ニュース
「安田菜津紀と行く東北スタディツアー」レポート
カメラを手に高校生が被災地と向き合った3日間
Reported by 本誌:武石修(2015/9/15 08:00)
「第2回フォトジャーナリスト安田菜津紀と行く東北スタディツアー」が8月20日~8月22日に開催された。主催はオリンパスとstudio AFTERMODE。
これはフォトジャーナリストの安田菜津紀さん(studio AFTERMODE所属)が、次世代を担う高校生に東日本大震災の被災地を訪れて被災地の現状を知り、災害や復興について考えて欲しいと発案したツアー。その思いに共感したオリンパスがCSR活動の一環として昨年に引き続きサポートした。
スタディツアーとは、テーマに関連のある場所を訪れ、現場での体験や現地の人との交流を通して学び考えることを目的にしたツアーだ。安田さんはカンボジア、東南アジア、中東、アフリカなどでの取材の傍ら、これまでにカンボジアや東日本大震災の被災地などでのスタディツアーを積極的に行ってきた。
今回は全国から参加者を募り、今回は20名ほどの応募があった。震災と復興をテーマにしたレポートで選考を行い、11名が選ばれた。「どの応募者のレポートも素晴らしく、定員に絞るのに苦労しました」(安田さん)。北海道、兵庫県、和歌山県など遠方から参加した生徒もいる。
初日:南三陸町旧防災庁舎で津波の威力に驚く
初日は10時に仙台駅に集合。安田さんとともに貸切バスに乗り込み、南三陸町に向かった。車内では安田さんの発案で自己紹介ならぬ“他己紹介”を行った。これは2人1組になってお互いの話を聞いてそれを発表するというもの。初対面で緊張しているなか、早々打ち解けるのに一役買ったようだ。
安田さんの自己紹介では、震災で義理の母を失ったことをきっかけに被災地の取材を始めたことを明かした。被災地では、陸前高田市を中心に取材を続けいているそうだ。
今回のツアーは、参加者が写真を撮ることで被災地の現状を見つめることが1つのテーマとなっている。参加者は、オリンパスが貸し出したカメラを提げて被災地と向き合った。
写真部の生徒がいる一方、参加者のほとんどはレンズ交換式カメラを使った経験がなかったが、オリンパスの写真教室「デジタルカレッジ」のインストラクターがバスの中で使い方を説明。参加者もすぐに使い方を覚えたようだ。カメラについてわからないことがあればいつでも質問できるので心強い。
安田さんからは、多くの方が亡くなっている場所なので「撮らせて頂く」という感謝の心でシャッターを押すことや、話を聞く際にはメモを撮り、ぜひ質問をして欲しいとの心構えが伝えられた。
バスは最初の目的地である、南三陸町の旧防災庁舎に到着。津波の爪痕を目の当たりにした一同は、驚きを隠せないようだった。庁舎に向かって黙祷した後、その姿を写真に収めた。
この庁舎は、津波のすさまじさを伝える象徴的な遺構。参加者は最初、どのように撮れば良いか迷っていたようだが、しばらくしておのおののアングルを見つけシャッターを切っていた。
続いては、陸前高田市立米崎小学校を訪れた。この小学校は至近まで津波が来たが、辛うじて浸水を免れた。そのため、校庭は仮設住宅の用地となった。現在も約50世帯がここで暮らしている。
ここでは、仮設住宅の自治会長で、防災士でもある佐藤一男さんが、避難所や仮設住宅での活動の体験談や、自宅が津波に流されたことを踏まえて災害から身を守るにはどのような場所に住めば良いのかといったことを語った。
参加者は、「自分が住んでいる高層マンションではどのような防災対策が必要か?」「どのように高齢者を避難させれば良いか」といった質問を熱心にしていた。
その後生徒は、仮設住宅で暮らす人にかき氷を作って振る舞い、喜ばれた。生徒は住人に積極的に話しかけ、しばらくすると打ち解けた様子で、たくさんの写真を撮っていた。
初日の訪問はこれで終了。宿泊する箱根山テラスに行き、各自の感じたことを振り返るワークショップを行った。
生徒からは、「旧防災庁舎を前に、カメラを向けて良いのかと思った。写真では単に凄さしか伝わらないのではと心配になった」「自分で備えることの重要性がわかった。この話を持ち帰って周りに伝えたい」「近所づきあいは、自分が思った以上に大切だと気づかされた」などの感想が聞かれた。
安田さんは、「被災者に話しかけながら写真を撮る姿は素晴らしいものでした。初日にこれだけアウトプットできたのは凄いし、嬉しいです。誠実に向き合えたからこそだと思います。カメラを向けることへの後ろめたさや申し訳なさを挙げた人がいましたが、それを忘れてはいけません」と話した。
