えられるからです。
何を当たり前のことを、と怒らないでください。これまでフィルムではできないことが簡便にできるようになった、デジタルカメラは大いなる利便性が評価されてきたわけであります。
これは、つまり、モノクロ専用カメラとして特化すると利便性は当然失われてしまうわけです。モノクロフィルムを詰め込んだフィルムカメラで、カラー写真は撮れないという、この当たりまえの状況を、デジタルカメラで自分に強いるわけであります。すごいことです。
それにモノクロームしか撮れないのに、カラーを撮ることのできるノーマルのGR IVよりもお値段がお高い。これはデバイスの価格云々という理屈は理解できるものの、そう簡単には済まされませんね。GR IV Monochromeの価格には確固たるモノクロ精神が封入され、購入する人はこの精神も同時に購入することになります。
また非常に重要なのは、筆者にはGR IV Monochromeはたしかに高価ではあるものの、ライカM11モノクロームよりも、自分の世界に近い現実感のある価格設定であるということです。
もっとも、このようにストイックな考えを持つのは筆者のようなアタマの硬い、年寄りだけでありましょう。多くの人はGR IV Monochromeを持ち出す時には、通常のデジタルカメラを同時携行するからであります。
いや、携行しなくても、いざカラー再現がいいなというシーンに出会ったときは、スマートフォンを取り出して撮影すれば済んでしまうことですから、なんら問題は生じないことになります。
いや、逆かな。普通のデジタルカメラがあり、スマートフォンがあるから、GR IV Monochromeを一緒に持ち出すという考え方でいいのかもしれません。思想が揺らぐ? そんなことはありません。これこそが現代写真術というものでありましょう。
そういえば、フィルムカメラ時代はカラーページか、モノクロページになるか撮影時点で決定していない状況では、カラーフィルムを詰めたカメラとモノクロフィルムを詰めたカメラ2台を両肩に下げて撮影したこともありました。ただ、この場合、撮影時にカラーで撮影するかモノクロ撮影するかどちらを選ぶのか迷いが生じる場面もありました。
万が一、モノクロページになった場合、カラーポジからモノクロ反転させる作業が必要となり、その作業時間すら惜しかったこともあります。のちに印刷の段階でポジからも高品位なモノクロ化が簡便にできるようになったので、2台持ちすることはなくなったのですが、GR IV Monochromeを手にした時そんな昔のことを思い出したのでした。
リコーイメージングがペンタックスK-3 III Monochromeを発売したとき、多くの人はそのセンサーと画像処理エンジンをGR IVに入れれば、GR IV Monochromeは簡単に完成じゃんと、えらく無責任なことを言いました。
もちろんそんなに簡単に事が進めば苦労はありません。GR IV Monochromeのモノクロセンサーは専用で開発されたものですし、画像のチューンも独自のものがあります。Rフィルターを内蔵したこともとても良かったと思います。
背面LCDをみると、最初からモノクロ画像が目前に広がります。設定を間違えたとか、カメラの調子が悪いんじゃねえのか、と勘違いしてしまうくらいです。いやこれが新鮮といいますか。もちろんすぐに慣れてしまうものです。ただし日中晴天下などではモノクロLCDは見やすいとはいえず、勘にまかせて撮ることもありました。もちろん結果が良ければ問題ありませんが。
Rフィルターは、フィルム時代のそれとは少し異なる再現になるので、入れっぱなしでもおおむね筆者の好みどおりになりました。元から少し硬めの調子が好きなのかもしれませんが、ボタンひとつで有無を切り替えられるのでお好きにどうぞという感じですね。
撮影のスタイルはノーマルのGR IVとまったく同じですが、モノクロ専用機という物珍しいこともあるのでしょう。目についたものに片っ端からレンズを向けてシャッターを切ってしまいます。
脊髄反射的にあれもこれもと、シャッターを切ってしまったのは久しぶりのことでした。普段は画像の選択が面倒だったり、つまらない画像で、ファイルの数が増えてストレージが圧迫されるのが嫌で、必要以上にシャッターを押さない筆者ですが、自分でもびっくりするくらいGR IV Monochromeは、ポンポンとシャッターを押してしまうわけです。
これはなぜか、瞬時にモノクロ翻訳してくれる画像が珍しいこともあるのかもしれません。
モノクロフィルムでは、現像し、プリントするまで階調の再現や撮影成功の可否がわからないということがありますから、カラーフィルム撮影時以上に予知能力をフルに発揮させねばならないものでしたが、GR IV Monochromeはライブで同時にモノクロ化した写真を見ることで、自分の想像どおりに撮影することができたのか、同時に答え合わせすることができます。
やはりなんだかんだ言っても年寄りにはすごく便利なGR IV Monochromeであります。だって、撮影終わって、これから帰宅して暗室作業やるのかあ。と、がっかりすることもなく。かなりラクですぜ。もっともモノクロフィルム撮影と比べられるものでもありませんけどね。
また、カメラ内現像でイメージコントロールをうまく使えば、同じ画像で、偽マイケル・ケンナと偽須田一政の作品を同時に制作することができます。朝と夕方で気分が変わり、モノクロの階調を変えたくなってもGR IV Monochromeはそんなわがままな要求にも応えてくれるというわけです。このあまりの容易さにはため息が出るほど。だから気まぐれさんにも便利なのです。
注目したいのは、GR IVという一般的な認識としては多機能とはいえない単焦点レンズ搭載のコンパクトデジタルカメラをモノクロ単機能化してしまったということでありましょう。単焦点レンズの搭載もモノクロ画像しか撮れないことも見方によっては不便なわけです。
つまり、作る方も、これを求めるGRユーザーも強い「M的資質」を根底に持っていたからこそ互いに惹かれ合い、実現できたカメラではないでしょうか。言い換えれば「モノクロに縛られたい」のです。
だからこそ、「本当にやってしまった」という現実を目の前にした時の驚きが大きですし、コンパクトカメラとしてGR IV Monochromeの立ち位置は唯一無二のものとなりました。
ただ、これだけは申し上げておきますが、GR IV Monochromeの本領を発揮するのは、最終的なモノクロプリント制作においてだと思いますよ。
GRのモノクローム化を声高く求めた方、すぐに予約入れて購入し、未来のGRのために援護したほうがいいんじゃないかなあ。お願いしますよ。7月1日(水)から値上げがアナウンスされています。早く覚悟を決めたほうがいいんじゃないかなあ。
筆者はノーマルのリコーGR IVで、これから先も続けて世界と対峙してゆくと固く誓いを立てていたのです。
ところが今回 GR IV Monochromeを取り上げたことで、独自の世界を知ってしまい、固い誓いが揺らぎ始めております。意志が弱い。ああ、どうしようか。もう時間がありません。


































