Photographer's File

 #10:岩根愛

取材・撮影・文  HARUKI

岩根愛(いわねあい)

プロフィール :1975年、東京都中野区生まれ。中学卒業後、単身渡米し、高校留学中に独学で写真を始める。帰国後は音楽、雑誌媒体などを中心に活動。3年に亘り雑誌「ecocolo」でハワイ文化について連載し、以来ハワイの日系人や、世界の多様なコミュニティについての取材を続けている。




中央線沿線の住宅街、父母祖母の3世帯、玄関が3つある家に、弟、妹の3姉妹の長女として生まれ育った

 岩根愛の初めての海外旅行は小学2年生の時に母と行ったフィリピンだった。

 これだけきくとちょっと裕福な普通の家庭みたいだが、彼女の場合、どうやら事情は大きく違ったみたいだ。フィリピンと云っても南国のリゾートや観光地で楽しむためじゃなく、フィリピンの中でも歴史的にも貧富の差が激しいネグロス島へ、お母さんが日本で募金活動などをして集めたお金を貧しい人々たちのもとへ直接寄付を渡しに行くというのに同伴しての旅だった。向こうへ着いてもホテルに泊まるのではなく、現地の貧民地域の人たちと同じ場所へいきなり放り込まれてそこで宿泊させられるというスタートだったらしい(笑)。

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 元々彼女の家はカトリックのクリスチャンの家庭で、岩根自身も日曜学校へ通ったりもしていたのだが、お母さんはボランティア運動やチャリティーなどをしていたのが増長していきついには新興宗教のような活動にまで発展していった。家を教会のように使い、そこには毎日大勢の人たちが通ってきて、多い日には40人以上の人たちが集まるようになり、学校から帰ってきて玄関のドアを開けたら、ものすごくたくさんの人たちの靴が脱ぎ捨てられており、奥からはトランス状態に陥った人々の泣き声や叫び声が聞こえてくるというのが日常化していってしまった。ある日、父親が自分の足に向かって祈ってるのを見た彼女は、自分の家の中でも両親とは一緒には住めないなと判断し、それまで暮らしていた2階の部屋から同じ建物ではあるが玄関が別々の階下にある祖母の部屋で暮らすようになる。2階から1階への避難。

 それが岩根愛にとっての最初の家出だった。その次の家出は中学生の時。以前から通っていた日曜学校で会っていた、彼女の両親も知り合いの絵本作家の大友康夫さんのお宅への居候。そこの息子さんがアメリカに留学していて、向こうの学校のパンフレットを見ていたら「愛は日本で暮らすよりも、こういうところの方が向いてるんじゃない?」ってことになり、約50カ所のアメリカの学校へ手紙を出して受け入れ体制がある学校を探すようになっていく。その中で反応があって、興味を持った学校が「ペトロリアハイスクール」であった。ここはいわゆるヒッピー文化盛んなりし頃に、裕福なユダヤ系のインテリヒッピーたちが自分たちの子供たちに教育を受けさせるために作った私立学校だった。


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 留学するにあたって、日本から下見を兼ねて事前にクルマでまわってきた。この旅のためにわざわざ自動車免許を取得してくれた大友さんのパートナーの名取知津さんと、大友さんの息子さん、息子さんのガールフレンドと一緒にカルフォルニアをクルマで廻って、いろいろ見た中でこの学校に決めた一番の理由ってのはいったい何だったの?

