赤城耕一の「アカギカメラ」
第34回:えっ!これが中望遠!アポスコパー90mm F2.8 SLIIsの新世界
2021年11月20日 09:00
Z、ゼットと草木もなびく。ではありませんが、まもなく発売されるであろうニコン Z 9がすごい話題ですね。こうした最中にニコンFマウント一眼レフカメラのことや、ニッコールFマウントレンズのことを書くと、古い話をするなと怒られてしまいそうです。でも、堅実なニコンユーザーの皆さまのことですから、Fマウントの一眼レフシステムは決してお忘れではないかと思います。
はい、今回もスタートします。新登場のコシナ・フォクトレンダー「アポスコパー90mm F2.8 SLIIs」を中心に話をしていこうかと思います。コシナ・フォクトレンダーの小型軽量の中望遠レンズですね。
「アポスコパー」(APO-SKOPAR)とは聞き慣れない名称ですが、筆者は2004年に「アポスコパー」を実際に見たことがあります。それは取材で訪れたドイツはブラウンシュバイクにある、今はなきローライの工場内でした。
当時としても、なんとか息を繋いでいるという感じのローライでしたが、対応していただいたローライの方々の対応は丁寧で親切、製品に対して自信ありげな感じを抱いたことを覚えています。
アポスコパーを見たのは、カメラ組み立て工場のプロダクト用の、なんらかの計測器についていたレンズでした。装置の具体的な役割は忘れてしまったものの、レンズ周りの銘板に名前が刻まれていました。焦点距離は残念ながら覚えていないのですが、各種の「スコパー」は1999年から始まるコシナ・フォクトレンダー製品における筆者の愛用レンズでしたから、名前は脳裏に刻まれており、この時はスコパーの元祖をみた思いがしました。でもそこに「アポ」すなわちアポクロマート設計のレンズが組み込まれていたことに驚きました。
「スコパー」は「ノクトン」や「ウルトロン」よりもF値の大きなレンズに冠されるものです。言い方は正しくはないでしょうが、大口径レンズに対して小口径レンズというところでしょうか。廉価な設定でしたから、その廉価なレンズにおいてもアポクロマート設計を採用し、色収差を徹底して抑制してやろうというストイックさに感動したわけです。厳密な光学製品の計測には、さらなる高性能のレンズが必要ということなのでしょう。
本誌読者の多くはご存知でしょうが、昨今のスコパーのような小口径のレンズたちはいずれも絞り開放から性能の高いものが多いですね。設計に余裕がある印象です。コシナ・フォクトレンダー登場時からスコパーシリーズの人気は高く、海外のレビューでも「Great Value Lens」であると絶賛している記事を見かけることがあります。
大口径レンズは華やかな存在ですが、高価で大きく重くなりがちです。ろくに使いもしない開放絞りのために大枚をはたくのは趣味の極みですが、これをどこへでも連れて歩くにはそれなりの覚悟が必要となるわけです。
それにしても、本レンズの小型軽量で全長が短いことには驚かされます。以下にコシナの光学設計技術者からお聞きした受け売りを書いておきますが、なかなか興味深いものがあります。
まず、レンズタイプはゾナータイプです。ニッコール105mm F2.5の初期タイプもゾナータイプですが形は全然違います。通常、レンズ全長を短くするためにはバックフォーカスを短くする必要があります。本レンズの後玉を見ると、レンズが最後部まで詰まっていることがわかります。
中望遠レンズでは前から順番に凸凸凹の構成が多くなりますが、そこに凸レンズを1枚追加、最終レンズを凹レンズにしたことでバックフォーカスを短くすることに成功したそうです。ミラーレス用の交換レンズは最終レンズを凹レンズとしているものが多いのですが、その特性を一眼レフ用である本レンズにフィードバックしたわけです。
また従来のゾナータイプは複数の接合レンズが配置されていますが、これはレンズ設計やコーティングが未熟な時代にレンズの反射率を軽減させるためでした。このレンズにはコシナが得意とする高品質のマルチコーティングが採用されているので、レンズを接合せず収差補正に用いています。
