写真を巡る、今日の読書
第6回:名文家としても知られる、鬼海弘雄という写真家
2022年5月4日 15:00
写真家 大和田良が、写真にまつわる書籍を紹介する本連載。写真集、小説、エッセイ、写真論から、一見写真と関係が無さそうな雑学系まで、隔週で3冊ずつピックアップします。
名文家としても知られる写真家
鬼海弘雄という写真家をご存じでしょうか。山形県寒河江市で生まれ、県職員やトラック運転手、遠洋マグロ漁船員などの職を経て写真家を志し、東京やインドをはじめとしたスナップ紀行や、独特な存在感を放つ市井の人々のポートレートを数多く残したことで知られる作家です。2020年に亡くなる以前は、私自身、写真雑誌の月例コンテストの審査やワークショップなどでご一緒させていただく機会があり、会うたびに様々な話を伺ったことが思い出されます。
写真学生の頃、代表作である『PERSONA』を初めて見たときの記憶は非常に鮮明で、こんなポートレートを撮る人がいるのかと驚いたものです。それまでに眺めていたリチャード・アヴェドンとも、アーヴィング・ペンとも、ロバート・メイプルソープとも違う、濃密な「人」の写真がそこには写っていました。
名文家としても知られた写真家であり、写真集の他にも多くの著作が残されています。今回は、その中でも現在比較的入手しやすい本を取り上げてみたいと思います。
『PERSONA最終章』鬼海弘雄 著(新潮文庫・2019年)
まずは『PERSONA最終章2005~2018』。1973年から半世紀近くに渡って続けられたポートレートシリーズは、鬼海弘雄という写真家の生涯を代表する仕事です。
自身が「場の触媒」と呼んだ浅草という土地で、強いオーラを放つ人々を見つめ撮り続け、まとめられたこの一冊には神々しさすらまとった市井の人々の個性がこれでもかとひしめき合い、異様な密度が感じられるのではないかと思います。また、鬼海作品の特徴のひとつでもあるキャプションが、一枚一枚の写真に奥行きや舞台性を広げます。
表紙にもなっているサングラスをかけた女性を写した写真には「銀ヤンマのような娘」というタイトルともキャプションとも呼べる一言が添えられています。その他にも、「どの上着の肩も、破れていると話す男」だとか、「自転車に何本ものビニール傘を縛っていた男」など、実際に写っていることから写っていないことまで、様々な言葉がそこには書かれており、写真を読む道標となっています。
写真と言葉を巡る濃密な関係が、そこには強く表れるようです。何度眺めても新しい発見がある不思議な写真集でもあります。入手可能な今のうちに、是非手に入れて欲しい一冊です。
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『靴底の減りかた』鬼海弘雄 著(新潮文庫・2016年)
随筆がまとめられた著書には、『誰をも少し好きになる日 眼めくり忘備録』をはじめ、是非手に取って欲しい良書が多くありますが、現在入手しやすいものとして『靴底の減りかた』をご紹介したいと思います。
東京での日々や、旅先での情景を記したエッセイですが、鬼海弘雄独特の感覚が写真と同じように文章表現にも感じられます。写真作品と同じく、「女装するマッチョマンと贋看護婦」ですとか、「トマトジュースで粉薬を飲む男」など。どこか謎めいたそれぞれのタイトルが特徴的です。
浅草での撮影を記した小噺もあり、エッセイを読みながら写真集を見返してみると、新たな発見があるかもしれません。リズム感と言葉の持つ熱に、不思議な高揚感が感じられるテキストだと思います。
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『ことばを写す 鬼海弘雄対話集』鬼海弘雄 著、山岡淳一郎 編集(角川文庫・2019年)
最後は、『ことばを写す 鬼海弘雄対話集』です。田口ランディや堀江敏幸といった文学者との対談を中心に、雑誌「アサヒカメラ」上で掲載された連載をまとめた一冊になります。
写真という表現の面白さや、表現というものの奥深さについてざっくばらんに、それでいて緻密に語られており、写真以外の表現者から見ることで鬼海作品の魅力が分かりやすい視点で描かれています。また、中には同じ写真という表現を同じ時代に追ってきた荒木経惟との対談などもあり、二人が見てきた写真の本質のようなところに触れられる場面もあります。
一冊を通して芸術や表現といったことを、柔らかく読むことができる対談集ではないかと思います。