「外国人の私を受け入れてくれるために、ビザの発行のための手配など面倒くさい手続きに対して動いてくれたのがこの学校だけだったから(笑)」

 彼女とは以前からの友人ではあるが、世代も生まれた地域も育った環境もまったく違うのに、不思議なことにこの雑誌に載ってる岩根のハイスクール写真を見ていると、もしかしたらかつて自分もこの学校の生徒だったんじゃないかと錯覚してしまう。

 そんな疑似体験を夢想させるのも写真が持っている魔力の1つかも知れないし、そうさせるパワーを発しているのは、岩根愛の写真の強さでもあるだろう。

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この日は、いま大人気急上昇中の異色のビジュアル系ロックバンド「女王蜂」のCDジャケット他の撮影。身体に特殊メイクを施し、ムラ布バックドロップ&ストロボヘッドにカラーフィルターを使用しての怪しいゴージャス満点のスタジオ撮影だった

残念ながら撮影舞台裏の女王蜂のメンバーのメイキング写真はNGなのだが、岩根さんを中心に、デザイナーさん、レコード会社のディレクター、宣伝担当さん、メイクさん、スタジオさんなどメンバー以外のスタッフさんたちの動きを撮らせてもらった。お昼からずっとスタジオに籠もって作業をしているところへ夕方お邪魔して、夜8時過ぎまで取材をさせてもらったけど、最終的には遅くまでかかって完璧な仕上げをしていたらしい。おつかれさまでした!

この日はハッセルブラッドのデジタルバッグでの撮影がメインだったので、予備としてフィルム対応アクセサリーも含めてシステム全部揃えての機材持ち込み。懐かしのポラロイドマガジンやエクステンションリングも揃っている

本日のメイン機材は、45度でファインダーを覗くタイプのプリズムファインダーPM5とワインダーを装着したハッセルブラッド503CWにフェーズワンのP40+デジタルバック。レンズは主にプラナー80mmとディスタゴン60mm。他に120mmマクロや100mmも

予備、そして小さなカット用にキヤノンEOS 5D、EOS 5D Mark II。レンズはフィルム時代から愛用しているEF 17-35mm F2.8 L USMを含めて、EF 24-105mm F4 L IS USMや、カールツァイスのプラナー50mmもアダプター変換で使用できる準備だった。※EF 24-105mm F4 LIS USMが、その後の取材時には、EF 24-70mm F2.8 L USMズームに、ボディも5D Mark II×2台体制へ変わっていた(笑)

「もともとデジカメで作品を撮ってなかったんですけど、上海万博の取材からEOS 5D Mark IIを使う事になって、中国の観客に私がカメラを向けると最初は誰が撮ってるんだろうって見て、キヤノンの最新カメラだと気がつくと今度はレンズの中をみてくるんです」

彼女も基本的には手持ち派だが、三脚使用の場合はハスキーの3段式のオーソドックスなタイプ
ハスキーの雲台にはハッセルブラッドの純正クイックシューが装着されていた。今回の取材で何度か撮影現場にお邪魔したが、三脚を使ってる場面に1度も出くわさなかった。昔から気になっていた商品なので、ハッセルのクイックシューを着脱するシーンを見たかったのだが(笑)


私の原点はサブカルとエロ本出身カメラマンだと思っています

 高校卒業後、日本に帰国してからカメラマンの助手を1年半。アシスタントをやってる二十歳くらいの時、CDジャケットの撮影で海外ロケの仕事が自分に入ってきたりして、やがて独立する。独立してすぐの頃、サブカルチャー文化がまだ残ってる時代だった。

「エロ本のコラムがすごく面白かったんですよね。エロページはエロページなんですけど、当時はエロ本に雑誌界の才能が集まっているように感じていました」

「投稿雑誌というのものがあって、私の初めてのレギュラー仕事は、某投稿雑誌でした(笑)。素人の読者(カップル)が自分たちで撮ったH写真を編集部に送ってくるんです。現像所でプリントしてくれないから編集部に自現機があって送られてきた生フィルムを現像して、その中から面白いモノが掲載採用されるというシステムで、その中の1組の奥さん(彼女)をグラビアページ4~5Pに渡ってプロカメラマンが撮り下ろしをしますみたいな(笑)。まあ、それを担当しまして。ホテルとかの部屋を編集部でおさえて、そこへカップルに来てもらい、奥さんとか彼女の方を私が撮影してあげて、それをダンナさんとか彼氏とかが横で編集者と見てて。部屋は翌朝まで支払ってるから、撮影が終わったらお2人でどうぞご自由にお使い下さいみたいな(笑)」

 当時は毎月その仕事だけやってて生活ができたの?