ただ、ゾナータイプはガウスタイプに比べてサジタルコマフレアの軽減には有利になりますが、歪曲収差と近距離での色収差や性能劣化の心配が出てきます。しかし画角が狭いため、実写では歪曲も気にならないレベルで、かつゾナータイプの不安要素である近距離画質も、最短撮影距離を0.9mと抑えることで問題を少なくしたそうです。
軸上色収差と倍率色収差は、7群7枚のうち5枚に異常部分分散ガラスを使用する大胆かつ贅沢な設計で対策しました。コシナ・フォクトレンダーには本連載でも紹介したアポランター90mm F3.5がありますが、それよりもパープルフリンジが軽減されています。
本レンズは実写においても、そのクリアさ、コントラストの高さがよくわかりました。今回使用したFマウント一眼レフは筆者愛用のニコンDfですが、まるで画素数が向上したように像の切れ込みがいいのです。これには感動します。絞りによる性能変化は筆者の目にはわかりません。もちろん大口径レンズではないので開放時のボケは少し小さいですが、絞り開放のF2.8なら十分にボケますよ。
と、珍しく先に光学性能の印象をお話ししましたが、このレンズの真の凄さはそのルックスにあります。光学設計の工夫によって全長を短くしたことで、レンズデザインにも大きな影響を与え、自由で個性的な小型の90mmが完成したのです。
このサイズ感、デザインはヤバくないですか? 金属鏡胴でフォーカスリングも絞り環のデザインもまさにニッコールの“アレ”じゃないですか。鏡胴内のリムの色が白黒2種用意されていますが、“アレ”の「前期」、「後期」みたいじゃないですか。
その“アレ”ってなんだよ、と読者の中に言う方がいますね。わかってるくせに。筆者に言わせるのですか。そうこのレンズ、ニッコールオート50mm F1.4にそっくりじゃないですか。ええ、でもこれはオマージュというやつですね。すでにないレンズだし。本家がやらなくなったことをやるのはコシナのお家芸ですし、昨今では近隣諸国のメーカーが、こうしたコシナと同様のアプローチを真似してきていることは周知の通りです。
アタッチメントサイズ(フィルター径)は52mmです。他の径は絶対に許されません。これはあたりまえですね。コシナはこの理由は当然わかっています。来年度ニコンに入社しようとされる方、これ入社試験に出ます。
しかも驚きは、本レンズはどこからどう見てもクラシックスタイルのMFレンズなのに、CPU内蔵で電子接点を有していることです。Fマウントのニッコールでいえば「Pタイプ」じゃないですか。これならニコンデジタル一眼レフに装着するときは「レンズ情報手動設定」をしなくても大丈夫だしね。さらにニコンZシリーズにも純正のFTZアダプターで装着すれば、Exifデータの記録やAFエリアでのフォーカスエイドもイケますね。
さらにですよ、このレンズには当然のようにAi用の連動カプラーついたAi方式を採用したレンズです。ニコンF2フォトミックASにEEコントロールユニットDS-2をつけ、本レンズをシャッター速度優先AEで撮影してみると、ニコ爺ならではの至福を味わうことができるかもしれません。ええ、もちろん嘘です。
もちろん真面目なフィルムカメラ愛用の写真表現者はF3とかNew FM2ユーザーも多いと思うのですが、当たり前のように開放測光できますから使用にあたりストレスがありません。
これだけではなくて、本レンズには露出計連動爪、通称「カニの鋏」がまでついています。先端が刺さるとイタイですから注意してください。これは便利なミラーレス機を使いすぎて堕落してしまった人間を覚醒させるためにそうなっています。これも嘘です。これはAi化する前のニコンF2フォトミックとかフォトミックFTNとかニコマートFTNとかに装着して“ガチャガチャ”をやって、ボディ側にレンズ開放F値を教え込ませるためにあります。
「その頃のカメラのメーターなんかアテになんかできないし、そんなの古くさくて面倒くさい」と思ったあなた。「ハウス!」。これ以上はお読みにならないでください。でも、あなたは正しい写真表現者だと思います。