2日目:三陸鉄道 南リアス線に乗車
2日目はまず、陸前高田市の海岸に向かった。ここは当初のツアー予定に無かった場所だが、安田さんがどうしても見せたいと出発を30分早めて向かった。そこにあったのは津波の引き波で倒された防潮堤だった。
続いて、現地で語り部の活動を行っている釘子明さん(くぎこ屋)のガイドで、陸前高田市沿岸部を見学した。バスの中では震災前の陸前高田市を映した映像を上映し、当時の様子を説明した。
釘子さんは、「まだまだ仮設住宅で暮らす人も多く、復興の途中であることを理解して欲しい」と生徒に語りかけた。また、震災時の避難所に食料や物資の蓄えがなくて苦労した経験や、避難所の2/3が被災したことから、自分が行くべき避難所が本当に安全なのか見直すことが重要だと付け加えた。
次は、津波で被災したかつての「道の駅 高田松原TAPIC45」に向かった。震災遺構となっており、同じ場所に東日本大震災の追悼施設もある。
次に大船渡市の盛駅に向かい、ここから三陸鉄道 震災学習列車に乗車。釜石駅までの南リアス線全線を約1時間かけて走った。車内では三陸鉄道の社員が津波の被害を受けた際の対応や、復旧の過程について説明があった。
震災時に車両が鍬台トンネルの中間で止まってしまい、司令室から連絡が付かなくなってしまったときの対応や、トンネルの先の橋が津波で流されていた状況などの話に耳を傾けた。
その後、釜石市で避難所になっていた仙寿院というお寺に向かい、芝崎恵應住職から当時の話を聞いた。仙寿院は釜石湾を望む高台にあり、津波の時に1,000人以上が避難した。
芝崎住職は、避難所での苦労やその体験をもとにした教訓を参加者に伝えた。「上手くいったことと失敗したことを学んでくれるのが一番の願い。震災をどう伝えたいかを考えてシャッターを押して欲しい」と話した。
宿に戻り夕食を摂った後、宿に芝崎住職が来て映画「遺体」を共に観賞。西田敏行さん主演のこの映画は、遺体安置所の出来事を描いた作品。劇中で登場する住職は芝崎住職がモデルになっており、その他の登場人物もほとんどが実際の人物をモデルにしているとのこと。「被災によってこのようなことにならないで欲しい」と話した。
この日の予定をすべて終えたところで、各自が撮影した写真を見せながらのワークショップとなった。
3日目:ひょっこりひょうたん島のモデルになった島を訪問
最終日は、釜石望鈴(みすず)さんのガイドで地元の大槌町を見学した。釜石さんは安田さんのカンボジア・スタディツアーの経験者。「今しか伝えられないことがあると考えました」と、語り部を引き受けてくれた。
最初に訪れたのは、旧大槌町役場。地震から30分後に来た津波に飲まれてしまった。町長の意向で近く取り壊す予定という。
その後、高台で避難場所だった城山公園に移動。そこから見下ろすと現在も建物はほとんど見当たらない。当時は津波で発生した火災の煙がこの場所まで来たという。
さらに城山公園からほど近い赤浜にある蓬莱島に向かった。「ひょっこりひょうたん島」のモデルになったという島で、弁才天像がまつられている。津波による崩壊は免れ、現在は像も含めて補修中だ。
参加者は最後に、福幸きらり商店街に立ち寄った。ここは、2011年12月にできた仮設の商店街。生徒は商店街の人とふれあい、お土産を購入。大槌町を後にした。
“写真での表現”を考える道具に
今回話をしてくれた人々の多くは、震災を長く取材している安田さんが取材の過程で知り合いになった人々だ。いわば安田さんならではの組立で、とても充実した内容だったと感じた。
被災者の声に真摯に耳を傾け、発表の時に時折涙を見せながら話す姿を見ると、参加した高校生にとって今回の体験は忘れられないものとなったと思う。皆、「ここで得た教訓を伝えていかなければ」と口にしていた。このツアーの目的は十分達成されたのでは無いかと思う。
カメラメーカーが機材を貸し出してフォトジャーナリストの安田さんが同行するツアーと聞き、最初は写真教室のようなものを想像していたが、まったく違った。安田さんは参加者に寄り添いながらも、写真の撮り方や技術的な話はしなかった。代わりに、被災者や被災地への向き合い方やスタンスといったものをアドバイスして自由に撮影させていた。
参加者全員の写真を拝見したところ、同じ場所で撮影しているにもかかわらず、似たような写真は無く、それぞれに想いのこもった作品になっていた。各自がどう感じて、どう表現しようと考えたかの結果だと思う。このツアーでは、カメラが思考のツールとして大きな役割を果たしたと言えそうだ。
(提供:オリンパス株式会社)