「そんなに長い期間やってたワケじゃないけど、あの頃は安アパート暮らしだったから家賃の大半くらいになったので、まあスタート時としては何とかやっていけるくらいでした」

「作品とかでは友人カップルのヌードをよく撮ってましたねー。いま思うとなんであの頃、人を脱がせることに熱中してたんだろうって(笑)。それがきっかけでその仕事が来たんですけどね」

年末も押し迫った師走のある日、都内の自然光ハウススタジオにてKKベストセラーズの男性向け情報雑誌「CIRCUS」の巻頭グラビアページの撮影現場にお邪魔してきました。多数CMに出演しているタレントさんなので、今回は名前を伏せるということでまたまた残念ですが……冬の短い日照時間ゆえ即座に判断して撮っていかなくてはならないので、夕方の自然光撮影は慌ただしく、そしてピリピリとした状態で進んでいきました。太陽との戦いだったけど、無事に終了してほっと安心してデータをチェック。この日もオツカレサンでした

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 未発表の新緑シリーズについて。

「冬のハワイって雨のシーズンですけど、草木が育つ新緑のシーズンでもあるんです。たまたまサウスポイントという場所で、蛍光グリーンの草がすごい勢いで成長していくのをみたんですが感動もので。“ラアウ・ラパアウ”っていう自然に生えてる草花を草にする薬草療法の伝統メソッドがあり、それで草花とかを見ることを教わったりして、それからは東京でもはじめて四季を感じるようになったんです。人も自然の一部というか、ネイティブインディアンの人たちは、まるでそこに人がいるみたいというんですけどね。これは山とかの大自然じゃなくて、東京都内、東京近郊に限定して撮ってるシリーズです」

このシリーズは未だ完成していないので門外不出らしいが、テストでプリントしたもの数枚をまとめてチラリと(笑)

散策しながらの自然撮影でよく使うのは、ややワイドの65mm F4付きのマミヤ7。フィルムはネガカラーでコダックのポートラ400VC。120の倍のカット数が撮れる220タイプのロール

岩根愛の度胸と行動力

「クイック・ジャパンの仕事で知り合った“ドライ&ヘビー”というダブバンドがいて、初めてライブを見たときにこの人たちはスゴイと思って、『自分で飛行機代を出すからヨーロッパツアーへ同行させて』みたいな事でヨーロッパツアーのバスでの同行撮影に行ったのがちょうど2000年でしたね。面白い人たちと知り合って、そこからの縁で広がっていき、被写体としては、音楽もの、ヌード、人物モノなどが大半で、雑誌がメインで細かいものとかでもとにかくたくさんやってました。広告とかには縁のない世界だったんで、たまに入るCDジャケットの仕事なんかが大きな収入源でした」

「いま、思い出したけど、勉強になったなーって思うのは、クイック・ジャパンなどのサブカル誌のインタビューに登場する人の話が面白いので、インタビュー中に横でちゃんときくようにもなったこと。有名ミュージシャン、AV監督、名も無き市井の人とか。『ゴアパンデカを探せ』ってタイトルでレイブパーティーとかにゴアパンを穿いて潜入しているデカ(刑事)がいるという噂が広がって、こっちもハイテンションなのに、盛り上がってる会場の中で編集者と一緒に必死になってその人を捜すとかバカなことやってました(笑)。面白ければ何でもアリみたいな企画で、とにかく面白い人たちにたくさん会えましたね」

 すごくわかる話だ。ボク自身も80年代に週刊プレイボーイやGOROなどの雑誌では、オバカ企画でずいぶんと馬鹿馬鹿しくも面白い事をマジメ(?)にやってた経験があるので、無駄に一生懸命やるというのがすごく理解できる(笑)。