で、わかる人だけにわかるように静かに話を続けますとですね。このレンズをそうした非Aiニコン一眼レフカメラに装着すると、血糖値じゃなかった、血圧が上がりますね。似合いすぎて。どこのメーカーとは申しませんけれど、昨今のミラーレス機の交換レンズがどこかに置き忘れてきたものを一気に取り返すような勢いです。ええ、あの土管みたいな色気のない鏡胴ではありませんし。
使用感も変わっていて楽しいです。筆者はあたりまえのようにレンズの見かけのスタイルだけで焦点距離を判断してしまうものですから、本レンズはどうみても「50mm」の印象でしか見ることができません。何度も書きますが、レンズ全長は本当に短くて驚きます。
で、本レンズを装着したニコンDfのファインダーを覗いて「被写体がすげーでけー」とか思って、あわてて被写体から離れてフレーミングし直したりします。なんかダマされたんじゃないかと思うくらいなのです。ただ、少し使うと慣れてきますね。それにしてもコンパクトですねえ。実用面でも、収納、携行性はバッチリですぜ。
コシナはMFレンズにこだわるだけあって、フォーカスリングのロータリーフィーリングはさすがという印象で、フォーカスの頂点の追い込みが楽しくなります。指と目が喜ぶ印象ですね。MF撮影の醍醐味ですね。
出来上がった写真のクリアさもさることながら、F2.8と大口径レンズではないのに、合焦点がピーキーで被写界深度が浅く感じられます。これは高性能のレンズに共通した特徴です。不思議なことに、このレンズで撮影した写真にはどこか既視感があります。先にこのレンズは標準レンズと間違えそうなサイズ感だと書きましたが、そう、開き直って「標準レンズ」として使いたくなることもこの要因としてありそうです。90mmの焦点距離だと、6×6判や6×7判フィルム中判カメラでは標準レンズ相当の画角のレンズになります。35mmフルサイズフォーマットとフィルム中判カメラでは、同じ90mmの焦点距離のレンズでも画角は大きく違います。前者では中望遠という画角でポートレートに向くとされます。
筆者の知人の同業者ひとりに、自分の基準レンズは85mmだという人がいるのですが、彼はあまりにも85mmが好きすぎて、被写体や条件を選ばず可能な限りすべて85mmで撮影しようと考えています。彼にこのレンズを知らせたら喜ぶだろうなと思いました。
筆者はいまもフィルム中判カメラの使用頻度が高いためでしょうか、出来上がった写真の被写界深度のニュアンスから中判写真を思い出しました。これは新たな発見でした。おそらく有効1,625万画素のニコンDfといえど、見た目の鮮鋭性や解像力で中判フィルムカメラのそれと十分対抗できます。つまり、本レンズで撮影した写真はどこか中判カメラの雰囲気に通じるものがあるわけです。
人間というのは単純なものです。一概には言えないものの、最近はレンズの全長が短ければ標準レンズや広角レンズを想起します。したがって本レンズをつけたカメラを手にすると、無意識に標準レンズの仲間としてたくなってしまいます。
もちろんニッコール105mm F2.5とかタムロンの90mm F2.8で撮影しても同じニュアンスの写真はできますが、これらのレンズはポートレートやマクロ専用みたいな刷り込みがあります。本レンズではその姿とカタチの影響から、撮影者のアプローチやモチーフ選びが少し違ってくるようにも感じています。もちろん正攻法のポートレート撮影でも大きな効果を発揮することでしょう。
35mm判カメラの標準レンズの焦点距離を50mmとしたのは明確な定義はなく、これを決めたのは、ライカカメラ社の前身であるエルンスト・ライツ社のようなものです。ですから極論してしまえば、本来は自分の好きな画角や写りをするレンズを自分で標準レンズとして決めても罪はありませんし、中望遠レンズが好きな人なら、本レンズを標準と定めることもできそうです。
90mm F2.8というスペックだけをみれば、昨今の標準〜中望遠ズームレンズに吸収されてしまう焦点域と開放F値ではありますが、この画質と使い勝手を一度知ってしまうと、強い個性を感じます。そうか、この手があったのかというコシナ・フォクトレンダーならではの個性的デザインを持つ、新たなる高性能90mmレンズの誕生です。