写真を巡る、今日の読書
第5回:目の前の情景を描くということ。写真に通ずる文学作品
2022年4月20日 15:00
写真家 大和田良が、写真にまつわる書籍を紹介する本連載。写真集、小説、エッセイ、写真論から、一見写真と関係が無さそうな雑学系まで、隔週で3冊ずつピックアップします。
『箱男』安部公房 著(新潮文庫・2005年)
写真をテーマやモチーフに選んだ文学というのは多くあります。例えば写真家としても興味深い作品を残した、安部公房の『箱男』などは前衛的な写真論として深読みしてみると、物語とは別にまた新たな発見があったりするものです。
古本屋を巡れば、安部公房の写真展のカタログも見つけられますし、全集などには小説に関連した写真作品が掲載されていたりもします。写真家としての安部公房にご興味のある方は、是非改めて探してみてください。
その点で言うと、元カメラマンでもある「ぼく」が主人公の『箱男』はより直接的に写真が関わる文学ですが、今日はもう少し間接的に、私自身が写真に近しい感覚を覚えた文学作品もご紹介してみたいと思います。
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『掌の小説』川端康成 著(新潮文庫・2022年)
ひとつは、川端康成の『掌の小説』。『雪国』や『伊豆の踊子』といった言わずと知れた代表作がありますが、本書はタイトル通り「掌(てのひら)に収まるような短編」を紡いだ書籍です。
写真は、詩や俳句といった文学に例えられることがあります。目の前の現象を端的に、抽象化して再現するという意味において、短い文章や単語で表現することは、実際に写真と非常に近しい性質を持っていると私も感じることがあります。
それと同じように、それぞれが数ページ程度の文章量でまとめられたこの短編集を読んでいると、川端康成という一人の人間の見る世界とその感覚が、鏡のように映されながら直接的なイメージを描くのが感じられるようです。喜びや発見、悲しみや嫌悪といった豊かな感情が、文章を通して朧げな映像を投影するように思うのです。
連載の第一回で、科学的な視点が印象的な作家として寺田寅彦を紹介しましたが、寺田の随筆が世界を眺め観察する「窓」だとすれば、川端の小説は内面を反射する「鏡」だと言えるでしょう。写真を通して自分の思考や哲学、あるいは反応を描き出そうとするとき、『掌の小説』はその表現のヒントになるように思います。
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『東京百景』又吉直樹 著(角川文庫・2020年)
次に、又吉直樹の『東京百景』。百箇所の東京の情景や、その場での出来事が描かれた短編集です。
下北沢、幡ヶ谷、歌舞伎町など、東京を訪れたことがある、あるいは東京で生活している人にとっては、何かしらの話に自らが見た実際の風景と重ね合わせることができるでしょう。同時に、上京してすぐのまだ売れない時期の生活を重ねている描写も多く、数十年前に同じく東京に出てきた私自身の当時の期待や不安を思い起こすことができる一冊でもあります。
読んでいると、大体どの場所かが分かる話も多く、自分が見た印象や情景と、又吉直樹という人物を通した世界の見え方の違いが感じられる本でもあります。まさにそれは、同じ場所を撮影しても同じ一枚にはならない、写真の不思議さと通じるところがあるでしょう。人柄や視点、感覚がダイレクトに反映された気どらない文章も心地よく、ゆっくりと大切に読み進めたくなるような随筆でもあります。
東京に限らず、街をゆっくりとスナップして歩くことが好きな写真家には、程よい気の抜き方とまとわりつくような微かな孤独感に共感できる読み物になるのではないかと思います。