「20代の後半は、そうやって周りの面白い人たちと仕事をしたり、自分自身のパッションみたいなものが原動力でやっていたんですけど、だんだん景気が悪くなったり社会の変化もあり、自分が独立して写真をやり始めた時とはなんとなく違ってきてたんです」

「30歳になる直前、アメリカ時代の学校の同窓会の誘いが届いたんです。同窓会っていっても、この学校の卒業生すべてが対象だから、いろいろな世代の人の集まり。一も二もなく行く事にしたんですけど、それまで仕事や撮影以外で海外なんて行く余裕がなかったんで、純粋な意味では初めての海外旅行(?)。12年ぶりの友人たちとの再会。この時、撮るぞ~っていうんじゃなく、いちおうカメラは持って行ったんですけど、行ってみたらココにいた数日間に、自分が高校生の頃から今まで本質的には何にも変わっていないんだって事が明確にわかり、とても自由になれたような気がしてすごく楽しかったんです」

「20代も終わりになった時、高校生の頃や写真をスタートした頃に思ってた“思えば何でもできるんだ”って事や、自然に楽しんでいたり自由に感じていた時代の感覚を取り戻せたなあって。HOMEっていうと、自分にとっての居場所っていうか、成り立った場所だけど、昔から私はノマドっていうか、いろんな人のところを渡り歩いてきたっていうか。この場所っていうのが自分にとって特別で、世界の何処にもないんだなーって」

 そのアメリカでの同窓会を撮影したものをまとめた本がココにあるんだけど、どういう経緯で雑誌形態の本になったのか教えて。

「この子が(と写真を手に取りながら)、一番の親友だったチェコ人のカタルジーナって女の子なんですけどジャーナリストになっていて、同窓会で彼らや彼女たちの写真を撮ってて、こういうことを伝える雑誌とか何か手段がないかなって思ったんです。帰国したら既にやってる人がいて、それが若木信吾さんだったんです。若木さんは『個人のドキュメンタリー』をテーマとする雑誌、ヤング・ツリー・プレスを発行していて、若木さんに相談したら、1冊にまとめてくださったんです。ですからコレは写真集ではなく、雑誌ヤング・ツリー・プレスの“ペトロリア号”です」

「仕事でハワイへ行ったついでに、ハワイ島に長年住んでいる未央って友人に数年ぶりに会いに行ったんです。2006年の6月でした。で、それとは別にハワイ島へ行くなら30年以上ハワイに住んでいろんな活躍している日本人のニック・加藤さんって人に会ったほうがいいよって予め聞いてたので現地でお会いして、そのニックさんが当時住んでるいたのが100年以上前からのある、ハワイで一番古いお寺だったんです。ハマクア浄土ミッションっていって、ハイウェーから入ったところに、いきなりちゃんとした宮大工のお堂がドーンって現れて、その佇まいとかにグッときたんです。裏が墓地になってるんですけど、若い人がいないから人手が無く、一見荒れてるんです。昔はみんなお金が無かったからただの石ころがお墓だったりとか、そんな中で日本語で書かれてる墓石の漢字とかを見てまたまたグッときちゃって(笑)。帰国するとき別れ際に未央に“お墓に名前が書いてあるここにいる日系人の人たちの写真を撮りに、私また戻ってくるからっ!”って宣言しちゃったんです。で、次に行ったのが2カ月後、“お盆ダンス”がある8月とすぐでした(笑)。その時には撮るぞっ! て覚悟で4×5を買って持って行き、お寺に泊めてもらい、ニックさんに日系人のおばあちゃん方たちを紹介してもらってやいろいろ撮らしてもらいました。ってecocoloって雑誌で連載してました。以来、今でも毎年1~2回は通ってますが、最初は2週間くらいだったのが、今は1カ月以上と1回の滞在期間がどんどん長くなってますね(笑)」

(c)岩根愛(c)岩根愛
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 ハワイの日系人を撮ってる写真家って昔からとても多いと思うけど、今後、愛ちゃんとしてはどんな展開でやっていくつもり?

「日系人の人たちのポートレートをまとめて作品にするって事、私は多分やらないと思う。おっしゃるようにたくさんの先人たちが撮ってるし、ハワイに住んでる写真家にそれは敵わないんですよ」

「ある雑誌で野球選手を撮影に行ったんですが、私、野球のことあんまり知らないのに、“写真撮りたいんですっていう理由で人に会いに行く事が、私はできるんだ”と思ったら、なんてステキな仕事をしてるんだろうと。それからはこういった事をやるのが楽しくなってきたんです。新しい土地に渡った日系人たちが自分たちの文化を新天地の文化とミックスさせながら残していった日系文化は、興味深いものばかりです。私自身の血にハワイとの関わりがあるわけじゃないし、ポートレートをまとめるというのとも違うけど、お寺や埋もれたお墓だったり、ハワイに残る日系文化の写真を撮ったり、会いに行って話をきくこと自体も楽しいし、きっとそうやってプロジェクトを続けていくんだと思います」

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 フィリピンのモンテンルパ刑務所。ここへの潜入ルポ、刑務所での暮らしと受刑者たちのポートレート写真。

「かつてこの刑務所に入っていた日本人がいるんです。その人が、コマンダーっていう呼び方なんですが、刑務所の中にある“スプートニク”っていう最大ギャングのボスだったんです。その方は今は出所して日本にいるんですけど、その方と、彼を長期取材していたノンフィクション・ライターの藤野眞功さんと一緒に、最終取材として、刑務所に入って取材や撮影をするという仕事でした。せっかく刑務所から出た人をわざわざもう一回中へ連れて行くというややこしい話で(笑)」

 ココって、かなりヤバイ事やらかした人たちが入ってる刑務所でしょ。取材はどんな感じだったの。危険な事とかなかったのかな?

「危険っていうよりも刑務所のアイドルやってましたね(笑)。ギャングの元ボスだった人と一緒にいたからですけど、様々な犯罪者が私のアシスタントについてくれて、機材バッグを持ってついてきたりしてました。さすがに露出計は扱えなかったですけどボディーガードやってくれました」

 ボディーガード? じゃあ、刑務所の中で受刑者を撮影するのに、受刑者から身を守るために別の受刑者がガードしてくれてたんだ?

「そうです。その後、彼ら、元気にしてるかなーっては思いますね(笑)。自分としてはこれがきっかけで、台湾のポートレートシリーズへと繋がっていくんです。これも藤野さんと取材しました。

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 台湾のお爺さんたちの写真について説明してください。

「台湾には国民党軍の退役軍人を指す栄民(栄誉国民)という言葉があり、政府の保護を受け、彼らが余生をおくる施設は栄民の家と名付けられています。栄民の家は台湾各地に点在していますが、写真を撮った三峡栄民の家の住民は、中国側の志願兵として朝鮮戦争に参加し、米軍の捕虜を経て自らの意思で台湾に移送された経験を持つ、栄民の中でも特殊な立場の方々で、ほかの栄民と処遇も違います。かれらは、国民党への忠誠心を示すため、自らの身体に青天白日旗や滅共の文字を彫ったのだといいます。歴史に翻弄された人生が、刺青という目に見える形で身体にのこっている彼等と対峙することは、特別な経験でした」

「これからは小さいコミュニティの時代のような気がするんですよね。国家とかの大きなものじゃなく。高校時代のペトロリアにしても、自給自足、自家発電、自分たちで使うものや必要なものは自分たちで作る自己供給、そして不必要なもの終わったものは自分たちで廃棄処理するシステムのコミュニティ。他にもいろいろあると思うけど、自分の人生で繋がっていることが、どんなスタイルがあるのか自分で知りたいという欲求もあり、コミュニティの生き方、コミュニティに生きる人たちというのが、いまは興味を持っているテーマなのかも知れないですね」

 フィリピン、台湾のポートレートシリーズでは、6×6のハッセルを使って、モノクロフィルムを詰めて撮ってる写真が多いですけど、その辺の機材感材のセレクトについてきかせてください。

「6×6っていうか正方形って、私あんまり好きなサイズじゃないんです。だいたい好きなサイズって6×9とか35mmでも横長の写真が好きなんです。6×6で撮る時ってなんか具合が悪いっていうか、落ち着かない。特殊な環境にいる人を撮らせてもらうことに対して、こちらも写真家としての覚悟というか居心地が悪い窮屈な条件で敢えて挑むっていうか(笑)。でもハッセルのレンズは好きですよ、特に60mmと100mmは良いですね」

「レンズの感覚とかカメラのサイズって、35mm、中判、4×5の違いとかって、一般的には大きさそのものや、イメージサークルとかボケ味とか、解像度の問題って思われがちですけど、覗いた時の世界の捉え方がそれぞれ違うじゃないですか? その中で私は中判(ブローニー)サイズが一番好きです。作品でポートレートを撮る時はさっきの理由でハッセルを使う事が多いです。あとはマミヤ7ですね。ちょっと前まではフジの6×9でしたが」

 ボクもそうでしたが、以前はハッセルの他にペンタックスの67をよく使ってたんじゃない?

「ペンタ67は35mmと同じ感覚で使ってましたね。手持ちだから大変でした(笑)」

 そう、重いんだよね。しかも2~3台はぶら下げて使うしね(笑)。だけどペンタは三脚に付けて使うんじゃ、せっかく35mm並みの機動力の意味が無いしね。

「ペンタ67のデジタルが出たら良いんですけどねえ!」

 誰もが思ってるよ。PENTAX 67Dなんて出たら、ポートレート撮ってるカメラマンなら、ほとんどの人が欲しがるアイテムでしょう(笑)!

「ハワイの日系文化についてのプロジェクトは今後もやっていくつもりなんですけど、自分が撮ることだけではなく、福島出身の移民が中心となり福島太鼓という伝統をハワイで受け継いでいる“100年の鼓動”というドキュメンタリー映画があるんですが、それを東日本大震災の被災地で上映するプロジェクトを計画しています。福島から遠くハワイへと海を渡って行った日系人開拓者たちのスピリットや勇気、新しい未開の土地で自分の文化を大切に受け継いでいった姿から、震災後の私たちが学べるものがたくさんあるのではと。この映画の中身は福島太鼓の話以外にも、教科書に載っていない日本人の知らない日系人の人たちの歴史としても貴重な資料ですので、多くの人たちに観てもらいたいです」

(文中、敬称略)

取材協力:女王蜂 /(株)ソニー・ミュージックアソシエイテッドレコーズ、KKベストセラーズ・CIRCUS編集部

今回の取材撮影使用機材:
  • ペンタックス645D、FA 645 55mm F2.8、SMC Pentax 67 75mm F2.8 AL
  • キヤノンEOS 5D Mark II、EOS 7D、EF 16-35mm F2.8 L II、EF 70-200mmF4 L IS USM、EF-S 10-22mm F3.5-4.5 USM
  • ニコンD7000、AF-S NIKKOR 16-35mm F4 G ED VR、AF-S DX NIKKOR 18-200mm F3.5-5.6 G ED VR、シグマ8-16mm F4.5-5.6 DC HSM
  • サンディスクExtreme Pro SDHC、Extreme Ⅳ CF


(はるき)写真家、ビジュアルディレクター。1959年広島市生まれ。九州産業大学芸術学部写 真学科卒業。広告、雑誌、音楽などの媒体でポートレートを中心に活動。1987年朝日広告賞グループ 入選、写真表現技術賞(個人)受賞。1991年PARCO期待される若手写真家展選出。2005年個展「Tokyo Girls♀彼女たちの居場所。」、個展「普通の人びと」キヤノンギャラリー他、個展グループ展多数。プリント作品はニューヨーク近代美術館、神戸ファッ ション美術館に永久収蔵。
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2012/1/6 21:53